世界をまわるのは、一生をかけて

around the world in eighty years

第三回 空港から市内へ
1995年3月13日第3号掲載

 初めての海外だった波瀾万丈の朝鮮半島旅行のお話も聞いて欲しいけれど、ものすごい分量になってしまうので、旅の始まりから終わりまでの時間の流れを、これまでの旅の中の様々な体験をちりばめて、モザイクのように描いてみることにした。
 一つ一つの旅の断片にすぎないものの集まりが、かえって旅の本質を浮き彫りにするのではないかと、今では考え始めている。人生を描こうとするならば、その全てを克明に記すのではなく、断片の積み重ねが全体像を示すことに似ている。

 初めてのアメリカ。それまでは、英語が母語でない地域ばかり旅していたので、最も得意な言語の地域に行くことに、ものすごく期待していた。かなり微妙なことも伝えあうことが出来るし、議論も出来る。
 その旅では、ソウル経由の大韓航空で、ロサンゼルスに往復して、陸路のグレイハウンド・バスで、サンフランシスコからオレゴン州をまわって、カナディアン・ロッキーでスキーを楽しんでしまおうという贅沢な旅だった。
 その頃は、名古屋発は三〜四万円高くなるから、東京発にしたけれど、住民を苦しめた成田空港を使うのは、ものすごい苦痛だった。無邪気に旅を楽しむことは、何と他の人々を傷つけることだろう。
 「青春18きっぷ(当時の正式名称は、「青春18のびのびきっぷ」)」で名古屋から成田空港まで行く時間の方が、実際に離陸後現地に到着するまでの時間より長くかかることが多かった。
 行きのソウルの金浦空港で待ち時間が三時間あったので、大好きな朝鮮半島料理を食べて、帰りは五時間の待ち時間に、早朝の南大門市場にショッピングに行くことにしていた。
 機内では、全てハングルで通したら、客室乗務員は、とても面白がってくれて、すっかり仲良しになってしまった。ワインが大好物だとわかると、ファーストクラスの残りのボトルを持ってきてくれて、夜間飛行の退屈しのぎの相手にもなってしまった。
 もちろん、深い話は、英語でするしかないので、英語で自分のことを話していたら、隣りに座っていた西海岸風の紳士が話に加わってきて、彼のインタビューぜめにあうことになった。
 一般に、見ず知らずの人と仲良しになるのは、とても得意で、「袖すりあうも他生の縁」を、地で行く、根っからの旅人なのかもしれない。
 彼は、クリスマスだから、我が家に来ないかと、誘ってくれたけれど、その夜は、ロサンゼルスのユースホステルに予約してあったので、残念だけど、断ってしまった。
 夜明けの美しさには、感動した。多くの人たちは眠っていたけれど、美しい夜空が、ものすごい速さで、どんどん明るくなっていって、朝焼け色に空が染まっていくのは、東行きの飛行機が最高だと思う。夕焼けは、西行きの飛行機から見る、ゆっくりとなかなか沈まない夕陽が気に入っている。まあ、朝焼けと夕焼けはどこで、どんなものを見ても、感動するものだけれど。
 飛行機は、サンフランシスコのあたりから、南下を始めて、ロサンゼルスがどんどん近づいていった。アメリカの映画によく出てくる、かなり大きめの家が並ぶ住宅街が、小さく見える中、どんどん高度を落としていった。
 あっけなく着陸したLAX(ロサンゼルス国際空港の三文字コード。ちなみに名古屋は、NGO。世界に援助したくなるコードだね。)の大きさにびっくり(今となっては、むしろ小さく見えるけれど。)。
 隣の席の紳士は、あっと言う間に入国審査を済ませたのに、僕は、かなりきびしく問われて、フレンドリーなはずの審査官も、怪しげに見える青年には残酷だった。
 登山用のアタック・ザックを受け取って、外に出ると、彼が待っていてくれて、友達が迎えに来てくれた車で、送ってくれると言う。
 帰りの飛行機も、この空港だったので、自力で空港まで来れるように市内バスを使うつもりだったから、正直なところ、自分の力で市内まで行きたかったけれど、せっかく仲良くなったのだから、乗せてもらうことにした。
 乗せて貰ったおかげで、ラジオの英語会話で勉強した表現の"You're my Guardian Angel."も、使うことが出来た。お礼を言わなくちゃと思って、ふと、何年か前の講座の一節が口をついて出て、使ってみて、あまりに受けたので、びっくり。
 日本語で言うと、「天の助け」という感じなのだろう。キリスト教圏では、守護天使や守護聖人という概念があって、旅の守護聖人は、聖クリストフォルスだし、守る存在がいることになる。この場合は、「あなたは、まるで私の守護天使のように、私を助けてくださいました!」という表現。
 本当のダウンタウンで下ろして欲しかったけれど、危険だということで、リトル・トウキョウまで、連れていかれた。その途中、アメリカの本当の姿を見せてあげようと言われて、段ボールの箱の中で生活している、ホームレスたちを、車の窓から見て、ショックだった。噂には聞いていたけれど、まだホームレス問題が日本で報道される前で、比較的あたたかな日だったけれど、寒さを考えると、身がすくんだ。
 この時のショックが、ホームレスと空き缶拾いをする活動に結び付いたのだけれど、その話は、またいつか。
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