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●9月1日(火) 曇り一時雨のち晴れ。 9月になりました。 今月の写真を拡大して載せておきます。 燕山荘前の石垣の上から撮影した夕暮れです。 キャンプ場裏側にある小ピークの上では、カメラマンが燕岳の絶景を狙っていました。 ![]() 忘備録的に大木惇夫の詩「星座」を。 (詩集『雲と椰子』より)
草下英明『星日記』(草思社)の「1924(昭和17)年」で、従軍詩人として南支那海を南下していた時期の詩集からと引用のあったものです。 ●9月2日(水) 曇り一時雨のち晴れ。 夜の窓に月の光。 満月の夜。 ![]() 大島裕子『智恵子抄を歩く−素顔の智恵子−』(新典社)と、大里健編著『続銚子の絵はがき』(東京文献センター)の2冊です。 関連して渡辺えりさんの戯曲本『渡辺えりV 月にぬれた手/天使猫』(ハヤカワ演劇文庫)収録の「月にぬれた手」も再読。 ●9月3日(木) 晴れ時々にわか雨(雷)。 ますむらひろしさんの『銀河鉄道の夜・四次稿編 第1巻』(個人的には『銀河鉄道の夜・ロングシート版』とでも呼びたいものです)が、早くも発売となります。 新聞の連載を読めないので困っていました。 今回は全4巻中の第1巻です。 本体価格 1,700円+税/B5サイズ 上製本 本文168ページ/全4巻予定/発行所 有限会社風呂猫 とありました。 ご注文はこちらのサイトからどうぞ。 写真は山上での銀河。 ![]() ●9月4日(金) 晴れ。 大正時代のアインシュタイン啓蒙本など読む(再読) ティリング著・桑木或雄序・寮佐吉譯『通俗解説アインスタイン要約』(九十九書房)です。 後付の発行の日付は、1922(大正11)10月10日で、11月17日のアインシュタイン来日の直前の刊行といえます。 ![]() 序文は、日本人としてアインシュタインに初めて面会した桑木或雄(九州帝大教授)、訳者は当通俗科学書の翻訳を手掛けていた寮佐吉です。 ![]()
現代の相対論に関する本を読まれている方であれば、この目次を見ただけでも、内容を理解していただけるかと思います。 そもそも、本書の目的が「難解」とされた相対論を分かりやすく伝えることにあるため、一部を除き数式を用いずに解説しているという点も当時の他の専門書とは異なっています。 「末言」では、「相對性理論の基礎的觀念間の連絡を明瞭にする」する重要性を改めて説き「相對性理論系統表」もつけています。 ![]() (余談的に)写真の本は古書でしたが、当初の持ち主による記名「**雪子」の横に「大正十一年十月十九日求むる」と記述がありました。 発売日の9日後の購入で、当時のアインシュタインブームを垣間見た?気がしました。 ●9月5日(土) 晴れ。 買い物など、その後自宅にて所用。 天文誌の新刊を購入してきました。 ![]() 10月号は、両誌ともに10月6日に今期の最接近(視直径22.6″)となる火星の特集です。 『天文ガイド』では、中野主一さんの「NEOWISE彗星の経過」、『星ナビ』では山田義弘さんの『天文外史東亜天文学会創立100年』が良かった。 『星ナビ』のブック・レビュー記事で宮沢賢治の記事がありましたので、「賢治の図書館」に挙げておきます。 「賢治の図書館」≫ 『月刊星ナビ』2020年9月号月刊ほんナビ/石っこ賢さんと銀河鉄道の科学/原智子/(AstroArts)を追加しました。 宮沢賢治の最近刊行された地学系図書と、童話「銀河鉄道の夜」に関する本(少し前に刊行されたもの、博物館の図録なども含まれています。 ライターは賢治好きで読書会活動もされている原智子さん。 ●9月6日(日) 晴れのちにわか雨。 九州には台風が接近。 夕焼けがオレンジ色で鮮やか。 少しゆっくり起床して、一日中作業。 家に届いていた『覆刻絵本絵ばなし集』(ほるぷ出版)より『ミエバウノヒヨッコ』(大木惇夫・文、吉見享二・画)と『ネコノシッポ』(大木惇夫・文、村山知義・画)を読む。 ![]() 『繪噺世界幼年叢書』のシリーズとして、第三篇『ミエバウノヒヨッコ』(昭和6年11月15日発行)と、第十篇『ネコノシッポ』(昭和7年5月7日発行)です。 共に宮沢賢治が亡くなる直前の時期の刊行です。 本シリーズの「刊行の言葉」は、次のように記されていました。
このような文章を見ると、思わず宮沢賢治の『注文の多い料理店』序や、広告文を思い出してしまいます。 『ネコノシッポ』では、村山知義の挿画のネコが素晴らしく気に入りました。 (高松のプシプシーナ珈琲の猫を思い出す) ![]() 村山知義は、画家というよりは、演劇関係の多彩なキャリアでの活躍(築地小劇場など)が知られるところかも知れません。 ●9月7日(月) 晴れ。 中公文庫版の野尻抱影『星三百六十五夜』も9月からは秋編へと移り、「二百十日」「夜行に星を見る」「大震と星」「縁日」「傾く蝎」…とところどころに秋めいた語が目立つようになってきました。 今日、7日のタイトルは「牽牛三星」です。 以下の引用は冒頭の書出しです。
![]() 抱影は牽牛(わし座のアルタイル)と、その両側の2星を「牽牛三星」とし、オリオン座の三つ星の和名、恒星のバイエル名の順番について光度順ではない事例を挙げたり、そのなかでアイヌの星の言い伝えへと話が及びます。 夏の大三角を見つけると、一番明るいこと座のベガには小さな並行四辺形が、 そして北十字と呼ばれ、貫録ある十字架のてっぺんにあるはくちょう座のデネブを探しあて、最後には、少し離れて南に寄ったわし座のアルタイルへと辿るのが個人的な見つけ方の「作法」なのですが、アルタイルには、その両脇の星を含め「三星」並ぶ姿を確認するところまでがその締めくくりとなっています。 この「三星」については、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」においても、銀河鉄道の舞台のモデルとなる天の川に沿った星座ということで、引用があります。 アルビレオの観測所を過ぎ、車掌による検札が済んだところです。
賢治は、「鷲の停車場」を発想するにあたり、わし座の特徴として、この「三星」を用いて「三つならんだ小さな青じろい三角標」としています。 ●9月8日(火) 晴れ。 仙台の佐々木孝夫さんより、賢治関係のCDを2枚お送りいただきました。 すでにリリースされた5枚のうち2枚です。 ジャケットやライナーノーツを再印刷したものだそうです。 ありがとうございます。 今後の展開も楽しみです。 ![]() また、宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局からは、今年の新型コロナ・ウイルス感染症の影響による、宮沢賢治賞・イーハトーブ賞贈呈式、功労賞贈呈式、定期大会に関する開催のお知らせがありました。 賢治関係のニュースに、若松英輔『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)が取り上げられていました。 夏山に出かける前に購入したもののまだ読了していません。 …しかしながら、本書で賢治の愛好者としての須賀敦子という作家を改めて理解することができました。 (「文学者で、教師で、翻訳者…須賀敦子という「日本文学史の特異点」はいかにして生まれたのか 著者は語る 『霧の彼方 須賀敦子』(若松英輔 著)」はこちら(文春オンライン2020年9月7日)) ●9月9日(水) 晴れ時々雷。 夕焼けがきれいでした。 賢治の新刊から。
「賢治の図書館」≫ 『実験で楽しむ 宮沢賢治 銀河鉄道の夜』/四ヶ浦 弘 著/HISA・勝山陽子 絵/金沢・金の科学館/(仮説社)を追加しました。 最近、理学と「銀河鉄道の夜」の本の刊行が目立ちます。 一つのブームでしょうか。 ●9月10日(木) 晴れ。 自宅の所用など。 帰宅途中に火星を見たら、急に明るくなったようで驚き。 接近は来月。 ●9月11日(金) 晴れ。 自宅の所用及び、週末の準備。 あの「9・11」ながら、あまり話題になっていない感あり。 書架より古天文書を一冊。 1923(大正12)年11月に刊行された石井重美『世界の終り』(新光社)です。 ![]() 書名が刺激的で、普通の天文書にはないものです。 刊行の2ヶ月半ほど前に起こった関東大震災(1923年9月1日発生)を体験した著者が、地球や宇宙がもたらす大災害という切り口で、小論をまとめています。 (本書「序言」によれば、東京日日新聞紙上において掲載の記事をもとに書かれたとあります) 以下は、目次より章題を掲げます。
次の文章は、本書の「星雲との衝突」から「一、星雲の本性」より一部を引用したものです。
内容は真面目な解説です。 現代の天文学の理解と比べれば、当然異なる説も掲載されていますが、最後の段落の螺旋状星雲(渦巻銀河と思われる)の説明では、吾々の宇宙系統(私たちの住む銀河系)と遠い空間に在る他の宇宙系統(他の銀河)の説を述べたあと、それは「矢張り我々の宇宙系統内にあつて、新たな太陽系形成の道程にあるもの」といった異なる説も併せて記述されています。 (これは1920年にアメリカで行われた銀河に関する「シャプレー・カーチス論争」の内容が元となっているのでしょう) 当時の新しい説も積極的に紹介されています。 次の写真は、本書の図版より「第五十四圖 オリオン星坐(所謂「三ツ星」)の大きな不正形瓦斯状星雲。」と説明のあるものです。 ![]() おなじみのオリオン座大星雲(M42)です。 今なら、アマチュアでももっと立派な写真が撮れますが、序言の記述からすると当時の天文学の洋書から転載されたもののようです。 北が上になっているので、その頃としては珍しいものかも知れません。 ●9月12日(土) 曇りのち晴れ。 朝の中央線特急で茅野駅で下車していつもの山へ。 森に入ると(雨降りが続いたせいか)辺りの苔は、実に鮮やかになっていました。 ![]() 個性的なカメラマンの横を過ぎて樹林帯の登り。 足元に注意しながら、30〜40分程度で高見石小屋に到着。 小屋前の気温は15度。 小雨のなか、週末で賑わっていました。 薪ストーブ前には新しい大きな木のテーブルがありました。 ![]() 昼頃から天気予報どおりにわか雨となりました。 夕方、売店の営業も終わって、宿泊者のみの静かな時間です。 ![]() 夜になって、雨もあがり少しの晴れ間から木星や土星が見えはじめました。 雲がゆっくり流れるなか、夏の天の川を簡単に撮影。 ![]() ![]() しばらく撮影をして小屋に戻ると消灯。 ●9月13日(日) 曇り時々雨。 午前1時頃起床。外は霧雨。 さらに午前4時頃起床。 空には雲をとおして金星のみ。 月は全く見えませんでした。 日の出後、空全体が染まってきました。 霧に包まれた太陽は幻想的。 太陽の上半分が欠けて見えるのは、霧の向こう側で厚い雲に隠されているためです。 ![]() やがて濃い霧は消えて、遥かな雲海と白駒池。 強風の中の撮影でした。 ![]() ホシガラスのホッシー君とお遊び。 最近間近まで寄ってきます。 ![]() 9時45分に小屋を下りて11時過ぎのバスで下山。 駅前のオクテットで昼食後東京へ。 ●9月14日(月) 晴れ。 地元、つくば星の会の会報『星空つくば』No.372 2020年9月13日号が到着。 「20年ぶり…木星と土星の接近をみよう!!」ほか。 ![]() 個人的星見ポイントと標高リストについて。 (私的メモ)
●9月15日(火) 晴れ。 今夜の天文古書は、山本一清『天文と人生』(警醒社)です。 山本一清は、京都帝国大学助教授時代に、アマチュアの加入を念頭においた天文同好会を創設し、これがのちに東亜天文学会へと発展することとなります。 この山本一清は多数の天文啓蒙書を送り出しており、中でも『星座の親しみ』はあまりにも有名です。 ![]() 『天文と人生』は、1922(大正11)年の刊行で、同時期の刊行となる『遊星とりどり』『星空の觀察』と併せ、エッセイの三部作のような位置づけとしています。 序文によれば、『天文と人生』は、「天體と宇宙、それに、廣い意味の人生が關係する方面のものを集めた」とあります。 以下は目次です。
当時、すでに発表された文章が元となっているそうですが、一つ一つはなかなか奥の深い読み物となっています。 「星學上より觀たる七夕の傳説」では、新星の話題を絡めながら、そして「或る夕(ゆふべ)のこと」のお話が良かった。 巻末の広告には、『星座の親しみ』と並んで吉田源治郎『肉眼に見える星の研究』も掲載されていました。 ![]() 改修工事をしていた旧東北砕石工場が9月13日からリニューアル・オープンしたようです。 現地では式典も行われたようですが、9月13日は、賢治が初めて東北砕石工場を訪れた日(1930年→90年前)となります。 (「賢治ゆかりの旧東北砕石工場、4年ぶり公開再開 一関市」はこちら(朝日新聞2020年9月15日)) ●9月16日(水) 晴れ。 午後、緊急事態。 慌ただしく夕方になる。 ●9月17日(木) 晴れ。 涼しさと暑さが共存。 当面のスケジュールを再調整。 野尻抱影『星三百六十五夜 秋』(中公新書)の「魚山羊」は、今日9月17日のテーマです。 冒頭を少しだけ引用します。
![]() 実は、「山羊座が真南にかかる」としながらも、本当に真南にかかるのは9月末頃のことで、半月ほどの曖昧さを含みながらも、この時期の黄道の星座の配置をうまく表現しています。 今日のタイトルにあるように、「魚山羊」とはなんとも変な言葉で、上の星座絵図にあるように「魚+山羊」に描かれた神話上のイメージがあります。 本日の文章、最後のところでは次のとおり。
ギリシャ神話では、牧神パーンの変身ミスとされています。 (神話によっても異なります) 天界の描写もじわじわと秋の空に移ってきました。 そして火星の存在感も日に日に高まります。 ●9月18日(金) 晴れ。 かなり夏の暑さが戻った一日でした。 午後から自宅の用事。 昨日、抱影の「魚山羊」のお話でやぎ座の話題となったところで、思い出されるのは、「賢治のやぎ座」のことです。 そもそも、やぎ座は意図されていなかったようですが、そのことを少し。 ![]() 春と修羅第二集に「〔温く含んだ南の風が〕」(作品日付1924.7.5)という作品があります。 これは、1924(大正13)年の夏、花巻の農学校教師時代に書かれたものです。 その夏は雨が少なく、田畑の水不足が深刻な問題となっていました。 そんな時期、(手入れ時の作品名「夏夜狂燥」の説明として)「田んぼの水引きのときに作った詩と思われる」(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)のがこの作品です。 つまり、夜、水を確保するための見回りに出かけた水田が舞台というわけです。 温(ぬる)く湿気を含んだ南の風が、眼前に拡がる稲の上を吹き、遠く地平線を望めば、けむった銀河が横たわる…そんな晩、空一面の星空を見上げながら「スケッチ」されたもので、実に数多くの天体が描かれています。 全文は長いので、冒頭のところを引用しておきます。
ざっとこれだけ読んだだけでも、天体(らしき)描写のいくつかに気づかれたことと思います。 ここで取り上げたいのは、「北の十字のまはりから/三目星(カシオペーア)の座のあたり」の部分です。 「北の十字」は、はくちょう座の骨格となる通称「北十字」です。 そして「三目星」には「カシオペーア」とルビをふっています。 「カシオペーア」は「カシオペヤ」座を指すにしても、それが「三目星」、つまり三つの星から成る星座のように書かれています。 カシオペヤ座は、小学生の星座知識でも明らかで、「W」または「M」の形の5つの星が目印の星座です。 ![]() このことについて草下英明氏は、「三日星」の解説(「宮沢賢治の作品の現れた星」)において。
草下氏は後年、カシオペア座(カシオペヤ座)は三つの2等星(α、β、γ)と二つの3等星(δ、ε)から成つことに注目し、「三角形を形造っている」ことが「三目星」の成立に関連することも指摘されています。 これは発想として、とても理解しやすい説明です。 天文学上の星座の概念とは別に、賢治自身のオリジナルの星座観による考え方があることを裏付けるものと言えます。 (なお、童話「〔ポランの広場〕」の「あの大きな星の三つならんだカシオペーア」という表現にも言及があります) さて、この3つの星のカシオペーア「三目星」について、作品の下書稿(一)、下書稿(二)、定稿(最終形は下書稿(二)の最終形態)見ると、以下のような手入れが認められます。 (【新】校本宮澤賢治全集第三巻詩[II]校異篇より)
以上の手入れの経緯のうち、(1)において「摩渇大魚」、(2)において「摩褐(ママ)大魚」が出てきますが、占星術における黄道12星座のうち、やぎ座に対応するものとして同じく「まかつ」と読む「磨羯宮」があります。 賢治の場合、「摩羯」の「摩」が「磨」、そして「羯」が「渇」であったり「褐」となっていますが、そこに「大魚」を付したことから、半羊半魚のやぎ座、さらに「磨羯宮」との関連が気になるところです。 「十二宮」の「磨羯宮」に関しては、吉田源治郎『肉眼の見える星の研究』(警醒社)にも、山羊座と磨羯宮の対応が掲載されてます。 ![]() ここで改めて前後のテクストを俯瞰してみると、はくちょう座の北十字からカシオペヤ座付近の天の川の様子を描いていることから、南東の空にある本来のやぎ座とは位置的に無関係であることがわかります。 ![]() また、『定本宮澤賢治語彙辞典』の「摩渇大魚のあぎと」(詩「阿耨達池幻想曲」より引用)の項には、次の説明を見つけました。
やぎ座に対応する「磨羯宮」は、詩の意味を考えてみた場合にはむしろ希薄の存在で、ここでは仏典の「摩竭魚」に由来するとした方が説明がつくことになります。 当夜の星空から察すれば、カシオペヤ座の「W」を見て上顎の鋭い歯をイメージしたようです。 とすると、下書稿(一)では、カシオペヤ座の配列を見て「摩竭魚」の歯をイメージし、下書稿(二)以降では「摩竭魚」から発想を変えて、さらに別の対象となる「天主三目」「三目天主」「三目星」へと大きく転換があったと理解することができます。 下書稿(二)に見る変遷に関し、草下氏は「三日星とプレシオスの鎖」(「四次元」第31号、昭和27年8月)を書いた後に、その「補註」を記し、詩篇中に登場するインド密教の神「マケイシュバラ」にヒントを得て、次のとおり結論を出しています。
なお、草下氏の「宮沢賢治の作品の現れた星」のうち、「三日星」の項は、賢治の校本全集、新校本全集以前の資料に基づく論考であり、「摩蝎」に関する説明等、その後確認された事実関係において異なりがあることにも注意が必要です。 カシオペヤ座という西洋起源の星座は、賢治にとっては「摩渇大魚の座」、転じて「三目星の座」といった具合に、すっかりオリジナル化されているという点、さらに他作品にもそのイメージを重ねていることは、非常に興味深いと思います。 やぎ座から思いつくままに書いてみましたが、1924(大正13)年の夏という時期に、夜空を見上げて、これだけ独自にイメージを膨らませていたことに拘っておきたいと思います。(以上について、9月23日にバナー付加及び本文更新) ●9月19日(土) 晴れ。 自宅において作業及び打ち合わせ。 週末の予定はすべてキャンセル。 先日縦走した燕〜常念で宿泊した大天荘より絵葉書が届いていました。 槍〜穂のパノラマに大天井岳を配したカードです。 (「大天荘」はこちら) ![]() ●9月20日(日) 晴れ。 出先でお茶の時間。 ![]() ●9月21日(月) 敬老の日。曇りのち晴れ。 宵空に欠けた月が見えました。 今日は宮沢賢治の命日(1933(昭和8)年)ということで、例年、岩手県花巻市において賢治祭がとり行われるところ、今年は新型コロナウイルス感染症への対応により中止となりました。 (「賢治祭【中止となりました】」はこちら(花巻観光協会)) ![]() ●9月22日(火) 秋分の日。曇り。 例年であれば、今日は花巻駅近くのなはんプラザにおいて、大勢の参加者のもと宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の贈呈式の日です。 今回については規模を大幅に縮小してのセレモニーとなりました。 上記の式典については、なはんプラザのtwitterサイトにその様子が写真で掲載されています。 (「式典真っ只中!受賞者の皆さまおめでとうございます」はこちら(なはんプラザ・twitter)、 「「第30回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞」の受賞者が決定しました」はこちら(花巻市)) 昨日の昼には、北上川のイギリス海岸付近の渇水化の試みが実施されましたが、水量が多く、川床が露出することはありませんでした。 (「「イギリス海岸」出現ならず 賢治命日 水量調節もあと一歩【岩手】」はこちら(岩手日日新聞2020年9月22日)) ●9月23日(水) 曇りのち雨。 明日には次の台風が接近。 例年の日程では花巻で賢治学会の研究発表会。 ![]() ●9月24日(木) 曇り時々雨。 台風の影響時折強い風がありました。 所用を経て帰宅。 もし晴れていれば上弦の月が秋空に懸る頃。 抱影『星三百六十五夜秋』(中公文庫)の明日、9月24日は「夜明けの星」です。
今夜、少し沖合へとそれた台風が、日本をかすめて過ぎ去ろうとしています。 この季節ならよくある出来事で、抱影も台風一過の明け空を楽しんでいました。 冬の星々が薄明光に包まれながらまだ瑞々しく輝く様子に加え、消えゆく姿を絵画のように表現していました。 文章は、夕方しだいに現れる星々と夜明け共に消えゆく星の姿を比較しながら、すっかり消えてしまった空に星光の余韻に浸る場面をもって終ります。 ![]() 夜明け前には、もう冬の大三角全体が地平線上に姿を現します。 シミュレーション画面左隅の星は、金星です。 8月13日の西方最大離角以降、しだいに高度を下げています。 抱影が台風一過に眺めた夜明けの星々が、賢治が岩手山で眺めた(詩「東岩手火山」による)星々と重なることは言うまでもありません。 一足先に眺める冬の星座は、薄明とともに味わうのが(食通ならぬ)「星通」というものでしょうか。 9月22日に宮沢賢治賞・イーハトーブ賞贈呈式が行われましたが、イーハトーブ賞を受賞した劇団わらび座のサイトに式典の様子が紹介されていました。 (「第30回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞 贈呈式のご報告」はこちら(秋田芸術村)) また、宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞の受賞となった岩手県立花巻農業高等学校「賢治先生を偲ぶ会」については、今年の偲ぶ会の様子がネットニュースで動画配信されていました。 (「宮沢賢治ゆかりの花巻農業高校で「しのぶ会」/岩手・花巻市」はこちら(IBC岩手放送2020年9月23日)) ●9月25日(金) 曇り時々雨。 雨あがりの雲間から、旧暦8月9日の月(月齢7.7)が見えていました。 今夜の月のお伴は-2.4等の木星です。 ![]() 10月1日が中秋の名月(旧暦8月15日)ですが、満月は翌2日です。 そしてその翌日には、接近中の火星(-2.5等)のすぐ傍まで移動します。 火星は月の右上に見えるはずです。 地心距離(地球の中心と火星との距離)は、およそ0.4天文単位(地球〜太陽間の距離を1.5億キロとすれば、6千万キロ)の距離です。 賢治的?には、東京〜花巻間を6万回往復する距離と言うべきでしょうか。 賢治関係の知人(地人)から、遠野の絵葉書が届きました。 行く人は行っているイーハトーブ。 そして、花巻市から第30回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞のプログラムも届きました。 ![]() 無事に式典も終了したようです。 ●9月26日(土) 曇り。 昨日、お月見関係の話題が出たところで…。 今年もやっているようです。 ![]() 今夜の月は旧暦10日の月です。 ![]() 賢治作品には、詩、童話を問わずたくさんの月が登場していますが、他の作家との違いは、ただ「月」が出ているのではなく、旧暦をもって月相や時刻などの状況を明確にしていることです。 もちろん全てではありませんが、その傾向は顕著と言えるでしょう。 以下に、旧暦10日の月が出てくる作品を紹介したいと思います。
童話の冒頭部分を引用したものですが、「十日の月」ということで、上弦を過ぎてやや太った姿の月です。 月の出てくる時刻は、満月に近づくに従って、しだいに遅くなります。 同時に、月没の時刻も夜半過ぎへと遅くなることを意味します。 「十日の月が西の煉瓦塀にかくれるまで、もう一時間しかありませんでした。」の一文を読めば、「もうかなり遅い時刻だな」と察することができるわけです。 「けだもの」を登場させようというのですから、舞台設定は万全でした。 そして次は有名な「オツベルと象」です。
この童話では、月の様子を旧暦日付を示すことにより明確にしています。 同一月のものではないようですが、「西の三日の月」「西の四日の月」「空の五日の月」「十日の月を仰ぎ見て」「十一日の月を見て」といった具合です。 月の方角や高度など、その見え方の特徴を反映させています。 ●9月27日(日) 曇り。 平塚市博物館の塚田健さんの新刊『図解身近にあふれる「天文・宇宙」が3時間でわかる本』(アスカ)が発売されました。 これまで天文普及の現場で、お仕事された経験を活かし、「天文・宇宙」に関するあれこれ(網羅的)をQ&Aのかたちでまとめたものです。 特にアマチュアで天文普及の現場で活躍されている方々などには、ハンドブック(サイズもコンパクト!)としての活用も期待されます。 ![]() 著者の塚田健さんは、私の元職場の出身で、宮沢賢治ファンでもあります。 宮沢賢治のこの時期の詩作品として「犬」があります。 「賢治の事務所」を立ち上げた当時(1996年10月12日更新時追加)のものですが、詩篇を読み進めるなかで気になったものの一つで、星との関係という視点で書いたものです。 (以下「賢治の星の風景」より抜粋引用、図版のみ新たに差し替え) 『春と修羅』の中に「犬」と題された詩があります。 一見すると天文とはまったく無関係な 詩ですが、よく注意してみると星座との関連を思わせる部分があります。 ![]()
●この詩は、賢治が犬に吠えられた時の体験がもとになったと思われます。 しかしながら、この季節の夜明けには「おおいぬ座」「こいぬ座」が東の空からのぼることに関連して、「なぜ吠えるのだ 二疋とも/吠えてこつちへかけてくる」という部分、時間としても夜明け方であり、時間の経過とともに消えて行くようすについては、「その薄明の二疋の犬」「犬は薄明に溶解する」によく対応しています。 ●この詩の中で「キメラ」という生物学上の専門用語が使われていますが、この語は詩「〔はつれて軋る手袋と〕」の中でも使われており、この詩とおなじく星座 (「おおいぬ座)から連想したと思われるキメラが登場しているのは興味深いことです。 「犬の中の狼のキメラ」は、おおいぬ座の1等星シリウスが「天狼」と呼ばれる星であることを前提とすれば、犬の中に内在する狼そのものであり、キメラとして理解することができます。 シリウスの中国名「天狼」については、賢治もその呼称を童話「〔ポランの広場〕」や「装景手記」ノート(俳句)で用いています。 強ち星座(天体)とは、無関係ではなさそうです。 晴れていれば、夜明けどきにこの犬たちに対面できるのですが、明日の朝はどうでしょうか。 ●9月28日(月) 晴れ。 ふと気づけば、9月も残すところあと数日。 諸般の事情で大変ながら、進捗状況は・・・。 最近出版の天文書です。 そのタイトルの長さに驚きですがエドワード・ブルック=ヒッチング著、関谷冬華訳『宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人 空想と信念が生んだ驚異の芸術 世界があこがれた空の地図』(日経ナショナル ジオグラフィック社)です。 ![]() 人類の宇宙観の歴史を多数の図版で示したもので、これまでにも同類の書籍は多数刊行されてきましたが、「あとがき」にはブラックホールの写真まで掲載されている最新のものです。 先日都内で行われた『天文学と印刷』の図録や、アン・ルーニー著、鈴木和博訳『天空の地図』なども思い出させます。 ![]() 近代を取り上げた「新たな宇宙像:アインシュタイン、ルメートル、ハッブル」では、「20世紀初頭の天体早見盤」と題して、なんとバリット=サーヴィスの「星・惑星早見表」(1906年)が掲載されていました。 ![]() これで思い出されるのは、石田五郎による野尻抱影の評伝本『聞書★星の文人伝』(リブロポート)におけるエピソードです。 「昭和二十八年、草下(英明)は処女作『宮沢賢治と星』を自費出版した。これを閲見した抱影のハガキがある。」として、感想というには厳しい書評があります。
ここにこの星座早見のバリット・サーヴィスの名が出てきます。 しかしながら、吉田源治郎氏自身は、『肉眼に見える星の研究』の「凡例」において「本書は主として、フランス天文學會員ヘクター・マクファーソン氏著『肉眼實際天文學』を臺本として、編述したものである」と書いているとおり、バリット・サーヴィスのものではありません。 アルビレオの星をトパーズとサファイアに例える部分も含め、『肉眼實際天文學』をほぼそのまま引用しています。 (元を辿れば更に奥深いことながら…) (余談) ところで、昔の星座早見盤には、◆の台紙に●形の星座を描いた円盤をはめ込んだタイプのものが主流でしたが、宮沢賢治も使用していたとされる三省堂の星座早見もそのようなスタイルでした。 実はその販売元の三省堂から、このようなモデルは販売されていて、10数年ぐらい前までは簡単に入手することができました。 しかも日本天文学会によるもの、つまり賢治の持っていた星座早見の「血統」を受け継ぐ、真のサラブレットと呼べるものでした。 (サハリン(樺太)旅行から稚内に戻る船中で、天沢退二郎さんとこの星座早見のお話で盛り上がったことが思い出されます) (写真左:三省堂「星座早見」(賢治の時代のもの)、写真右:三省堂「ジュニア星座早見 改訂版」) ![]() ●9月29日(火) 曇り。 薄雲の空。 昼間は少し暑くなりました。 仕事を終えてから、用事を済ませ遅くなって帰宅。 お茶の時間は懐かしい本を。 ![]() 発行は1979年11月、今から40年以上も前に出た(とは信じ難いが)天体写真家藤井旭氏と芥川賞(1977)作家三田誠広氏の対談を収めた『すばらしき星空の饗宴』(大和書房)です。 (なぜか三田誠広氏のサイン入り) 今はもう閉鎖となった白河天体観測所の写真も多数掲載されていて、(時には)懐かしく読み進めました。 ![]() 藤井旭さんにしては珍しく「自分を語る」という記事まで…。 音楽はPinkfloydの1987年のライブ音源。 ![]() ●9月30日(水) 晴れのち曇り。 空洞化した9月も最終日。 盛岡の佐藤竜一さんから新刊『盛岡藩と戊辰戦争』(杜陵高速印刷出版部)をいただきました。 ありがとうございます。
「賢治の図書館」≫ 『盛岡藩と戊辰戦争』/T宮沢賢治の周辺/佐藤竜一/(杜陵高速印刷出版社)を追加しました。 以下に「T宮沢賢治の周辺」の記事のリストを挙げておきます。
野尻抱影『星三百六十五夜 秋』(中公文庫)の今日の記事は「中秋名月」です。
なかなか夢のあるお話です。 抱影でなくとも、宮沢賢治の時代は「夢多き時代」ファンタジーと現実が行き来できた時代でした。 月人の話となったところで、先日の『宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人 空想と信念が生んだ驚異の芸術 世界があこがれた空の地図』に出ていたジョン・ハーシェル(ウィリアム・ハーシェルの息子)が発見したという月に住む人類の図、さらにマシュー・グッドマン著、杉田七重訳『トップ記事は月に人類発見!十九世紀、アメリカ新聞戦争』(柏書房)へ。 ここまでたどり着いたところで9月もおしまい。 ![]()
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