2000年10月18日(水)

ちひろさん part II



修学旅行の準備

 いよいよ来週の今日は修学旅行に出発です。その日までには、サイト修学旅行2000を公開する計画です。学年全体が二つの隊に別れて、僕たちは後半なので水曜日出発ですが、月曜日には前半の隊が出発します。前半の隊の出発風景を撮影して、とりあえず、月曜日中に、トップページだけでも作りたいなあと思います。

 生徒たちの準備も進んでいて、キャンプファイアーのトーチの練習も、毎日続いています。クラスの準備は、バーベキュー、浜辺でのレクリエーション、バスの中でのレク、目玉の討論! それぞれの担当者も決まっているので、きっと楽しい旅になることでしょう。

 自分が人生で何回修学旅行に行っているのだろうと思って、数えてみました。島の分校で一回。お城のそばの高校で、七回。今の高校で二回目。教師になってから、九回目ですね。今の高校でも三年のうちに二回付き添っているように、付き添いは多い方ではないでしょうか。

 振り返ってみると、大変な出来事もあって、そろそろ時効だとは思いますが、ここには書くべきではないと思いますが、いつか物語の中で、共通点のある事件を描こうと考えています。教育に関連して、特に教師の傲慢さを描きながら人間存在に迫るのは、重要なテーマにしたいと思います。



ちひろさんの死

 今日の画像は、ちひろ美術館の裏手にある大きな芝生と花壇。奥に見えるのは、復元された黒姫の山荘です。ここでは一階にアトリエが再現されていますが、彼女は、まとまった仕事をするときは、この山荘にこもったそうです。それでも、気ままに仕事をしたようで、ある時は散歩に出かけたり、何かを作ったりして、専念し続けるというよりは、自由な仕事ぶりだったそうです。うらやましいなあ。

 さあ、昨日の話の続きです。ちひろさんが亡くなる四五年前に書かれた内容に、来年も、こうして絵筆を取ることができるだろうか、という内容があります。読むときに、おもわず、胸がきゅんとなる文章です。

 自分が尊敬する人物で、もう亡くなった方の残された文章を読むと、僕は、その方が亡くなった時をすでに知っているので、死ぬ時を前提として、その方の文章の意味をとらえることになります。言葉が、言葉そのものの意味に加えて、その方の人生の時間からくる意味が加わるということです。

 そこで思い出すのは、辻が花の一竹さんです。彼が、時間が欲しくて欲しくてたまらない気持ちは、切実に伝わってきます。彼は、もう人生で自分が作るべき壮大な作品が見えていて、それを少しずつ完成させているけれど、これまでのペースで作り続けても、最低五十年は必要でしょう。

 僕も、同じようなことを最近よく考えています。ライフワークは大きすぎて、まだまだ姿を見せていませんが、人生のうちで( )年だけ、ライフワークに専念する時間が欲しいなあと願っています(神さまは、きっと祈りを聞き入れて下さることでしょう。完成した作品は、未来の人々が人生を生きることを励ますはずなので。)。

 最近出来るだけ、仕事のペースを落とそうとしていますが、(出来ればやらずに済ませたいけれど)やらなくてはならないことが多すぎて、実際そのような仕事は、ボランティアの仕事なので、様々な意味での持ち出しが多く、ライフワークをする時間をさらに削っています。普通の方なら、家族とのんびり過ごす時間もあると思いますが、食事の短い時間くらいしか共に過ごすことは出来ません。今は、人生の苦しみに直面している卒業生に、まとまったE-Mailを書く時間さえ生み出せないほどです。

 それでも、そんな人生でもいいから、頑張って生き抜いて、細切れの時間をかき集めて、作品を生み出そうと思います。時々、応援して下さる人々へ: 桐谷は、頑張るよ!




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10/15「巨峰狩り」を読む
10/14「豊かな秋の実り」を読む
10/13「抜けるような青空」を読む
10/12「筑摩書房から原稿依頼!」を読む
10/11「金木犀も二週間」を読む
次回10/19「秋のラヴェンダー」を読む
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