緑いろの通信 2021年2月
   

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緑いろの通信
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- 緑いろの通信 2021年2月 目次 -


緑いろの通信

 「緑いろの通信」へようこそ! 2021年2月号をアップしました。 今月の写真は、1921(大正10)年1月の宮沢賢治出京(花巻駅出発)からちょうど100年後、2021年1月23日17時12分を撮影した駅舎の時計です。 「その日」から地球が太陽のまわりを100回めぐった日です。 今月もまたよろしくお願いいたします。




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 新着情報でも更新ページを知ることができますが、少し紹介を加えたりしてプラス・アルファの書き込みです。 日付を付けて書き加えますので、時々のぞいてみてください。


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2月1日(月)
 晴れ。

 今月の写真の拡大版です。


(今月の写真(拡大版))

 今年になって実感もないままに2月になってしまいました。 年末から部屋の荷物の整理が続いています。


(星座の本 2021年2月1日)

 賢治の本は論外として、一番多いのは天文・宇宙関係のものです。 分野としては、一番が星座関係(研究書、画集、写真集、洋書、図録、雑誌)で、次が月に関するものでしょうか。 星座の本は小学生の頃から野尻抱影、山本一清、藤井旭、山田卓、斉田博…と親しんできましたが、中でも原恵『星座の神話−星座史と星名の意味−』(恒星社)は、アレンの本と共に何度も読みボロボロ。 (新装改訂版が1996年に刊行された際にも真っ先に読みました)

 著者の原恵さんとはたった一度しかお話しする機会はありませんでしたが、あの独特で紳士的な感じが忘れられません。 最近では近藤二郎さんの著書がいいですね。

2月2日(火)
 曇りのち晴れ。

 自宅の用事など。

 天文教育普及研究会の会報『天文教育』2021年1月号が届きました。 2030年6月の北海道金環日食の関連記事など。 長野高専の大西浩次さんの記事もありました。


(『天文教育』 2021年2月2日撮影)

 2030年6月1日(土)の金環日食について調べてみました。 国内でも各地で見られた2012年5月20日の金環日食の1サロス後の日食です。


(NASAの日食地図による2030年6月1日の金環日食)

 日食帯は北アフリカから始まり、地中海を横断して黒海、ロシア大陸を経て北海道まで続いています。


(エクリプスナビゲータによる金環食帯)

 北海道を横断する金環食帯(中心線)は、美唄〜富良野盆地や帯広の南側を通過しています。 広い範囲で見ることができるものです。

 札幌での食の最大は16時56分で、中心線から少しずれているため、完全なリングにはなりません。 金環となる継続時間(第2接触〜第3接触までの間)は4分16.8秒です。


(札幌における最大食分時の太陽)

 今から9年後。 見ることができるでしょうか。

2月3日(水)
 晴れ。

 今日は節分です。 ということは、明日が立春ですね。 暦のお話でいえば、来年2022年の暦要項が2月1日に発表されました。 (「令和4年(2022)暦要項」はこちら(国立天文台))

 来年の国民の祝日などが正式に発表されるもので、カレンダーの業者は、この暦要項をもとに作成することになります。 公表されるデータは全5ページで、内容は以下のとおりです。

 P1 「国民の祝日」「日曜表」
 P2 「二十四節気および雑節」
 P3 「朔弦望」
 P4 「東京の日出入」
 P5 「日食・月食など」

 天文趣味的には「朔弦望」「日食・月食など」が気になるところです。 「朔弦望」で月の満ち欠けの状況がわかりますが、新月(朔)の時期を見ると、年当初では月の初め、年末では月の下旬へと次第に早まります。

 日食・月食では、それぞれ2回ありますが、日本から見られるのは11月8日(火)の皆既月食となります。 この皆既月食では、なんと皆既中の月が天王星を隠すというダブルの現象で、月の明かりが眩しくないこともあり、天王星が隠され、そして出現する様子を楽しめる貴重な機会となることでしょう。 (このことは暦要項には書かれていません。念のため。)


(2022年11月8日皆既月食中の天王星食)

2月4日(木)
 晴れ。

 天文誌の新刊など。 天文2誌『星ナビ』『天文ガイド』を購入。


(天文2誌 2021年2月4日撮影)

 『星ナビ』2021年3月号は、特集が天体写真専用の画像処理ソフト「ステライメージ9」の記事など。 機材、天体写真関連記事多め。 『天文ガイド』2021年3月号は、「藤井旭が選ぶ「今冬の天文現象アルバム」」と昨年12月の南米皆既日食の記事など。 勝野源太郎さんのブックガイド記事は今年も健在。 小惑星ガイドの「新たな小惑星命名」では、渡部満里奈((46592)Marinawatanabe)の命名が記事となっていました。 発見は芸西観測所の関勉さん。 紹介記事は福島の大野裕明さん。

2月5日(金)
 晴れ。

 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日2月5日の記事は「黄道光」です。

 天の川の存在をとうに忘れてしまった東京の空である。 まして早春の黄道光となると、天文仲間が時に思い出すだけになった。

 このような書出しで始まる短いエッセイですが、戦前のこと、赤道付近で見る黄道光の話題に続いて、ゴリラ・ハンターのデュ・シェイリュ(Paul Du Chaillu)のアフリカの思い出を書いたという銅版画入りの本にある黄道光についても言及がありました。 (アフリカでの黄道光が美しいお話は、草下英明「X字の天の川」にも「ケニアのルドルフ湖畔で見た黄道光と天の川」の図版が掲載されています。(『宮沢賢治の星』(學藝書林)所収))

 抱影は、これにフランマリオンの本で「日本の黄道光」が紹介されているが、実はペリー提督の『東方紀行』第3巻にミシシッピー号に同乗してきたというG・T・ジョーンズが日本の黄道光の観測図を満載しているのを焼き直したというお話で締めくくり。

 フランマリオン(Nicolas Camille Flammarion)といえば、1910年5月にハレー彗星が接近した際に、有毒ガス(シアン)を含む尾に包まれることを発表した人物です。 これは日本の新聞紙上でも取り上げられました。 (「ペリー艦隊日本遠征記」はこちら(東京大学附属図書館)リンク先の図版にジョージ・ジョーンズの観測した図版が掲載されています。)

 黄道光は、賢治関係では「X字の天の川」のほか斉藤宗次郎の日記などにも記載があります。

2月6日(土)
 晴れ。

 この週末も自宅で作業など。 鞄に入れて持ち歩きながら読んだ本2冊(復本一郎編『子規紀行文集』(岩波文庫)、正岡子規著・柳生四郎解説『水戸紀行』(筑波書林))、再読完了。


(再読2誌 2021年2月6日撮影)

 「水戸紀行」は水戸までの徒歩旅行記で、地元だけに何度読んでも楽しい。 柳生四郎解説『水戸紀行』(筑波書林)の解説は非常に良く書かれていて、刊行された1979年だからこそ取材できた聞き書きなどもあり、貴重。 期待してきた土浦の町でひどい目にあい、「無礼な町」として失望するところがなんとも言えません。 目的地の水戸に着けば、訪ねた学生時代の友人(菊池仙湖=菊池謙二郎)があいにくの不在。 散々な旅でした。

2月7日(日)
 晴れ。

 今日もいいお天気。 渡辺えりさんからご案内をいただいた新橋演舞場公演(喜劇 お染与太郎珍道中)へ。 すごくいい席を予約いただきました。 今回は宇梶さんも出演されています。


(新橋演舞場 2021年2月7日撮影)

 次の写真は前半が終わっての休憩時間。 2階に上がって舞台方面を撮影しました。 日本画家、松尾敏男(1926〜2016)による「黎明富士」の緞帳が見事です。


(新橋演舞場観客席 2021年2月7日撮影)

 大衆演劇で、お笑い的要素が多数、良き気分転換となりました。 コロナ対応で座席をガラガラにしているので、興行として成り立つかどうか不安になるレベルでした。 今回は終演後に楽屋にも寄れないので、えりさんにメールで感想の報告。 宇梶さんともお会いしたかった。 東京公演のあとは、京都(南座)公演となります。 早くコロナのない状態に戻りたい。

 宮沢賢治が1928(昭和3)年6月の上京で、15日にあるメモ「新演」がここ新橋演舞場であるとされています。 賢治ゆかりの場所でもあります。

2月8日(月)
 晴れ。

 このところ、日が暮れて早々にオリオン座が西空にまわる季節となりました。 オリオンを取り上げた賢治の歌稿については、過去に「緑いろの通信」でも何度か取り上げてきましたが、通常の星座の知識から離れて賢治独自のユニークな解釈をしている面白い事例となりますので、再掲しておきましょう。 掲載の【図1】【図2】は、今回新たに追加したものです。 (以下、「緑いろの通信2007年3月19日号)より)

 青空が続く。 もうオリオン座もだいぶ西の空にめぐってきたようです。 賢治の中にもオリオン座を取り上げた短歌がいくつかありますが、ちょうど今頃の「見え方」を象徴的に詠っている作品があります。

 歌稿〔A〕大正五年十月中旬より 409

  オリオンは西に移りてさかだちしほのぼののぼるまだきのいのり

 歌稿〔B〕大正五年十月より 409

  オリオンは
  西に移りてさかだちし
  ほのぼののぼるまだきのいのり。

 季節は秋、賢治の見た風景は明け方近くのオリオン座です。 秋のオリオン座は夜半遅くに姿を現して、西の空に傾いて懸かる頃薄明となります。 賢治はそんなオリオン座を「さかだち」した姿と捉えています。

 本来、逆立ちしたオリオン座は、南半球の名物であって、北半球から眺めることは不可能です。 賢治の感性では「さかだち」なのですが、その理由は次のようなものではないでしょうか。 オリオン座は、東空から南中するまで、勢いよく(駆け上る)ように感じられますが、南天を過ぎるとこそこそと逃げるように西空へと向います。 その向きのイメージそのものを「さかだち」という表現を用いて詠んだのです。【図2】


(【図1】昇るオリオン)


(【図2】沈むオリオン)


 【図1】【図2】の星座絵は、フラムスティード星図の星座絵図をもとに、藤井旭さんがイラスト化させたものです。 オリオン座は、中央に三つ星があり、ほぼ上下対称にそれぞれ二つの星が並ぶ単純な配列と考えれば、「さかだち」したように思われるのも納得できるところです。

 よく、賢治の「星めぐりの歌」の冒頭の「あかいめだまの さそり」について、あれは赤い星アンタレスで、星座上はさそりの心臓のはずが「めだま」ではおかしいことが指摘されます。 草下英明さんの本にあるとおり、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(警醒社)では「眼玉」と書かれているので、賢治はその知識をもとに書いたのではないかとする説明があります。 (しかし、時期的には『肉眼に見える星の研究』刊行が後のこととされます。)

 多くの解説本を読むと、このような議論があるなかで(実はそこで思考停止されるものが大半ですが)同じ「星めぐりの歌」にある「あをいめだまの こいぬ」に関しては、こいぬ座のプロキオンがなぜ「めだま」なのか、の方は本気で論じられることもなく、スルーされています。 むしろこちらも同等に検討が行われるべきで、その鍵になるのは、賢治の天文学の知識と同等に、賢治自身の想像力の傾向の理解にあると考えています。

 例えば、初期の短歌「西ぞらの黄金(きん)の一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり」(歌稿〔A〕明治四十四年一月より 69)では、宵の明星が「一つめ」のモチーフとなっています。 光る星を一般的に「眼」とする発想が賢治にはそもそもあったということです。

 このように、賢治の想像力に基づく創作がどのようなものなのか。 天文学の知識に加えて、想像力の傾向を理解する試みが必要ではないでしょうか。

2月9日(火)
 晴れ。

 野尻抱影『星三百六十五夜冬』(中公文庫)の今日2月9日は「オリオン星群」というテーマです。 しばしば星空との感傷的な体験、あるいは文学的な作品の解説などをテーマとすることが多いなかで、今日は物理学的視点からのお話です。 オリオン座全体を覆いつくすような星雲群は、科学的にもアートとしても非常に魅力的な存在ですが、抱影の時代からその研究は始まっていて、昨今の成果には本当に驚くべきものがあります。

 『星ナビ』2021年2月号の特集もそんな記事でした。


(『星ナビ』と… 2021年2月9日撮影)

 オリオン座の大星雲で思い出されるのが、ロバート・オデール『オリオン星雲−星が生まれるところ』(恒星社厚生閣)です。 10年ほど前に刊行。 書籍整理中に出てきました。 ハッブル望遠鏡による成果をもとに、オリオン大星雲の魅力を「わかりやすく」解説したものです。 監修は宇宙飛行士の土井隆雄さん、訳者は妻のひとみさんが担当されています。


(『オリオン星雲』 2021年2月9日撮影)

2月10日(水)
 晴れ。

 今週の12日(金)は新月となります。 ということは、旧暦の1月1日です。

 通勤鞄の本は、山口耀久『「アルプ」の時代』(ヤマケイ文庫)です。 山口耀久といえば、やはり『北八ッ彷徨』でしょうか。 『山と渓谷』誌で連載記事を文庫版にまとめたもので、購入してから度々読んでいます。 無理かも知れませんが、いつか北のアルプ美術館に出かけてみたいものです。 (「北のアルプ美術館」はこちら


(『「アルプ」の時代』 2021年2月10日撮影)

 写真のもう一冊は、斉田博『おはなし天文学1 うつりゆく天の極』(地人書館)です。 かつてあった『天文と気象』(のちの『月刊天文』)誌に連載されていた天文史系を中心とした読み物「おはなし天文学」が単行本化されたものです。 粒の揃った良質な内容が多く、私も何度か参考にしています。 全四巻で、私の所有しているのは単行本化当初の古いものですが、新装版も出ています。

 間近に迫ってきた原稿の締切。 自宅での作業。 音楽はフェイマス・グルーピーズ。

2月11日(木)
 建国記念の日。晴れ。

 良く晴れた一日。 薄雲。終日自宅で作業。 コロナで再読中毒。 昔読んだ本が心地よい日々。

 小林信彦『ミート・ザ・ビートルズ』(新潮社)です。 1991年に発表された小説です。 1989年を生きる主人公が、1966年のビートルズ来日の年にタイムスリップしてポール暗殺計画を阻止に行くお話です。 この小説がもとで、ビートルズ論争もありましたが、当時の情報は限られていたので、いろいろな面で仕方のないこともあるでしょう。 タイムスリップものとしては、藤井哲夫・かわぐちかいじ『僕はビートルズ』(モーニングコミックス)もありました。


(ビートルズ2冊 2021年2月11日撮影)

 写真右が『ミート・ザ・ビートルズ』。 左はビートルズ大学を主宰する宮永正隆『ビートルズ来日学』(DU BOOKS)です。 ビートルズ来日から半世紀、50年目の2016年に刊行されたビートルズ本の一冊です。 マニア過ぎる内容にワクワクしながら読んだ本ですが、同テーマの『ビートルズを観た!〜50年後のビートルズ・レポート〜』(CDジャーナルムック)も良かった。 何かと情報が溢れすぎる時代です。

 昔の友人からメール。 先日BSで放送されたチューリップ武道館ライブ(1997年再結成2日目武道館公演)で会場映像に映っていたそうです。 (私は見ていない…) 終演後、PAや照明のコンソール席にラグタイムの大野拓家さんがいらして、挨拶したのを急に思い出しました。 バンド活動をしていた頃、大野さんには練習場を提供していただいたり、ライブに足を運んでいただいたりしました。 あの頃の夜の原宿が懐かしい。 武道館ライブからも、もう24年とは。

2月12日(金)
 晴れ。

 マイナーなアインシュタイン本を2冊。 こちらも書架整理で出てきました。


(アインシュタイン本2冊 2021年2月12日撮影)

 比企寿美子『アインシュタインからの墓碑銘』(出窓社)と中本静暁『関門・福岡のアインシュタイン 訪日最後の1週間』(新日本教育図書)です。 前者は、医師三宅速(はやり)とアインシュタインの交流を描いたもの。 アインシュタインからおくられた墓碑銘について、詳しく紹介されています。 この本を読んで、昨年現地(徳島県)を訪れました。


(アインシュタインからの墓碑銘 2020年7月25日撮影)

 後者は、アインシュタイン来日時、離日直前の最後の滞在(関門・福岡)について書かれたもの。 この本を読んで、下関を訪れました。

2月13日(土)
 晴れ。

 週末は静岡にて。

 静岡市のシンボル、駿府城公園では、公園内を掘り起こし、大規模な発掘調査が行われています。 まだ謎が多いそうですが、豊臣時代、徳川時代の混在する遺構を見てきました。 掘削作業はこの2月で終了です。 (「駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査」はこちら(静岡市))


(駿府城本丸跡 2021年2月13日撮影)

 上の写真は、現場の見学路からパノラマ撮影したものです。


(駿府城本丸跡 2021年2月13日撮影)

 地元の方の長時間の説明に感謝。 少々疲れたので、地元名物「静岡おでん」で休憩です。 黒いはんぺんがユニーク。


(静岡おでんの店 2021年2月13日撮影)

 昼食後は、登呂遺跡へ。 教科書にも載っている、弥生時代の住居遺跡です。 ここは二度目の訪問。 静岡市立登呂博物館が開館してからは初めての訪問です。 (「静岡市立登呂博物館」はこちら(静岡市))


(住居と高床倉庫 2021年2月13日撮影)

 写真の住居や倉庫部分については、後年の研究により推測されたものです。 住居内部に入ることもできます。


(住居内のパノラマ撮影 2021年2月13日撮影)

 竪穴住居と違い、周囲に土手を築きその上に建築されています。

 静岡市立登呂博物館が出来て、遺跡の意味を深く理解することができるようになりました。 屋上から北側方面を見ると、水田遺跡も含め、全体像がよくわかります。


(登呂遺跡 2021年2月13日撮影)

 現代と2000年前の遺跡が同居する不思議な風景となりました。 登呂博物館を出て、隣接する静岡市立芹沢_介美術館へ。 染色家の芹沢_介(1895〜1894)の美術館です。 (「静岡市立芹沢_介美術館」はこちら(静岡市))


(芹沢_介美術館 2021年2月13日撮影)

 東京高等工業大学(現東工大)の出身。 工学系大学でも家業にも関連したアート(染色)の道に進み、戦後早くから海外でも高い評価を得ていたことを知りました。 芹沢_介といえば、盛岡の材木町にある光原社の「可否館」の看板が思い出されるところです。


(盛岡光原社の可否館 2019年1月12日撮影)

 館内では、「日本のかたち」展が開催。 芹沢_介が蒐集した日本工芸が展示。 北海道のアイヌに関する品々もありました。

 夜、ホテルで地震。 静岡も結構揺れていました。

2月14日(日)
 晴れ。

 日本平の北側に位置する静岡県立美術館へ。 静岡駅前の新静岡駅(静岡鉄道)から県立美術館前駅まで列車で移動。 あとは徒歩30分ほどで到着です。 ここも2度目となる訪問。 (「静岡県立美術館」はこちら(静岡市))


(県立美術館前駅にて 2019年1月14日撮影)

 企画展は、トーベ・ヤンソンのムーミン展です。 トーベヤンソンと北斎との関係など、気づきの多い展示でした。


(ムーミン展ロビー 2021年2月14日撮影)

 県立美術館から駅までの途中でランチを済ませ、静岡駅に出てカフェで休憩して新幹線に乗車し帰宅。

 帰りの新幹線の中で、以前静岡訪問時に駿府博物館で開催の「宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」展のイベントで宮沢和樹さんの講演会(2013年10月11日)があって出かけたこと、さらにそれ以前、彗星会議が静岡県労政会館を開場として開催(1987年3月21日・22日で初めて静岡を訪れたことも思い出されました。 (彗星会議ではブライアン・マースデン氏の講演もありました)

2月15日(月)
 小雨のち激しい雨のち夜は晴れ。

 朝から雨です。 昼間台風のような雨と風になりました。 寒冷前線の通過のようです。


(賢治的な… 2021年1月31日撮影)

 なんとなく賢治的なあれこれを並べてみました。 それぞれについてはいつか取り上げたいと思います。

2月16日(火)
 晴れ。

 今日は天気が回復。 夕空にはバナナのような。 暗くなると地球照つき。

 宇宙の本を2冊。


(宇宙の本 2021年1月16日撮影)

 左側はJAXA・宇宙航空研究開発機構・編『月のかぐや Kaguya on the Moon(新潮社)です。 2007年9月に打ち上げられ、2009年6月に月面に落下させるまでの短い期間でしたが、月表面を高度約100qで周回し、数多くの測定機器やカメラを駆使し、多くのデータを私たちにもたらしました。 2009年11月刊行に刊行された本書には、「かぐや」プロジェクトの概要と、月表面で撮影された写真が数多く掲載されています。 普段天体望遠鏡で見慣れた地形も、まるで航空機が俯瞰するような視点からのアングルで撮影され、とても新鮮に感じられました。

 もう一冊は、現在ISSに搭乗している野口聡一さんの写真集『ワンダフル・プラネット!』(集英社インターナショナル)です。 2009年からのISS長期滞在時に撮影された(主に)地球の写真集です。

 ニコンのプレス・リリース「NASAから受注したニコンのデジタル一眼レフカメラ「D3S」と交換レンズ「NIKKOR」で撮影した最新宇宙画像を公開」(2010年7月8日)の記事に、ISSに常駐するニコンの撮影機材のリストが掲載されていました。

・デジタル一眼レフカメラ「D3S」1台:2010年4月20日に帰還したスペースシャトルミッションSTS131でISSに配置済。地球表面とナイトシーンの撮影が中心。通常製品(改造なし)
・デジタル一眼レフカメラ「D2XS」8台:EVA(船外活動)に対応した、NASA専用の改造品
・「NIKKOR」レンズ 36本(テレコンバーター 3本を含む)
・スピードライト SB-800 7台
・D2XS用アイピース4個 :NASA特注アイピース船外活動の際に、宇宙服(ヘルメット)越しにファインダー像を確認できるようにするためのNASA特注アイピースファインダー
・その他(フィルター、ケーブル等)

 時期的には事後のもののようですが、野口さんの機材も同等品と思われます。 特に「天体ショーへようこそ Space Show」に載せられた月のイメージが素晴らしいと思います。

2月17日(水)
 晴れ。

 午前中自宅の用事。 あたたかな日。

 通りがかりの道に、「科学万博ポストカプセル2001」の記念碑。 知っている人には懐かしいですね。 1985年開催のつくば博の年に受付が行われ、2001年(21世紀)に配達されるという特殊郵便の扱いがありました。 写真と解説板は次のとおり。


(「科学万博ポストカプセル2001」 2021年1月17日撮影)

ポストカプセル記念碑

 1985年につくば市で開催された「国際科学技術博覧会」の開催期間中に、「ポストカプセル2001・21世紀のあなたにお届けする夢の郵便」を328万通お預かりし、16年間の長きにわたり筑波学園郵便局で保管しました。
 未来への夢を託した手紙は、2001年元旦に新世紀の到来とともにお客さまのもとへお届けし、多くの皆さまから感動・感謝のお言葉をいただきました。
 この記念碑は「夢の郵便」の感動を後世に伝えるとともにお客さまのあたたかい心をつなぐ21世紀の郵便の歴史をこれからも見守り続けていきます。

 平成13年6月
 関東郵政局長 田中博

 当時、亡くなった家族や友人から葉書が届いた・・・など、とても話題となりました。 あれからすでに20年。 21世紀も20歳になったのです。

 今夜も月がきれいです。


(2021年1月17日18時10分「6日の月」)

 冬の星座を先導するように、西の空に消えてゆきました。

 宮沢賢治の年譜記事の1932(昭和7)年のちょうど今頃、2月19日に次の記載があります。

二月一九日(金) 樺太、王子製紙の杉山芳松あてと推定される書簡下書きがある(書簡404a)。 それによると、昨秋病臥中、杉山の友人が依託されて手紙とみやげ物を届けており、それはフレップ酒一箱、燻製の鮭二本であった。 杉山は年賀状をよこしているが、「早速のお礼状さへ儘ならず毎日毎日思ひ出しながらやっと今日横臥のまゝで鉛筆書きのお礼を申しあげる次第です」云々と書いたが、清書して投函されたかどうかは不明。

 杉山芳松は、賢治の斡旋(1923(大正12)年夏の樺太行)で樺太にある王子製紙工場に就職した生徒の一人です。 賢治の就職斡旋から9年が経ちましたが、その後樺太で働いており、賢治への感謝の気持ちとして贈り物をしたようです。 それに対する賢治の手紙です。

 年譜では概要のみですが、書簡404aにある後半のくだりの部分が好きで、病気の自分のことを報告したあとの箇所から引用しておきます。

いたゞいたフレップ酒(それも一箱)はさすがに下戸の私も嘗めるやうにして度々呑みました。 そしてそちらの吹雪の中で働かれるあなたに実に済まないと思ひました。 燻製の鮭は勿論私もたべ残りの大きな一本は切り身にしてあちこちのハイカラさんたちへ贈りました。 まことにあなたの辛苦の結晶をこの様にいたゞくこと心苦しいですからどうか決してこれからはかういふことはなさらず、気が向いたらやなぎらんの花をつまんで手紙に入れて下すったり、またお便りがなくともあなたがさういふ場所で大きな会社の信用を得られしっかり働いてゐられることは花巻の農学校のまた私の自慢ですからどうかどこまでもまっすぐに、からだを大切にお進み下さるならほんたうにありがたい次第です。

 「気が向いたら〜ありがたい次第です。」がいかにも賢治らしい文章で、同じく教え子の柳原昌悦への最後の書簡などとも通じるものがあります。

2月18日(木)
 晴れ。

 読み始めた新刊です。 著者の岩橋淳(1960〜2019)さんは、書店員として有名な方で、盛岡での活動が知られます。 「岩手日報」紙上に2005年から2018年まで書かれた書評(U18−読書の旅など)が、クラウドファンディングにより一冊の本となりました。 『いつだって本と一緒』というタイトルです。 (「書店員・岩橋淳さんの連載「いつだって本と一緒」を書籍化します!」はこちら


(『いつだって本と一緒』2021年2月18日撮影)

2月19日(金)
 晴れ。

 昨年は2月のこの時期、北海道網走に流氷を見に行きました。 海氷情報センターの情報で見ると、今年はもう流氷がだいぶ陸から離れてしまった印象です。 (奇妙な)暖冬のせいでしょうか。


(網走沖の流氷 2020年2月22日撮影)

2月20日(土)
 晴れ。

 さわやかな晴れ。

 賢治ゆかりの地、水戸偕楽園へ。 1928(昭和3)年6月、東京での滞在と、伊豆大島行の上京の途中、仙台を経て水戸に立寄っています。

 六月八日(金) 午前四時五四分水戸駅着。 茨城県立農事試験場(水戸市外、東茨城郡酒門村大字酒門字塙)の始まる八時まで、偕楽園を見物して時間をつぶす。 その後水戸駅発午後二時三五分の常磐線上り二二四列車、または三時五五分発上り二二六列車のどちらかに乗車、上野へ向かう。 上野駅到着は、前者は五時五五分、後者は七時二〇分である。 この夜父あてに「今夕無事東京に着きすぐに前の上州屋に泊ることにいたしました。 明日以后約十二日はこちらに居りまして予定の調べをいたしたいと存じます。」(書簡236)と報じる。 上州屋は一九二六(大正一五)年一二月に宿泊した神田錦町三丁目一九番地の素人下宿である。 (『【新】校本宮澤賢治全集第16巻(下)補遺・資料編』年譜篇より)

 早朝水戸駅についた賢治は、農事試験場が始まるまでの時間を利用して偕楽園(書簡235、父政次郎あて書簡で「明朝五時に水戸に着き公園等を見て…」とあります)を訪れていました。

 例年2月中旬から3月中旬、水戸の偕楽園では、梅まつりが開催され賑わっているはずですが、コロナの影響で延期扱いとなっていました。 (「第125回 水戸の梅まつり」はこちら(茨城県観光物産協会))

 土浦駅から特急に乗り、この時期限定の偕楽園駅(臨時駅)で下車。 下り方面のみしかホームはありません。


(偕楽園臨時駅 2021年2月20日撮影)

 駅を下りてすぐ、大きな鳥居の常盤神社を目指します。 ここは、水戸黄門(水戸光圀)を祀った神社です。 (「常盤神社」はこちら(茨城県観光物産協会))


(常盤神社 2021年2月20日撮影)

 常盤神社の横を通り抜ければ、偕楽園の東門があります。 入場券を購入し、公園内に入場。 賢治のときは、恐らく公園北側にある御成門(現在は閉鎖中)から入園しています。

 梅まつり延期の影響で公園内は閑散状態。 いつもなら、かなり人で溢れているので考えられない状態です。

 千波湖に面した広場(正岡子規が『水戸紀行』のなかで子供たちが「ベース、ボールまね也」と書いた場所)です。


(偕楽園にて 2021年2月20日撮影)

 それでも梅の方はきれいに咲き始めていました。


(梅[江南所無] 2021年2月20日撮影)


(梅[虎の尾] 2021年2月20日撮影)

 偕楽園のシンボル、好文亭にも入場してみました。 徳川斉昭が別邸として建てたものです。 偕楽園内や千波湖を見下ろすことができます。


(好文亭 2021年2月20日撮影)

 偕楽園を出て、常磐線の跨線橋を渡り千波湖沿いの歩道(鴨が寄ってくる)に出て、好文茶屋で休憩。 ここは人が多め。 再び鴨や白鳥を見ながら歩いて、茨城県近代美術館で開催中の「ムーミンコミックス展」を見学。 (「茨城県近代美術館」はこちら

 先日の静岡県立美術館で見学したムーミン展は、トーベ・ヤンソンの原作への挿画が展示されていましたが、こちらでは新聞に連載されたムーミンコミックスの原画が中心です。 トーベ・ヤンソンのほか、連載を引き継いだ弟のラルス・ヤンソンの作品を見ることができました。


(ムーミンと撮影コーナー 2021年2月20日撮影)


(ムーミンコミックス展チラシ 2021年2月20日撮影)

 水戸からは気分を変えて海の方に出てみました。 ちょうど夕暮れ時で、急に冷たい風。


(有名な海岸の鳥居 2021年2月20日撮影)

 最寄り駅までタクシーで戻り、水戸から特急で急いで帰宅。 中身の濃い一日でした。

2月21日(日)
 晴れ。

 自宅で作業。 夏のような温かさ。 とても2月とは思えません。

 正月に出かけた北八ヶ岳の山小屋が、昨日長野県(長野朝日放送)で放送されたようで、本日からオンエアーされた番組がYouTubeでも配信されていました。 「いいね!信州スゴヂカラ」という番組中、「みんなの山 冬の八ヶ岳編 ぬくもりの山小屋をはしごして」という企画です。

 番組のレポーターの方が、渋の湯温泉から賽の河原を経て高見石小屋まで登っています(1日目)。 私も冬期はいつもこんな感じで歩いています。 番組では、高見石小屋に宿泊し、翌日中山を経て、黒百合ヒュッテ経由で渋の湯に戻る一泊コースです。



(2021年2月20日放送「いいね!信州スゴヂカラ」)

 今月は静岡と水戸で異なる二つのムーミン展を見ました。 ムーミンシリーズ初期の作品に『ムーミン谷の彗星』があります。 彗星が現れ、衝突してこの世が滅びると予言されますが、実は何事もなかったというお話。 作者のトーベ・ヤンソンと彗星について少し調べてみました。 何か実際の彗星を見て、そのイメージを彗星のモデルとしたような体験はあったにでしょうか…。


(『ムーミン谷の彗星』 2021年2月21日撮影)

 トーベ・ヤンソンはフィンランドの作家で、生まれは1914年、没年は2001年です。 トーベ・ヤンソンの生年は、宮沢賢治が盛岡中学校を卒業した年にあたります。

 トーベヤンソンの年譜を見ると、「1930年から1933年までストックホルム芸術学校に在籍。 1933年から1937年までフィンランド芸術アカデミー美術学校に在籍。 なお『ガルム』誌には 1930年代から1953年まで掲載。」(Wikipedia「トーベ・ヤンソン」より「生涯」)とあります。 (『ガルム』は、フィンランドの風刺雑誌)

 そのうち、ムーミンシリーズの創作が始まり、『ムーミン谷の彗星』が発表された時期を調べると、次のとおりありました。

 トーベ・ヤンソンによるムーミンシリーズの小説『ムーミン谷の彗星』は、1946年にスウェーデン語で出版されました。 作家、イラストレーターとして、トーベは改訂版や外国語版が出るときには、イラストレーションやテキストの一部をしばしば変更しています。 『ムーミン谷の彗星』は、原語であるスウェーデン語版だけでも、3つの異なるバージョンがあります。

 初版のスウェーデン語版は『Kometjakten(彗星追跡)』、第二版は『Mumintrollet pa kometjakt(彗星を追うムーミントロール 1956年)と第三版は『Kometen kommer(彗星がやってくる 1968年)と題されています。 英語版は1951年に、フィンランド語版は1955年に『Muumipeikko ja pyrstotahti(ムーミン谷の彗星)』として出版されました。 (ムーミン公式サイト「『ムーミン谷の彗星』改訂のためトーベが本に書き込んだメモ」より)

 当初の題名は『彗星追跡』。 スウェーデン語による発表時期は1946年でした。 もしトーベ・ヤンソンが実際に彗星を見て、作品を書いたとすればどの彗星が候補でしょうか。 生年の1914年から作品発表の1946年までに明るく見えた彗星から考えてみました。

・デラバン(Delavan)彗星(C/1913 Y1,1913f=1914V)
 1913年にデラバンが発見した彗星で、1914年10月に近日点を通過しています。

・ポン・ウィンネッケ(Pons-Winnecke)周期彗星(7P)
 ポン・ウィンネッケ彗星は6.37年での周期彗星で、1927年6月下旬に地球に大接近しています。 最接近時には、肉眼でも満月の2倍ほどの直径で認められるようになりました。 最接近時に地球−彗星間の距離は589万km(=0.0394A.U.)で地球−月間のおよそ15倍ほどのところを通過したことになります。 (最近地球に接近した百武彗星は、およそ0.1A.U.です。) 最近では1996年1月に回帰していて、発見以来20回の回帰記録があります。 詩人である北原白秋は短歌「真昼」と歌集「白南風(しらはえ)」の中で、「ウィンネッケ」の名を出しています。

・シエレルプ(Skjellerup-Maristany)彗星(C/1927 X1)
 1927年12月2日に南アフリカにあるケープ天文台のシエレルプが発見した彗星です。 ("Skjellerup"の読み方については、シェレルプ、シェレラップ、シュエラップ、スクレルプ、シェラップ、スクジュレラップ等多数の表記があり混乱してしまいます。) 発見の2週間後には、太陽に急激に接近し白昼の空にも肉眼で見ることができました。 インドにあるコダイカナル天文台のチダムバラ・アヤールは1927年12月15日に太陽から1.5度のところにある彗星のスケッチを残しています。

 上記の候補からすると、デラバン彗星(C/1913 Y1)は、生まれて間もない時期で該当外。 となると、1927年のポン・ウィンネッケ周期彗星(7P)かシエレルプ彗星(C/1927 X1)でしょうか。 ストックホルムで、両彗星の見え方をシミュレーションして試してみました。 その結果、明るい彗星だったとしても、北緯60度近い高緯度に位置していることも影響し、見ることは難しいことがわかりました。

 そこで、実際には見ていない彗星についても考えてみました。 彗星を恐ろしい存在として描かれていることに注目すると、トーベ・ヤンソンが生まれる前、1910年5月に地球に接近した有名なハレー彗星は、有毒なガスを含む彗星とされたものの、実は地球に接近しても何の影響もなかったというエピソードがあります。 『ムーミン谷の彗星』のお話とも重なることから、作品のモデルとなっていた可能性があります。

 ところで、コミックのシリーズにも『彗星がふってくる日』というのがあります。 (写真は、トーベ・ヤンソン+ラルス・ヤンソン 冨原眞弓訳『ムーミン・コミックス9 彗星がふってくる日』(筑摩書房)


(『彗星がふってくる日』 2021年2月21日撮影)

 こちらの作品では、彗星が接近してきて落下。 家に逃げ込み無事で、彗星の熱を洪水がさますというオチ。

2月22日(月)
 晴れ。

 2月22日は「猫の日」(鳴き声に由来)だそうです。 先日紹介した野口聡一『ワンダフル・プラネット!』にあった「「僕のお気に入りの「キャット・アイランド」地中海」の島をグーグル・アースで探してみました。


(「キャット・アイランド」Google Earthより)

 イタリアのナポリ近くのプローチダという地中海に浮かぶ小さな島でした。 猫感出てます。 (「プローチダ」はこちら(Wikipedia))

 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日2月22日は「サモトラーケの女神」です。 あまりにも有名な「「サモトラケのニケ」像のお話。 1863年にサモトラケ島で発見された像をめぐり、ギリシャ神話との結びつきについて語られます。

 私はこのニケ像がもしサモトラーケの島の主神を刻んだものとすれば、星座神話で有名な、ヤーソンを隊長とするギリシャの若い勇士ら五十人が黒海のコルキスの国に金毛の羊皮を奪い返しに行ったアルゴー船遠征隊が暴風に襲われた時、オルフェウスが手琴を弾じて、サモトラーケの島の女神に暴風を鎮め給えと祈った。 その本尊がこれではないかと、しばしば考える。


(「サモトラケのニケ」(Wikipediaの同項目より))

 アルゴ船の神話を思い出すとき、そう思わせてしまうような有名なニケの像。 パリのルーブルを訪れたときに、当時テロ対策の厳重な警備で入場まで時間がかかり、飛行機までの時間もなく、見学を断念したことが思い出されます。 (オルセーも同様) (「サモトラケのニケ」はこちら(Wikipedia))

2月23日(火)
 天皇誕生日。晴れ。

 天体画像処理専用のソフト、ステライメージの新バージョン「StellaImage9」をインストールしました。 前バージョンからのアップデートです。


(「StellaImage9」 2021年2月23日撮影)

 あとでいろいろと(特に大きなファイルを使って)コンポジット処理など試してみたいと思います。


(デスクトップ 2021年2月23日撮影)

2月24日(水)
 晴れ。

 今日は少し寒めの気温。

 帰宅時、天頂からの降るような月光のシャワー。 満月は今週の同曜日。

 どこかで聴いたような・・・、と思ったら賢治の「星めぐりの歌」。 アレンジが微妙ですが、よ〜くきくと聴こえてきます。 (情報提供ありがとうございます)

 「資生堂 Hand in Hand Project」(プロジェクト実施期間:2021年2月1日〜4月30日)の「#手守り習慣で手助けを」篇 60秒CM動画で使われています。 (宮沢賢治の曲であることのクレジットはどこにもありませんが…)


資生堂 Hand in Hand Project



(資生堂「#手守り習慣で手助けを」篇 60秒CM動画)

 写真は先日千波湖で見た。 個性的な鴨がたくさんいました。 人慣れしていて、追いかけてきます。


(鴨 2021年2月20日撮影)


(鴨(トリミング) 2021年2月20日撮影)

2月25日(木)
 晴れ。

 賢治の新刊から。 仙台の佐藤通雅さん編、賢治短歌鑑賞本です。


賢治の書籍
アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む
アルカリ色のくも
宮沢賢治の青春短歌を読む
佐藤通雅 編著
NHK出版

 『賢治短歌へ』の著者、佐藤通雅氏編著による賢治短歌の鑑賞本です。 第一部が編著者ほか9名による鑑賞集で、賢治の創作時期別に収録。 時期の区分は、 〔第一期〕盛岡中学校時代、 〔第二期〕盛岡中学卒業から盛岡高等農林学校入学まで。 〔第三期〕盛岡高等農林学校時代、 〔第四期〕盛岡高等農林学校卒業後となります。 第二部には「解説賢治短歌の成立」が掲載。



 「賢治の図書館」  佐藤通雅編著『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』(NHK出版)を追加しました。

 購入後、大急ぎで読んでみたところ「緑いろの通信」(2021年2月8日号)で取り上げた、賢治の短歌「オリオンは西に移りてさかだちしほのぼののぼるまだきのいのり」(『アルカリ色のくも』では歌稿Bより)の鑑賞文がありました。 鑑賞文の執筆は歌人の梶原さい子さんです。

 オリオンの「さかだち」をどのように解釈されているか、興味深く読みました。 (引用文のあとの天体シミュレーション画像は参考につけたもので、本著書にはありません)

(略)宵に東からのぼり、南中し、西に沈んでいくので、「西に移りて」とは朝が近いということだ。 が、「さかだち」までするだろうか、横たわるほどにはなるかもしれないが、と考えてみたとき、賢治は地平線下の星座の姿もイメージされていたことがわかる。


(10月下旬 夜半前のオリオン[東空])


(10月下旬 夜明け前のオリオン[西空])

 鑑賞文では、西のオリオンが唐突にも地平線下のオリオンへ、すなわち「西に沈みてさかだちし」へと考え方が置き換えられて解釈されており驚きました。 オリオンを地平線下に移動させてしまっては「(朝)まだき」の状況とする必然性もなくなってしまいます。 「西に移りてさかだち」させるためには、既存の星座の姿に拘ることなく、賢治独自の発想(星座観)を受入れする方が明らかに現実的な選択と思います。 賢治作品は、多くの場合で天文学の知識の代弁者という立場で書かれたものではなく、賢治自身の想像力の産物ということを忘れてはなりません。

 今夜も月がきれいでした。 以前、小樽港前のホテルの部屋から撮影した月の写真を載せておきます。


(北国の月の夜 2018年1月1日撮影)

2月26日(金)
 晴れ。

 好天が続いています。

 北海道の建築家田上義也からの流れで、必然的にフランク・ロイド・ライトへ。 昨年(2020年)は、帝国ホテルの1890年開業から130周年にあたる年でした。 植松三十里『帝国ホテル建築物語』(PHP研究所)を読んでみました。


(ライト2冊 2018年1月1日撮影)

 かつて日比谷公園前にあった帝国ホテルのライト館建設の物語です。 最後には、明治村への移設のお話まで含まれていました。 (上写真は『帝国ホテル建築物語』と明石信道『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』(建築資料研究社))

 帝国ホテルといえば、都心の帝国ホテル東京より、長野県にある上高地帝国ホテルの方が身近な感じがします。 「帝国ホテル130周年記念」のサイトには、次の「帝国ホテルの歴史」がアップされています。

1890年 11.03 「日本の迎賓館」として「帝国ホテル」開業
1910年 02.25 ホテル初の郵便局開設
1911年 日本初のランドリーサービスを導入
1923年 09.01 フランク・ロイド・ライトが設計した「ライト館」が開業 ホテルではじめてウェディングサービスを開始
1933年 10.06 日本初の本格的山岳リゾートホテルとして「上高地帝国ホテル」を開業

 実業家、大倉喜八郎が手掛けた帝国ホテルは、これまでいくつかの他のホテルや施設の経営にもかかわってきました。 Wikipediaの「帝国ホテル」には「かつての関連施設」として、北アルプスにある燕山荘への言及もあります。 (以下引用)

・燕山荘
 ・1931年(昭和6年)、赤沼千尋(登山家)と大倉喜七郎が本館を建設。1948年(昭和23年)赤沼側に売却
 ・長野県安曇野市燕岳山頂付近
 ・燕岳登山の山小屋「燕の小屋」として1921年(大正10年)創業。小屋を訪れた登山好きの大倉喜七郎と創業者・赤沼千尋が意気投合し、大倉が資金を援助して大規模ロッジに建替えさせて帝国ホテル傘下に加えた。戦後帝国ホテルがGHQに接収されるに及んで創業者に売却された。


(北アルプス燕山荘 2020年8月14日撮影)

 このことについては、二代目赤沼淳夫(1923〜2018)『私の半生』より、「帝国ホテル傘下へ」に大倉喜八郎とのことが書かれています。 (『私の半生』より「5 帝国ホテル傘下へ 建て直し中の本館雪で倒壊」はこちら

 帝国ホテルと燕山荘が繋がっていたとは知りませんでした。 今度、機会があったら、現オーナーの赤沼さんにお話を聞いてみたいと思います。 今年は燕山荘創業100年です。

2月27日(土)
 晴れ。

 三鷹市にある天文★科学情報スペースで開催中の企画展「手の中の星空〜星座早見盤の世界」を見学。 いくつかの星座早見盤が解説とともにパネルとなって展示されていました。 展示された星座早見盤に限って言えば、種類も数も、自宅の方が沢山あります。 海外のものをいろいろと見てみたいと思いました。 (「天文★科学情報スペース」はこちら


(「手の中の星空」展にて 2021年2月27日撮影)

 見学を終えて、三鷹駅にもどる途中、偶然見かけた太宰治展(「太宰治 三鷹とともに−太宰治没後70年−)にも寄ってみました。 駅前の三鷹市民ギャラリーに昨年12月に新設されたばかりの「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」です。 太宰治の三鷹滞在時の住まいを再現した座敷のレイアウトになっていて、そこに展示スペースが設けられています。


(太宰治宅六畳間再現 2021年2月27日撮影)

 三鷹の住まいには、1939(昭和14)年9月〜1948(昭和23)年6月玉川上水で自死するまでの暮しの場があり、「走れメロス」「斜陽」などの代表作をそこで書き上げています。 小さな展示室ながら、津島家から三鷹市に寄託された自筆物や資料が多く含まれ、期待以上の見応えでした。 展示には、三鷹に中島飛行機武蔵野製作所の創業のことも触れられていました。 充実した展示図録『平成30年度特別展 太宰治 三鷹とともに−太宰治没後70年−』が1000円で販売されており、帰りに買い求めてきました。 (お得)


(展示図録 2021年2月27日撮影)

 三鷹の中島飛行機で思い出されるのは、渡辺えりさんのお父様(渡辺正治さん)のことです。 戦時中、三鷹の中島飛行機武蔵野製作所に就職し、尊敬する友人を空襲で亡くした経験がありました。 年譜によれば、その時期、太宰治も三鷹で暮らしていました。


(渡辺えりさん、渡辺正治さん 2015年4月11日撮影)

 渡辺正治さんの戦争体験や、後日の友人の墓参りのことは、牛田守彦『戦時下の武蔵野I』(ぶんしん出版)、「喜劇悲劇」2015年7月号(早川書房)収録の渡辺えり「父の話」に詳しく記されています。 尊敬する友人を亡くしたことで、戦争への考え方を改め、終戦後は地元山形で教員となります。


(『戦時下の武蔵野I』など 2021年2月27日撮影)

 太宰治展の図録の末尾には、「太宰治 略年譜」がついていました。 (本日の記事の末尾に掲載) 三鷹に住んだのは、まさに戦争中の期間で、1939(昭和14)年1月に井伏鱒二宅で結婚後、山梨県甲府市で新婚生活送ったあとの9月のことでした。 当時の作品発表や出版の記録を見ると、いかに多忙な日々であったのか知ることができます。 (※は略年譜の「三鷹・文学作品・社会と文学の動向」より) (▲は牛田守彦『戦時下の武蔵野I』(ぶんしん出版)における「IV 親友の命を奪ったあの戦争−中島武蔵製作所の行員だった渡辺えりさんのお父様の体験−」関係記事。

1939(昭和14)年
1月 井伏(鱒二)宅で結婚式をあげ、甲府市御崎町で新婚生活を送る。「富嶽百景」を「文体」2月号、「続富嶽百景」を3月号に発表。
4月 「黄金風景」が国民新聞短編小説コンクールに当選。
5月 『愛と美について』竹村書房より刊行。
7月 『女生徒』砂子屋書房より刊行。
※ 国民は徴用公布。(7月)
9月 東京府北多磨郡三鷹村下連雀113(現三鷹市下連雀2丁目)に転居し、終生の棲家となる。
※ 第二次世界大戦勃発。(9月)
※ 戦争を扱った作品が一段と増え、国策高揚の意図をもって書かれた文学が盛行。

1940(昭和15)年
4月 『皮膚と心』竹村書房より刊行。
5月 「走れメロス」を「新潮」に発表。前後して「駈込み訴へ」「女の決闘」などの名作を発表。この頃より精神的安定を取り戻し作風も明るくなり、数々の力作を生み出す
6月 『女の決闘』河出書房より刊行。「乞食学生」を「若草」7〜12月に連載。
※ 古田晃、筑摩書房創業。(6月)
※ 大政翼賛会発会。(10月)
12月 『女生徒』で北村透谷賞副賞を受賞。

1941(昭和16)年
1月 「東京八景」を「文学界」に発表する。
※ 三鷹駅北口が開設される。(1月)
▲ 春、渡辺正治さん中島飛行機武蔵野製作所に入社。
5月 『東京八景』実業之日本社より刊行。
6月 長女園子誕生。
7月 『新ハムレット』文芸春秋社より刊行。
8月 『千代女』筑摩書房より刊行。
9月 太田静子が友人と共に初めて太宰宅を訪問する。
※ 文学者が軍報報道員として多数徴用される。井伏鱒二、高見順ら。(11月〜)
12月 文士徴用を受けたが胸部疾患のため免除となる。
※ 太平洋戦争勃発。大沢に中島飛行機三鷹研究所の建設開始。(12月)

1942(昭和17)年
1月 『駈込み訴へ』月曜荘より刊行。
2月 前年に勃発した太平洋戦争を三鷹に住む主婦の日記を仮託して著した「十二月八日」を「婦人公論」に発表。
※ 味噌・醤油の切符配給制、衣料の切符点数制実施。(2月)
※ 三鷹初の空襲警報発令。(3月)
4月 『風の便り』利根書房より刊行。
5月 『老ハイデルベルヒ』竹村書房より刊行。
※ 日本文学報国会結成。(5月)
6月 『正義と微笑』錦城出版社より、『女性』博文館より刊行。
10月 母を見舞うため妻と長女を伴い帰郷し、数日間滞在する。「花火」が時局柄全文削除される。
11月 『信天翁』昭南書房より刊行。
12月 母夕子逝去。単身帰郷する。

1943(昭和18)年
1月 『富嶽百景』新潮社より刊行。妻子と共に亡母の法要の為、帰郷。
※ 谷崎潤一郎「細雪」が、検閲当局の圧力によって掲載禁止となる。(1月)
9月 3月に甲府滞在時に脱稿した歴史小説『右大臣実朝』を錦城出版より刊行。

1944(昭和19)年
1月 下曽我にいる太田静子を訪ねる。
※ 雑誌の統廃合により、「中央公論」「現代」「公論」「文芸春秋」「改造」「日本評論」の六誌となる。(1月)
5月 故郷金木など津軽各地を訪ねる。
※ 雑誌の統廃合により、「改造」「中央公論」に廃刊命令が下る。(7月)
8月 長男正樹誕生。『佳日』肇書房より刊行。
9月 佳日が「四つの結婚」の題で映画化。
11月 『津軽』小山書店より刊行。
▲ 中島飛行機武蔵野工場に初めての爆弾が投下される。(11月24日)
※ B29約70機、東京を初爆撃。(11月)
12月 「惜別」取材のため仙台に赴く。
▲ 中島飛行機武蔵野工場空襲を受け、渡辺正治さんの友人佐野保隆さん防空壕で亡くなる。(12月3日)
※ 立川、田無、武蔵野、保谷とともに疎開地域に指定される。井の頭公園池畔の杉並木が伐採される。(12月)

1945(昭和20)年
1月 『新釈諸国噺』生活社より刊行。。
▲ 中島飛行機では艦載機により激しい空襲。(2月17日)
※ 三鷹町が広範囲にわたって空襲を受ける。(2月・4月・5月・7月)
▲ 東京下町で大空襲。(3月10日)
▲ 中島飛行機武蔵野工場も続け様に激しい空襲に襲われる。(4月)
▲ 渡辺正治さん本郷区の高村光太郎を訪ねる。
※ 戦火により、東京天文台本館が焼失する。(4月)
3月 妻と子供2人を甲府の石原家に疎開させる。
4月 空襲で自宅が破損し、自身も妻の実家に疎開する。
▲ 高村光太郎の住む本郷区が焼夷弾空襲に襲われ自宅アトリエ全焼。その後、花巻に疎開する。(4月13日)
7月 石原家が爆撃により全焼したため、生家に疎開し終戦を迎える。翌年11月まで、生家の離れで過ごす。
※ 終戦。天皇、戦争終結の詔書を放送。(8月)
※ 日本文学報国会、解散を決議。中島飛行機株式会社が解散する。(8月)
9月 『惜別』朝日新聞社より刊行。
10月 『御伽草紙』筑摩書房より刊行。「パンドラの匣」を「河北新報」で連載(64回にわたる新聞小説)。
※ 連合軍の進駐はじまる。(9月)
※ 「新生」「新潮」など、多くの文芸雑誌、総合雑誌の創刊・復刊相次ぐ。(10月〜)
※ 財閥解体、婦人参政、農地解放など、戦後改革始まる。(12月)

 同じ年譜に整理すると、戦時期の状況が同時並行的に悪化している様子がわかります。 賢治の時代より、ずっとずっと「最近の出来事」として再認識しました。

 中野駅で下車。 久々にフジヤカメラに立寄り。 デジタルカメラの在庫状況などを見てきました。

 駅前の中野サンプラザもどこか懐かしい建物です。 数年前に建て替えが発表されました。 やがて取り壊されてしまうことでしょう。


(中野サンプラザ 2021年2月27日撮影)

2月28日(日)
 晴れ。

 自宅で作業など。


(『21世紀への手紙』 2021年2月28日撮影)

 写真は文藝春秋編『21世紀への手紙 ポストカプセル328万通のはるかな旅』(文春新書)です。 「緑いろの通信」(2021年2月17日号)で紹介したポストカプセル郵便にまつわるお話を集め、また取材したものを一冊の本にまとめたものです。 記事執筆は千葉望さん。 昨年『大切な人は今もそこにいる: ひびきあう賢治と東日本大震災』を刊行された方です。

 明日から3月です。



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