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●2月1日(水) 晴れ。 次の写真は「今月の写真」で紹介した初日の出直前の空の様子です。 ![]() 先月の今日とは違うカットを載せてみました。 次の写真は、中央部付近のトリミング画像です。 山の端に太陽がわずかに見えています。 ![]() 空の星雲。 まるで青空に輝く昼間の散光星雲です。
●2月2日(木) 晴れ。 年度末の特別な仕事が続きます。 今年は地動説を唱えたコペルニクス(1473年生まれ)の生誕550年となる年です。 (「ユリイカ」1月号はコペルニクスの特集でした) 今から50年前、雑誌「天文ガイド」1973年4月号は、創刊100号を記念して別冊付録「星と人(天文年表)」(表紙は生誕500年を記念してコペルニクスの肖像)が付きました。 51年前の「天文ガイド」1972年9月号を見ていたら、先日亡くなられた藤井旭さんの「アストロインタビュー」記事で「日江井栄二郎さん− 1973年はアフリカ日食の年」がありました。 インタビューを受けている日江井さんは、当時東京大学助教授で太陽物理の専門家。 インタビューが行われた翌年(1973)にアフリカで見られる皆既日食(なんと皆既食の継続時間が7分を超える)について、あれこれとお話をされているものでした。 ![]() 実はこのアフリカでの日食、草下英明「X(エックス)の字の天の川」(『宮澤賢治と星』(學藝書林・1975))に書かれている「天の川が二本」目撃された時の日食でした。 草下先生の文章は、賢治の「ポランの広場」に登場する「Xの字の形の天の川」について論じた文章ですが、日食を見るためにわざわざアフリカまで出かけて、そこで偶然夜空に天の川と黄道光がクロスして「X」に見えた体験から、賢治の「Xの字の天の川」の謎に言及しているものです。 草下先生の『星日記 私の昭和天文史1924〜84』(草思社・1984)の「一九七三年(昭和四十八年)」には次の記述があります。
![]() 当時、アフリカまで日食を見に行くというのは、(経済的にも)特別な限られた一部の人たちだけの贅沢でした。 『星日記 私の昭和天文史1924〜84』の「一九七四(昭和四十九年)」の最初には、「アフリカ遠征で、お金とエネルギーを使い果たして、七四〜七六年あたりの三年間は、いささか低調であった。」とも書かれています。 日食も観測できたし、賢治の謎を解くヒントも得られたわけで、充実の海外遠征と思いますが、実はそうでもなかったようです。 それにしても、7分間の皆既が見られる日食は本当に特別で、普通の皆既日食数回分の長さに相当します。 その日食から今年で50年。 (来年は、故村山定男先生が、「私の100歳記念の日食がアメリカで見られます、ぜひ見に行って下さい」とお話されていた日食が見られます) ●2月3日(金) 晴れ。 遅く帰って週末の準備など。 今夜は天沢退二郎さんとの思い出などを少し。 あの東日本大震災のあった2011年、その前年の12月半ばの午後、私は宮沢賢治学会の会議のため、花巻を訪れていました。 学会事務局のある宮沢賢治イーハトーブ館の図書室で資料を探していると、そこに天沢退二郎さんがいらして、私が星好きであることを知ってか、 天沢さんの方から「宇宙論」にまつわるお話が少しあって、成り行き的に銀河から泡宇宙論(宇宙の泡構造)の話題となったところで、私に一つの質問がありました。 それは、宇宙の銀河分布というものは一様ではなく偏っていて、銀河の少ない広大な空間があるけれども、天文用語ではどういう表現になるのか、という問いでした。 ある自作の詩の中で、その語を使いたいとをお考えのようでした。 すぐに「ボイド」「超空洞」という二つの語が浮かびましたが、突然でしたので、万一思い違いがあってはいけないと思い、後日確認してから改めて連絡することにしました。 帰宅後、複数の資料をあたってみると、すぐに見つけることができました。
思い当たった用語に誤りはありませんでした。 宿題をいただいてから一週間後、(用事で外出中で)駒込駅前にあった公衆電話から、そのことを手短に伝えました。 しばらくして、もうそのことはすっかり忘れていたある日、天沢さんから突然封書が送られてきました。 開封してみると「サムサの神話」という詩の原稿で、読み進めてみるとあの「超空洞」という語が用いられていました。 この「サムサの神話」は、雑誌「現代詩手帖」2011年1月号(思潮社)においてすでに発表されていたもので、その後詩集に収録するための校正原稿の写しが届いたのです。 当初、「現代詩手帖」では「銀河空白圏」と書かれていた箇所が、詩集用の原稿では「一つの超空洞」に置き換えられていました。
この詩集は『アリス・アマテラス 螺旋と変奏』(思潮社)で、2011年6月に刊行されています。 ![]() 個人的には、手入れ前の「銀河空白圏」という言葉もなかなかいい表現だと思っているのですが、天沢さんとしては(賢治のように?)学術用語を用いて記したかったのかも知れません。 その後、詳しくその理由をお聞きしたことはありませんでした。 今となっては(些細なことながら)あの天沢さんの詩作のお手伝いができたことは、「特別な体験」だったと思われてなりません。 翌2012年の6月、宮沢賢治学会のセミナー(賢治短歌を盛岡にみる)が開催されました。 盛岡市観光交流センターでの講演と、街中の賢治ゆかりの場所を訪ねるセミナーです。 一日のスケジュールを終えて、学会の方々と「もりおか啄木・賢治青春館」近くの「きりや」という居酒屋に入りました。 ちょうどワインを楽しむ天沢さんのお隣の席となりました。 そこでは、(イーハトーブ館2階の図書室での続編のごとく)ご自身の小学生時代、天文に興味を持たせてくれた先生のこと。 さらに、科学雑誌「ニュートン」の天文の記事をよく読んでいたこと、太陽の活動(黒点、磁力線、コロナ…)は実にダイナミックで、テレビで見た最近の太陽映像が興味深かったこと等々をとても楽しそうにお話されていました。 宮沢賢治の研究では特別な存在の方でしたが、実はなかなかの宇宙好きであったこと(これは恐らくあまり知られてはいないと思いますが)、私は良く知っております。もしお元気であれば、恐らく次の話題はジェームス・ウェッブ望遠鏡が撮影した数々の魅力的な写真のことになるはずでした。 ご冥福をお祈りいたします。
![]() ●2月4日(土) 晴れ。 茨城県の北部へ。 軽運動のため低山歩き。 常磐線で水戸駅を経由し、水郡線で袋田駅まで。 そこから袋田の滝方面への路線バスに乗り継ぎ、終点の滝本バス停留所で下車。 ここから目標ポイントまでは、コースタイム片道約1時間と少しの山歩きです。 生瀬富士(なませふじ)と呼ばれる標高406メートルの山頂を目指します。 最初は山里歩き。 ![]() 登山口からしばらくは緩い山道。 山頂付近になって急な(岩)登り。 ギャップが激しい。 ![]() この生瀬富士の尾根には、有名な人気ポイントがあります。 名前は「茨城のジャンダルム」。 本家ジャンダルムは、日本第3位の標高となる北アルプス奥穂高岳(3,190メートル)山頂近くにある岩峰の名前で、登山では難所とされている場所です。 そのジャンダルムと規模は全然違うものの、なんとなく似た岩場になっていて、そう呼ばれるようになりました。 山頂には、「ジャンダル天使」と呼ばれるプレートがあって、それと記念撮影をするのがお決まりです。 (「茨城のジャンダルム」にもそっくりのプレートが置かれていましたが、昨年末より行方不明です) ![]() ![]() この場所は、最近テレビの登山番組でも紹介されたりして人気のようで、山頂に着くとすでに大勢の登山者がジャンダルムを目指していました。 低山ながらちょっとだけスリルを味わえる場所です。 下山してゆっくり昼食とお茶の時間。 バスで袋田駅に戻ると、駅前の掲示板にどこかで見たような・・・。 2週間後にこの町で行われる財津和夫さんのトークショーのポスターでした。 東京で生活していた頃、何度か原宿のカフェでお会いしましたが、お元気そうで何よりです。 それにしても、こんな山里にも来るのですね! ![]() ![]() ●2月5日(日) 晴れ。 田舎の街並みを歩いて、駅近くを散歩。 途中、芭蕉の句碑を見つけました。 ![]()
街並みを楽しんで駅前から昨日の滝本のバス停留所まで移動。 ![]() ![]() 今日も沢山歩いたので、ランチは昔屋という蕎麦屋のセットメニュー。 あまりにも量が多くて驚きでしたが、なんとか食べ終えました。 この辺り、奥久慈地方の郷土料理一式みたいな料理盛り合わせです。 ![]() バスの時間までゆっくりして帰宅。 いい運動になりました。 ●2月6日(月) 晴れ。 雲に包まれた淡い月の夜です。 昨日帰宅移動時に、天文2誌を購入してきました。 ![]() 『天文ガイド』3月号は、特集が「星の楽しみを教えてくれた藤井旭さん −その活動を振り返る[前編]」です。 古い記事を中心に構成した記事もありました。 藤井旭さんの天文ガイド表紙第1号は、1968年1月号でオリオン座を55mm(F1.8)のレンズで10分露出(手動ガイド)で撮影したもの。 毎月の「Star Watching」の藤井さんに続く後継者は、新潟の沼澤さん&脇屋さんでした。 『星ナビ』3月号の特集は「ベテルギウス大減光の謎」、そして「輝き続ける巨星 星になった藤井旭先生」です。 藤井旭さんの記事は、関係者による「思い出を語る」文章が中心です。 (ステラナビゲータ12の広告がやっと登場) 飯島裕さんの記事も藤井さんのお話でした。 観測記事として2誌ともにZTF彗星が取り上げられています。 この時期、(月明かりに邪魔されながらも)光度をあげていました。 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の2月6日は「血紅星」です。 タイトルだけで、うさぎ座のお話とわかります。 抱影は、星座としてのうさぎ座よりも、6等星のクリムズン・スター(真紅の星)に関心があるようで、アンタレス(さそり座)とガーネット・スター(ケフェウス座)、それぞれの赤い星を挙げながら、その見え味の違いを説明しています。 ![]() クリムゾンスター(Crimson Star)と表記されることが多いですが、変光星のうさぎ座Rのことで、その独特な赤い色で有名な星です。 うさぎ座の頭の右に位置しています。 (上図の矢印の先に位置する星) 久々にこの星を眺めて見たくなりました。 ●2月7日(火) 曇りのち晴れ。 小島英俊『旅する漱石と近代交通』(平凡社新書)を読み終えました。 ![]() 夏目漱石(1867〜1916)に関する新書本です。 作家とその時代の交通事情を書いた読み物は時々見かけますが、本書はその中でも非常に優れた本だと思いました。 読みやすさと、内容のバランスがほど良く、漱石の生涯について詳しくない者でも気軽に楽しめるものでした。 漱石の生きた時代は、国内の幹線と呼ばれる鉄道網が整備されつつあった時期とも重なります。 特に学生時代はそれが顕著だったようで、
とする指摘があります。 これはまったく賢治にも言えることで、賢治学会の信時哲郎さんの論にもあるとおり、新しく開業した地域を選んでは出かける傾向がありました。 賢治の場合、漱石と異なるのは、賢治の時代には、鉄道路線の充実期に移行しており、軽便法により、さらに各地(都市から地方)へと鉄道で旅行ができる時期になりつつありました。 本書により、漱石の夏休み中の旅行先リストを見ると、2回も富士山に登っています。 (実はなかなかの健脚!) 同行者は、友人の中村是公(なかむら よしこと 1867〜1927)で、後に満州鉄道の総裁に就任した人物です。 その是公の誘いで1909(明治42)年に満州を訪れ、安奉線に乗車しています。
軽便時代の安奉線といえば、あの岩手軽便鉄道の機関車がかつて大陸を走行していた時代の路線です。 「安奉線の車両は小型で窮屈であり…」という箇所がまさにその車両の状況を示しています。 漱石はあの小さな鉄道に乗車したのでしょうか。 岩手軽便鉄道で最初に花巻〜土沢間が開業したのは1913(大正2)年のことで、安奉線が狭軌から標準軌に改軌され不要となった機関車の一部が岩手軽便鉄道に引き取られた経緯を知る者にとっては、感慨深いものがあります。 記事に添えられていた「安奉線(『安奉線改築工事記念写真帖』)の写真を見ると、間違いなくアメリカのボールドウィン社(煙突は細長く、大型のサイドタンクを付)の岩手軽便鉄道と同じ形の機関車でした。 ![]() 安奉線に乗車した漱石は、1909(明治42)年9月27日の「七時半」、現在の北朝鮮と中国の国境に位置する安東県に着いて「月の夜に鴨緑江(おうりょくこう)を見る」と記しています。 (『日記』) せっかくですので、その晩、漱石が見たであろう月の姿をシミュレーションしておきます。 旧暦8月13日、19時30分における月齢は12.8。 満月の2日前の明るい月でした。 ![]() あさって2月9日は漱石の誕生日です。 ●2月8日(水) 晴れ。 今日は保阪嘉内(1896〜1937)の命日です。 転居時に書類を整理していたら、かつて東京で勤務していたときにその小学校で校長をされていた廣井力先生(1925〜2022)の退官記念の文集が出てきました。 昨年の6月に亡くなられましたが、彫刻家イサムノグチの弟子として造形作品製作に従事され、特に「凧」の研究者としても著名な方でした。 本冊子には在校時代の沢山の文章が残されていますが、とにかく懐かしい気持ちになりました。 ![]() ●2月9日(木) 曇りのち晴れ。 賢治年譜の1925(大正14)年、今日2月9日には、次のような記事があります。
時期的な視点で考えてみると、当然のことのようにも取れますが、一方では実に意外な気もする手紙でした。 話は変わって、昨年11月の渡辺えりさんの講演で、亡くなられたお父様ことで出てきた高村光太郎の詩「必死の時」を改めて読んでみました。 『詩集 大いなる日に』(道統社、1942(昭和17)年4月20日発行)に収録されています。 ![]() お父様のお話は、後に渡辺えり子名義で、戦時中の体験を元に「光る時間(とき)」として戯曲化されます。 『詩集 大いなる日に』からは、「必死の時」そして「百合がにほふ」が引用されています。 『詩集 大いなる日に』は、戦時中の物資の事情もあるかと思いますが、質の悪い和紙で製本されていました。 内容は、戦意高揚に繋がる独特の作品が中心です。 (参考:「"わが詩をよみて人死に就けり" 高村光太郎 〜「乙女の像」に込めた願い〜」はこちら(NHK)) ●2月10日(金) 曇り時々雪、夜になって雨。 雪の予報では大騒ぎしていたけれど、ほとんど降りませんでした。 茨城はこの時期の南岸低気圧でも、東京に比べて影響が少ないことが多いようです。 賢治の同人誌『ワルトラワラ』の最新号(第50号)が届きました。 松田先生ありがとうございます。 1994年創刊ですでに29年が経過、私は第12号から仲間入りさせていただきましたが、全体では50冊目となりました。 おめでとうございます。 また、読者の皆様もありがとうございました。
「賢治の図書館」≫ 松田司郎氏編集の同人誌ワルトラワラ第50号を追加しました。 今号の掲載記事は次のとおりです。
連載中の「宮沢賢治のプラネタリウム」は第33回目。 天文記事再開で、これま何度か取り上げてきた月食の話題を一括整理した「賢治と月食」を書きました。 賢治が見る可能性のあった月食をリスト化し、個々について頁が許す範囲(実はオーバーしてしまいました)で解説を行いました。 今まであまり注目されてこなかった賢治の覗いた望遠鏡についてもまとめてみました。 ![]() ●2月11日(土) 建国記念日。晴れ。 自宅で作業。 忙しく作業もできなかったあれこれの片づけ。 近所の梅の木もかなり咲き始めていました。 ![]() 野鳥もやってきました。 梅の木の枝の中を沢山飛んでいます。 梅の間から「こんにちは」。 ![]() ●2月12日(日) 晴れ。 この時期にしてはあたたかになりました。 大気が春先のような状態になったのでしょうか、太陽の周りに暈と幻日ができていました。 幻日に続く幻日環は部分的。 ![]() ![]() 幻日が一番はっきりと出ている頃、太陽を一本の樹木に合わせて撮影してみました。 ちょうど、藤城清治さんの影絵のような写真となりました。 ![]() 大気光学現象(大気中の氷の粒)のいたずらです。 ●2月13日(月) 雨。 単行本、乾佐知子『曽良の正体』(草思社)読了。 ![]() 「曾良」とは、松尾芭蕉と共に「奥の細道」を歩いた河合曾良を指します。 松尾芭蕉に関する書籍は、多数出回っていますが、曾良の本というと、そう多くはありません。 曾良(1649〜1710)は、現在の長野県諏訪市の出身で、若くして伊勢に移り、30代になって江戸へ。 松尾芭蕉と知り合い、幾つかの旅に同行しています。 芭蕉の「奥の細道」の旅の詳細は、曾良の『曾良旅日記』が戦時中(再)発見されたことで多くのことが明らかにされました。 例えば、芭蕉の有名な句、
は、旧暦七月七日(七夕)の作とされていますが、この日記の記録により、その時期は雨続きで天候に恵まれず、数日前に通りかかった出雲崎での印象をもとに書かれたことが明らかされました。 曾良の記録のおかげで、創作の背景が明らかにされたのです。 次の写真は、芭蕉が訪れた時期と天体(太陽、月)の条件が近い日を選んで出雲崎に出かけて撮影したものです。 (この写真は、生前、高畑勲さんに気に入っていただいた写真の中の1枚です。 手前にある出雲崎の街並みは「妻入り」と呼ばれる独特なものです。) ![]() …それにしても、曾良はのちに巡見使という幕府の御用人になって、壱岐でなくなっていた(とされる)のは意外でした。 ●2月14日(火) 晴れ。 夜は冷たい北風でした。 そして冬の大三角の星が明るく見えました。 賢治の新刊から。
「賢治の図書館」≫ 菊池忠二『新装・増補・改訂版(上・下巻の合冊)私の賢治散歩』/(ツーワンライフ出版)を追加しました。 宮沢賢治賞受賞の式典でのお話が印象に残っております。 2017年に亡くなられていたのですね。 ![]() ●2月15日(水) 晴れ。 ポール・マッカートニー『THE LYRICS』の続き、今夜は、いよいよ2分冊目に入りLady Madonna(Single)〜Let It Be(Single, Let It Be)まで。 Lady Madonnaは「母親像への賛辞であり、女性への賛辞と言える」、さらに作曲の手法における「音楽の独学」の効用について。 Let'Em Inはありきたりなもの(たとえばBip Bop)への不満からの脱却、Sister Suzyがリンダ、Brother Johnは兄かジョン・レノン、Brother Michaelは弟かマイケル・ジャクソンかも知れない。さらに妻ナンシーと結婚して起こった偶然。 Let It Beは、曲を書いた時のストレスのこと。バンドも僕も。数年前に日本に行き、ドームツアーを終えて最後に行われた武道館でのショーで、クルーが僕に内緒で会場の全員にリスト・バンドを配って「Let It Be」を歌ったとき開場全体が光り輝いた。感動して歌い続けるのが難しくなることもある。 ![]() ●2月16日(木) 晴れ。 キャンプに関するエッセイのアンソロジー本が刊行されました。 『キャンプ日和』(河出書房新社)です。 昨日読了。 ![]()
親しみやすい表紙とは裏腹?に、最初から大町桂月、小島烏水、小暮理太郎…という大御所が出てきてびっくりしますが、そこは編集者の拘りでしょうか。 天文愛好家的には、書上喜太郎の「穂高星夜」や村井米子の上高地の月の話も楽しいもの。 串田孫一の「外で寝ること」は、(意外にも)かつての時代の野営の厳しい一面も淡々と綴り、山口耀久は「雨池」の遠望の出会いから、あえて選んだ過酷ないくつかの到達までを書き留めた文章です。 多様なセレクトに感謝して。 ●2月17日(金) 晴れ。 作家の鏑木連さん死去のニュース。 賢治を題材にした推理小説(2冊)を刊行されています。
抱影の『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日2月17日のテーマは「月光に濡れて」です。 十六夜(いざよい)の月の昇る夜、月明かりで星々の見え方が変化した印象が語られます。 漢詩「月明星稀(月明らかに星稀に)」や「英国のある天文随筆家」の話を引用しつつ、かえって際立つ星の印象、それがいったいどのようなものか、その夜の抱影的分析がお楽しみとなります。 おなじみ「更科の夫人」も登場しています。
2月の十六夜は2月6日(旧暦1月16日)、次回は3月7日(2月16日)となります。 共に満月の日と重なります。 次図は、2月6日19時の東天の月と星々(星座等表記は、抱影の本文による)です。 ![]() 午後から自宅所用など。 遅くまで作業。 ●2月18日(土) 晴れ。 梅の季節になり、恒例の観梅で水戸偕楽園へ。 この時期限定で、臨時駅の偕楽園駅(下り線のみ)の利用が行われます。 ※偕楽園は宮沢賢治ゆかりの場所です。 1928(昭和6)年6月8日、伊豆大島への渡航も踏まえた上京時に、水戸駅で途中下車し、茨城県立農事試験場に立寄っています。 その際、試験場の8時開場までの時間を、偕楽園(書簡235では、「水戸に着き公園等を見て」)で過ごしたとされています。 ![]() ![]() ![]() 昼近くには暑いくらいの陽気になりました。 茶屋で休憩して、別の場所に少し移動します。 水戸のマンホールのデザインは「梅」でした。 ![]() 常陽銀行の運営する常陽資料館で開催中の「不思議ワールド うつろ舟」展を見学してきました。 江戸時代の不思議なお話「常陸国うつろ舟奇談」にまつわる展示です。 昔、海岸にUFOが着陸して、中から宇宙人が出てきた…とされたこともある不思議な内容の文献(図版)が各地に残されていて、それらを総括する形で、さまざまな資料が展示されていました。 (「常陽史料館 アートスポット 企画展「不思議ワールド うつろ舟」」はこちら(常陽史料館)) ![]() 滝沢馬琴、柳田國男、澁澤龍彦など関係する著作物ほか、現代アートの作家によるうつろ舟の模型なども展示されていました。 ![]() 展示図録はありませんが、関連する記事を収録した「常陽藝文」2023年2月号 藝文風土記「常陸国うつろ舟奇談」の謎(常陽藝文センター)を購入してきました。 この地元の伝説と養蚕信仰が結びついていたり、円盤状の乗り物や不思議な文字についても、民俗学の立場からも面白いものでした。 その後、県立近代美術館を見学して帰宅。 隣接する茨城県民文化センター(ザ・ヒロサワ・シティ会館)は工事中でした。 ![]() テレビ岩手のニュースから。 宮沢賢治の「星めぐりの歌」を、新幹線の発車メロディにしてほしいとの要望、先日花巻市長がJRにお願いしていましたが、日食なつこさんの演奏で実現したようです。 来月25日から。 (「岩手・花巻市 宮沢賢治「星めぐりの歌」新幹線発車メロディに」はこちら(テレビ岩手)) ●2月19日(日) 晴れ。 自宅作業。 調べものをしていたら、建築家吉阪隆正の名前が出てきました。 中断して、以前読んだ「パノラみる」(展示会の図録)と「知のスタンダード」の『吉阪隆正 地表は果たして球面だろうか』を探し出して、再読。 ![]() 建築繋がりで、井上祐一・小野吉彦『ライト式建築』(柏書房)へ。 本書の「ライト」とはもちろんフランク・ロイド・ライトのこと。 日本とのかかわりも知られるライトの影響を受けた建築家の作品(建築物)をとり上げたものです。 ![]() もちろんお気に入りの田上義也の建築も掲載されています。 ●2月20日(月) 晴れのち夜一時雨。 今日は新月。 今日から旧暦の2月、如月(きさらぎ)となります。 時々新暦(グレゴリオ暦)のカレンダーにも旧暦(太陰太陽暦)の月の呼称(和風月名)が書かれていることがあります。 例えばカレンダーの「2月」に「如月」、「3月」に「弥生(やよい)」、「4月」には「卯月(うづき)」とあるものです。 ほとんど慣例化してしまいましたが、本来の意味とは異なります。 ところで、1924(大正13)年の今日、2月20日は満月でした。 その晩の出来事を記した宮沢賢治の作品に詩「空明と傷痍」があります。 「春と修羅第二集」収録では、「序」に続く次の作品となります。
(以下、「宮沢賢治のプラネタリウム」第33回「賢治と月食」より引用) 本文中、「きみ」とあるのは、賢治の友人、音楽教師の藤原嘉藤治で、氏へのさまざまな想いが語られる作品です。 この晩の本影食の始まりは、二三時一九分、皆既食となるのは日付が翌日に変わった二一日の深夜〇時二〇分、皆既食の終了が一時五七分、本影食の終了が二時五八分という深夜の月食でした。 もし宵の早い時刻に月食が始まっていたら、詩「空明と傷痍」に何かその様子が描かれていたかも知れません。最大食分は、月が南中を過ぎ西に傾き始めた頃、高度五五度の空でした。(図10参照) (引用以上) ![]() ●2月21日(火) 晴れ。 今年5月5日の公開の映画「銀河鉄道の父」の新たな予告動画が公開されました。 ストーリー全体を追ったもののようです。 (「映画『銀河鉄道の父』公式サイト」はこちら(「銀河鉄道の父」製作委員会)) ![]() いわゆる評伝ものから、映画化(脚本が書かれ映像化)においては、作品のテーマの明確化などを意図して再構成されて、事実とは異なってしまうのは宿命かも知れません。 例えば、歴史上の人物を扱った大河ドラマが、史実に忠実かと言えば、やはり異なっているのと同様です。 (賢治の愛好者にとっては、多くの方々に関心を持っていただくことは嬉しいものですが…。) 今回の予告映像で真っ先に気になったことと言えば、妹トシの病床で童話「風の又三郎」が出て来るシーンです。 賢治は、1921(大正10)年1月の家出上京後、「8月中旬〜9月初旬」(【新】校本全集年譜)にトシ発病の知らせで帰花していますが、このシーンは、それ以降、病床のトシとの関わりの中で描かれたシーンと思われます。 「風の又三郎」の読み聞かせのなかで、(高田三郎の転校を先生から知らされたときの嘉助の台詞)「やっぱりあいづは風の又三郎だったな」がありました。 童話「風の又三郎」の成立史を考えてみたとき、初期形「風野又三郎」の改変が、賢治晩年となる「昭和6〜8年頃」に行われたとされています。 初期形の「風野又三郎」の成立した正確な時期は明らかではありませんが、賢治の農学校での教え子、松田浩一に「風野又三郎」の筆写依頼をしたのが1924(大正13)年2月12日とされ、その時期にはまだ嘉助の台詞のシーンはありませんでした。(「風野又三郎」では「9月10日」、「風の又三郎」では「9月12日」の場面に対応しています) トシが亡くなったのは1922(大正11)年11月のことですから、仮に「風野又三郎」の初期形が存在していたとしても、晩年の改変時に書かれた嘉助の台詞をトシに聞かせることは不可能ということになります。
なお、門井慶喜さんの原作本『宮沢賢治の父』では、「風野又三郎」として早い時期に執筆された扱いで描かれています。 (映画中の読み聞かせの台詞は出ていません) また、「予告」の映像では、北上川の空撮シーンがありました。 新聞報道では、「賢治詩碑近くの北上川河川敷の広がる「下の畑」、賢治が花巻農学校(現花巻農業高校)退職後、農業後継者らに農業の知識や技術を講じた私塾「羅須地人協会」で撮影が行われたとあります。 風景にもCGが使われているようです。 (賢治ゆかりの地で撮影 4月に特別試写会 映画「銀河鉄道の父」【花巻】(岩手日日新聞2023年1月26日)) 岩手県外では、岐阜県での撮影地が以下のサイトにまとめられていました。 (「銀河鉄道の父映画ロケ地撮影場所はどこ?街や和室、走っているシーンも調査」はこちら(ヨシコのごちゃまぜブログ)) ●2月22日(水) 晴れ。 アストロアーツからステラ12の案内が届いていました。 今回の地味に見えるヴァージョン・アップは、実はなかなか好感のもてるものばかりです。 製作側の原点回帰的意向が強く感じられます。 (当初のMS DOS版依頼の機能も復活していたり…、今となってはわかる人も少ないはず) 多くの天文愛好家の方々に利用していただきたいですね。 ![]() ●2月23日(木) 天皇誕生日。晴れ。 2020(令和2)年から始まった「2月23日」の天皇誕生日。 今年で4回目。 なかなかなれません。 私の時代では、4月29日、12月23日、2月23日と変わってきました。 宮沢賢治の時代にも、11月3日(明治天皇)、8月31日(大正天皇)、4月29日(昭和天皇)と3回変わりました。但し、天皇誕生日ではなく、天長節と呼ばれていました。 都内に出て買い物など。 銀座の並木通りにあるセイコーミュージアム銀座に行ってみました。 (セイコーミュージアム銀座はこちら) セイコーは国内の時計製造メーカーですが、「時」にまつわる資料のほか、企業ミュージアムとして服部金太郎の創業から現代までの社史が、歴史を語る品々と共に展示されていました。 気になったところでは、福沢諭吉の『改暦辨』も展示されていました。 ![]() 『改暦辨』は、江戸時代の太陰暦(旧暦)から、明治に入ってグレゴリオ歴(新暦)への変更に際しての解説本です。 (以下、Wikipedia「改暦辨」より)
日本の明治時代初期に行われた時刻制度変更を、当時の人々にわかりやすく伝えた書物です。 改暦したといっても、農事作業などでは、引き続き古い暦が引き続き用いられることがありました。 伝統的な文化や慣習はそう簡単には変えられません。 宮沢賢治関係では、(「ワルトラワラ」第50号において泉沢さんも「賢治雑記帳」の「銀時計」で書かれていました)賢治自身も携帯できる時計を所有しており、作中にも関連する描写があります。 例えば「オホーツク挽歌」の「(十一時十五分 その蒼じろく光る盤面(ダイヤル)」など。 ![]() また、初期の短歌作品においては「(明治四十二年四月より)」の「父よ父よなどて舎監の前にしてかのとき銀の時計を捲きし」など。 これは父親がゼンマイ式の時計を捲く描写となりますが、精巧舎(セイコー)では、その時期に「エンパイヤ」という主力商品を発売しています。 シックな無駄のないデザインです。 (セイコーミュージアム銀座「エンパイヤ」はこちら) 天測に用いられる六分儀もありました。 賢治の詩「海蝕台地」に「六分圏」と書いて「セキスタント(六分儀)」とルビをふっています。 (関連記事:「南天の星を求めて」より「2004年1月1日」はこちら(「賢治の事務所」) ![]() 銀座の通りは、外国人観光客でいっぱいです。 ![]() 所用を済ませて帰宅。 ●2月24日(金) 曇りのち雨。 帰宅時には雨。 就寝時には村松健の新譜から。 野尻抱影・山口誓子『星戀』(中央公論社)の頁をめくって、「二月」を開くと、誓子の星の句が並びます。
それぞれ、二月の上旬、伊勢で詠まれた作品です。 この時期の南空は、シリウスをはじめ、いくつもの1等星がばら撒かれ、独特のにぎやかさをみせています。 ![]() ●2月25日(土) 晴れ。 仕事で4時起床。 緊張の連続で一日を終える。 先日、渡部潤一さんから賢治の件でメール。 それでふと思い出して、寝る前に(2年ほど前に刊行の)『古代文明と星空の謎』(ちくまプリマー新書)を読む。 ![]() 天文遺跡の話は、結局暦の話になるので、暦を知っていると楽しみ倍増。 そこを読み飛ばしている(方々が多いとよく聞きますが)、これはとてももったいない! と思われてなりません。 ●2月26日(日) 晴れ。 気温低め。 多忙な状況が続きます。 良く晴れて、冷たい風。 賢治の新刊から。
「賢治の図書館」≫ 斉藤倫『ポエトリー・ドックス』/(講談社)を追加しました。 第一夜で、大岡信(1931〜2017)さんの「倫敦懸崖」が登場しています。 大岡信さんは、「詩人」と呼ばれる方で、初めてお話をしたことのある方です。 もう30年ぐらい前、確か草津温泉・・・。 「倫敦懸崖」は、イギリス海岸ですね。 いただきものに感謝。 ●2月27日(月) 晴れ。 今日も気温低め。 そして上弦。 最近になって(遅すぎる!)入沢康夫さんの詩集が面白い。 鞄に入れて毎日読んでいます。 ![]() ●2月28日(火) 晴れ。 自宅所用。 抱影の『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の2月28日(「冬」の最後)は、「鳴門星」です。 星の和名で、りゅうこつ座のカノープスを指します。 星の名前には、その地域においてのみ通用する独特な呼称があって、例えば、星が昇ってくる方角の地名などをそのまま星名にするものがあるといいます。 その一つが「鳴門星」です。 季節は流れて、鳴門星のシーズンもそろそろおしまいです。 JAXAが募集していた宇宙飛行士候補の決定を発表しました。 男性の方のご実家は近所のようです。 今度の選ばれた方々は、月をめざすミッション。 何れにしても楽しみです。 (「宇宙飛行士候補 茨城県育ちで国際機関勤務の男性など2人」はこちら(NHK NEWS WEB2023年2月28日) 今回の募集は、予告も含めて話題の多い選抜でした。 「あ〜、やっと選ばれたんだなぁ」と思った瞬間のことはいつしか忘れ去られて、数年後月への出発が決まり、「そういえば、以前選ばれたニュースがあった」という記憶を辿る間もなく、なんだか全てがいつの間にか過去に押し流されてしまうような感覚に襲われます。 そして2月も終わってしまいました。
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