2000年8月18日(金)

衰え



指の動き

 タイピングにも楽器の演奏にも自信があります。日本語入力に関しては、ローマ字入力では、まだ、僕よりも速く入力する人には会ったことがないほどでした。もちろん、若い人々の中にはすごい人もいますが、年を取っているぶん、工夫して漢字に変換するので、その分、技巧的な部分で速くなります。

 十代の頃から、とても優秀なキーパンチャー(わかりますか? まだコンピュータにキーボードがなくて、プログラムを紙のカードに、一行ずつコードを、パンチ穴をあけることによって、入力していた時代の言葉です。)だったので、年を取ってからも、万が一ミスタイプをした時には、指でそれが自覚できました。

 ところが、最近、自覚しないミスタイプが生まれてきました。自分でも普通では考えられないようなおかしなタイピングをしてしまうのです。原因ははっきりしていて、自分が自然な速さでタイピングをすると、指が追いつかなくなってきたのです……。画面を見ずに漢字入力できるのが自慢でしたが、最近は画面で確認してミスタイプを発見することが必要になってきたのは、悲しいことです。

 十代の終わりから始まっていたはずの老化が、もう、このように目に見えるものになってきたのでしょう。思い出してみると、鍵盤楽器で指の訓練をしなくなってから、かなりの歳月がたっています。訓練をしないと、衰えも一層はやくなるのですね。



骨董としてのホロビッツ

 もう四半世紀前の話ですが、二十世紀を代表する、日本の音楽評論家の、吉田秀和さんが、ついに実現したホロビッツの来日公演を評して、「骨董」という言葉を使って、こうなる前に日本で聴きたかったということを話されました。それでも、ホロビッツがホロビッツであることに感動したものです。

 自分自身の演奏について思うのですが、音楽の感動は技巧ではないと考えています。それでも、タイピングの場合は、正確な入力が全てなので、ミスタッチの味わいなどというものは生まれません。最近では、少しずつタイピングの速度を緩め始めました。考える速さでタイピング出来るのが自慢だったのに、話す速さのタイピングになってきました。

 Agingという言葉を初めて知ったのは、中学の時、大好きな音楽を自宅で、本来の音に近い音質で再生するために、オーディオを学び始めたときでした。スピーカーのエージングは、眼から鱗が落ちたものです。スピーカーが製品として出荷された時と比べると、スピーカーを使い続けて振動が続くことによって、音質が、よりまろやかに、よく馴染む、「よい音」になるという話です。実際、自分が新品のスピーカーから音が変わっていく様を味わったのは、深い驚きでした。

 そのうち、「エージレス」という酸化を防ぐものが、様々な食品の袋の中にこん包されているのに気がついて、「エージング」といのが、酸化と結びついて、さらに、「エージレス」が密閉されたビニール袋の中の酸素を全て取り込んでしまって、袋の中から酸素がなくなることによって、食品の酸化が起こらなくなるという発想への驚きにつながりました。

 さらに、人間が年をとることも、「エージング」であることを知った時に、自分の中での、老化の意味が変化してきました。

 僕の指の動きも、ぐんぐん老化が進んでいるのでしょう。そのうち指だけではなく、体の様々な部分が、無理がきかなくなって、さらに老化が進んで、自分のイメージしている自分の姿とは違う自分になってくるのだと思います。

 かなり前から老いとの付き合い方が、だんだん変わり始めていたのですが、最近は、老いと仲良しになることに成功したような気持ちになっています。

 今日の画像は、長い間付き合ってきた老木です。ここは真夏でも気温が低いのですが、直射日光がすごい場所で、晩秋から初夏までは雪に閉ざされます。標高は三千メートルないので、このような木も育つことが出来たのですが、たぶん、僕よりも長生きをしそうな、この木に、年に二、三度会いに行くのは、とても楽しみです。この木と長い時をかけて語り合いながら、自分自身の老いとも、更に仲良しになるのでしょう。



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