2000年8月6日(日)

Hiroshimaについて一言


ヒロシマのイメージにふさわしい画像

 今日の画像は、自分の中で、ヒロシマの希望をあらわす一枚をQV画像のストックから選んでみました。メタセコイアの模様を背景に、不思議な旅が始まりそうな気配をあらわした一枚です。右下の遊具のレールが邪魔な気もしましたが、消した画像と比べると、かえって、この方が、効果的なアクセントになっているのは、不思議です。

 僕にとって、大惨事のヒロシマは、ある種の希望をもたらす、不思議な旅の始まりです。地球から軍備そのものをなくすことが、僕の夢で、さらにいうと、国家や政府といったものもなくしたいと願っています。

 二度とヒロシマのようなことを起こしてはならないと願いながらも、世界では、様々な虐殺が今なお続いていて、多くの人々の常識は、地球から虐殺がなくなることはあり得ないというものになっているのでしょう。でも、やはり、原点とも言うべき、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、臨界事故と続けてくるとき、非核の世界を目指す部分で、世界の多くの人々が共感する姿を目の当たりにすると、この言葉では表現できない悲劇を繰り返さないための動きを世界に拡げる第一歩を、常に目指さなくてはならないと思いつつ、自分のささやかな一歩が、世界を動かす第一歩になると信じています。

 昔、こんなことがありました。学生時代に10 feet運動というのがあって、みんなで少しずつお金を出し合って、原爆の記録映画を作るためのフィルム10 feet分ずつを買い取って、世界に原爆の悲劇を知らせようというもので、僕も、パンフレットを送ってもらって、まわりの人に配っていました。ゼミの後輩にもあげたら、その後輩のお母さんが学校の先生で、その運動を拡げて、その県の一大拠点になったとか。単に配っただけの動きがきっかけになって、そのような動きを生んだのだと思うと、同じように、世界を動かすことは難しいことではないと思うのです。



やはり菊川先生の話は年に一回は読んでほしい。

 僕が十三年勤めた高校で、一番有名だった先生に、菊川亨先生がいました。寅さんの後援会の会長をつとめ、映画を深く愛された方でした。97年の11/23に亡くなってから、彼が、様々な映画に対して、資金の援助もされていたことを知りました。

 彼の被爆体験の話は、語り継いでいかなくてはならない話です。生徒たちに話して下さった講演を、ビデオ撮影させていただいて、その話を活字にして、職場や生徒たちに配ることを許していただきました。ウェブサイトに掲載する許可まではいただかなかったのですが、将来の高校生に印刷・配布することを快く許して下さった菊川先生のこと、快く許して下さることでしょう。この部分の経緯は、菊川先生が亡くなった直後の、97年12月7日「引っ越し完了」をご覧下さい。もちろん、菊川亨先生の講演は、今まで何度も読んだ方も、また読むとよいと思います。(最近では、1/29の"What's New"からリンクしました。)

 生徒たちの中にも、8/6と8/9の意味を知らない人も増えてきました。僕自身も、直接の体験談ではありませんが、桐谷が出会った人々の話を通じて、いつの日か、桐谷の原爆を語らなくてはならないと考えています。



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8/4「髭黒」の内容を読む
8/3「夏休み」の内容を読む
7/29-8/2はほんの少しの夏休み
7/28「ただいま!」の内容を読む
7/19-28はカナダから生中継!
7/17-18は地獄の出国前進行!
7/16「神秘と幻想の皆既月食」の内容を読む
7/15「愛知県選手団結成式」の内容を読む
7/14「女子ソフトボール決勝」の内容を読む
次回8/7「犬山迎帆楼に泊まる」を読む
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