2000年8月20日(日)

林檎のその後



ニュートン林檎はなくなって

 7/14に書いた、ニュートン林檎のその後を書こうと思います。ニュートン林檎は、もう落ちてしまっていました。地面で腐っている様子も、ひよどりに食べられてしまった様子もなかったので、たぶん、誰かが、一番よいタイミングで食べたのでしょう。

 今日の画像は、そのニュートンの林檎の木の横にある、もう一本の木になる林檎です。誰かが、印刷用紙の包装紙で、一つ一つくるんでいました。今日学校に行った段階では、こちらが、落ちるのは、まだ先のようなので、もしかすると赤くなった姿を見ることが出来るかもしれません。

 信州のりんごは、今頃どうなっているのかなあと、名古屋の林檎を見るたびに思います。最近の冷蔵技術と追熟の進歩によって、晩夏でも、去年の林檎が充分美味しく食べることが出来るようになりましたが、やはり、新鮮でジューシーな林檎を食べるのは、とてもよいものです。



耳のエージング

 この前の老化の話の続きですが、本当に眼から鱗が落ちたのは、耳もエージングしているという話でした。確かにスピーカを新しいものと変えた時に、長年聴いてきた音楽を聞くと、音の違いに驚いたのですが、使い続けるうちに、音がまた変わってくることに驚きました。

 でも、本当に驚いたのは、耳の方もエージングしているということで、耳は、生まれてからどんどん性能が落ち続けているのですが、ある段階で、あるスピーカーに出会った時に、耳の方も、少しずつ、そのスピーカーになじみはじめるという話です。その見方を初めて知った時に、確かに、その通りだと思い当たる出来事が幾つかあって、それまで、そのことに気がつかなかったことに驚いたのです。

 よく言われることに、ホールのエージングがあります。コンサートホールが出来たばかりの時の音響から、素晴らしい音楽が奏でられ続けると、ホールの音響もどんどん馴染んできて、よりよくなるホールになるという話です。

 ヨーロッパでは、歴史のあるホールで音楽を聞くことが多く、その素晴らしい音響に本当に驚きます。バスチーユオペラは、出来た時から、何度も通い続けるうちに、やはり音響が変わってきたように思います。最初は、いかにオペラを大衆的なものにするためとは言え、あのような形のオペラ座を作ってしまっては、サイズが大きすぎて、音響が不充分になるのではと心配になったのですが、哲学のあるホールは、必ず、そのホールだけの音響を生み出すのでしょう。

 それと比べると、形が本当によく似ている(かなりの部分でぱくったのだと思います)、名古屋の大ホール(せっかくのこのオペラ専用にもなるホールを、「オペラ座」と名付けなかった愚かさが、本当に悔やまれます。オペラ座を多目的に使えばよいのに、名古屋に日本発のオペラ座誕生のチャンスを逃してしまいました……。でも、万博の愚かさも含めて、そこが名古屋らしさなのだと思います。)は、音響の成長に失敗している好例のようです。やはり、成長のために一番必要なのは、哲学なのですね。



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