世界をまわるのは、一生をかけて!

around the world in eighty years

第七回 食べる!

1995年10月15日第8号掲載

 人間は、毎日何かを食べ続けないと、生きていくことはできない。多くの場合、牛や鳥や魚や、様々な他の命を食べる。たとえ菜食主義でも、植物の命を食べ続けることになる。
 人は、旅先でも、ふだんと同じように食べ続ける。おいしそうなものを食べてみる。珍しいものも食べる。時には、匂いだけで自分にはまずいことがわかっていても、その土地の人たちと深く触れあうために、思いきって食べることもある。
 食文化は、あまりに奥が深いから、一回だけでは扱いきれないけれど、食べることの第一回めを今回扱ってみよう。


贅沢になって、鉄道でターリーを食べた。
食堂車では、生きた鶏を食材に飼っていた……。

 食べ物の世界は、本当に奥が深い。これまでに、世界中のありとあらゆる食べ物を食べてきたけれど、そのどれもが、おいしく、味わい深かった。でも、僕が何でも食べるだけの経済力が出来たのは、この十年ちょっとのこと。それまでは、一日の出費を少しでも減らすことに、力を注いでいたように思う。今回は、まず、貧乏旅行者時代の話を聞いて欲しい。
 インドに滞在したことのある人の、日本のインド料理に対する評価を聞いてみると、みんな自分が食べたものこそが真のカレーと言わんばかりの返事が帰ってくる。でも、庶民の安いカレーから、超豪華なマハラジャの食卓まで体験してみて、その全てがインドなんだと、やっぱり思う。
 初めてインドに行ったときは、お金も充分なかったし、一泊百円の安い宿に泊まって、一食数十円で抑えようとした。若かったから、それでも続いたけれど、惨めな毎日だった。
 食事は、おいしそうなお店ではなくて、安そうなお店をさがした。安くあげる一番の方法は、ベジタリアンになって、肉も魚も食べないことだ。お米と、野菜のカレーと、ごく少量のサラダが、一つのアルミの大きなお皿にのった、ターリーというメニューを中心に食べて、おなかを膨らませたのだ。お皿は、給食の食器のように、いくつかのへこんだ部分に分かれていて、液体でも、混ざらないようになっていた。お米のかわりに、チャパティーという、具のないお好み焼きがUFOのようにふくらんだものが付く時もあったし、選択出来る時もあった。
 たいていアルミのコップに入ったお水がついてきて、あまりおいしいと感じる水ではなかったけれど、無料の水分と思うと、おいしく飲んだものだ(もちろん下痢ぎみになった)。
 それでも、不思議なもので、一番安い食事を続けていても、お店による味の違いや、地域による味の違いが見えてきた。時には、道ばたで焼いている、チャパティーだけが食事の時もあった。
 いつも思うのだけど、ほとんど同じ水を使って、同じ材料を使って、同じメニューを作るのに、味はどうしてあんなに違うんだろう? 香辛料の組み合わせの力も大きいけれど、料理を旅先で習う時に、全く同じ計量で作っても、味が違うのだ。料理は、その人そのものが、すごく出るものなのだろう。
 誰かの食べ残しをもらった時もあったし、めずらしい東洋人に、食べ物を分けてくれる人もいた。
 きっと生活は僕よりも貧しいのに、家に食事に誘われることも多かった。床は土のままで、本当の日常の料理を食べさせてもらった。日本で言うと、ご飯と味噌汁だけを食べた感覚だったのだろうけれど、たまらなくおいしかった。
 インドを旅する外国人は、買い物をする時に、地元の人よりも高い料金を請求される。日本人は特に外国人料金よりも高くて、値引き交渉をして、地元の料金で売ってもらうまでに一時間もかかることは、ざらだった。そんな毎日が続いて、心がすさんでいたので、旅人をもてなす温かな心は、身に染みた。今、思い出しても、あの味は、インドの一番の味だったと思う。
 カメラだけは、いいのを持っていたから、お礼に写真を撮ってあげた。大きな町についた時に現像して、送ってあげたりした。同じ道を戻ることになって、もう一度立ち寄ってみたら、写真を大切にしていてくれて、しわしわになっていた。みんなに見せたと誇らしげに話してくれた。生まれて初めての写真だったと聞いて、びっくり。本当に貧しかったんだ。
 次に、この村に来ることがあったら、アルバムを持ってきてあげようと思い続けるうちに、あれから十年。暮らしぶりも変わっただろうし、もしかしたら電気も来たかも知れない。もう一度食べる味は、どんな味がするだろうか?

第八回 「乗り遅れた!」を読む

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