2000年6月1日(木)

また悲しい日が迫る……。


悲しさの意味

 人によって、様々な悲しみがあります。同じ人でも、その時々によって、悲しみを感じるものが違ってくるのかもしれません。僕が感じる悲しみで、ここに書くものの中で最大のものと言えるのは、個人それぞれの意志が大切にされず、権力によって、全員が同じ行動をとらされる、全体主義的な命令です。

 この"What's New"の歴史をひもといてみると、最近では、類似の出来事として11/12「悲しい日:涙雨」があります。僕は教育公務員として制約を受ける人生を生きているので、具体的なことは、このサイトには記さないので、書いてある内容がよくわからない時があると思いますが、連続して読めば、必ずわかるように、深く考えて上手に書いています。

 どうして、日本の教育の世界では、個人の思想を尊重しようという姿勢が見られないのでしょうか……。統一して全員に何か同じ事をさせようとすることが多く、一人一人の違うところを大切にしたいと考えている桐谷のような教師にとっては、悲しいことが多いのです。



今日の悲しみ

 これは、公文書なので、ここに記しても問題はないと思うのですが、そもそもの発端は、5/26付けの、内閣官房長官から文部大臣にあてた、内閣・自由民主党合同葬儀当日の弔意表明についての依命通知です。その内容は、「弔旗掲揚については、大正元年閣令第1号に準拠し……」という弔旗の方法と、「黙とう時刻は、午後2時10分であること。」という内容でした。

 問題は、それをうけて、同じく5/26付けで、佐藤文部事務次官が14の宛名にあてた「『故小渕恵三』内閣・自由民主党合同葬儀の当日における弔意表明について(通知)」です。内閣官房長官からの通知を引用して、「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください。」「なお、都道府県教育委員会にあっては、域内の教育委員会に対しよろしく周知方お願いします。」となっています。

 その当日は、僕の勤務する高校では定期考査中なので、生徒は帰宅後で、生徒に黙祷を強制することはありえないと思いますが、「弔意表明」としても「弔旗掲揚」に関しては、何とかくいとめることが出来たらと考えています。今回は、国葬でもなく、内閣葬と一つの政党の葬儀の、合同葬という位置づけです。そのような場合に、県教委から、各校長に弔旗掲揚の通達が出て、強制力を持つとすれば、重大な問題ではないでしょうか? おそらく、今回も小渕内閣が強行採決した「国旗国歌法案」のつけが回ってくることでしょう。

 このような場で弔旗掲揚がされるなら、そのような行動に反対する人の気持ちが大切にされなくなってしまいます。



死者に対する評価

 日本では、「弔い合戦」という、選挙の争点にはなりえないことが、選挙のテーマになるような国なので、死んだ政治家に対して批判しにくい雰囲気があります。それでも、故小渕が政治家としてやったことを考えると、森との違いを見つけるのは困難です。「国旗国歌法案」や「ガイドライン法案」の強行採決に代表されるように、賛否がわかれる争点を、議論抜きで、連立によって得た数だけで決めてしまった張本人は小渕でした。

 今業界がてんてこ舞いになっている、二千円札パフォーマンスも小渕の罪の一つです。経済効果をうたいながら、何も得ることがない新札に関して、無への投資を生んでしまって、せっかくの経済効果も得ることはありません。

 小渕がやったことを、しっかりと評価して、総選挙では、森への批判だけではなく、これまでの連立内閣に対する批判を集めたいものです。

 明日、この議論抜きの連立内閣を象徴する衆議院解散のシナリオについて書かなくてはならないのは、本当に残念なことです。



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5/27「旅のサポート」の内容を読む
5/26「首相の資質」の内容を読む
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5/24「林檎の花」の内容を読む
5/23「青木孝夫くんへの手紙:『昭和の日』の問題点」の内容を読む
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