2000年7月3日(月)

耳を清めながら


少年の日の思い出

 小学校の一年の時の思い出です。たぶん、子どもは、耳掃除が、あまり好きではないからなのか、母は、僕の耳を掃除して出たものを、庭の父親特製の真四角で大きなベランダの上に置いておくと、数時間後、消防自動車がやってきて、おいしい肝油ドロップに変えてくれると嘘をついていました。もちろん、僕は、純真にだまされるというよりも、全く何の疑いももたず、そういうものだと信じていました。

 学期に一回ずつ、白くて薄い裏が透けて見えるような紙に印刷された申込用紙で、肝油の申し込みがあったのですが、僕は、何も考えずに、母の記入した申込用紙を、そのまま担任の先生に渡して、土曜日の午後に、肝油ドロップの缶を受け取って帰りました。

 一度、どんなふうに、消防自動車が来るのかと、二階の、やはり父親特製の、布団を干すためのベランダの上の屋根に乗って、見ていたような記憶があるのですが、その時は、そのままぽかぽかした陽気に、眠ってしまったような記憶があります。

 貧しい暮らしでしたが、家よりも大きな庭が北側と南側にあって、夕ご飯の時の僕の仕事は、母が植えたパセリ畑から、見映えのするパセリを取ってくることで、庭の片隅にあった、手作りのブランコと一緒に、素敵な庭になっていました。

 少年の日の思い出は、いつか、少しずつ紡ぎ出しながら、まとめてみたいものです。僕は、どんな少年時代を過ごしていたのだろう? たぶん、一つずつ思い出しながら、どんどん記憶がよみがえるのだと思います。



耳をすます

 耳掃除の話をしたのは、この二泊する間に、せせらが、木のそよぎ、鳥たちのさえずり、葉の落ちる音で目が醒める日々を過ごしながら、耳が研ぎ澄まされてきたのを実感しているからです。

 現代の人工音に取り囲まれた都市生活では、耳の繊細な感覚が失われてしまっていますが、比較的自然の中に入る暮らしをする方なので、そのような時には、本来の感性がよみがえります。今日の朝の散歩は、特に最高でした。木漏れ日を浴びている、去年の秋の落葉松の落ち葉を踏みしめながら、目に入る白樺、落葉松、ダケカンバの新緑を見つめて、鳥たちの鳴き声や、今日は人々が都会に帰ってしまって、生活音が途絶えてしまったから際立ってきた動物たちの気配を感じながら、坂を登っていきました。

 メシアンが、昔鳥たちの声を採譜した森は、特に僕のお気に入りで、採譜こそしませんが、耳に残る鳥たちの会話は、耳の神経の汚れを、繊細に取り除いてくれました。耳が研ぎ澄まされると、心の音楽も聞き取りやすくなります。このまま、ここに一ヶ月くらい滞在すれば、一生分の、曲のモチーフが生まれそうです。

 耳をそばだてなくても、耳をすまさなくても、ぼーっとしているだけで、耳が生まれ変わっていくのがわかります。

 都会の生活の中で、教育愛に燃えて、やりがいのある生活を送ることは、とても充実した人生ですが、森の生活を送ることは、人間の本来的な幸福を見いだす生活です。いつも避暑地に到着した時は、大きな虫やありの行列がリビングのあちこちで見つかって、虫は苦手な方なので、飛び上がって逃げてしまうのですが、そのような、自然の暮らしについてくる負の部分も含めて、森の暮らしを愛して、森で生きていきたいものです。

 今日は、ものすごくたくさんの画像を撮影しましたが、ほとんどは、人物入りのスナップ。ここには、掲載出来ないので、今日の夕方、ハーブガーデンで、夜までの時間を散歩しながら過ごした中で見つけた植物の画像を掲載します。僕は名前を知らないのですが、とてもかわいらしい姿には、自然の造形の見事さに感動する気持でいっぱいになります。

 あと、もう一日信州にいるのですが、明日は、ちょっとした、かけがえのない人生の大仕事。ゆったりと過ごすことが大切だと思うので、人生の焦りや追いかけられる仕事を、半日だけ忘れよう。



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