2000年11月10日(金)

目に見えないもの



石舞台

 奈良シリーズだったので、ほとんどの方はわかったと思いますが、石舞台の中から奥を見上げたアングルの画像でした。そろそろ名古屋の画像に戻そうかと思います。

 明日香への深い思いを書くと、とまらなくなって、一日では足りなくなります。明日香に残っているものの姿が、だんだん明らかになってくるのは、うれしいことです。考古学上の驚きの発見も、疑わなくてはならない時代になりましたが、そもそも学問は疑うことから始まるものです。自分自身の回り道でもあった、大学院での研究生活で学んだことのうちで、研究成果を疑うことの大切さは、とても大きなものです。大学時代に師事した、素晴らしい先生からは、すぐそばにいながら、学ぶことが多かったのですが、繰り返しおっしゃっていた、疑うことの大切さを実感したのは、何年かたってからでした。

 今は、自分自身を疑うことの大切さを感じています。人間は、必ずミスをする生き物。自分が細心の注意を払ってやったことでも、ミスはつきもの。それに、何よりも、人間は過ちを犯す生き物です。

 最近強く思うのは、決定する責任を持つ人物に決定権が集中してしまう問題点です。日本でそのような地位につく方は、必ずしも人格的に素晴らしいわけでも能力が素晴らしいわけではなく、出世するための手段を頑張ったというだけなのに、そのような人が、不充分な知識と判断力をもとに、自分勝手な決定をしてしまうのが、日本の構造となっています。そのような人に、職務上の命令を受けて動かなくてはならないのは、本当につらいことです。

 僕は、少なくとも、横暴な暴君になることなく、民主的な社会を築くために、がんばろう。


声援

 昨日の話の続きです。長い時間をかけてたっぷりと書かなければ、きっとわかってはもらえないことだと思いますが、簡単に書いてみます。

 例えば、僕が髪を短くして、スーツを着て、どこからみても典型的な教師に見えるような外観にすれば、今、受けている、様々な苦労は、受けなくても済むのは明らかです。なぜ、こんなに損をしながら、自分が自分であることを続けているのかと考えてみると、やはり、生徒たちを応援する気持ちが根底にあることに気がつきます。

 もちろん、自分自身の人生は、自分らしく生きたいから、あるがままの自分でいたいから髪を伸ばしているのですが、若い人々を励ましたいのです。たぶん、どんな人も若い頃悩むことの一つに、自分というものがよくわからないことと、自分らしく生きようとすると、親や教師や時には友だちと衝突してしまうことがあると思います。そんな時に、同じような境遇で頑張っている人間を見ることは、少し励みになるかなという、そんな思いがあります。

 生徒たちは若いし、短い時間で、教師としての桐谷の良さを見つけてくれる人が多いようですが、保護者は、たぶん、桐谷の外観の違いに驚いて、すぐには、素晴らしい先生に出会ったとは思ってもらえないと思います(実際には、度量の大きい保護者が多いようで、多くの保護者が、我が子は幸運だと褒めて下さいます。)。たぶん、僕の高校がユニークさを大切にする高校なので、保護者の驚きも少ないと思いますが、生徒たちは、一般的な目から見たら変な人に見えることを知っていて、認めてくれていると思います。

 長い人生で、高校の時からずっと、髪が長いせいで、損をすることばかりが続いてきました。目には見えない自分の内面を深く高めることに、うんとがんばってきました。これはいつか書きたいと思いますが、人間の本質を見ることが出来なくて、外観に騙される人々には、評価されないことこそ、最高の評価です。そんな人たちに誉められるようになってしまっては、桐谷の存在価値はなくなってしまいます。

 というわけで、自分らしさを一番象徴している髪を切らないのは、若い人々への声援です。



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