2000年8月19日(土)

生徒たちの元気な姿



元気な生徒たち

 今日学校で、元気な生徒たちに会いました。初めて桐谷を見た生徒は、髭に驚いたようです。中には、桐谷がいると知って、わざわざ見に来る生徒もいて、髭のインパクトに驚いています。

 夏休みの課題は充分終わっていませんが、今日からは、教師としての自分が、日中の活動の中心になります。

 きっと生徒たちも元気いっぱいというわけではないと思いますが、とりあえず、多くの生徒たちの笑顔を見るのは、とてもうれしいものです。今日は、多くの生徒たちが、花火を見に行く話をしていたり、花火を見る集合場所のメールが飛び交っていました。

 学校のある区の隣の町で、今日花火大会があるのです。場所もよくわからないようで、それもそのはず、一ヶ所だけではないのです。今日の画像は、病院にお見舞いに行った帰り道に、遭遇した花火です。そんなに大規模ではありませんが、充分元気な花火でした。

 この画像は、その一ヶ所でのクライマックスの一部。すごい花火がどんどんあがりました。思い出して見ると、今年は、ロンドンに始まって、あちこちで花火を見てきました。"What's New"で、花火の画像を検索したら、六枚見つかって、びっくり。もちろん、ここには掲載しない、すごい花火も、もっとたくさん見てきたことは、言うまでもありません。花火大会そのものの数が多いこともあって、人生で、一番多くの花火を見た年になりそうです。大晦日は、どこで、どんな花火を見ることになることでしょう?

 毎年新しい花火を見てびっくりします。その新作の普及のはやさにも驚きます。ハイビジョンで見た、ある花火師さんが作り上げた新作が、もうその年のうちに、身近な花火大会に登場するのです。



夏の終わりの発見

 学校に往復する道のりで、夏の終わりをたくさん見つけました。明日から、せっせと掲載して、今年の夏の終わりをまとめてみようと思います。それにしても、驚いたのは、「二十世紀最後の夏」という言葉が、たくさん使われていたことです。

 そんな中で、残念に思うのは、便利な形容表現のせいで、今年の夏の、今年独特の様々なものを人々が見落として、安易な形容表現に埋もれてしまっていることです。今の若い人々の表現についても同じことを思うのですが、例えば、以前にもここに書いた、「濃い」とう表現を頻繁に使うために、その場合の特色が目に付かなくなってしまって、類似のものは、「濃い」という表現でパターン化されてしまっています。これは現代の傾向であって、そのものの独自性を味わう眼が失われてしまっています。

 現代の日本では、独自性を見つけることが本当に難しい。とても奇抜なものも、個性ではなく、〜系として分類可能なものでしかなくなってしまいます。そのようなものを個性的と意識する現代人が多いのは、淋しいことです。他の誰とも違う自分らしさを大切に育てることが、ますます困難な時代になってきました。

 まず、「二十世紀最後の夏」ではなく、普遍的な「夏」の終わりを見つけることから始めてみましょう。



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