2000年6月17日(土)

雨のささやき


耳をすまして

 若い頃、軽井沢で、梅雨の朝、早起きして、雨に耳をすましながら散歩するのが大好きでした。最近でも、雨の日々は大好きですが、忘れられないのは、十四年前の梅雨です。毎晩、あんなに雨の声に耳を傾けた梅雨は人生で一度もありませんでした。いつか、しみじみとした文学作品にまとめてみたいものです。

 今日は朝から雨が降っていましたが、授業中に、話のついでに、雨の声を聞く話になりました。生徒たちにはなじみのないことだったようですが、教室にいると、様々な音が聞こえていますが、多くの場合生徒たちは、雨の音を意識していないようです。耳には入っていて鼓膜も振動しているはずなのに、意識しないと聞こえてきません。人間の耳のメカニズムですが、人間の認識の限界をも示しています。この話は、何度もここに書いていますが、奥が深すぎて表現出来ないのが、本当に残念。

 さて、現代人は、あまりに多い人工音に囲まれて、聴覚が鈍感になっていますが、自然界の音の豊かさを感じ取れるように、耳を研ぎ澄ます必要があります。人工の音で、よく経験するのは、音楽が流れているときに、音の歪みを感じて、音がひどいねと話しても、わかってもらえなかったり、スピーカーが左右逆に接続されていることを話しても、どこがおかしいの? と言われたり、スピーカーがプラス・マイナスが逆に接続されていて、位相がおかしいときに、わかってもらえなかったりするようなパターンです。スピーカーが左右逆だと、コントラバスが左から聞こえてきたりして違和感があるのですが、みなさんはどうですか? 位相がおかしいと、低域までやせ細ってしまうし、ちょっと気持ち悪くなります。

 僕は赤ちゃんの頃から、音に敏感だったそうです。それでも、都市部に暮らすうちに、耳がノイズにまみれてしまいました。自覚的に耳をすませて、様々な音を聞き分け始めたのは、十代半ば過ぎに、音楽の訓練を本格的に始めた頃のことです。今でも、時々、耳を研ぎ澄まさないと、この暮らしで、どんどん耳が退化してしまうのを感じます。雨が降る日は、都会にいながら耳をすますチャンス。木のさやぎも、いつもとは違って、心が安らぐ日になります。



「自粛」について

 東京タワーの照明が消えたり、また、様々な「自粛」が始まってしまったようです。もちろん、照明がない方が、夜空の星は見えやすくなるし、無駄な電力消費も減って、うれしいのですが、問題は、目的です。

 今回のような「自粛」は、「殉死」の精神につながる、間違った考えです。ダイアナは様々な社会参加を通じて生きることに意味のある人でした。彼女が死んだときに、多くの人が死を悼んだのは、納得できるのですが、今回皇太后が死んでみて、彼女の人生を振り返った時に、彼女は社会に対してどんな働きかけをしたのだろうと考えてみると、膨大な皇太后追悼報道にも関わらず、彼女の死を悼まなければならない何かは、何も報道されていません。

 たぶん、彼女が皇太后「である」ことそのものに、悼まなければならない理由があると言うのでしょう。日本で、「である」ことの価値を、このような場合に大切にしてしまう、価値観の転倒が、いまだに解決がつかずに続いていることに、ちょっと絶望的な思いになります。

 教育の場においても、あまりものを考えようとしない若い人々に、何となく、皇室を尊敬するような雰囲気を植え付けようとして、森の「教育勅語」発言に代表されるような、間違った「愛国心教育」が続けられています。このような状態に、強く反対して、何とか、日本の間違った動きに歯止めをかけるために、僕は、頑張らなくてはと考えています。

 一つだけ、うれしいニュースがあります。誰もが愛する歌についての話に関連して、僕が発言しなくても、ある解決をみました。一つだけ悔やまれるのは、僕たちみんなの力で解決しなくてはならなかったということです。結果が同じでも、民主的に解決したかどうかは、大違い。今後の教訓にしなくては!




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6/14 「不思議なつながり」の内容を読む
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6/12「教育実習の始まり」の内容を読む
6/11「We're Shocking YOU!」の内容を読む
6/10「聖地Disney Land……。」の内容を読む
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