緑いろの通信 2022年12月
   

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緑いろの通信
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- 緑いろの通信 2022年12月 目次 -


緑いろの通信

 「緑いろの通信」へようこそ! 2022年12月号をアップしました。 今月の写真は、花巻で撮影した賢治童話「カイロ団長」に登場するあまがえるたちの像です。 ホテルグランシェールの裏手(タケダスポーツに向い)に設置されています。 コロナ禍を経て、花巻の様子もだいぶ変わりました。 そして早くも12月。 今月もまたよろしくお願いします。




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緑いろの通信

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12月1日(木)
 晴れ。

 次の写真は「今月の写真」で紹介した花巻の「あまがえる」たちの像です。


(「あまがえる」 2022年11月27日撮影)

 早くも12月。 「今年こそゆっくり年末を過ごしたい」と思いながらも、過密なスケジュールに疲弊気味です。

 村山貢司『天気図からよみとく奥の細道 名句に込められた季節感の謎』(星海社新書)読了。 書名にもあるとおり、芭蕉の「奥の細道」を気象の観点から読み解くという試みです。 末尾の参考文献を見るとわかりますが、作品研究本の方はあまり読まれていないようで、本格的な解釈本というよりは、「奥の細道」を通じて気象に親しむというのが目的と思いました。


(『天気図からよみとく…』2022年12月1日撮影)

12月2日(金)
 晴れのち夜小雨。

 昨日近所の(時折お世話になる)ラーメン屋さんで何かの撮影。 店舗名を「餃子の女豹」(すごい名前)に突然変えていて、閉業してオーナーが変わったのかと思いました。 撮影チームのトラックとスタッフの姿を見て安堵。

 季節は冬。 抱影の本も「冬の巻」になりました。


(『星三百六十五夜 冬』 2022年12月2日撮影)

 今日、12月2日は「ベイリーの数珠」です。 金環皆既(ハイブリッド)日食などで見られる、ベイリー・ビーズのお話です。 月と太陽の視直径が同じとなる時期の日食では、皆既の瞬間、月の周囲の谷間から太陽光が漏れ、全周がビーズ(数珠)の輪のように見える特別な現象が見られます。 これは、ちょうど来年4月20日にインド洋、アジア、オセアニア方面で見られるということで、ツアーも企画されているところです。

12月3日(土)
 晴れ。

 東北ウイーク2週目。 東北新幹線で仙台へ。

 今日12月3日は、大正時代にアインシュタインが来日中に仙台に滞在した期間(1922年12月2日夜〜12月4日朝)から100年となる時期です。 それに合わせて仙台にやってきました。 先週は100年前に亡くなった宮沢トシに因む場所を、今週はアインシュタインといった感じで、気分は日々100年前に遡っています。


(仙台駅 2022年12月3日撮影)

 1922年「12月3日」のアインシュタインのスケジュールに合わせて移動してみました。

 最初は、仙台駅を出て、(時間的には遡りますが)前夜(12月2日夜)に列車で到着したアインシュタインが宿泊した仙台ホテルの場所に行ってみました。 仙台に着いたアインシュタインは、市民の大歓迎を受けて、駅前ホテルに到着するだけでも20分もかかったとあります。


(当時の仙台ホテル(「仙臺文化」第4号より))

 ホテルはだいぶ前に取り壊され、今では商業施設の敷地となっています。 (「仙台ホテル(Wikipedia)」はこちら


(仙台ホテル跡 2022年12月3日撮影)

 続いて、仙台で一般講演会の行われた仙台市公会堂跡に行ってみました。 現在、西公園と呼ばれている場所の一角です。 ここにはかつて、仙台市天文台がありました。 100年前の今ごろ、この地でアインシュタインの講演会が行われていたのです。


(仙台市公会堂(現地案内板より)2022年12月3日撮影)

 次の写真は公会堂の跡地です。 旧仙台市天文台をよく知っているので、ここにアインシュタインが来ていたとは想像もできませんでした。


(仙台市公会堂跡 2022年12月3日撮影)

 その日、9時30分〜14時30分まで講演を行ったアインシュタインは、東北帝国大学の本多光太郎教授に連れられて大学の金属材料研究所を短時間で訪問します。 私は地下鉄と徒歩で、東北大学の片平キャンパスの金属材料研究所へと向かいました。 研究所は今もありますが、当時の建物はすでにありません。


(東北大学金属材料研究所 2022年12月3日撮影)

 金属材料研究所の前には、アインシュタインと共に松島へと同行した本多光太郎の像が建てられていました。 東北帝国大学総長を務めたほか、戦後には東京理科大学の初代学長にも就任しています。 (「本多光太郎(Wikipedia)」はこちら


(本多光太郎像 2022年12月3日撮影)


(近くの仙台光原社 2022年12月3日撮影)

 東北大学を出たアインシュタインは、松島の観月に出かけるため仙台から大移動です。 先ず仙台駅に出て、東北本線で松島駅に向かいます。

 現代であれば、仙台駅から仙石線に乗り、多賀城駅や本塩釜駅を経て松島海岸駅下車というのが普通のルート(次図の緑色のライン)です。

 しかし、当時この路線はなく、東北本線の松島駅で下車(次図の黄色のライン)。 そこから大崎水電(後の松島電車)という路面電車に乗り継いで、松島海岸近くにある五大堂前という停留所で下車するのが一番便利な移動方法でした。


(アインシュタイン移動関係地図1)

 また、当時の東北本線の路線は、現在ある路線と若干の違いがありました。 各地域ごとに事情があり、近代化のなかで路線変更が行われてきた歴史があります。 アインシュタインの乗り換え駅となった松島駅も、現在の位置とは違う場所(廃線となった旧線)にありました。 当時の駅は、JR東北本線愛宕駅の西側約1キロメートルの地点です。 (「全国廃線鉄道地図・宮城県(塩釜・松島付近)」※1及びアインシュタイン移動関係地図2参照) ※1『停車場変遷大事典国鉄・JR編U』(JTB 1998・10)


(「全国廃線鉄道地図・宮城県(塩釜・松島付近))


(アインシュタイン移動関係地図2)

 幾つかの資料※2をもとに調べたアインシュタインらの移動の時刻も併せて載せておきます。 ※2「汽車汽舩ポケット旅行案内』第七巻十一號、『松島町史』通史編

東北本線(旧線含む) 仙台駅15:05→(初代)松島駅15:48]
大崎水電(松島電車) 松島駅前15:50→五大堂前16:00過ぎ]

 私も東北大学を後にして、仙台駅から東北本線で北上します。 そして東北本線旧線にあった、(初代)松島駅を訪ねることにしました。 そのためには、現在の松島駅の次駅となる愛宕駅で下車し、徒歩で15分程度歩く必要があります。

 愛宕駅は、東北本線(旧線)区間が廃止された際に新たに設けられた駅です。


(愛宕駅にて 2022年12月3日撮影)

 途中、道路脇を注意深く見ていると、大崎水電の遺構を見つけることができました。 古い鉄道マニア向け雑誌の記事※3が参考になりました。 (初代)松島駅近くの松本橋の橋台跡です。 次写真では、道路の左側にある階段状のコンクリート部分です。 この道路に並行して鉄橋が欠けられていたようです。 奥には石積も認められます。 ※3和久田康雄「失われた鉄道・軌道をたずねて〔45〕松島電車(「鉄道ピクトリアル」1979年5月号(鉄道図書刊行会))


(松島電車廃線遺構 2022年12月3日撮影)

 大崎水電(松島電車)の廃線は1938(昭和13)年のことで、戦前廃止ですので、鉄道遺構を探すのも大変です。

 ここからさらに歩くと、(初代)松島駅(駅としては1890年4月開業)を見つけることができました。 廃止は1962年7月です。 駅舎は取り壊されずに、公共施設(松島町健康館)として建物が再利用されていました。 外観は近代建築のイメージが色濃く残されていて、すぐにそれとわかる建物でした。


((初代)松島駅舎 2022年12月3日撮影)

 建物を見てふと思い出されたのは、函館本線にある大正建築の大沼公園駅です。 感じが似ています。


(函館本線大沼公園駅 2020年1月12日撮影)

 どちらも有名観光地(松島公園、大沼公園)の入口となる駅舎ですが、偶然か、それとも何か関係があるのか気になるところではあります。 さらに、同じ東北本線の白河駅も雰囲気が近いかも知れません。


(東北本線白河駅 2013年4月14日撮影)

 ところで、この(初代)松島駅の裏側にまわると、当然のことながら東北本線(旧線)の廃線跡があるわけで、見逃さないように確認してきました。 道路として転用された道に沿ってプラットホームと思われる部分もあり、北へと続く鉄路がここにあったことを感じさせました。 アインシュタインは100年前の今日、ここで下車して、駅の正面向いにあった大崎水電の電車に乗り込みます。

 …と思った瞬間、実は賢治もここに敷かれていたレールの上を何度となく通っていたはずで、それもまた感慨深いものでした。


((初代)松島駅舎ホーム側 2022年12月3日撮影)

 再び徒歩で愛宕駅に戻り、お隣にある松島駅まで列車に乗って移動です。 今の松島駅はきれいではありますが、初代の駅舎に比べて個性が感じられません。


(東北本線(現)松島駅 2022年12月3日撮影)

 ここからはタクシーで松島海岸に出ることにしました。 松島海岸へと続く道は、大崎水電の路線にもほぼ近いルートとなります。

 アインシュタインも進行方向左手の高城川の流れを見ながら松島へと向かったことでしょう。


(五大堂前停留所跡 2022年12月3日撮影)

 ここにレールが敷かれていて、つき当たりの「松島海鮮もり田」の場所に五大堂前の停留所がありました。 (古い資料でみると「もり田」の場所は郵便局となっています)

 五大堂前停留所への到着は16時ごろと推定されます。 ここで下車したアインシュタインは、地元の旅館経営者大宮司雅之輔(だいぐうじまさのすけ)氏の案内で付近を見学します。


(大正時代の松島 〜宿泊施設の建築を中心に〜)


(アインシュタインの訪れた松島(1922年12月3日))

 五大堂前から西へと歩いて白鴎楼(はくおうろう)の四阿(あずまや)に登り、そこで観月です。 アインシュタインが月を見て大変感激したことは、当時の新聞記事などからもうかがえます。 白鴎楼の四阿は、味処 南部屋の裏手の高台で、下からでも屋根が少しだけ見えます。


(白鴎楼の四阿 2022年12月3日撮影)

 アインシュタイン来訪関係の文献を見ると、その日は「十三夜」と書かれている資料もありますが、正しくは「十五夜」で、翌12月4日は満月でした。 16時頃の松島海岸到着ですから、白鴎楼に到着できたのが16時30分頃とすれば、ほぼ真東、高度は8度〜9度で、現在の松島センチュリーホテルの上辺りに月が出ていたはずです。 (参考:当時の松島における月出時刻15:43、日没16:06、天文薄明終了17:49)

 金子務『アインシュタイン・ショックA大正日本を揺るがせた四十三日間』(河出書房新社)にある「河北新報」の記事をもとにした記録では、次のように記されています。

「凍りかけた海岸の道を歩いて。 大宮司の案内で白鴎(はくおう)楼に上る。 四阿の細柱に倚りかかって、冷たく肌をさす汐風に打たれながら、一段と冴え渡る月の下に撒き散らされた島々の海を、感じいったようにアインシュタインは見入った。」(この感想について『河北新報』記事あり)
「ここから瑞巌寺に急ぐ。 山門を潜って右手の岩窟を覗いた。 寺の案内人が庫裏から持って来た懐中電灯で、闇の中の伊達政宗公の木造を照らして説明する。」 「博士は山門の美しい曲線を描く屋根の形にとくに興味を見せていた」

 私も少し休憩して、アインシュタイン同様に瑞巌寺方面へ。 工事中だった観月楼の覆いが取れて、昔ながらの姿を見ることができました。 明治の旅館建築です。


(観月楼 2022年12月3日撮影)

 観月楼の横を進んで山門をくぐり、(アインシュタインも見学した)右手の石窟を眺めながら少し散歩です。 石窟付近は最後の紅葉が見事でした。


(瑞巌寺にて 2022年12月3日撮影)

 瑞巌寺の拝観はせず、入口の手前で右手に進み住宅地にあるカフェ・アルバートにやってきました。 (「カフェ・アルバート」はこちら(Facebook)、 そしてこちら(Wix.com))


(カフェ・アルバートへの看板 2022年12月3日撮影)

 松島に撮影に寄るたび立ち寄っているカフェです。 お店の名前はアインシュタインに因んで「カフェ・アルバート」。 そして、マスターの櫻井さんは天文も好きで、天体写真や観測機材のお話もできます。 お話をしながらしばしお茶の時間です。


(カフェ・アルバートにて(1) 2022年12月3日撮影)


(カフェ・アルバートにて(2) 2022年12月3日撮影)

 入口横のアインシュタイン・コーナーでは、アインシュタインの書籍や松島来訪時の資料などが並べてあります。 (私の天体写真も飾って下さり感謝)

 今月10日には、ここで「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星の欠片を分析研究されている東北大学の中村智樹先生の講演会も予定されているそうです。

 コーヒーとお菓子で休憩したら、ちょうど暗くなってきて、アインシュタイン観月の頃(の時間)でしたので、お店を出て撮影開始です。 ちょうどカフェの佇まいがきれいでしたので、月(&木星)とカフェを1枚。


(アインシュタイン来訪100年 2022年12月3日撮影)

 海岸の方に出てみました。 松島湾の夕暮れがきれいでした。


(松島の月と五大堂 2022年12月3日撮影)

 海岸を移動しながらしばらく撮影を続けて、暗い夜道を松島海岸駅へ。


(ホテル大松荘駐車場 2022年12月3日撮影)

 途中、ホテル大松荘駐車場を1枚撮影。 観瀾亭の向いにある駐車場です。 ここは、アインシュタインたちが瑞巌寺を見学したあとで、最後に休憩をした松島ホテルがあった場所です。 先に引用した金子務『アインシュタイン・ショックA』に、松島ホテル以降、仙台までの様子が記されています。


(当時の松島ホテル(「仙臺文化」第4号より))

 松島ホテルの三階で、座布団を重ね、大仏のようにあぐらをかいて小憩する博士の姿と、その脇で、火鉢を手にあぶるいかつい顔の本多、銚子を持って・・・。」
 帰途の松島駅で寸暇を見て、ベルリンの友人宛に博士は絵葉書を送った。 仙台に戻ってから《物理学者らとホテルで夕食。詩人土井(晩翠)と知り合う。 ・・・夜、大学で感動的な歓迎。学生の集会、それから教授たちと》
 教授たちとの歓迎茶話会は、新しい工学部会議室で行われた。 中央に立つアインシュタイン博士に、小川総長やひときわ背の高いハンス・モーリッシュ博士らが列を作って握手を求める。」 (金子務『アインシュタイン・ショックA大正日本を揺るがせた四十三日間』(河出書房新社)より)

 記録を読むと、今日行ってきたあの(初代)松島駅で「ベルリンの友人宛に博士は絵葉書を送った」とありました。 これまでのスケジュールでは、買い物などしている時間もないように思われます。 松島でお土産として贈られた「松島」のカードを使って、取り急ぎ旅の近況を送ったのでしょうか…。

 そして、仙台ホテルでは、土井晩翠との出会いもあったようです。 宮沢賢治と土井晩翠と言えば、晩翠の『天地有情』収録の詩「星と花」と、賢治の童話「ひのきとひなげし」中における引用(少々ニュアンスは異なる)がよく知られています。

 アインシュタインがこの松島を離れたのは、17:50発の五大堂前発の路面電車でした。 私は松島海岸駅から仙石線でここを離れて、仙台に戻り、今夜は仙台泊です。

 100年前を生きているとすれば、先週の宮沢トシの死去と、今週のアインシュタインの仙台・松島訪問と、両方を現地で過ごすことで、二つの出来事の時間的な感覚が、自分の中で一つに繋がった週末でした。

12月4日(日)
 曇り。

 仙台滞在2日目はゆっくりして、午後遅くない新幹線で戻る予定です。

 仙台駅東口側は、駅前にあったヨドバシカメラマルチメディア仙台が、新店舗ヨドバシ仙台第1ビルとして来年4月に開業する予定でほぼ完成した(ように見える)ビルが目の前に建ち、景観が変わっていました。 (次写真では、画面の左側に新しいビルがあります)


(仙台駅東口側 2022年12月4日撮影)

 駅を通り抜けて、西口側へ。

 100年前の記録では、今日アインシュタインは仙台駅発8:20の列車に乗り、次の目的地日光へと移動します。 日光では、金谷ホテルに二泊。 中禅寺湖方面にも出かけていました。


(仙台駅西口側 2022年12月4日撮影)

 私の方は、駅近くの丸善書店に立寄って、賢治ゆかりの阿部写真館へ。 写真館の場所(移転)について、夏に「緑いろの通信」を見ていただいた方が実際に阿部写真館で確認された結果、「戦前と変わらず」ということが判明。 改めて、最近の外観を撮影してきました。


(阿部写真館 2022年12月4日撮影)


(阿部写真館で撮影された賢治と宮沢清六(『兄のトランク』より))

 続いて、昨日訪れた西公園にある源吾茶屋へ。 創業は明治元年で、アインシュタインが仙台市公会堂で講演するより以前からここで営業していました。


(源吾茶屋 2022年12月4日撮影)


(「お雑煮」冬限定 2022年12月4日撮影)

 西公園を少し歩いて、賢治が1928(昭和3)年6月上京時、6月7日仙台に立寄った際に見学した(書簡235)場所とされる東北産業博覧会会場(第二会場)跡地にも行ってみました。 今は、樹木と芝生の広場以外、何もありません。

 そこから、さらに歩いて、東北大学病院に行ってみました。 賢治の時代には、東北帝国大学医学部附属病院で、賢治の農学校時代の同僚、奥寺五郎が入院していた病院です。 結核を患い、1923(大正12)年12月に農学校を退職後に入院、翌年花巻に戻って、11月27日(妹トシの命日に同じ)に死去しています。


(東北大学病院 2022年12月4日撮影)

 ここから、最寄りの地下鉄駅まで歩いて、仙台駅まで。 新幹線で帰宅となりました。

12月5日(月)
 晴れ。

 昨日、カフェアルバートの櫻井さんから、「河北新報」の「100年前来日アインシュタイン」(2022年12月4日)の記事についてご連絡のをいただきました。 (「「松島の月」アインシュタインを魅了 来日から100年 日本滞在中、最も感動した景色か」はこちら(河北新報2022年12月4日))

 (事後掲載)その後、仙台の友人から「河北新報」を送ってもらいました。 かなり大きく紙面を割いての記事で、こちらは実際のアインシュタインが仙台を訪ねて以来のサイズと思いました。


(「河北新報」紙面 2022年12月10日撮影)

 よく調べられていて、いい記事になっていると思いました。

 今月初めに近くで行われていた「ラーメン屋→餃子屋」の謎のロケは、NHKのテレビドラマ「超人間要塞ヒロシ戦記」だったことが判明しました。 SFドラマでしょうか。 何れにしてもテレビは見ませんが…。 (「夜ドラ「超人間要塞ヒロシ戦記」制作開始のお知らせ」はこちら(NHK))

12月6日(火)
 晴れ。

 昨日、天文二誌を購入しました。


(天文二誌 2022年12月6日撮影)

 『天文ガイド』1月号は、特集が「2023年の天文現象」です。 例年、この時期にはお決まりですが、どの天文現象を選ぶのか、記事の執筆者により若干の異なりがあるので、その辺りを注意して読んでいます。 今年は新潟の沼澤さんと脇屋さんです。 手堅いところでは3月の金星食、4月の金環皆既日食(海外)、9月の1等星アンタレス食、10月の部分月食と、12月のベテルギウス食(海外)いったところ。 撮影機材では、F1.4レンズの特集、BOOKGUIDEでは、谷口さんの『天文学者とめぐる宮沢賢治の宇宙』があります。

 『星ナビ』1月号は「星のゆく年くる年」が特集記事で、来年の記事だけでなく、今年の天文ニュースを総括する記事です。 2冊とも小冊子がついています(「天ガ」誌は「2023 ASTRO CALENDER」、「星ナビ」誌は「星空ハンドブック2023」です。 写真中心は前者、情報中心は後者です。

12月7日(水)
 晴れ。

 残業の夜。 月が大きく明るくなっていました。 明日は満月。 ということは月食からもう一か月!

 抱影『星三百六十五夜冬』(中公文庫)の今日、12月7日の記事も月を交えたお話。 「月畢に宿る」です。 中国の星座、すなわち星宿の一つ畢宿を取り上げたもので、詩経からの引用で始まります。

 漸々の石維れそれ卒(けわ)し、山川悠(はる)かに遠し、いつかそれ没(つ)きなむ、武人東征(ゆ)いて他に遑(いとま)あらず。
 豕あり白き蹄(ひづめ)ありて、もろもろ波を渉る。 月畢(ひつ)に離(かか)りて滂沱(ぼうだ)たらしめんとす。 武人東を征いて他に遑あらず。

 畢宿はおうし座のヒアデス(ヒヤデス)星団を指しますが、中国の句に由来する(月が畢宿にかかると雨)が、江戸時代の日本にも見出されて面白いという話題。


(2023年1月3日20時のおうし座)

 次に月が「畢」に近づくのは、来年1月3日頃です。

12月8日(木)
 晴れ。

 今日はジョン・レノンの命日。 あの日、バイト先で「ジョン・レノン死んだの知ってる?」と言われた。 にわかに信じられないと思ったけれど、冗談でも、嘘でもなく本当だった。 あの日から42年。

 例年(邦題で)「ジョンの魂」とか「心の壁、愛の橋」を聴いて過ごすのが多いですが、今年はジョン・レノンの未収録テイクを集めた5枚組ボックス・セットからの編集盤 Wonsaponatimeを聴いて42年目の命日としたいと思います。


(ジョン・レノン Wonsaponatime)

 1998年のリリース。 4枚組の方もありますが、結局こちらの方を聴いてしまうことが多いので、今晩もこちらで。 Nobody Loves You (When You're Down and Out)、Grow Old With Meなど良し。

1 I'm Losing You
2 Working Class Hero
3 God
4 How Do You Sleep
5 Imagine
6 Baby Please Don't Go
7 Oh My Love
8 God Save Oz
9 I Found Out
10 Woman Is The Nigger of the World
11 A Kiss Is Just A Kiss
12 Be Bop A Lula
13 Rip It Up/Ready Teddy
14 What You Got
15 Nobody Loves You When You're Down And Out
16 I Don't Wanna Face It
17 Real Love
18 Only You
19 Grow Old With Me
20 Sean's "In The Sky"
21 Serve Yourself

12月9日(金)
 晴れ。

 明け方の月を眺めながらの出勤。


(2022年12月9日午前7時の月)

 旧暦11月16日、月齢15.0の月でした。 月没時刻は7時34分。

12月10日(土)
 晴れ。

 自宅の部屋に籠って作業。

 調べものをしていて、1958年刊行の草下英明『天文 星空の散歩』(ダヴィッド社)を再読。 今から58年前の著書です。 大半が、毎月の星座に関する話題で、読みなれた星空案内的な文章が続きます。 ところが、最後の「☆天文夜話★」は、小論、あるいはエッセイの類で、これがなかなか面白く、ふと思い出したことがあって再読してみました。


(『天文 星空の散歩』 2022年12月10日撮影)

 「天文夜話」は全6編です。 目次から題名を拾うと「漂民の見たプラネタリウム」「占星術の話」「宇宙開発株式会社」「西郷星今昔」「ガリレオからパロマまで」「入定星伝説」となります。

 後の刊行物に掲載された記事もあるなかで、ここにしかないエッセイ「宇宙開発株式会社」が、記憶の中で時々甦ることがあったのです。 実はこの文章は、草下さんご自身のものではなく、アンドレイ・クザコフ(フランス国籍のロシア人)という方が「ソ連の人工衛星成功のずっと以前に書かれたもの」だそうで、届けられた「星の中へ」という文をダイジェストしたものとあります。

 話題は「宇宙開発株式会社」という架空の会社の事業、「宇宙旅行」「人工衛星」「宇宙資源の開発」に関するものです。 「宇宙旅行」に関する部分を少し引用してみましょう。

 それでは、私が「宇宙旅行も、もうかるのだ」という二、三のヒントを与えて、実業家を動かしてあげようか。 いや、むしろ、各国の宇宙旅行研究家のために「宇宙旅行も、もうかるのだという研究をして見給え」というサジェストの方が穏当でよいだろう。 第一、これから説明することは、月世界などという遠い所まで行く必要はないのだ。 地球の大気の外にちょっと出ただけで、すぐにも実行できる事業なのである。

(略)イギリスのA・C・クラークは、地球の赤道上空二万二千マイルに二十四時間で一公転する反射人工衛星を等間隔に三個配置することによって、全世界にラジオ及びテレビジョン網を敷くことができると提案している。

(略)さしずめ、人工衛星を発射できるような富んだ国が得をする。 アメリカやソ連のような大国が宇宙空間を先占してしまう。 人類が何千年もかかって解決できていない不平等や差別待遇を、今度は国家間で宇宙に持ち越すのである。

 本文、最後には宇宙空間を取り締まる必要性を説いて、それが確立されるのは「地球上の人類に、不幸にして大きな、ある傾向への淘汰が行われて、世界政府的な規模の機関ができあがってから後のことになるであろう。 そこまで行かなければ、人類は気がつかないはずである。」と締めくくっています。  近年、民間による宇宙旅行、衛星を利用したネットワーク、宇宙資源の独占化など、それぞれが現実のものとなってきましたが、人工衛星の成功以前、まだアメリカのアポロ計画が、月に人類を到達させる10年以上も前の文章です。

12月11日(日)
 晴れ。

 自宅の部屋に籠って作業。

 ちょっと東京。

12月12日(月)
 晴れ。

 移動中の読書は、上原巌『ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森』(全国林業改良普及協会)。


(『ジョン・レノンが愛した森…』 2022年12月12日撮影)

 著者は、森林療法の実践と研究者です。 「著名人の森林保養」として、書名にもあるジョン・レノン、夏名漱石、ほかに堀辰雄、神谷美恵子、津村信夫、ベートーベン、A.A.ミルン、ワーズワースらの「森」との関わりが紹介されています。

 そして、原稿作業が続く。

12月13日(火)
 晴れ。

 自宅の所用。

 夜は、ふたご座流星群極大の頃。 明日の明け方にかけてが好条件でしょうか。


(2022年12月13日20時の東空(ふたご群の放射点))

 夏のペルセ群の頃とは違い、冬のふたご座流星群(12月)、しぶんぎ座流星群(1月)の観察は、寒さとのたたかいです。

 音楽誌のビートルズ特集は本当に多いですね。 「ギターマガジン」の2023年1月号はリボルバーのギターサウンドを取り上げたもの。

 いつものようにリフやイントロのフレーズなどを抜き出しての解説。


(「ギターマガジン」2023年1月号)

12月14日(水)
 晴れ。

 原稿の追い込み。 寝る前には撮影機材のメンテナンス。


(原稿作業 写真は事後のものから)

12月15日(木)
 晴れ。

 このところずっと晴れ

 日々、帰宅時に火星を見ていると、暗くなったことがわかります。

12月16日(金)
 晴れ。

 天文教育普及研究会より『第36回天文教育研究会(2022年日本天文教育普及研究会年会)集録』(今年度の開催地はキャンパスプラザ京都+Zoom(ハイブリッド形式))及び、会報「天文教育 2022年11月号」が届きました。

 研究収録の方では、宮沢賢治関係として、奥州宇宙遊学館の亀谷収「宮澤賢治の作品「双子の星」の候補星と実際の3次元位置について」の記事がありました。 作品研究とは直接関係ありませんが、双子の星のモデルとされる候補を挙げ、モデルの一つ、さそり座の尾部にある二重星の位置関係を調べるというものです。


(『集録』と「会報」 2022年12月16日撮影)

 なかなか年会には出られないので研究発表会に出かけられないので、例年発行される集録を読むのが楽しみです。

12月17日(土)
 雨。

 自宅で作業(原稿)及び資料。

 来年の干支は。 星座にも「うさぎ座」があります。 冬の星座で、ちょうど見頃の時期となっています。 有名なオリオン座のすぐ近く、というより真下に位置していますので、セットで覚えるといいでしょう。 但し、暗い星が多いので、闇夜のうさぎを捕まえるのは少し大変かも知れません。

 …ということで、野尻抱影初(1925年11月発行)の本格的天文啓蒙書『星座巡禮』(研究社)から、「兎(レープス)座(Lepus)」を引用しておきましょう。


(『星座巡礼』 2022年12月17日撮影)

   (レープス) (Lepus)

 オリオン座の南下に在る、其の名の示すやうな可愛らしい星座で、αのアルネブ(Arneb)β(各三等星)γδ(各四等星)で四邊形を造つてゐます。 此の星座で、オリオン座のリゲルの下あたりに、肉眼では覺束無い星がありますが、その色が餘りに紅い爲に、或る天文學者は「血の滴り」に譬へました。 αγは重星で、特に後者はオペラグラスでも見分けられます。

 神 話 オリオンの獵り立てゝゐる兎で、大犬シリウスに追はれている姿になつてゐます。 波斯(ペルシア)と埃及の動物圏の圖には、此の兎はオリオンが現してゐる巨人が踏まへてゐる蛇になつてゐて、人類の怨敵征服を意味してゐた相です。


(「一月の星(星座図)」 2022年12月17日撮影)

 実際の星空の配置で見ておきましょう。 この図でみれば、うさぎ座の位置がよくわかるかと思います。 (オリオンの踏み台状態!)


(オリオン座とうさぎ座)

12月18日(日)
 晴れ。

 都内へ。 東京駅前のオアゾへ。 ランチ後に買い物など。 クリスマスも近づいて人出は多め。


(オアゾから東京駅を望む 2022年12月18日撮影)

12月19日(月)
 晴れ。

 元Tスクエアの和泉宏隆のソロを聴く。 ベスト盤のコンプリート・ピアノ・ワークスT〜Vが生前の発売。 没後の作品集としてWが発売となりました。


(コンプリート・ピアノ・ワークスW 2022年12月19日撮影)

 ソロ名義のアルバムのナンバーが中心で、ライブハウスでの演奏(オリジナルとは別テイク)が數多く含まれています。

12月20日(火)
 晴れ。

 ジュリアン・レノンの「イマジン」をダウンロードして聴いてみました。 ギター弾き語りで、ミニアルバムとしては、先に発売されたアルバム「ジュード」からEvery Little Moment、Freedomも収録されています。


(ミニアルバム「イマジン」)

12月21日(水)
 晴れ。

 世の中はクリスマス気分。 しかし、地味さも感じられるところ。 そういう時代。

 電車やバスのインフラが縮小したり、商店の消滅が著しい。 人口の増えているつくばでさえそうなのだから、地方の状況は相当深刻なはず。

 リマスターの「リボルバー」が発売されて以降、それを取り上げた出版物が多数出回っています。 ビートルズのアルバムを紹介している「…and THE BEATLES」(CDジャーナル別冊)シリーズのVol.4「REVOLVER」を読んでみました。


(「REVOLVER」 2022年12月19日撮影)

 ビートルズの魅力を深堀りするシリーズだけあって、割と濃いめの記事が多くて面白く読み終えました。 アルバムとは関係のない記事でしたが「〈特別企画〉EMIスタジオのレコーディング・スタッフが関わった100枚」が良かった。

クリス・トーマス
・サディスティック・ミカ・バンド「黒船」

フィル・スペクター
・ジョージ・ハリスン「オール・シングス・マスト・パス」
・ジョン・レノン「イマジン」

マイク・リーンダー
・ジェイムス・テイラー「ジェイムス・テイラー」
・パーシー“スリルズ”スリリトン「スリリトン〜ポール・マッカートニー『RAM』オーケストラ・バージョン」
・メリー・ホプキン「大地の歌」

ノーマン・スミス
・ピンク・フロイド「夜明けの口笛吹き」

ジェフ・エメリック
・ポール・マッカートニー&ウイングス「バンド・オン・ザ・ラン」

トニー・クラーク
・ムーディー・ブルース「セブンス・ソジャーン」
・ポール・マッカートニー&ウイングス「ウイングス・ワイルド・ライフ」
・オリビア・ニュートン・ジョン「水の中の妖精」

ケン・スコット
・エルトン・ジョン「マッドマン」
・デヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」
・ニルソン「シュミルソン2世」
フィル・マクドナルド
・ヨーコ・オノ「フライ」
・ロイ・オービソン「ミステリー・ガール」

マルコム・アデイ
・ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「アー・ユー・エクスペリエンスト?」
・ロイ・オービソン「ミステリー・ガール」

グリン・ジョンズ
・ビリー・プレストン「神の掟」
・ザ・ローリング・ストーンズ「サタニック・マジェスティーズ」
・レッド・ツェッペリン「レッド・ツェッペリン」
・イーグルス「イーグルス」
・エリック・クラプトン「スロー・ハンド」

アラン・パーソンズ
・ポール・マッカートニー&ウイングス「レッド・ローズ・スピードウェイ」
・ピンク・フロイド「狂気」

 いかにアビーロード・スタジオのスタッフが優れていたのかよくわかります。 70年代〜80年代にかけてのロック名盤の数々を手掛けていました。

12月22日(木)
 雨のち曇り。

 今日は新月となる日。 旧暦の12月(師走)1日。

 つくば星の会から「星空つくば」(第389号 2022年12月18日号)が届きました。


(「星空つくば」 2022年12月22日撮影)

 会員による、「それぞれの皆既月食」(2022年11月8日)のレポートが報告されました。 第469回例会レポート。

12月23日(金)
 晴れ。

 遅くなって帰宅後、継続案件。

 原稿書きの過程で宮城一男さんの著書を何冊も読みました。 宮城さんの本は、数年ぶりに読むものばかりでしたが、読みやすいものが多いですね。 写真は、『宮沢賢治 地学と文学のはざま』(玉川大学出版部1977・4)


(「宮沢賢治 地学と文学のはざま」 2022年12月23日撮影)

12月24日(土)
 晴れ。

 自宅で作業。

 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日のテーマは「六郎と狐」です。 七里ヶ浜の夜のお話。 深夜、十三夜の月明かりの晩の出来事。

 原稿のとりまとめ。 作業を終えて寝る前に気分転換に原作宮沢賢治『シナリオ童話「銀河鉄道の夜」』(新風舎2004・5)のページをめくりながらお茶の時間です。 表紙絵がいいですね。


(『シナリオ童話「銀河鉄道の夜」』 2022年12月24日撮影)

 秋田のわらび座公演「ミュージカル「銀河鉄道の夜」」の脚本です。 初演時に田沢湖まで観にでかけました。 脚本は市川森一、絵は朝倉摂さんで、魅力的な本になっています。

 少し前に、NHKの番組「日曜美術館」で「朝倉摂がいた時代」が取り上げられていましたね。 番組では、展覧会が行われていた福島県立美術館で、渡辺えりさんが役者として出演されていたそうです。

12月25日(日)
 クリスマス。晴れ。

 スケジュールの合間を見て外出。 風もなくいいお天気。

 ジョン・レノンの伝記映画「ジョン・レノン〜音楽で世界を変えた男の真実〜」を鑑賞。 場所は池袋駅近くのシネマ・ロサという小劇場。 ビートルズが結成される前のエピソードを中心としたドキュメンタリー。 リバプールの友人たちの思い出話は、ジョンへの愛情が感じられるものでした。 (「ジョン・レノン?音楽で世界を変えた男の真実?」はこちら


(ジョン・レノン〜音楽で世界を変えた男の真実〜 SEIS Productions Limited)

 今のクオリーメンの演奏もあったりして…。 鑑賞後、パンフレットを購入してきました。


(パンフレット&上映チラシ 2022年12月25日撮影)

 帰宅後、引き続き原稿作業。

12月26日(月)
 晴れ。

 いよいよ年末。 今週で今年もおしまい。

 原稿と年末年始の資料完成。

 渡辺えり子さん(脚本執筆当時の名)の『光る時間(とき)/月夜の道化師』(ハヤカワ演劇文庫2007・11)を読む。


(『光る時間』ほか 2022年12月26日撮影)

 渡辺えりさんの父正治さんの戦時中勤めていた中島飛行機での体験が元になった脚本です。 解説はジャーナリスト筑紫哲也さん。

12月27日(火)
 晴れ。

 来年の天文現象など確認しつつ年末年始の準備。

 ポールマッカートニー(ビートルズ)の海賊盤新譜「Listen to This Mr.B」を聴く。 最近の海賊盤は、販売のプラットフォームがネット販売になってしまったので、控えめ感がないですね。

 ポールのベース演奏の名演を集めたCDです。 イコライザーを駆使して、ベース音が強調されたミキシングになっています。


(「Listen to This Mr.B」 2022年12月27日撮影)

 選曲はビートルズ前期〜中期の活動分まで。 ベースの名曲サムシングもないし、後期に特化した続編が出るかも知れません。

12月28日(水)
 晴れ。

 夜は年末年始の準備など。 ここ数年で最大の忙しさ。

12月29日(木)
 晴れ。

 午前0時を過ぎて、12月29日となりました。 今日を入れて、あと3日で今年もおしまいです。

 さて、ことしも「賢治の年賀状」のこと、恒例の「再掲」です。 賢治の年賀状の挨拶は「明けまして…、謹賀…、賀正」などいろいろとありますが、どうだったのでしょうか。 その辺りをまとめたものです。 資料をアップデートしたい箇所もあるのですが・・・、以下緑いろの通信(2007年1月1日号)より。

 新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。 年賀状の挨拶文には、「謹賀新年」「賀正」「新春」などいろいろありますが、賢治についてはどうだったのでしょうか? 賢治の年賀状(新年の挨拶を含む書状含む。)について調べてみました。 差出先の不明な書簡を含めれば500通以上、その全体数からすればごく僅かですが、抜き出してその傾向をみてみました。 その結果は以下のとおりです。

賢治の年賀状
番号
日付
挨拶文
宛先
メモ
0
19100101謹賀新年安原清治葉書
2
19110101謹賀新年吉田豊治葉書
3
19120101恭賀新年吉田豊治葉書
13
19160101何んにも無い。みんな何でもないさうな。高橋秀松葉書
25
19170101去年中はいろいろ御世話になりましてありがたう存じます。保阪嘉内葉書
41
19180101謹賀新年保阪嘉内葉書
199a
19220101謹賀新年藤原隆人葉書
253
19300101謹賀新年冨手一葉書
290
19310101謹賀新年母木光葉書
291
19310101謹賀新正菊池武雄葉書
438
19330101謹賀新正浅沼政規葉書
439
19330101謹賀新正河本義行葉書
440
19330101謹賀新年菊池信一葉書
441
19330101謹賀新正高知尾智耀葉書
442
10330101謹賀新正母木光葉書
442a
19330101謹賀新年高橋忠治葉書
442b
19330101謹賀新年・・・藤島準八葉書
442c
19330101謹賀新正伊藤与蔵葉書
443
19330103明けましておめでたう存じます。斎藤貞一葉書
445
19330107明けましておめでたう存じます。菊池武雄封書・礼状冒頭の挨拶
446
19330116新年おめでたう存じます。詩人時代社(吉野信夫)封書・冒頭の挨拶

 まず、時期を見ると、1933(昭和8)年のものが圧倒的に多いことがわかります。 これは、賢治が亡くなった年であり、そのことが保存される動機付けとなったのかも知れません。 実際には、他の年にも書かれていたのではないかと思います。 表の「番号」とは整理上つけた書簡番号です。 全集編纂時に一度確定させた後、後から発見されたものに対しては a b c と枝番号のようにアルファベットが記載されています。 これは、その都度書簡番号をつけ直すと、取り扱い上混乱するためです。)

 次に、挨拶文の種類です。 一番多いのが「謹賀新年」で9通(書き出し文含む。)です。 次には「謹賀新正」で6通あり、時期をみると資料の上では、1931(昭和6)年以降に限られています。 そして「明けましておめでたう存じます。」が2通と続きます。 一般的な挨拶文としては「恭賀新年」「新年おめでたう存じます。」も該当しますが各1通に留まります。

 差出先では同一人物なのは「吉田豊治」「保阪嘉内」「母木光」「菊池武雄」の4氏で、各2通です。 その他、書簡13高橋秀松宛では年を誤り、書簡25保阪嘉内宛では名前を「保坂」と誤って書いています。 書簡446は、出版社への連絡事項の書き出しとして新年の挨拶を入れているため、1月16日という遅い日付になっています。 また、上記の表には入れませんでしたが、新年の挨拶文の他に記した内容としては、前年の礼、自身の病状の報告が多いようです。

 次の写真は、2022年1月1日早朝、ご来光前の様子を写した1枚です。 ご来光の直前、空の雲がオレンジ色に輝き、一足先に太陽光に輝き始めました。 濃紺の青空と鮮やかな雲の光は、往年のフィルムカメラ(ポジフィルム)で撮影したイメージと重なります。 ポジフィルムは、露出オーバーに弱く、アンダーに撮る必要があったので、このようなバランスにせざるを得ない事情がありました。

 今年の雪山はどのような景色をせてくれるでしょうか。 みなさんも良き新年をお迎えください。




「この1年お世話になりました」


(ここからは1月4日の事後更新分です)

12月30日(金)
 曇りのち晴れ。

 早朝の新宿駅発の特急で上諏訪駅へ。 都内は曇り。 車窓の風景も暗め。


(中央線車窓風景 2022年12月30日撮影)

 山梨県の甲府駅に到着する頃にはすっかり晴れて、長野県内はいいお天気でした。 上諏訪駅で下車。 お決まりの諏訪湖畔の温泉宿に荷物を預けて、これまたお決まりの蕎麦屋(小坂)へ。


(年越しそば 2022年12月30日撮影)

 早く並んだおかげで、すぐに注文できました。 天ぷらもお蕎麦も良し。

 昨年とは異なる地元のカフェへ。 旧甲州街道沿いのお店でお茶の時間。


(アンティークなカフェにて 2022年12月30日撮影)

 現地のお店で夕食後、温泉宿に戻り明日からの登山の準備。 メールをチェックしていたら、藤井旭さんの訃報。 急な出来事で、連絡をくれた知人も驚いていました。 年齢のことを考えると、あまりにもお仕事がハードなのは承知していたところですが、いつまでもお元気なイメージがあって、一瞬理解できない気持ちと残念な気持ちが同時にやってきました。

12月31日(土)
 晴れ。

 大晦日。 今年の最終日。 山での年越し5年目となります。

 今年は時間を繰り下げて8時に宿を出発。 宿の近くから、穂高(前穂高岳、涸沢岳、北穂高岳)の真っ白な山々が遠望できました。


(諏訪湖と穂高の山々 2022年12月30日撮影)

 白駒池に通じる国道の入口(冬期閉鎖のゲートまで)まで送っていただき、山小屋の方の応援で白駒池駐車場登山口まで移動。 (非常に助かりました)

 途中の展望台では小休憩。 正面に御岳山、北アルプスの山々も立山方面までくっきりと眺めることができました。 昨年は雪の降る中を歩いてきましたが、今年は暑いくらいの好天気です。

 山小屋に到着。 小屋前でアイゼンを外し、ストックや登山靴に着いた雪を落として、薪ストーブで暖まった小屋内に入ります。 昨年に引き続き、コロナの影響で宿泊人数の制限をしているので、ゆったり。 昼食と食後のコーヒーでのんびり。

 小屋の裏手にある高見石に登り、周囲を見回してみました。


(高見石の上へ 2022年12月31日撮影)

 例年やってくる常連の方々とも再会。 皆さんお元気そうで何よりです。

 小屋前で、今年最後の夕陽を眺めました。 樹々に間から太陽の光が差し込みます。


(日没前 2022年12月31日撮影)


(日没後 2022年12月31日撮影)

 夕食後の時間。 外は雪が降り始めました。 木村さんが液晶プロジェクタを投影しながら星のお話。 (私も「年越しそば」の時間まで「来年の天文現象」などの話をしました) 年越しということで、普段より消灯時刻を繰り下げています。

 深夜、就寝の時刻となりました。 ではまた来年!



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緑いろの通信

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