世界をまわるのは、一生をかけて

around the world in eighty years

第二回 入国審査
1995年2月20日第2号掲載

 紙面を埋めるだけのつもりで、つくった連載だけど、思ったよりも面白がってもらえたようで、続きが楽しみ、とか言われて、うれしかった。
 この旅は、海外の旅の原点でもあるので、思い出や事件がいっぱいあって、この連載だけで二十回分は続いてしまうけれど、いろんな国について書いた方が、面白いだろうから、少しずつつまみ食いをしてみようと思う。
 入国審査事件だけを書いたら、また次の国について書いてみよう。

 明け方、丸窓の外が薄明るくなってきたので、甲板に出て見た。長年の新聞配達生活のせいもあって、太陽が出るときには目が覚めてしまうのだ。
 船のまわりには小さな島がいくつか見えて、湾内を、ゆっくりと進み始めていた。昨日、夕焼けの中を動き出しながら聞いた少し安っぽい蛍の光を思い出さなければ、瀬戸内海にいるように思えてしまう。真夜中に、山の上のような星空を見た同じ場所に立って、朝焼けの中、日の出を待っていると、ついに、日本を脱出した感動がこみあげてきた。
 時計を見ると、時間の割にまだ暗くて、名古屋よりも西にいることを再認識した。ちょうど、北海道では、夜明けが早いように、こちらでは、夜明けが遅いのだ。
 関釜フェリーは、遅れのないフェリーとして有名で、出国、入国の手続きの勤務時間の関係で、早く出発して、遅く到着する。港につく前に、長い時間停泊して時間を調整するのだ。
 もちろん、韓国では釜関フェリーと呼ばれていて、日本籍と韓国籍二隻のフェリーが就航している。幸運にも、韓国籍の船に乗れたので、船の中は、すっかり韓国だった。
 みんなとすっかり仲良しになって、接岸を眺めながら、出口で行列していた。昨夜、運び屋のおばさんに頼まれて、入国するときだけ、お酒を持ってあげることになった。こうすると、免税で運べる量が増えて、助かるのだ。
 でも、今なら決してこんなことはしない。もしも、万が一預かった荷物の中に麻薬が入っていたら、持って国境を越えるだけで死刑になる国がある。もしも、爆弾が入っていたら……。
 日本の英会話学校の先生をしている、オーストラリアから来たマイクとも仲良くなって、ハングルが読めて少し話せる僕にくっついていた。
 初めてのパスポートにスタンプが増えるのはとても嬉しくて、ビザの隣のページに、日本出国印が捺され、ビザに重なるように、韓国の入国印が捺された。
 次は、税関。荷物も、すべてリュックから出され、パスポートの最後のページに、カメラを持ち込んだことを示すスタンプがおされた。そのとき、マイクの大きな声が審査場に響きわたった。
 彼は、持って入れる分量を超えてしまっていたのだ。必死に言い逃れをしていて、すべてが通用しないことがわかると、何と、このバナナの半分は、あの日本人のものだ、と主張し始めた。
 そんなこと聞いてないし、おばさんのウイスキーを預かっているし、少し動揺したけれど、まあ、助けてあげようかと思ったとき、連絡を受けて、税関の「長」のつく人がやってきた。
 そして、事情聴取に、本部まで同行してほしいと言う。フェリーターミナルから、五分ほど歩いたところに、とても大きなビルがあって、連行される間、このまま代用監獄につながれてしまうのだろうかと不安でいっぱいになった。何人かの税関職員も同行していて、まるで、僕たちが逃走しないように、周りを取り囲んでいたのだ。
 朝食に、釜山のチャガルチ市場という水産市場で、千円でご飯と刺身の食べ放題をするつもりだったのに、その時間もなくなってしまう。今夜、泊まるはずの慶州まで、行くことができるだろうか、新年を迎えるつもりの雪岳山登山の地形図も、釜山で買うつもりだったのに、東海岸まで行けるだろうか……。
 本部では、ありとあらゆることを聞かれた。マイクをかばう様子を感じて、「長」は正直にすべてを話すことを要求した。正直に話してくれないと、ここで足止めをくうことになるし、最悪の場合には、入国できなくなると言う。
 マイクが罪に問われないと聞いて、正直に預けたわけではないと答えたら、とてもやさしい雰囲気に変わって、あなたは正直で素晴らしい、感謝状を贈りましょうと、話し始めた。
 向こうでは、マイクが関税を請求されて、"My Banana!"と叫びながら、バナナを何度も蹴り上げて、結局所有権を放棄してしまった。
 かなりの時間、そこにいたわけだけど、解放されて外に出ると、あの運び屋おばさんが待っていて、しっかりとお酒を受け取ると、お礼を言って、足早に立ち去っていった。
 何回かフェリーに乗って分かったのは、普通はお酒を運んであげる謝礼が貰えて相場は何と五千円だった。
 結局食事なしで、二時間に一本のジーゼル機関車の三人掛けの大きな客車に乗った。駅で買ったキムパブというのり巻きは、おむすびのような味で、初めての外国料理としては、ショックが少なかった。
 ところが、その晩、慶州のユースホステルで知り合ったソウルの大学生たちと食べに行った食堂の、ビビンバ(混ぜご飯)は、辛くて辛くて、これから、二週間、この食事を食べ続けると思うと、涙が流れた。
 すぐに、韓国料理のうまさの虜になってしまうことも知らず、人生の悲劇までかすんでしまう、辛い混ぜご飯を、息を止めて、喉に押し込んでいた。
 それからの大冒険の数々は、いつか、どこかで、また聞いて欲しい。
第三回「空港から市内へ」を読む

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