2000年5月25(木)

近藤啓示くんへの手紙:「死刑反対の理由」


 どんなものにも、波があるのかもしれません。若い方から反論のE-Mailを連続していただきました。典型的な死刑賛成の立場だと思うので、もう一度、桐谷がなぜ死刑に反対するかを近藤啓示くんへの返信の中で、書いてみようと思います。これから、「手紙」シリーズを始めてみようかと考えています。桐谷の思想に疑問を持ったり、反論がある場合には、今後ともE-Mailを下さい。

 さて、実は僕は昔からの鉄道マニアで、五歳の時に名鉄パノラマカーの運転手になるぞと決意して以来、線路を走ることを無上の楽しみにしてきました。撮影よりは、乗ることそのものを愛しているのですが、高校の頃以来、撮影もします。今日の画像は、梅園を走り抜けるSL。たぶん、全国でも一番有名な動態保存なので、鉄道ファンでなくとも、場所がわかるかもしれませんね。


日本人の過半数は死刑を支持

 日本では、死刑廃止が夢のまた夢であることは、よくわかっているつもりです。日本人の感情として、犯人を生かしておくわけにはいかないという気持があるのでしょうし、被害者の救済としての死刑が重視されているのだと思います。

 それでも、僕が、こんなにも、死刑廃止を訴えるのは、そのような死刑賛成者のみなさんが根拠として挙げることとは、異なる資料が多すぎるからです。近藤くんの考えを要約すると、「被告の犯した罪を考えれば当然処刑されるべきだ」、「被害者は死刑を望んでいる」、「犯人には人権はない」、「死刑をなくせば、殺人が増える」、「無期懲役なのに出所してしまうことの問題点」、ということになりますね? 今回は、この五点にしぼって、考えを書いてみましょう。

 一つだけ理解できないのが、「刑を執行する国家公務員でさえ、好きでそのような仕事をしているのではないと思います。」という部分です。桐谷は、だからこそ、処刑を押しつけてはならないと考えるのです。ちょうど、天皇制に反対する理由の一つとして、職業選択の自由さえない、天皇という立場を生み出してしまうことの問題点を訴えるのと同じことなのですが、ある制度を維持するために、人身御供が伴うのなら、その制度そのものに問題があるのではないかと考えるのです。

 もしも、桐谷が女性に生まれていて、愛した相手が皇太子で、自分が皇后になるのなら、そんな自由のない人生は真っ平御免。二人で駆け落ちします! もしも、生まれてみたら、自分が皇太子、そんな時なら、桐谷は早速家出をすることになります。桐谷は公務員なのですが、もしも、処刑の仕事をせよとの命令を受けたら、もちろん、すぐに退職します。ただ、不本意ながら、その仕事を続ける方の中には、生活のことを考えると退職出来なくて、つらい思いで仕事を続ける方もいるのではないかと考えています。

 言うまでもなく、桐谷の都合を言っているのではなく、このような可能性がある以上、そのような制度そのものに、問題があるのではないかと訴えたいのです。近藤くん自身は、自分が死刑執行の職務命令を受けたら、好きでそのような仕事をしているのではない場合に、仕事が出来ますか? 心に傷は残りませんか?



日本人の過半数は死刑を支持

 まず、第一点めの「被告の犯した罪を考えれば当然処刑されるべきだ」について、考えてみましょう。死刑を認める立場は、国家には人を殺す権利がある、ということにつながります。桐谷の思想は、国家を含めて、どんなに凶悪な犯罪を犯した人間に対しても、誰にも人の命を絶つ権利はない、というものです。(この考えは他人に押しつけるつもりはありませんが、国家による死刑を認めてしまう発想は、逆に、人を殺すことの罪の重さを、軽くしてしまうことにつながりはしないかと思うのです。)

 多くの人は、自分は誰も殺していないぞと考えていると思いますが、死刑に賛成される方は、少なくとも、間接的に、死刑囚の死刑執行に加担しています。この部分に関しては近藤くんも、全くその通りと言ってくれているので、繰り返す必要はないでしょう。

 さらに、「被告の犯した罪」に関してですが、「冤罪」の問題があります。加賀乙彦さんの精神医学的な研究によると、死刑囚に見られる様々な精神障害について調べると、無実の死刑囚には様々な精神障害が見られないことがあり、その部分から見ると、本人も無実を主張し、無実を裏付ける可能性のある証拠がある死刑囚の中に、明らかに無実であると判断できる状態の方もいらっしゃるのですが、そんな方の中に、すでに処刑されてしまった方も、獄死された方もいます。現代でさえ、無実の罪で逮捕されて判決が出てから無実であることがわかる例が多くあります。そんな中で、後から無実がわかっても、取り返しがつかない死刑は、人間が裁判においても誤りを犯す可能性がある以上、避けるべきではないでしょうか。


 第二点の、「被害者は死刑を望んでいる」についてですが、これは近藤くんは望んでいるということであって、それを被害者の遺族にまで拡げるべきではありません。僕自身は、家族や愛する生徒たちを殺した犯人に対して、現場を目撃した場合でさえ、死刑を望もうとは思いません。深い反省をしてほしいし、殺人という絶対に許されない罪の重さを自覚してほしいのですが、どんな凶悪犯に対しても、報復としての死刑はあってはなりません。

 もちろん、僕の考えには根拠があって、被害者の遺族の公開処刑後の膨大な聞き取り調査があるのですが、一般的な傾向として、犯人が処刑されても自分たちの思いは癒されることはなかった、自分たちが癒される方向に向かったきっかけとして、犯人に対する「許し」の意識というものがあった、ということがあげられます。近藤くんとは違う考えの遺族も数多くいるのです。もちろん、日本人の遺族の多くは犯人の処刑を望むでしょうが、処刑後も、憎しみは続くようです。


 第三点の、「犯人には人権はない」については、「人権」を学んでもらうしかないかなと思います。「人権」というのは、どんな極悪人にも、人間として許せないことをした人に対しても、認めなくてはならない、人間としての権利のことをいいます。僕たちが、人間の命や心が大切にされる犯罪のない社会を目指す第一歩として、人権を大切にする社会を生み出すことがあります。残念ながら、日本では、人権が大切にされていないことは、言うまでもありません。


 第四点の、「死刑をなくせば、殺人が増える」については、これは、先進国で死刑廃止に踏み切った国々での資料が示していますが、死刑を廃止しても凶悪犯罪は増えません。日本の死刑囚に関する調査によると、殺人の瞬間、自分が死刑になるかどうかは考えなかったという例がほとんどです。人間は、死刑があるから殺人はやめよう、とは考えない生き物のようで、死刑による犯罪抑止力については、専門家の間では否定されています。


 最後の、「無期懲役なのに出所してしまうことの問題点」については、現代の刑務所が、様々な点で問題をはらんでいることも含めて、これから考えていかなくてはならない問題です。日本では、懲役刑というのを、罰としてのみとらえているのではなく、更正に向けての教育的な意味も重視してとらえています。改悛が明らかであり、今後、罪を犯す危険性がみられない状態にまで立ち直った場合には、罪の軽減というのは、今同様大切にしなくてはなりません。ただし、天皇の代替わりに伴う、形式的な恩赦・特赦の発想は改めなくてはならないことは、言うまでもないでしょう。

 死刑が廃止される時には、当然、何らかの死刑にかわる何かが生まれるわけで、それは、懲役350年かもしれません。


 最後に、近藤くん、個人的なメッセージだ。人間というものが、どういうものであるか、考えてみたいと思う。人間なら当然犯人の死刑を望むと、人間をとらえるべきだろうか? 桐谷は教師として、高校生が15歳から卒業するまで、さらに卒業後の成長の様子を見守ってきて、人間には無限の可能性があるなあとつくづく考えている。愛する誰かが殺されてしまうという、絶望的な出来事を体験してしまった人間も、絶望の淵から立ち直ることが出来た例を、いくつか読んでみて、そのような奇跡を生み出すものは、普遍的な人類愛しかないのかなと思うようになった。その愛には、犯人に対する愛をも含むのではないだろうか。

 桐谷はよく、お前の一家全員が殺されても死刑に反対するのかと問われる時、坂本弁護士のことを思い出す。彼の深い正義感を知れば知るほど、あんなに強い死刑反対論者だった坂本さんは、自分が殺されても、死刑に反対しているのではないかという、彼の友人たちの言葉は、本当なのではないかと思えて仕方がないのだ。

 まだ若い近藤くんは、きっと、殺人を犯した犯人を許せない正義感が強くて、許せないのだろう。どうか、死刑反対に関する様々な意見を参考に、これからの自分の考えを築いてほしい。最近、びっくりするような犯罪が連続して起こって、日本ではますます死刑に反対する人が減っている。今度、このサイトに、「ゆるし」について、書こうと考えている。



近藤啓示くんからの手紙

以下の文章は、「What's New 1999/12/17」での文章からの抜粋です。

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 予想通り、今日、日本で死刑が執行(以後、反対の気持ちをこめて、「処刑」とします。)されました。この世の、どんな人にも、組織にも、理由の如何を問わず、人の命を絶つ権利はありません。日本で死刑に賛成している人々にいいたいのですが、処刑しているのは、あなたです! 想像力を持って下さい。朝、房から呼ばれて、所長に宣告されるその日まで、今日か今日かと怯え続ける日々。特に、今朝は、全国の死刑囚が、自分ではないかと、とりわけ怯えたのでしょう。自分では歩けない死刑囚を、無理矢理処刑場に連れていく職員、絞首刑の準備をする職員、首に結ぶ職員、何らかの処刑のきっかけの操作をする職員、そんな国家公務員に、この職務を押しつけているのは、死刑に賛成する人々ではないでしょうか。
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この文章を拝見して、全くその通りだと思います。人が人の命を絶つ権利はありません。人間には生きる権利があるわけですから。ですが、このような考えはどうでしょうか?
まず死刑になる人というのは、どのような罪を犯したのでしょうか。恐らく、脅迫な殺人など、人間のする行為を逸脱した事をしたのでしょう。
桐谷先生には、幸せな家庭があると思います。例えば、自分の愛する女房が他人によって殺されたら、自分のかわいいかわいいお子さんが全くの他人に殺されたりしたら・・・。もし家族を大切にする人ならば、犯人の死刑を望むのは当然ではないですか。それが人間というものではないですか。
「人権」という言葉を使って、死刑を廃止しようとする人がいます。他人の貴重な人権を奪った犯人の人権なんて、守ってあげる必要はないと思います。

仮に、死刑を廃止できたとしましょう。そうなると、無期懲役というのが、一番重い刑になります。聞いた話によると、無期懲役と言っても、いつかは出所できるみたいです。このような現状で、死刑をなくしたら、凶悪な事件を起こしても、無期懲役となって、いつかは出所するという事になります。これでは、犯罪の減少どころか、増加するだろうと考えます。
刑を執行する国家公務員でさえ、好きでそのような仕事をしているのではないと思います。

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処刑された方、さぞかし、ものすごい恐怖を味わったことでしょう。日本が人権を大切にする国家に生まれ変わることが出来るように、がんばりますから。
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この文章に、1行付け加えてください。

処刑された方、さぞかし、凶悪な犯罪で他人の人権を奪ったことでしょう。

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近 藤 啓 示 (Keishi Kondoh)
名城大学理工学部情報科学科1年
Web : 制作中
E-Mail :
(この部分だけ桐谷の責任で削除しました)
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