世界をまわるのは、一生をかけて!

around the world in eighty years

第九回 フォスターチャイルド訪問

1996年4月30日第12号掲載

  どちらかと言うと、誰も知り合いがいない場所に、初めて出かける旅が多かったけれど、いつの間にか、誰かに会うために出かける旅が増えた。
 それだけ年をとったのだろうし、未知の世界へ旅しなくなったのだけれど、それだけ世界中に知っている人が増えたのだ。今回は、初めて前編と後編に分けてみよう。


ブノームと凧揚げ


 フォスタープランを知っているだろうか? 第三諸国の子どもの里親になって、月々五千円のお金で、その家族と地域を援助するプロジェクトのこと。
 援助する側のことをフォスター・ペアレントといって、血のつながりはない親子のようなものだ。

 僕にもフォスターチャイルドが二人いて、一人はインドのグリスタンちゃん。もう一人のタイのブノームくんを去年担任した203HRでサポートすることになった。
 生徒たちが集めてくれた、アルミ缶や、牛乳パックや、テレホンカードを現金化して、それに僕のお金を加えて援助を続けた。
 冬休みに、生徒たちに、文房具や凧や人形やボールを託されて、ブノームくんに会いに出かけた。

 タイは大好きな所で、毎年二回は必ず出かける。方々歩き回って、東西南北、ものすごく詳しくなっている。でも彼の暮らす東北部の村は、もちろん行ったことのない所だった。
 バンコクから夜行寝台に乗って、翌朝、東北部最大の都市、ウドンターニーに二時間遅れで着いた。さすがに冬の朝はすがすがしくて、トゥクトゥクという三輪バイクタクシーに乗っていると、半袖では寒くなる。

 郊外のフォスタープラン事務所で活動の概要を取材してから、手配して貰った英語タイ語通訳のTumrongさんと一緒に、村へ向かった。タイの田舎では、都会から郊外の町に、トラック改造の乗合バスが走っていて、そこからまたワゴン車サイズの乗合バスで村に向かうパターンが多い。今回も、時速120kmでとばして90分程でラオスとの国境のメコン川に近い村に到着した。
 かなり大きな村で、二百軒で約千人が暮らしていた。彼の家で感動の対面をした時、村中の人々が集まってきて、初めてみる日本人に好奇心いっぱいだ。

 生徒たちに託されたプレゼントは大人気で、うれしそうな笑顔を返してくれた。地方独特の方言があって、片言のタイ語で話しても、笑われてばかりだったけれど、よく考えてみると、世界中どこに行っても子どもたちに無邪気に笑われる。日本でも、新入生には、授業中、一言話すたびに笑われるのだから、言葉以前に、僕の声そのものが、おかしいのかも知れない。
 日本の凧組立セットのプレゼントは特に喜ばれて、ブノームくんと、ごはんつぶを糊のかわりにして、一緒に作り上げて、あまり風のない村で、走りながら揚げた。何と無邪気に凧揚げを楽しんでくれたことだろう。
 彼の案内で村中を散歩した。井戸、屋根、トイレ、保育園、村中のあらゆるものを、フォスタープランのサポートとして紹介された。

中でも目を引いたのは、人間が十人は入れそうな、大きな大きな水瓶だった。容量は二千リットル。表面はコンクリートだけど、中は鉄という話だった。
 ちょうど今は乾期で、雨は何カ月も全く降らない。雨水をためておく水瓶のおかげで、水には不自由しなくなって、生活そのものも衛生的になったという。
 料金を聞いてびっくり!こんなに大きいのに、一つ700バーツだから、三千円くらいで買えることになる。みんなで集めたアルミ缶三千個が水瓶になったのだ。テレホンカードなら、三百枚分。
 どこでも水は、命の源。もっと水瓶を増やさなくてはと思った。不思議なことに、前から気になっていた土色の水瓶が、バスや鉄道の車窓から捜してみると、ぐっと多く見つけたし、作っている工場も目につくようになった。視野に入ることと、(意味が分かって)見ることの違いは、こんなにも大きかったのだ。

 後編「村のまなざし」につづく……


第十回 「村のまなざし」を読む

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