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●2月1日(月) 晴れ。 今月の写真の拡大版です。 ![]() 今年になって実感もないままに2月になってしまいました。 年末から部屋の荷物の整理が続いています。 ![]() 賢治の本は論外として、一番多いのは天文・宇宙関係のものです。 分野としては、一番が星座関係(研究書、画集、写真集、洋書、図録、雑誌)で、次が月に関するものでしょうか。 星座の本は小学生の頃から野尻抱影、山本一清、藤井旭、山田卓、斉田博…と親しんできましたが、中でも原恵『星座の神話−星座史と星名の意味−』(恒星社)は、アレンの本と共に何度も読みボロボロ。 (新装改訂版が1996年に刊行された際にも真っ先に読みました) 著者の原恵さんとはたった一度しかお話しする機会はありませんでしたが、あの独特で紳士的な感じが忘れられません。 最近では近藤二郎さんの著書がいいですね。 ●2月2日(火) 曇りのち晴れ。 自宅の用事など。 天文教育普及研究会の会報『天文教育』2021年1月号が届きました。 2030年6月の北海道金環日食の関連記事など。 長野高専の大西浩次さんの記事もありました。 ![]() 2030年6月1日(土)の金環日食について調べてみました。 国内でも各地で見られた2012年5月20日の金環日食の1サロス後の日食です。 ![]() 日食帯は北アフリカから始まり、地中海を横断して黒海、ロシア大陸を経て北海道まで続いています。 ![]() 北海道を横断する金環食帯(中心線)は、美唄〜富良野盆地や帯広の南側を通過しています。 広い範囲で見ることができるものです。 札幌での食の最大は16時56分で、中心線から少しずれているため、完全なリングにはなりません。 金環となる継続時間(第2接触〜第3接触までの間)は4分16.8秒です。 ![]() 今から9年後。 見ることができるでしょうか。 ●2月3日(水) 晴れ。 今日は節分です。 ということは、明日が立春ですね。 暦のお話でいえば、来年2022年の暦要項が2月1日に発表されました。 (「令和4年(2022)暦要項」はこちら(国立天文台)) 来年の国民の祝日などが正式に発表されるもので、カレンダーの業者は、この暦要項をもとに作成することになります。 公表されるデータは全5ページで、内容は以下のとおりです。
天文趣味的には「朔弦望」「日食・月食など」が気になるところです。 「朔弦望」で月の満ち欠けの状況がわかりますが、新月(朔)の時期を見ると、年当初では月の初め、年末では月の下旬へと次第に早まります。 日食・月食では、それぞれ2回ありますが、日本から見られるのは11月8日(火)の皆既月食となります。 この皆既月食では、なんと皆既中の月が天王星を隠すというダブルの現象で、月の明かりが眩しくないこともあり、天王星が隠され、そして出現する様子を楽しめる貴重な機会となることでしょう。 (このことは暦要項には書かれていません。念のため。) ![]() ●2月4日(木) 晴れ。 天文誌の新刊など。 天文2誌『星ナビ』『天文ガイド』を購入。 ![]() 『星ナビ』2021年3月号は、特集が天体写真専用の画像処理ソフト「ステライメージ9」の記事など。 機材、天体写真関連記事多め。 『天文ガイド』2021年3月号は、「藤井旭が選ぶ「今冬の天文現象アルバム」」と昨年12月の南米皆既日食の記事など。 勝野源太郎さんのブックガイド記事は今年も健在。 小惑星ガイドの「新たな小惑星命名」では、渡部満里奈((46592)Marinawatanabe)の命名が記事となっていました。 発見は芸西観測所の関勉さん。 紹介記事は福島の大野裕明さん。 ●2月5日(金) 晴れ。 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日2月5日の記事は「黄道光」です。
このような書出しで始まる短いエッセイですが、戦前のこと、赤道付近で見る黄道光の話題に続いて、ゴリラ・ハンターのデュ・シェイリュ(Paul Du Chaillu)のアフリカの思い出を書いたという銅版画入りの本にある黄道光についても言及がありました。 (アフリカでの黄道光が美しいお話は、草下英明「X字の天の川」にも「ケニアのルドルフ湖畔で見た黄道光と天の川」の図版が掲載されています。(『宮沢賢治の星』(學藝書林)所収)) 抱影は、これにフランマリオンの本で「日本の黄道光」が紹介されているが、実はペリー提督の『東方紀行』第3巻にミシシッピー号に同乗してきたというG・T・ジョーンズが日本の黄道光の観測図を満載しているのを焼き直したというお話で締めくくり。 フランマリオン(Nicolas Camille Flammarion)といえば、1910年5月にハレー彗星が接近した際に、有毒ガス(シアン)を含む尾に包まれることを発表した人物です。 これは日本の新聞紙上でも取り上げられました。 (「ペリー艦隊日本遠征記」はこちら(東京大学附属図書館)リンク先の図版にジョージ・ジョーンズの観測した図版が掲載されています。) 黄道光は、賢治関係では「X字の天の川」のほか斉藤宗次郎の日記などにも記載があります。 ●2月6日(土) 晴れ。 この週末も自宅で作業など。 鞄に入れて持ち歩きながら読んだ本2冊(復本一郎編『子規紀行文集』(岩波文庫)、正岡子規著・柳生四郎解説『水戸紀行』(筑波書林))、再読完了。 ![]() 「水戸紀行」は水戸までの徒歩旅行記で、地元だけに何度読んでも楽しい。 柳生四郎解説『水戸紀行』(筑波書林)の解説は非常に良く書かれていて、刊行された1979年だからこそ取材できた聞き書きなどもあり、貴重。 期待してきた土浦の町でひどい目にあい、「無礼な町」として失望するところがなんとも言えません。 目的地の水戸に着けば、訪ねた学生時代の友人(菊池仙湖=菊池謙二郎)があいにくの不在。 散々な旅でした。 ●2月7日(日) 晴れ。 今日もいいお天気。 渡辺えりさんからご案内をいただいた新橋演舞場公演(喜劇 お染与太郎珍道中)へ。 すごくいい席を予約いただきました。 今回は宇梶さんも出演されています。 ![]() 次の写真は前半が終わっての休憩時間。 2階に上がって舞台方面を撮影しました。 日本画家、松尾敏男(1926〜2016)による「黎明富士」の緞帳が見事です。 ![]() 大衆演劇で、お笑い的要素が多数、良き気分転換となりました。 コロナ対応で座席をガラガラにしているので、興行として成り立つかどうか不安になるレベルでした。 今回は終演後に楽屋にも寄れないので、えりさんにメールで感想の報告。 宇梶さんともお会いしたかった。 東京公演のあとは、京都(南座)公演となります。 早くコロナのない状態に戻りたい。 宮沢賢治が1928(昭和3)年6月の上京で、15日にあるメモ「新演」がここ新橋演舞場であるとされています。 賢治ゆかりの場所でもあります。 ●2月8日(月) 晴れ。 このところ、日が暮れて早々にオリオン座が西空にまわる季節となりました。 オリオンを取り上げた賢治の歌稿については、過去に「緑いろの通信」でも何度か取り上げてきましたが、通常の星座の知識から離れて賢治独自のユニークな解釈をしている面白い事例となりますので、再掲しておきましょう。 掲載の【図1】【図2】は、今回新たに追加したものです。 (以下、「緑いろの通信2007年3月19日号)より)
【図1】【図2】の星座絵は、フラムスティード星図の星座絵図をもとに、藤井旭さんがイラスト化させたものです。 オリオン座は、中央に三つ星があり、ほぼ上下対称にそれぞれ二つの星が並ぶ単純な配列と考えれば、「さかだち」したように思われるのも納得できるところです。 よく、賢治の「星めぐりの歌」の冒頭の「あかいめだまの さそり」について、あれは赤い星アンタレスで、星座上はさそりの心臓のはずが「めだま」ではおかしいことが指摘されます。 草下英明さんの本にあるとおり、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(警醒社)では「眼玉」と書かれているので、賢治はその知識をもとに書いたのではないかとする説明があります。 (しかし、時期的には『肉眼に見える星の研究』刊行が後のこととされます。) 多くの解説本を読むと、このような議論があるなかで(実はそこで思考停止されるものが大半ですが)同じ「星めぐりの歌」にある「あをいめだまの こいぬ」に関しては、こいぬ座のプロキオンがなぜ「めだま」なのか、の方は本気で論じられることもなく、スルーされています。 むしろこちらも同等に検討が行われるべきで、その鍵になるのは、賢治の天文学の知識と同等に、賢治自身の想像力の傾向の理解にあると考えています。 例えば、初期の短歌「西ぞらの黄金(きん)の一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり」(歌稿〔A〕明治四十四年一月より 69)では、宵の明星が「一つめ」のモチーフとなっています。 光る星を一般的に「眼」とする発想が賢治にはそもそもあったということです。 このように、賢治の想像力に基づく創作がどのようなものなのか。 天文学の知識に加えて、想像力の傾向を理解する試みが必要ではないでしょうか。 ●2月9日(火) 晴れ。 野尻抱影『星三百六十五夜冬』(中公文庫)の今日2月9日は「オリオン星群」というテーマです。 しばしば星空との感傷的な体験、あるいは文学的な作品の解説などをテーマとすることが多いなかで、今日は物理学的視点からのお話です。 オリオン座全体を覆いつくすような星雲群は、科学的にもアートとしても非常に魅力的な存在ですが、抱影の時代からその研究は始まっていて、昨今の成果には本当に驚くべきものがあります。 『星ナビ』2021年2月号の特集もそんな記事でした。 ![]() オリオン座の大星雲で思い出されるのが、ロバート・オデール『オリオン星雲−星が生まれるところ』(恒星社厚生閣)です。 10年ほど前に刊行。 書籍整理中に出てきました。 ハッブル望遠鏡による成果をもとに、オリオン大星雲の魅力を「わかりやすく」解説したものです。 監修は宇宙飛行士の土井隆雄さん、訳者は妻のひとみさんが担当されています。 ![]() ●2月10日(水) 晴れ。 今週の12日(金)は新月となります。 ということは、旧暦の1月1日です。 通勤鞄の本は、山口耀久『「アルプ」の時代』(ヤマケイ文庫)です。 山口耀久といえば、やはり『北八ッ彷徨』でしょうか。 『山と渓谷』誌で連載記事を文庫版にまとめたもので、購入してから度々読んでいます。 無理かも知れませんが、いつか北のアルプ美術館に出かけてみたいものです。 (「北のアルプ美術館」はこちら) ![]() 写真のもう一冊は、斉田博『おはなし天文学1 うつりゆく天の極』(地人書館)です。 かつてあった『天文と気象』(のちの『月刊天文』)誌に連載されていた天文史系を中心とした読み物「おはなし天文学」が単行本化されたものです。 粒の揃った良質な内容が多く、私も何度か参考にしています。 全四巻で、私の所有しているのは単行本化当初の古いものですが、新装版も出ています。 間近に迫ってきた原稿の締切。 自宅での作業。 音楽はフェイマス・グルーピーズ。 ●2月11日(木) 建国記念の日。晴れ。 良く晴れた一日。 薄雲。終日自宅で作業。 コロナで再読中毒。 昔読んだ本が心地よい日々。 小林信彦『ミート・ザ・ビートルズ』(新潮社)です。 1991年に発表された小説です。 1989年を生きる主人公が、1966年のビートルズ来日の年にタイムスリップしてポール暗殺計画を阻止に行くお話です。 この小説がもとで、ビートルズ論争もありましたが、当時の情報は限られていたので、いろいろな面で仕方のないこともあるでしょう。 タイムスリップものとしては、藤井哲夫・かわぐちかいじ『僕はビートルズ』(モーニングコミックス)もありました。 ![]() 写真右が『ミート・ザ・ビートルズ』。 左はビートルズ大学を主宰する宮永正隆『ビートルズ来日学』(DU BOOKS)です。 ビートルズ来日から半世紀、50年目の2016年に刊行されたビートルズ本の一冊です。 マニア過ぎる内容にワクワクしながら読んだ本ですが、同テーマの『ビートルズを観た!〜50年後のビートルズ・レポート〜』(CDジャーナルムック)も良かった。 何かと情報が溢れすぎる時代です。 昔の友人からメール。 先日BSで放送されたチューリップ武道館ライブ(1997年再結成2日目武道館公演)で会場映像に映っていたそうです。 (私は見ていない…) 終演後、PAや照明のコンソール席にラグタイムの大野拓家さんがいらして、挨拶したのを急に思い出しました。 バンド活動をしていた頃、大野さんには練習場を提供していただいたり、ライブに足を運んでいただいたりしました。 あの頃の夜の原宿が懐かしい。 武道館ライブからも、もう24年とは。 ●2月12日(金) 晴れ。 マイナーなアインシュタイン本を2冊。 こちらも書架整理で出てきました。 ![]() 比企寿美子『アインシュタインからの墓碑銘』(出窓社)と中本静暁『関門・福岡のアインシュタイン 訪日最後の1週間』(新日本教育図書)です。 前者は、医師三宅速(はやり)とアインシュタインの交流を描いたもの。 アインシュタインからおくられた墓碑銘について、詳しく紹介されています。 この本を読んで、昨年現地(徳島県)を訪れました。 ![]() 後者は、アインシュタイン来日時、離日直前の最後の滞在(関門・福岡)について書かれたもの。 この本を読んで、下関を訪れました。 ●2月13日(土) 晴れ。 週末は静岡にて。 静岡市のシンボル、駿府城公園では、公園内を掘り起こし、大規模な発掘調査が行われています。 まだ謎が多いそうですが、豊臣時代、徳川時代の混在する遺構を見てきました。 掘削作業はこの2月で終了です。 (「駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査」はこちら(静岡市)) ![]() 上の写真は、現場の見学路からパノラマ撮影したものです。 ![]() 地元の方の長時間の説明に感謝。 少々疲れたので、地元名物「静岡おでん」で休憩です。 黒いはんぺんがユニーク。 ![]() 昼食後は、登呂遺跡へ。 教科書にも載っている、弥生時代の住居遺跡です。 ここは二度目の訪問。 静岡市立登呂博物館が開館してからは初めての訪問です。 (「静岡市立登呂博物館」はこちら(静岡市)) ![]() 写真の住居や倉庫部分については、後年の研究により推測されたものです。 住居内部に入ることもできます。 ![]() 竪穴住居と違い、周囲に土手を築きその上に建築されています。 静岡市立登呂博物館が出来て、遺跡の意味を深く理解することができるようになりました。 屋上から北側方面を見ると、水田遺跡も含め、全体像がよくわかります。 ![]() 現代と2000年前の遺跡が同居する不思議な風景となりました。 登呂博物館を出て、隣接する静岡市立芹沢_介美術館へ。 染色家の芹沢_介(1895〜1894)の美術館です。 (「静岡市立芹沢_介美術館」はこちら(静岡市)) ![]() 東京高等工業大学(現東工大)の出身。 工学系大学でも家業にも関連したアート(染色)の道に進み、戦後早くから海外でも高い評価を得ていたことを知りました。 芹沢_介といえば、盛岡の材木町にある光原社の「可否館」の看板が思い出されるところです。 ![]() 館内では、「日本のかたち」展が開催。 芹沢_介が蒐集した日本工芸が展示。 北海道のアイヌに関する品々もありました。 夜、ホテルで地震。 静岡も結構揺れていました。 ●2月14日(日) 晴れ。 日本平の北側に位置する静岡県立美術館へ。 静岡駅前の新静岡駅(静岡鉄道)から県立美術館前駅まで列車で移動。 あとは徒歩30分ほどで到着です。 ここも2度目となる訪問。 (「静岡県立美術館」はこちら(静岡市)) ![]() 企画展は、トーベ・ヤンソンのムーミン展です。 トーベヤンソンと北斎との関係など、気づきの多い展示でした。 ![]() 県立美術館から駅までの途中でランチを済ませ、静岡駅に出てカフェで休憩して新幹線に乗車し帰宅。 帰りの新幹線の中で、以前静岡訪問時に駿府博物館で開催の「宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」展のイベントで宮沢和樹さんの講演会(2013年10月11日)があって出かけたこと、さらにそれ以前、彗星会議が静岡県労政会館を開場として開催(1987年3月21日・22日で初めて静岡を訪れたことも思い出されました。 (彗星会議ではブライアン・マースデン氏の講演もありました) ●2月15日(月) 小雨のち激しい雨のち夜は晴れ。 朝から雨です。 昼間台風のような雨と風になりました。 寒冷前線の通過のようです。 ![]() なんとなく賢治的なあれこれを並べてみました。 それぞれについてはいつか取り上げたいと思います。 ●2月16日(火) 晴れ。 今日は天気が回復。 夕空にはバナナのような月。 暗くなると地球照つき。 宇宙の本を2冊。 ![]() 左側はJAXA・宇宙航空研究開発機構・編『月のかぐや Kaguya on the Moon』(新潮社)です。 2007年9月に打ち上げられ、2009年6月に月面に落下させるまでの短い期間でしたが、月表面を高度約100qで周回し、数多くの測定機器やカメラを駆使し、多くのデータを私たちにもたらしました。 2009年11月刊行に刊行された本書には、「かぐや」プロジェクトの概要と、月表面で撮影された写真が数多く掲載されています。 普段天体望遠鏡で見慣れた地形も、まるで航空機が俯瞰するような視点からのアングルで撮影され、とても新鮮に感じられました。 もう一冊は、現在ISSに搭乗している野口聡一さんの写真集『ワンダフル・プラネット!』(集英社インターナショナル)です。 2009年からのISS長期滞在時に撮影された(主に)地球の写真集です。 ニコンのプレス・リリース「NASAから受注したニコンのデジタル一眼レフカメラ「D3S」と交換レンズ「NIKKOR」で撮影した最新宇宙画像を公開」(2010年7月8日)の記事に、ISSに常駐するニコンの撮影機材のリストが掲載されていました。
時期的には事後のもののようですが、野口さんの機材も同等品と思われます。 特に「天体ショーへようこそ Space Show」に載せられた月のイメージが素晴らしいと思います。 ●2月17日(水) 晴れ。 午前中自宅の用事。 あたたかな日。 通りがかりの道に、「科学万博ポストカプセル2001」の記念碑。 知っている人には懐かしいですね。 1985年開催のつくば博の年に受付が行われ、2001年(21世紀)に配達されるという特殊郵便の扱いがありました。 写真と解説板は次のとおり。 ![]()
当時、亡くなった家族や友人から葉書が届いた・・・など、とても話題となりました。 あれからすでに20年。 21世紀も20歳になったのです。 今夜も月がきれいです。 ![]() 冬の星座を先導するように、西の空に消えてゆきました。 宮沢賢治の年譜記事の1932(昭和7)年のちょうど今頃、2月19日に次の記載があります。
杉山芳松は、賢治の斡旋(1923(大正12)年夏の樺太行)で樺太にある王子製紙工場に就職した生徒の一人です。 賢治の就職斡旋から9年が経ちましたが、その後樺太で働いており、賢治への感謝の気持ちとして贈り物をしたようです。 それに対する賢治の手紙です。 年譜では概要のみですが、書簡404aにある後半のくだりの部分が好きで、病気の自分のことを報告したあとの箇所から引用しておきます。
「気が向いたら〜ありがたい次第です。」がいかにも賢治らしい文章で、同じく教え子の柳原昌悦への最後の書簡などとも通じるものがあります。 ●2月18日(木) 晴れ。 読み始めた新刊です。 著者の岩橋淳(1960〜2019)さんは、書店員として有名な方で、盛岡での活動が知られます。 「岩手日報」紙上に2005年から2018年まで書かれた書評(U18−読書の旅など)が、クラウドファンディングにより一冊の本となりました。 『いつだって本と一緒』というタイトルです。 (「書店員・岩橋淳さんの連載「いつだって本と一緒」を書籍化します!」はこちら) ![]() ●2月19日(金) 晴れ。 昨年は2月のこの時期、北海道網走に流氷を見に行きました。 海氷情報センターの情報で見ると、今年はもう流氷がだいぶ陸から離れてしまった印象です。 (奇妙な)暖冬のせいでしょうか。 ![]() ●2月20日(土) 晴れ。 さわやかな晴れ。 賢治ゆかりの地、水戸の偕楽園へ。 1928(昭和3)年6月、東京での滞在と、伊豆大島行の上京の途中、仙台を経て水戸に立寄っています。
早朝水戸駅についた賢治は、農事試験場が始まるまでの時間を利用して偕楽園(書簡235、父政次郎あて書簡で「明朝五時に水戸に着き公園等を見て…」とあります)を訪れていました。 例年2月中旬から3月中旬、水戸の偕楽園では、梅まつりが開催され賑わっているはずですが、コロナの影響で延期扱いとなっていました。 (「第125回 水戸の梅まつり」はこちら(茨城県観光物産協会)) 土浦駅から特急に乗り、この時期限定の偕楽園駅(臨時駅)で下車。 下り方面のみしかホームはありません。 ![]() 駅を下りてすぐ、大きな鳥居の常盤神社を目指します。 ここは、水戸黄門(水戸光圀)を祀った神社です。 (「常盤神社」はこちら(茨城県観光物産協会)) ![]() 常盤神社の横を通り抜ければ、偕楽園の東門があります。 入場券を購入し、公園内に入場。 賢治のときは、恐らく公園北側にある御成門(現在は閉鎖中)から入園しています。 梅まつり延期の影響で公園内は閑散状態。 いつもなら、かなり人で溢れているので考えられない状態です。 千波湖に面した広場(正岡子規が『水戸紀行』のなかで子供たちが「ベース、ボールまね也」と書いた場所)です。 ![]() それでも梅の方はきれいに咲き始めていました。 ![]() ![]() 偕楽園のシンボル、好文亭にも入場してみました。 徳川斉昭が別邸として建てたものです。 偕楽園内や千波湖を見下ろすことができます。 ![]() 偕楽園を出て、常磐線の跨線橋を渡り千波湖沿いの歩道(鴨が寄ってくる)に出て、好文茶屋で休憩。 ここは人が多め。 再び鴨や白鳥を見ながら歩いて、茨城県近代美術館で開催中の「ムーミンコミックス展」を見学。 (「茨城県近代美術館」はこちら) 先日の静岡県立美術館で見学したムーミン展は、トーベ・ヤンソンの原作への挿画が展示されていましたが、こちらでは新聞に連載されたムーミンコミックスの原画が中心です。 トーベ・ヤンソンのほか、連載を引き継いだ弟のラルス・ヤンソンの作品を見ることができました。 ![]() ![]() 水戸からは気分を変えて海の方に出てみました。 ちょうど夕暮れ時で、急に冷たい風。 ![]() 最寄り駅までタクシーで戻り、水戸から特急で急いで帰宅。 中身の濃い一日でした。 ●2月21日(日) 晴れ。 自宅で作業。 夏のような温かさ。 とても2月とは思えません。 正月に出かけた北八ヶ岳の山小屋が、昨日長野県(長野朝日放送)で放送されたようで、本日からオンエアーされた番組がYouTubeでも配信されていました。 「いいね!信州スゴヂカラ」という番組中、「みんなの山 冬の八ヶ岳編 ぬくもりの山小屋をはしごして」という企画です。 番組のレポーターの方が、渋の湯温泉から賽の河原を経て高見石小屋まで登っています(1日目)。 私も冬期はいつもこんな感じで歩いています。 番組では、高見石小屋に宿泊し、翌日中山を経て、黒百合ヒュッテ経由で渋の湯に戻る一泊コースです。 今月は静岡と水戸で異なる二つのムーミン展を見ました。 ムーミンシリーズ初期の作品に『ムーミン谷の彗星』があります。 彗星が現れ、衝突してこの世が滅びると予言されますが、実は何事もなかったというお話。 作者のトーベ・ヤンソンと彗星について少し調べてみました。 何か実際の彗星を見て、そのイメージを彗星のモデルとしたような体験はあったにでしょうか…。 ![]() トーベ・ヤンソンはフィンランドの作家で、生まれは1914年、没年は2001年です。 トーベ・ヤンソンの生年は、宮沢賢治が盛岡中学校を卒業した年にあたります。 トーベヤンソンの年譜を見ると、「1930年から1933年までストックホルム芸術学校に在籍。 1933年から1937年までフィンランド芸術アカデミー美術学校に在籍。 なお『ガルム』誌には 1930年代から1953年まで掲載。」(Wikipedia「トーベ・ヤンソン」より「生涯」)とあります。 (『ガルム』は、フィンランドの風刺雑誌) そのうち、ムーミンシリーズの創作が始まり、『ムーミン谷の彗星』が発表された時期を調べると、次のとおりありました。
当初の題名は『彗星追跡』。 スウェーデン語による発表時期は1946年でした。 もしトーベ・ヤンソンが実際に彗星を見て、作品を書いたとすればどの彗星が候補でしょうか。 生年の1914年から作品発表の1946年までに明るく見えた彗星から考えてみました。
上記の候補からすると、デラバン彗星(C/1913 Y1)は、生まれて間もない時期で該当外。 となると、1927年のポン・ウィンネッケ周期彗星(7P)かシエレルプ彗星(C/1927 X1)でしょうか。 ストックホルムで、両彗星の見え方をシミュレーションして試してみました。 その結果、明るい彗星だったとしても、北緯60度近い高緯度に位置していることも影響し、見ることは難しいことがわかりました。 そこで、実際には見ていない彗星についても考えてみました。 彗星を恐ろしい存在として描かれていることに注目すると、トーベ・ヤンソンが生まれる前、1910年5月に地球に接近した有名なハレー彗星は、有毒なガスを含む彗星とされたものの、実は地球に接近しても何の影響もなかったというエピソードがあります。 『ムーミン谷の彗星』のお話とも重なることから、作品のモデルとなっていた可能性があります。 ところで、コミックのシリーズにも『彗星がふってくる日』というのがあります。 (写真は、トーベ・ヤンソン+ラルス・ヤンソン 冨原眞弓訳『ムーミン・コミックス9 彗星がふってくる日』(筑摩書房) ![]() こちらの作品では、彗星が接近してきて落下。 家に逃げ込み無事で、彗星の熱を洪水がさますというオチ。 ●2月22日(月) 晴れ。 2月22日は「猫の日」(鳴き声に由来)だそうです。 先日紹介した野口聡一『ワンダフル・プラネット!』にあった「「僕のお気に入りの「キャット・アイランド」地中海」の島をグーグル・アースで探してみました。 ![]() イタリアのナポリ近くのプローチダという地中海に浮かぶ小さな島でした。 猫感出てます。 (「プローチダ」はこちら(Wikipedia)) 野尻抱影『星三百六十五夜 冬』(中公文庫)の今日2月22日は「サモトラーケの女神」です。 あまりにも有名な「「サモトラケのニケ」像のお話。 1863年にサモトラケ島で発見された像をめぐり、ギリシャ神話との結びつきについて語られます。
![]() アルゴ船の神話を思い出すとき、そう思わせてしまうような有名なニケの像。 パリのルーブルを訪れたときに、当時テロ対策の厳重な警備で入場まで時間がかかり、飛行機までの時間もなく、見学を断念したことが思い出されます。 (オルセーも同様) (「サモトラケのニケ」はこちら(Wikipedia)) ●2月23日(火) 天皇誕生日。晴れ。 天体画像処理専用のソフト、ステライメージの新バージョン「StellaImage9」をインストールしました。 前バージョンからのアップデートです。 ![]() あとでいろいろと(特に大きなファイルを使って)コンポジット処理など試してみたいと思います。 ![]() ●2月24日(水) 晴れ。 今日は少し寒めの気温。 帰宅時、天頂からの降るような月光のシャワー。 満月は今週の同曜日。 どこかで聴いたような・・・、と思ったら賢治の「星めぐりの歌」。 アレンジが微妙ですが、よ〜くきくと聴こえてきます。 (情報提供ありがとうございます) 「資生堂 Hand in Hand Project」(プロジェクト実施期間:2021年2月1日〜4月30日)の「#手守り習慣で手助けを」篇 60秒CM動画で使われています。 (宮沢賢治の曲であることのクレジットはどこにもありませんが…) ![]() 写真は先日千波湖で見た鴨。 個性的な鴨がたくさんいました。 人慣れしていて、追いかけてきます。 ![]() ![]() ●2月25日(木) 晴れ。 賢治の新刊から。 仙台の佐藤通雅さん編、賢治短歌鑑賞本です。
「賢治の図書館」≫ 佐藤通雅編著『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』(NHK出版)を追加しました。 購入後、大急ぎで読んでみたところ「緑いろの通信」(2021年2月8日号)で取り上げた、賢治の短歌「オリオンは西に移りてさかだちしほのぼののぼるまだきのいのり」(『アルカリ色のくも』では歌稿Bより)の鑑賞文がありました。 鑑賞文の執筆は歌人の梶原さい子さんです。 オリオンの「さかだち」をどのように解釈されているか、興味深く読みました。 (引用文のあとの天体シミュレーション画像は参考につけたもので、本著書にはありません)
![]() ![]() 鑑賞文では、西のオリオンが唐突にも地平線下のオリオンへ、すなわち「西に沈みてさかだちし」へと考え方が置き換えられて解釈されており驚きました。 オリオンを地平線下に移動させてしまっては「(朝)まだき」の状況とする必然性もなくなってしまいます。 「西に移りてさかだち」させるためには、既存の星座の姿に拘ることなく、賢治独自の発想(星座観)を受入れする方が明らかに現実的な選択と思います。 賢治作品は、多くの場合で天文学の知識の代弁者という立場で書かれたものではなく、賢治自身の想像力の産物ということを忘れてはなりません。 今夜も月がきれいでした。 以前、小樽港前のホテルの部屋から撮影した月の写真を載せておきます。 ![]() ●2月26日(金) 晴れ。 好天が続いています。 北海道の建築家田上義也からの流れで、必然的にフランク・ロイド・ライトへ。 昨年(2020年)は、帝国ホテルの1890年開業から130周年にあたる年でした。 植松三十里『帝国ホテル建築物語』(PHP研究所)を読んでみました。 ![]() かつて日比谷公園前にあった帝国ホテルのライト館建設の物語です。 最後には、明治村への移設のお話まで含まれていました。 (上写真は『帝国ホテル建築物語』と明石信道『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』(建築資料研究社)) 帝国ホテルといえば、都心の帝国ホテル東京より、長野県にある上高地帝国ホテルの方が身近な感じがします。 「帝国ホテル130周年記念」のサイトには、次の「帝国ホテルの歴史」がアップされています。
実業家、大倉喜八郎が手掛けた帝国ホテルは、これまでいくつかの他のホテルや施設の経営にもかかわってきました。 Wikipediaの「帝国ホテル」には「かつての関連施設」として、北アルプスにある燕山荘への言及もあります。 (以下引用)
![]() このことについては、二代目赤沼淳夫(1923〜2018)『私の半生』より、「帝国ホテル傘下へ」に大倉喜八郎とのことが書かれています。 (『私の半生』より「5 帝国ホテル傘下へ 建て直し中の本館雪で倒壊」はこちら) 帝国ホテルと燕山荘が繋がっていたとは知りませんでした。 今度、機会があったら、現オーナーの赤沼さんにお話を聞いてみたいと思います。 今年は燕山荘創業100年です。 ●2月27日(土) 晴れ。 三鷹市にある天文★科学情報スペースで開催中の企画展「手の中の星空〜星座早見盤の世界」を見学。 いくつかの星座早見盤が解説とともにパネルとなって展示されていました。 展示された星座早見盤に限って言えば、種類も数も、自宅の方が沢山あります。 海外のものをいろいろと見てみたいと思いました。 (「天文★科学情報スペース」はこちら) ![]() 見学を終えて、三鷹駅にもどる途中、偶然見かけた太宰治展(「太宰治 三鷹とともに−太宰治没後70年−)にも寄ってみました。 駅前の三鷹市民ギャラリーに昨年12月に新設されたばかりの「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」です。 太宰治の三鷹滞在時の住まいを再現した座敷のレイアウトになっていて、そこに展示スペースが設けられています。 ![]() 三鷹の住まいには、1939(昭和14)年9月〜1948(昭和23)年6月玉川上水で自死するまでの暮しの場があり、「走れメロス」「斜陽」などの代表作をそこで書き上げています。 小さな展示室ながら、津島家から三鷹市に寄託された自筆物や資料が多く含まれ、期待以上の見応えでした。 展示には、三鷹に中島飛行機武蔵野製作所の創業のことも触れられていました。 充実した展示図録『平成30年度特別展 太宰治 三鷹とともに−太宰治没後70年−』が1000円で販売されており、帰りに買い求めてきました。 (お得) ![]() 三鷹の中島飛行機で思い出されるのは、渡辺えりさんのお父様(渡辺正治さん)のことです。 戦時中、三鷹の中島飛行機武蔵野製作所に就職し、尊敬する友人を空襲で亡くした経験がありました。 年譜によれば、その時期、太宰治も三鷹で暮らしていました。 ![]() 渡辺正治さんの戦争体験や、後日の友人の墓参りのことは、牛田守彦『戦時下の武蔵野I』(ぶんしん出版)、「喜劇悲劇」2015年7月号(早川書房)収録の渡辺えり「父の話」に詳しく記されています。 尊敬する友人を亡くしたことで、戦争への考え方を改め、終戦後は地元山形で教員となります。 ![]() 太宰治展の図録の末尾には、「太宰治 略年譜」がついていました。 (本日の記事の末尾に掲載) 三鷹に住んだのは、まさに戦争中の期間で、1939(昭和14)年1月に井伏鱒二宅で結婚後、山梨県甲府市で新婚生活送ったあとの9月のことでした。 当時の作品発表や出版の記録を見ると、いかに多忙な日々であったのか知ることができます。 (※は略年譜の「三鷹・文学作品・社会と文学の動向」より) (▲は牛田守彦『戦時下の武蔵野I』(ぶんしん出版)における「IV 親友の命を奪ったあの戦争−中島武蔵製作所の行員だった渡辺えりさんのお父様の体験−」関係記事。
同じ年譜に整理すると、戦時期の状況が同時並行的に悪化している様子がわかります。 賢治の時代より、ずっとずっと「最近の出来事」として再認識しました。 中野駅で下車。 久々にフジヤカメラに立寄り。 デジタルカメラの在庫状況などを見てきました。 駅前の中野サンプラザもどこか懐かしい建物です。 数年前に建て替えが発表されました。 やがて取り壊されてしまうことでしょう。 ![]() ●2月28日(日) 晴れ。 自宅で作業など。 ![]() 写真は文藝春秋編『21世紀への手紙 ポストカプセル328万通のはるかな旅』(文春新書)です。 「緑いろの通信」(2021年2月17日号)で紹介したポストカプセル郵便にまつわるお話を集め、また取材したものを一冊の本にまとめたものです。 記事執筆は千葉望さん。 昨年『大切な人は今もそこにいる: ひびきあう賢治と東日本大震災』を刊行された方です。 明日から3月です。
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