2000年8月17日(木)

無常といふこと



書くことによって発見

 この"What's New"が、僕の最初の哲学の著作となるはずの、『人生論メモ』の草稿の下書きとなる部分が含まれていることは、以前に書いたとおりですが、書いてみることの意味は、とても大きいものです。

 昨日の「字幕と映像」は、実は、こんな風に書いてみようと、軽く考えていたアイデアがあって、一回分で簡単に終わるだろうなあと思って書き始めたのですが、話が思わぬ方向に進んで、結局連続何回かに分けないと書くことが出来ない内容になりました。

 僕は、アウトラインを作ってから書くことを、こよなく愛していますが、この"What's New"に限っては、敢えてアウトラインを作らずに、まさに随想となるように、心に浮かぶことを、そのまま書いています。そんな時に思い出すのは、『無常といふこと』の一節。今、書庫に入ることが出来ない場所にいるので、いいかげんな引用しか出来ないのですが、要は、自分でも書き始めて、どのようになるかがわからないまま、書いているということです。

 若かった頃、あまりに奥深い完璧な文章なので、本当かなと思っていたのですが、そのうち、彼の人生の様々な出来事を知るうちに、やはり、自分でも何を書くかが見えないまま書いていたのだと思い当たるようになりました。

 僕は、彼のような評論家ではありませんが、自分でも、書いてみること、書き出すことの重要さを、とても大きく感じています。書くことによってしか見えてこないものがあるのです。



音楽が生まれる時

 同じように、作曲する時も、書き出すことの重要さ、途中まで書いたものをとりあえず演奏してみることの重要さを感じてます。モチーフのまま、譜面ノートに、たくさんの断片がたまっています。そんな時に、初めの一小節だけでも、不完全でもいいから、とりあえず書いてみると、一部が形になったために、心の中を、次々と音が流れ始めます。実際には、書き留めようとしても、追いつかないほど、どんどん流れていってしまいますし、心の音楽があふれる時は、決まって、自分の自由にならない時間であることが多いのですが、それは、また別の話。

 モチーフからテーマが生まれた時、そのテーマを演奏してみることも大切なようです。心の中を流れる音を書き留めている自分は、作る人にすぎませんが、演奏してみることによって、自分自身が同時に聴く人になることが出来ます。即興演奏をするときに、失敗してしまって不本意な結果になるとき(実はカナダでそんなことがありました……。)、原因を捜してみると、どうやら、自分が聴く人になりそこなってしまう時が多いようです。

 なぜかは、わかりませんが、途中までしか出来ていない曲を、途中までだけ演奏してみると、そのまま、続きが生まれます。自分では、完璧な曲を作りたくて、完璧な続きが生まれるまで、変な続きは作りたくなくて、そのままにしてあったのですが、思い切って演奏してみると、自然に続きが生まれて、そして、レコーディングしたものを後から聴いてみると、これ以外にはありえないような素敵な曲になっているように、思えるのです。無限の可能性を一つにしぼってしまったわけですが、それは、必然的な何かであったのかもしれません。

 でも、オーケストレーションは別です。生まれた曲をオーケストラのために発展させるときは、職人がものを作るように作業をすることになります。



大好きなかき氷

 今日の画像は、若い頃夏を過ごした場所の、かき氷です。今頃は、きっと人があふれていて、朝早くか夕方でないと、ちょっと、通りを歩くことさえ出来ないような気がします。ああ、おいしいかき氷が食べたい! このお店は、氷そのものが違って、氷室の氷の味わいです。これまでで、おいしかったかき氷は、氷河を削ったかき氷、流氷をナイフで削ったかき氷でした。たぶん、食べることは出来ないと思いますが、エベレストの氷は、食べてみたいものですね。

 今日から、"What's New"の最後に、"What's Next"を加えました。桐谷の随想部分として、いつか書こうと思いながら忘れてしまうことが多いので、自分の覚え書きとして今後書くつもりのことを、タイトルだけ書いておくことにしました。



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8/12「水泳部OB会」の内容を読む
8/11「教室の内壁塗り替え」の内容を読む
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