世界をまわるのは、一生をかけて!

around the world in eighty years

第八回 乗り遅れた!

1995年10月22日第9号掲載

 人間は、どんなに気ままな旅でも、何らかの計画性というかプランがある。注意を集中して、隙のない旅を続けているつもりでも、思い出すと、何回か乗り遅れたことがある。今回は、その話を。


恥ずかしいけど、演奏風景
向かって右は、今も愛用するKorgのMS-20です。
このトレーナーは、香港デザインのBen Sprout。

 真冬に、カナディアンロッキーからロサンゼルスまで長いバスの旅をしたことがある。すべて車中泊の強行軍で、スキーの疲れも、眠って癒すつもりだった。
 バンクーバーのバス・ターミナル(Bus Depotと言う。)で、西海岸を南下する最終バスに乗り継ぐ予定で、夕食を済ませた。発車まで標準時で十分以上あったので、キオスクで、車内で読むペーパーバックを捜して、発車二分前に乗り場に行ったら、もうバスはいなかった! 予約もしてあったし、グレイハウンドの係の人に文句を言っているうちに、定刻を過ぎて、彼は、時計を指して、今はもう発車時間を過ぎているから当然だと主張し始めた。

 次のバスは翌朝まで出ない。カナダ国内を含む乗り放題パスを持っていたから、どこかに往復して寒さをしのごうと思ったけれど、ちょうどいいバスはなかった。
 おまけに、唯一の娯楽のWalkmanは、バスがいないショックで、必死で走って係の人の所へ行った時に、ヘッドフォンを踏んで断線して、音が聴けなくなってしまっていた。
 不幸中の幸いは、万が一のことを考えて、リュックをバスのトランクに入れてしまわずに、背負っていたことだ。中には寝袋がある。

 無人になって待合室もロックされ、マイナス二十度の屋外で、寝袋にくるまって、小雪の舞う中、ひたすら耐えた。地面の冷たさに、体は凍りそうで、何度も寝返りをうって、体中を動かして、少しでも暖めて、凍死しないように必死だった。
 翌朝、まだ暗い頃到着したバスは、ノアの箱船のように大きく見えた。バスは、夜明けの中、走り続けたけれど、計画が全て狂って、シアトルから先は、満員で、僕とドイツの同い年の女の子だけが、あぶれてしまった。当時のグレイハウンドは、おおらかな経営で、あぶれても必ずバスを増発してくれたものだ。

 運転手を含めて、たった三人で、オレゴン州を南下していった。話に花が咲いて、彼のくちドラムと、彼女の口笛と、僕のくちピアノで、スーパー・セッションが始まった。時速80マイルで飛ばしながらのことで、恐かったけれど、不思議な一体感が生まれた。運転手さんは、趣味でジャズ・ドラムをやっていて、自宅のガレージがスタジオになっているという。もちろん、他の楽器も一式揃っているという話で、招待されたのは言うまでもない。
 サンフランシスコで、ヒッピー(今の子は、六十年代後半のWood StockのFlower Childrenと言ってもわからないよね)の街に行くプランをやめて、彼の家に行った。

 何と、スタジオには、当時の最新鋭のシンセサイザー、YAMAHA DX7が置いてあった。演奏を楽しんだのは、当然だけど、お互いの作った音色も教えあった。
 周波数変調を使ったFM音源という斬新なモデルだったので、お互いの研究の成果は、お互いがびっくりするような発想のものだった。

 音楽に国境がないというのは、こういう事でもあるのかなと思った。言葉が通じる相手だったけど、もしも言葉が全く通じなくても、きっと音色やフレーズで、お互いをわかりあえたことだろう。一緒に即興演奏をすると、相手の考えていることや感じていることが、本当に伝わってしまうのだ。
 もしも、あの晩、バスに乗り遅れなかったら、彼にも会わなかったわけだから、人生は、本当に、塞翁が馬なのだ。
 旅では、何かのトラブルで、予定通り進まないことがあるけれど、いつも、きっと、もっと素晴らしい何かの始まりなんだね。
第九回 「フォスターチャイルド訪問」を読む

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