緑いろの通信 2020年5月
   

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緑いろの通信
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- 緑いろの通信 2020年5月 目次 -


緑いろの通信

 「緑いろの通信」へようこそ! 2020年5月号をアップしました。 3月から続く新型コロナウイルス感染症の影響で、今後あらゆる状況がますます酷くなりつつあります。 今月の写真は、この季節の筑波山の写真です。 南側や東側から眺めると双耳峰と呼ばれる二つの峰が印象的です。 今月もまたよろしくお願いいたします。




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緑いろの通信

 新着情報でも更新ページを知ることができますが、少し紹介を加えたりしてプラス・アルファの書き込みです。 日付を付けて書き加えますので、時々のぞいてみてください。


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5月1日(金)
 晴れ。

 午前中出勤。 気温高め。 夕空には上弦の月。

 5月になりました。 この時期夜空を眺めてみると、南の空には、もう夏の天の川がすっかり南中しています。 条件の良い場所であれば、(銀河系の中心方向を含む)一番条件の良い天の川を楽しむことができます。

 今年はその後に、明るい3惑星が続いています。 さそり座寄りの方(西側)から順番に、木星、土星、火星となります。


(2020年5月2日午前2時40分の空)

 木星は-2.4等、土星と火星は同じ明るさで0.4等となっています。 これらの3惑星は、賢治が度々夜歩きをして1924(大正13)年の夏の夜空にも出ていた惑星です。 もちろん、それぞれの位置は異なりますが、そんなことを想いながら眺めるのもいいものです。

 連休の最終日6日の夜明け前は、ハレー彗星を母天体とするみずがめ座流星群の極大時期となります。 条件としては、7日が満月で、一晩中明るい月に悩まされるのが残念です。

 コロナウイルス問題がなければ入山する予定でしたが、今年は街からの観望です。

5月2日(土)
 晴れ。

 午前0時を過ぎて日付は2日となりました。 天文薄明開始は3時過ぎ、夜も短くなりました。

 昨年同時期に撮影した天の川の写真を載せておきます。


(銀河 2019年5月4日撮影)

 写真を整理していたら、宮沢賢治学会地方セミナー能登川(滋賀県能登川町)で2004年5月1の写真が出てきました。 先日亡くなられた中村哲さんの講演「医者、井戸を掘る その後」と、作家の故井上ひさしさんによる講演「賢治と哲」が行われた時のものです。 当日のプログラムでは、中村哲さんともに「辺境で診る 辺境から見る」というテーマで対談も行われました。 いいプログラムであったと改めて思い出してみました。


(中村哲さん 2004年5月1日撮影)


(井上ひさしさんと中村哲さん 2004年5月1日撮影)

5月3日(日)
 憲法記念日。晴れ。

 今年はひたすら在宅して各種作業。


(旅の車窓から)

 宮沢賢治の詩作品で、5月3日付けのものがあります。 1927(昭和2)年の春の詩作品です。 賢治はこの時期、日記のように日々の記録を詩に書き残しています。 以下に引用したのは、その中からの一篇です。 この時期、花巻温泉の花壇づくりにも従事していました。

   〔何と云はれても〕

 何と云はれても
 わたくしはひかる水玉
 つめたい雫
 すきとほった雨つぶを
 枝いっぱいにみてた
 若い山ぐみの木なのである

5月4日(月)
 休日。晴れ。

 気温の高くなる日が続きます。 宵の金星の色が少し濁って赤味を帯びて見えました。

 野尻抱影『星三百六十五夜』の今日のテーマは「帆かけ星」です。

 月しろはもう東の空にひろがっていたが、それに消されずに、烏座の四つ星が四辺形を描いているのが見つかった。 日本の名の帆かけ星、西洋でもいう帆船のスパンカー(帆)が最もよくこの形と、時刻による動きをも表していていい。

 冒頭こんな書き出しで始まります。 紛れもなく、からす座の四辺形を指していますが、この帆に例えたお話よりも、本文の最後にある次の文章に共感を覚えます。

 それから私は、帆かけ星と共に、その地平の彼方でサザン・クロス(南十字星)が動いている姿を眼に浮かべる。 そしてこれが南中すると同時に、星の大十字も直立して、甥の一人も沈んだガダルカナルの海に、静かに影をひたしていることを想うのである。


(2020年5月4日21時10分の南空(からす座))

 野尻抱影『日本の星』(中公文庫)では、「よつぼし・だいがらぼし」の項に、能登宝立町の方言として「ホカケボシ(帆掛け星)」が掲載されています。

5月5日(火)
 こどもの日。晴れ。

 アトラス彗星(C/2019 Y4)は暗くなってしまいましたが、今年3月になって発見されたスワン彗星(C/2020 F8)が明るくなってきています。 5月下旬の新月の頃には3等台も期待できるので、地平線近くで気象条件の影響は大きいものの、双眼鏡があれば見ることができそうです。

 昨年12月8日にNHKで放送された「ブラタモリ」では、花巻と宮沢賢治に関する話題が取り上げられました。 ちょうど番組を見ることができたので「緑いろの通信」(2019年12月9日号)で思うところを少々書いておいたのですが、過去分の「緑いろの通信」を消去して以降、さらにお問い合わせを何度かいただきましたので再掲いたします。

(以下再掲)

 12月8日(土)19時30分〜20時15分放送の「ブラタモリ」(NHK総合)で「#150 花巻〜花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?〜」が取り上げられました。 普段はテレビがないので視聴することができませんが、ちょうど出先で、運良く番組を見ることができました。

 花巻で宮沢賢治に関するいくつもの問いを解決するなかで、「「銀河鉄道の夜」のモデルになった列車ってどんな形?」というテーマがありました。

 番組では、すでに廃線になり今はもうありませんが、かつて花巻温泉や大沢・鉛温泉方面を結んだ花巻電鉄をモデルに、電車モデルの説(材木町公園にある静態保存車両デハ3が紹介)を示し、最先端好きの賢治としてまとめられていました。 「銀河鉄道の夜」創作の背景として、花巻という立地は、多様な影響を受けられる環境にあり、その一つとして花巻電鉄というモチーフを示したとも言えますが、アニメーションの演出が過剰だったこともあって、番組後のSNSを見ると、花巻電鉄がすっかり「銀河鉄道の夜」のモデルとなっていました。 (すごい影響力ですね)


(花巻電鉄デハ3 2015年11月21日撮影)

 番組を見ながら、この電車モデル説の解釈に若干の違和感がありましたので、それがなぜなのか、自分なりに整理してみました。 問い合わせメールをいただいたみなさま。 (こちらにまとめて載せておきます)

 番組では「銀河鉄道の夜」のテクスト(仮名遣いから、ちくま文庫版『宮沢賢治全集7』と思われます)から、次の文章が引用されます。

「それにこの汽車石炭をたいてゐないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云ひました。

 そこで「石炭をたいていない」ということに注目し、それが電車であるという説明になっていました。

 しかしながら、ジョバンニは初めに「この汽車」と言っています。 従って、それは蒸気機関車、あるいはエンジンで走る車両(気動車)を指し、少なくとも電車ではないということがわかります。 賢治の詩作品には「電車」(春と修羅、春と修羅第三集)と「汽車」(詩ノート)の両方があり、賢治自身の理解でも明確に区別されていました。

 さらに「ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云ひました。」とあります。 ジョバンニは、自分の乗る車両よりも前方を走る車両を、窓から確認していたわけです。 そこにあったのは、恐らく蒸気機関車であろう姿をしたもので、本来であれば石炭をたき煙をあげながら走るはずが、どうもそうではないことに気づき、「石炭をたいていないねえ」という発言が導かれるのです。 これがもし電車であれば、石炭を焚くという発想につながりません。

 番組では、さらに次の部分を示し、電車モデル説の裏付けとしています。

「アルコールか電気だらう。」カムパネルラが云ひました。

 「アルコールか電気だらう。」というのはなぜでしょうか。 「アルコール」は、「三、家」の章において、カムパネルラの家には、「アルコールラムプで走る汽車」があったという設定を受けての発言であり、 「電気」については、今回番組でも話題にもなったとおり、列車を動かすためのエネルギー源として当時岩手でも普及し始めたという背景があります。 花巻電鉄(軌道線)は、志戸平温泉手前にあった松原発電所の電力が用いられていました。

 ここで「アルコールか電気だらう。」という発言の意味を考える場合に、一つのヒントがあります。 「銀河鉄道の夜」後期形の一つ前の成立形となる、初期形〔三〕において、この箇所は次のような発言になっていました。


(賢治の自筆原稿による該当箇所)

「この汽車石炭をたいてゐないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云ひました。
「石炭をたいてゐない? 電気だらう。」
そのとき、あのなつかしいセロの、しづかな声がしました。
「ここの汽車は、スティームや電気で動いてゐない。ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。」(以下略)

 最後の「ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。」という発言から、何か不思議な力でこの列車が動いていたことがとがわかります。 この発言は、どこからか聞こえてくる「セロのやうな声」で、後になって「ブルカニロ博士の実験」によるものと明かされます。

 賢治は、銀河鉄道の旅が「ブルカニロ博士の実験」という設定(初期形〔三〕)から、「ジョバンニの夢」(後期形)へと改稿する中で、「ブルカニロ博士の実験」である「セロのやうな声」を消し去る必要がありました。

 そこで、「そのとき、あのなつかしいセロの、しづかな声が〜ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。」が消去されました。 さらに「石炭をたいてゐない? 電気だらう。」については「アルコールか電気だらう。」と改めてカムパネルラの言葉として明示さたものの、汽車の動力源については曖昧にされたままでした。

 長々と書きましたが、銀河鉄道は蒸気機関車の形をしており、汽車の動力源ははっきりとせず曖昧であり、むしろ「ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ」というのが賢治の意図に近いと考えています。

 番組では「八、鳥を捕る人」から次のテクストも引用され、蒸気機関車ではなく音の静かな電車であると根拠と説明されていました。

ずうっと前の方で、硝子の笛のやうなものが鳴りました。汽車はもう、しづかにうごいてゐたのです。

 不思議な汽車なら音もなく静かに走るという設定もありです。 でも、テクストを探れば、ジョバンニを乗せた客車は「ごとごとごとごと」音をたてています。 全体を俯瞰的にみて解釈することも大事ですね。

 発想のモデルとイマジネーション、その果てしない駆け引きが頭をグルグルするのも賢治の魅力でしょうか。

(再掲ここまで)

 恐らく「汽車」と「電車」の鉄道用語としての区別のことはタモリさんもわかっていたでしょうし、花巻のナロー・ゲージ(狭軌)で話題にするのであれば、むしろ(他の詩作品からも影響が明示できる)岩手軽便鉄道という発想になぜ至らなかったのか疑問でした。 モデル論の現状としては、賢治が上京や北海道行の旅で利用してきた東北本線、他の軽便線も含め多様です。

5月6日(水)
 休日。晴れ。

 締切のある原稿作業。

 連休を使って、明治〜大正時代の天文古書を整理。 まとめて見ていると、当時の科学啓蒙の流れや時代の持つ感覚が見えてきます。 大正後期になると、天文啓蒙書が数多く刊行され、天文愛好家には恵まれた時代となります。 明治期ではハレー彗星の接近、大正期では火星大接近など、一般の人々にも話題となるような天文現象が契機となって刊行数が増加していたようです。


(天文古書 2020年5月6日撮影)

 そんな時代の書籍で、1924(大正13)年6月刊行の石井重美著『天變地異』(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)を読んでいたら、聞いたこともないような自然現象が多数載っていました。 目次を見ていただければその構成が理解いただけると思います。、


(『天變地異』 2020年5月6日撮影)

   天變地異 目次

 セント・エルモの火
 オーレ オール
 光雨 光雪
 雷球
 極光
 黄道光
 鬼火
 海の光り
 ミラーヂユ現象
 蜃気楼
 アントヘリア
 ブロツケンの幽靈
 夜中の彩雲
 地汐のやうな夕燒とビシヨツプ環
 眞夜中の太陽
 火井
 血雪
 地變と怪積雲
 地鳴り
 ブロンティーデス
 雹嵐
 旋風
 龍巻
 砂嵐
 泥火山
 間歇温泉
 海嘯

 これを見て察しがつくものもあれば、完全に意味不明なものまで様々と思いますが、それだけに新鮮に楽しむことができました。 当時の人たちもワクワクしながら読み進めたことでしょう。

 その中で、まったく聞いたことがない「アントヘリア」と呼ばれる現象の説明がありました。

 アントヘリア(Anthelia)とは、『太陽に反する』といふやうな意味で、その幻影及びちよつと別個の太陽を思はせるやうな光環が、眞正な太陽の位置と反對の空中に現れるといふやうなところから來たのである。

 表現に曖昧さがあるものの、太陽の反対側にできる光環、すなわち大気光学現象らしいことがわかりました。 さらに次のような説明や、図版により明確なものとなりました。

 アントヘリアの出現には、勿論、或特別な氣象的條件の完備を必要とする。 さうして、その主なものは、空氣が非常に多量の水分をふくんでゐることゝ、地平線から出たばかりの、横の方からなゝめに照らす太陽の光線のあることである。 空氣中の水蒸氣の凝結するのは、平野よりは山地の方が著しいから、アントヘリアのおほく現れるのは、従つてさういふ山地か、高原の地方である。


(「第三十圖」より 2020年5月6日撮影))

 この本の関連図版としては「第三十圖」「第三十一圖」の二つがアントヘリアですが、環の中心の影(本人)の周りにできる光環には、『ウロア環』という特別な名前もあるとのこと。

 以上の説明から思い出されるのは、昨年北アルプス蝶ヶ岳(2,677m)に登山した際、蝶ヶ岳ヒュッテ横の稜線上で眺めた現象です。 イメージとしては、ブロッケン現象が近いですが、さらに大きくブロッケンの虹あるいは霧虹(白虹)と呼ばれていました。 これこそまさにアントヘリアと思いました。


(アントヘリア 2019年8月14日撮影))

5月7日(木)
 晴れ。

 今日から平日。 気温も上がりました。

 今夜は満月、月の昇る方角は樹木に遮られていました。 写真ではなんとか雰囲気だけですが、丸い月です。


(満月の夜 2020年5月7日撮影))

5月8日(金)
 晴れ。

 昼間は青空に白い雲。 空は初夏の色。

 賢治の新刊から。


賢治の新刊
サガレン
サガレン
樺太/サハリン
境界を旅する
梯久美子
角川書店

 ノンフィクション作家梯久美子さんによるサハリン旅行記。 本書は二部構成で、第一部は林芙美子や北原白秋らの訪れた樺太、第二部は「「賢治の樺太」をゆく」。 賢治の訪れた樺太の旅行記です。 賢治研究に基づくエピソードなどもわりと網羅的に踏まえていて楽しめました。



 「賢治の図書館」  梯久美子『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川書店)を追加しました。 著者は『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)や、『原民喜−死と愛と孤独の肖像』(岩波文庫)などで最近人気のライターです。

 今から13年も前、北海道の斉藤征義さんに声をかけてもらて、突然のサハリン(樺太)の旅。 賢治ゆかりの地を中心に移動しましたが、サハリンには廃墟・廃線が沢山あります。 戦前の日本の産業遺産多数。

 当時、日本の最北端にあった栄浜駅跡にも行ってきました。 花巻からはるばる直線で900q以上、賢治が移動した中では最も遠い場所です。

 写真は、駅舎跡のコンクリート残骸と、ハマナスの赤い花。


(栄浜駅舎跡 2007年8月7日撮影))

 所々に埋まった枕木が点々と・・・。


(栄浜駅の枕木 2007年8月7日撮影))

 そこから少し遠出して栄浜の北にある白鳥湖まで。 赤い花ヤナギランの大群落。 賢治と同じ季節に出かけたので、賢治も見ていかも。 池のまわりの湿原が日本にはない自然なままで驚きました。 日本なら自然観察のできる観光地なのに、誰もここに来ていない・・・。 もう行くことはないと思いますが、懐かしいですね。


(白鳥湖にて 2007年8月7日撮影))

5月9日(土)
 晴れ。

 自宅で作業。

 明日「5月10日」の野尻抱影『星三百六十五夜』は「麦星」。

   麦星

 牛飼座の主星(アルクトゥールス)には、永い間和名を見いだすことができなかかった。 それが昭和五年の夏、北伊予地方でムギボシ(麦星)といい、麦が熟れるころの星の意味らしいと知らせてきた。 その後また、静岡の榛原郡地方で同じ名を言い、焼津附近の漁師も言っているという話だった。 五月下旬とすれば、この星は東の中空に昇っている。 そのオレンジ色が熟れた麦の色に通っているとも見られるし、ともかく季節感のこもった好い名である。(以下略)

 麦星という呼称について、各地の方言から判明した経緯について触れたあと、芭蕉の時代に句に麦星の名前を見つけたというお話。 このことは『星の方言集日本の星』にも書かれているところです。

 この時期、薄明が終わった頃、北の空高い場所にある北斗七星を見つけ、その「斗」の柄に相当する部分のカーブをたどると、明るいオレンジ色の星にあたります。 これがうしかい座の1等星アルクトゥールスです。


(北斗七星とアルクトゥールス))

 アルクトゥールスは全天で4番目に明るい恒星(太陽を除きケンタウルス座αを一つの恒星とみなせば)で、春先にはしっかり目立つ星です。 この頃、東の地平線近くには、もうこと座αベガが昇って、夏の訪れを感じさせます。 ベガはアルクトゥールスに次いで明るい星です。

5月10日(日)
 曇り。

 アメリカのミュージシャン、リトル・リチャードさん死去のニュース。 ビートルズのカバーを通じて知ったアーティスト。

 朝のお茶の時間、韮崎でアザリア会事務局の向山さんからメールをいただきました。 保阪嘉内のハレー彗星スケッチから間もなく110年になるのですね。 100年目のとき、甲府舞鶴城の高台から、嘉内が見たであろう南アルプスの山々を、アザリア記念会の記念イベント参加者の方々と共に眺めました。 当たり前ですが、当時ハレー彗星沈んだであろう甲斐駒ヶ岳近くに太陽がゆっくりと没していました。


(南アルプスに沈む夕陽 2010年5月15日撮影)

 夕陽を眺めたあと、城内の恩賜林記念館で、保阪嘉内のスケッチから何がわかるのか、そんな視点でハレー彗星のお話(後に彗星会議福島大会でお話したもの)をさせていただきました。 とても懐かしいです。


(恩賜林記念館にて 2010年5月15日撮影)

 ハレー彗星の方は、1986年春に再回帰して、太陽から一番遠い海王星軌道の外側となる遠日点にむけて移中です。 遠日点の通過は、2023年11月とされ、2061年7月に再び帰ってきます。

 明るくなってきているスワン彗星(C/2020 F8)は、4〜5等台です。 今後、月末にかけてどうなるか、光度変化を注視。

5月11日(月)
 晴れ。

 夏の暑さ来る。

 写真の本は、堀秀道『鉱物 人と文化をめぐる物語』(ちくま学芸文庫)です。 文庫化される前は『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)として2006年に刊行されたものです。 当時表題となった賢治と石のエッセイも収録されています。


(『鉱物 人と…』 2020年5月11日撮影)

 本書の著者は水晶好きで知られます。 まだまだお元気と思ったら、昨年1月に亡くなられていました。 著名な研究者ながら、アマチュア的鉱物愛好家の感覚が好きで、思い入れたっぷり文章です。 冒頭の『宮沢賢治は…」に続く『この砂は、みんな水晶』にも賢治の話題が出てきます。

5月12日(火)
 晴れ。

 賢治の新刊から。


賢治の新刊
胡堂の愛
胡堂の愛
私の人生はハナ
なしには考えられない
寺島利尚・監修 住川碧
杉並けやき出版

 野村胡堂(あらえびす)と妻ハナの軌跡を紹介した新刊。 妻ハナの生家となる橋本家は、賢治の母イチと親戚関係にあるといいます。 その関係から、賢治についても若干の紹介があります。



 「賢治の図書館」  寺島利尚・監修 住川碧『胡堂の愛 私の人生はハナなしには考えられない』(杉並けやき出版)を追加しました。 賢治の胡堂の関係では『宮沢賢治イーハトヴ学事典』(弘文堂)の「野村胡堂」(栗原敦)の項が詳しくまとめられています。 (野村胡堂の妻ハナと宮沢賢治の関係を調査した「宮沢賢治の家系と、野村胡堂夫人・野村ハナの家系に繋がりはあるか?」はこちら(国立国会図書館))

5月13日(水)
 晴れ。

 すっかり夏。

 夜になって落ち着いた頃、斎藤宗次郎『二荊自叙伝(下)』(岩波書店)など。 ビートルズのアルバム別アウト・テイク音源集として発売されているセッションズから「リボルバー」を繰り返し聴きながら。


(REVOLVER Sessions 2020年5月13日撮影)

 そして賢治の新刊から。


賢治の新刊
宮沢賢治論
宮沢賢治論
中村稔
青土社

 これまでにも賢治研究関係の著作がある中村稔氏の新刊。 1927(昭和2)生まれの93歳。 「あとがき」によれば、 ほぼ書下ろしの賢治論集で「雨ニモマケズ」の読み違えの「気づき」を動機として書かれたもの。 「それ故、これまで私が公表してきた宮沢賢治に関する論考、エッセイの類はまったくの読み違いにもとづくものなので、すべて無視することとしていただきたい」とあります。



 「賢治の図書館」  中村稔『宮沢賢治論』(青土社)を追加しました。 かつて谷川徹三との「雨ニモマケズ」論争(「ヒドリ」「ヒデリ」ではなく)が大きな話題となった著者ですが、今この本を読むと実にあっさりとした文学評論です。

5月14日(木)
 晴れ。

 110年前の今頃、ハレー彗星が接近し、明け方の空に見事な姿を見せていました。

 甲府中学で英語教師だった野尻抱影(正英)が、ハレー彗星を描いて小尾孝平氏に送った葉書(1910年5月19日付)は、ちょうど今頃の時期(シミュレーションでは1910年5月14日午前3時40分のもの)にスケッチされたもののようです。


(1910年5月14日のハレー彗星)

 この時にハレー彗星は、近日点通過が4月20日、地心距離最小となるのが5月21日(約0.15AU)でした。 また、5月19日には太陽面を通過しています。

5月15日(金)
 晴れ。

 夜は自宅の所用。 賢治の新刊が届いていました。


賢治の新刊
盛岡高等農林学校と宮澤賢治
盛岡高等農林学校と宮澤賢治
岩手大学農学部
附属農業教育資料館
岩手大学人文社会学部
宮沢賢治いわて学センター
杜陵高速印刷出版部

 岩手大学の附属農業教育資料館のリーフレットです。 盛岡高等農林学校の歴史や賢治とのかかわり、また賢治の時代の資料や得業論文などがカラー写真で紹介されているものです。



 「賢治の図書館」  岩手大学農学部附属農業教育資料館・岩手大学人文社会学部宮沢賢治いわて学センター『盛岡高等農林学校と宮澤賢治』(杜陵高速印刷出版部)を追加しました。 「盛岡高等農林学校の設置を伝える官報(明治三十五年三月二十八日発行)」「賢治の論文で引用された海外の文献」など、個人的にも面白いと思いました。

5月16日(土)
 雨。

 連鎖的3冊読書の夜。


(R連鎖的3冊 2020年5月16日撮影)

 『二荊自叙伝(下)』から菅井幸雄『築地小劇場』(未来社)、さらに大正演劇研究会編『大正の演劇と都市』(武蔵野書房)へと。 斎藤宗次郎〜小山内薫へのつながりで。

 宮沢賢治の演劇活動と築地小劇場について簡単にまとめてみました。

     宮沢賢治の演劇・築地小劇場関係年譜

 1916(大正5)年5月 盛岡高農にて「人間のもだえ」上演
 1917(大正6)年1月 上京して明治座を一幕見(5日)

 1921(大正10)年1月 無断上京(23日)
            (浅草オペラの全盛時代)
 1921(大正10)年3月 歌舞伎座で田中智学「佐渡」を観劇
             したと推定(6日または13日)

 1921(大正10)年8月中旬〜9月初旬 ○帰花
 1921(大正10)年12月 稗貫農学校教諭 保阪嘉内あて書簡(190)で
             学校での「芝居」を「けむたがられて居り」
             と伝える


 1923(大正12)年1月 上京時に国柱会館で「国性劇」試演があり
             田中智学作の演目3本を観劇

 1923(大正12)年5月 花巻農学校で自作劇2篇上演(25日)
 1923(大正12)年9月 関東大震災(1日)

 1924(大正13)年4月 『春と修羅』刊行(20日)
 1924(大正13)年6月 築地小劇場開場(13日)
 1924(大正13)年8月 花巻農学校で自作劇4篇上演(10・11日)
 1924(大正13)年10月 文部省学校演劇の禁止を通達
 1924(大正13)年12月 『注文の多い料理店』刊行(1日)

 1925(昭和元)年4月 教え子の杉山芳松宛書簡(205)で
            「小さな農民劇団」を創ることに言及


 1926(大正15)年1月 岩手国民高等学校で農民芸術の講義
            (1月〜3月)において「イーハトヴ農民
             劇団」に言及

 1926(大正15)年3月 初の創作劇「役の行者」上演
             農学校を依願退職
 1926(大正15)年4月 下根子桜の宮沢家別宅での活動開始
 1926(大正15)年8月 羅須地人協会の設立
 1926(大正15)年11月 プロレタリア演劇「夜」上演
 1926(大正15)年12月 上京時に築地小劇場で2度の観劇

 1927(昭和2)年1月 31日付け岩手日報に地人協会紹介があり
             記事に「農民劇農民音楽の創造」とある。

 1927(昭和2)年3月 松田甚次郎と面会 農民劇を勧める(8日)
 1927(昭和2)年8月 松田甚次郎と面会 劇の相談に乗る(8日)

 1928(昭和3)年6月 上京時に築地小劇場にて観劇(13日)
             他に新橋演舞場、市村座、本郷座など

             築地小劇場改築移転
 1928(昭和3)年12月 小山内薫死去(25日)

 ※参考文献:『【新】校本宮澤賢治全集第16巻(下)年譜』(筑摩書房)、『宮澤賢治イーハトヴ学事典』(弘文社)、菅井幸雄『築地小劇場』(未来社)、大正演劇研究会編『大正の演劇と都市』(武蔵野書房)、松田甚次郎『土に叫ぶ』(羽田書店)

 賢治の演劇受容は、盛岡高等農林学校時代、大正5年4月の「人間のもだえ」(脚本 保阪嘉内)で演じたことから始まります。 翌年、家業の商用で上京した際には、明治座でを歌舞伎を一幕見たことを嘉内に伝えています。

 高農を卒業後、大正10年の家出上京時には、浅草オペラを観ていたと推定(詩作品等による)されており、帰花後同年12月に農学校の教師となってからは、生徒のための演劇脚本を書き演出までも務めるなど、より積極的な活動に転じ、大正12・13年と農学校での上演を成功させますが、13年10月に学校演劇が禁止され教育者としての演劇活動は終ります。

 賢治が大正15年3月に農学校を辞した頃、東京では小山内薫らによる築地小劇場を拠点とした新劇が、これまでの西欧の翻訳劇から創作劇への移行の時期でした。 賢治の学校演劇の脚本は、すでに創作劇だったことになりますが、在京当時に観たと思われる浅草オペラからの影響と思われます。

 大正15年8月からの羅須地人協会の活動以降では、同年12月上京時に再び築地小劇場ほか数か所の劇場を訪れ観劇したとされています。 また、翌年3月には盛岡高等農林学校の後輩にあたる松田甚次郎が桜の別宅を訪ね、賢治はその際に農民劇を勧め、農民芸術の実践を説き小山内薫の著書『演劇と脚本』を与えたとされています。 さらに8月再訪した甚次郎に、劇の題名や演出方法についてアドバイスを行いました。 しかし、自身の農民劇団の構想は、実現することがなかったようです。

5月17日(日)
 晴れ。

 朝から気温が上がりました。 自宅での所用、そして締切が近くなってきた原稿の準備など。

 今年はビートルズの解散から半世紀、昨年からレット・イット・ビーやアビーロードといった、解散間際の活動がリマスター・アルバムや書籍となって発売されています。 書籍関係でトニー・バレル『ルーフトップ・コンサートのビートルズ 世界を驚かせた屋上ライブの全貌』(DU BOOKS)や、藤本国彦『アンド・ザ・ビートルズ Vol.1アビイ・ロード』(シーディージャーナル)を読んできました。 そんな中で、出たばかりの藤本国彦『ゲット・バック・ネイキッド 1969年、ビートルズが揺れた22日間』(青土社)がなかなか良かった。 ドキュメンタリー映画『The Beatles: Get Back』公開がいつになるかわかりませんが楽しみです。


(『ゲット・バック・ネイキッド』2020年5月17日撮影)

5月18日(月)
 曇り。

 トトの新譜、OLD IS NEWを聴く。 正確には、昨年発売されたボックス・セットの中に含まれていた未発売のアルバムが単独でリリースされたものです。

 新曲と過去にリリース済み音源のほか、亡くなったジェフ・ポーカロほか、マイク・ポーカロ、デヴィッド・ハンゲイトらの80年代の音源に追加レコーディングしたナンバーも含まれます。 アートワークも「TOTO IV」をもとにしたデザイン。


(「OLD IS NEW」 2020年5月18日撮影)

 一関市の石と賢治のミュージアム「太陽と風の家」より、この夏に予定されていた「第21回グスコーブドリの大学校」開催延期のお知らせが届いていました。 敷地内にある旧東北砕石工場の耐震工事は順調に進んだようで、夏には公開再開と、秋には公開再開記念イベントも予定されているようです。 (「石と賢治のミュージアム」はこちら(一関市))


(石と賢治のミュージアムから案内 2020年5月18日撮影)

5月19日(火)
 雨のち曇り。

 コロナの影響で、仕事・私生活共に予定が立たず。 遅くなって帰宅。

 賢治の新刊から。


賢治の新刊
ひかりの素足
宮沢賢治傑作集
ひかりの素足
二星まゆ
KADOKAWA

 宮沢賢治作品を漫画化したもの。 月刊コミックビームに掲載された「雪渡り」「よだかの星」「ひかりの素足」が収録。 巻末に収録作品のテクスト掲載あり。



 「賢治の図書館」  二星まゆ『BEAM COMIX 宮沢賢治傑作集 ひかりの素足』(KADOKAWA)を追加しました。 表題作「ひかりの素足」は、すでにますむらひろしさんが漫画化されているものですが、一読後、ますむらさんのものと場面ごとに比較しつつ読んでみました。


(「ひかりの素足」2冊 2020年5月19日撮影)

 同じお話なのに読後感がまったく違う不思議さ。

5月20日(水)
 雨のち曇り。

 気温の低い日が続きます。 今日、5月20日は、保阪嘉内が「ハーリー彗星之圖」として、1910年5月のハレー彗星スケッチに付した日付「五月・廿夕八刻」からちょうど110年目にあたります。

 記念して「夕八刻」を夜8時と解釈して、その時刻ちょうどに記念撮影をしました。 嘉内は甲府中学に在学中で、同校には早稲田大学を卒業して英語教師となった野尻正英(抱影)もいました。 ハレー彗星の見え方など、生徒にも何らかの指導があったと思われます。


(嘉内ハレースケッチ110年記念 2020年5月20日撮影)

 スケッチとは珍しいですが、コンパクトカメラもないその時代には、思い出を記録するツールとして小振りなスケッチブックを携え、まるでスマホのカメラで撮影する気分で描き留めていたことでしょう。 例えば、その雰囲気は、賢治の童話「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの言葉「ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた…」からもわかります。

 スケッチすることは記録して感動を残し続けること。 賢治が短歌を書いたのは、感動を絵ではなく文字で残す試み。 単純に感動を残したい、そして伝えたいという気持ちが芸術になる。 昔も今も同じ。

 山梨県韮崎のアザリア記念会向山さん執筆の「保阪嘉内ハレー彗星スケッチ110年」(山梨日日新聞2020年5月20日 文化面)の記事をお送りいただきました。 ありがとうございます。

 ハレー彗星から12年後の1922(大正11)年5月21日、宮沢賢治は春の小岩井農場を訪れ、長編詩を創作します。 昨年の風景を思い出しながら・・・。


(小岩井農場の春 2019年5月18日撮影)

5月21日(木)
 曇り。

 スケジュールが過密です。 思いどおりには進みません。

 夜は各種作業。

 今月の天文誌は、書店で買い求める時間もなく、結局オンライン注文としました。 届いてもじっくり読んでいることもできず・・・。


(天文誌2冊 2020年5月21日撮影)

 『天文ガイド』『星ナビ』ともにアトラス彗星(C/2019 Y4)分裂(崩壊)の特集記事があります。

5月22日(金)
 雨のち曇り。

 今夜も作業。

 今日は、賢治の詩「馬」「牛」の作品日付(1924年5月22日)です。 この二つの詩作品について、机上での資料収集を終えて、北海道の詩の舞台に実踏に出かけた時の写真です。


(熊笹と畑のの車窓 2015年5月23日撮影)

   馬

 いちにちいっぱいよもぎのなかにはたらいて
 馬鈴薯のやうにくさりかけた馬は
 あかるくそそぐ夕陽の汁を
 食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
 はたけのへりの熊笹を
 ぼりぼりぼりぼり食ってゐた
 それから青い晩が来て
 やうやく厩に帰った馬は
 高圧線にかかったやうに
 にはかにばたばた云ひだした
 馬は次の日冷たくなった
 みんなは松の林の裏へ
 巨きな穴をこしらへて
 馬の四つの脚をまげ
 そこへそろそろおろしてやった
 がっくり垂れた頭の上へ
 ぼろぼろ土を落としてやって
 みんなもぼろぼろ泣いてゐた

 この詩の後半はフィクションと思われますが、前半の風景を求めて現地に出かけてみました。 北海道の中央部を走る室蘭本線の沿線です。 賢治が大正13年に移動した時と同じように、同じ時期、近い時刻を走る列車で、岩見沢駅から苫小牧駅を目指しました。

 岩見沢を出て馬追丘陵の東側を進むと、水田から畑が増えてきます。 畑のまわりには沢山の熊笹が生えて、賢治が見たであろう風景を目の当たりにすることができました。 追分を過ぎて、苫小牧へと向かう辺りは、賢治が花巻農学校に出張の報告書として提出した「修学旅行復命書」の記述を思わせる青い風景も…。

 作品日付と作品番号、そして年譜的事実の不整合からスタートさせた旅でした。

 写真は、賢治たちが夜の苫小牧駅に到着したときの同じ時刻です。 (新校本全集年譜の時刻には誤りがあります)


(苫小牧駅にて 2015年5月23日19時45分撮影)

5月23日(土)
 雨のち曇り。

 新月。

 夜になって、InDesignで原稿の版下づくり。 そろそろ決めてしまわないと…。

 締切前に形になるとは実に珍しい。 まだこれからの手直しやチェックがあるものの、先ずはひと安心。


(原稿作業 2020年5月23日撮影)

 夕方になって少し晴れ間も出てきました。


(夕焼け 2020年5月23日)

5月24日(日)
 晴れ。

 朝から暑くなりました。

 近くの珈琲焙煎居所に出かけて、奥山淳志さんの「弁造さんのエスキース展」を見学。 古本を置いてあったり、いい感じのお店でした。 珈琲とケーキでお茶の時間です。


(「弁造さんのエスキース展」2020年5月24日撮影)

 夕空に2惑星と細い月が出ていました。

5月25日(月)
 晴れ。

 寝る前に、2014年に刊行された高桑信一『山小屋の主人を訪ねて』(東京新聞)を本棚から探してページをめくってみました。 どちらかというと、ちょっと個性的な(魅力的な)山小屋の主人やスタッフを紹介した本です。 最初の山小屋は、私が長年通っていた福島の吾妻小舎です。 2003年の取材ですから、まだ遠藤さんご夫妻が管理人だった頃の記事です。 ちょっと懐かしくなりました。

 同じ福島では、安達太良山のくろがね小屋も出ています。 それぞれ訪ねてみたい場所ばかりですが、なかなかそうもいきません。


(『山小屋の主人を訪ねて』2020年5月25日撮影)

 そろそろ登って楽しむよりは、見て楽しむ方へとスタイルを変える頃でしょうか。

5月26日(火)
 曇りのち夜雨。

 夜には一時激しい雨となりました。 秋までの予定を考えてみました。

 宮沢賢治の1913(大正2)年の今日、5月26日の年譜の記事を見ると、次の記載があります。

 五月二六日(月) 午前三時半、吹雪丸に乗船、室蘭出航、一一時半大沼着。 公園遊覧。

 これだけでは何かわかりませんが、盛岡中学5年になった賢治は、5月21日から北海道修学旅行で函館、小樽、札幌、岩見沢、白老とまわり、室蘭に着いたのが前日の5月25日。 製鋼会社など見学して室蘭に宿泊。 その翌日は、なんと午前3時半から船旅で噴火湾を横断するところから始まりました。 その日の記録です。


(北海道室蘭〜函館附近 GoogleEarth)

 当時、噴火湾汽船の船は、森駅近くの森桟橋に到着しました。 今はすでに桟橋はなく、橋脚の一部が海辺に残るだけですが、海中に明治天皇御上陸地碑が建てられ、その目印として函館本線の車窓からも確認することができます。

 写真は、以前海辺を歩いて森桟橋跡付近を撮影したものです。 海中にある塔のようなものが明治天皇御上陸地碑です。 賢治はこの場所から上陸し、森駅で列車に乗り、大沼駅で下車し大沼公園に行きました。 遊覧とありますから、湖沼群を船でめぐったのでしょうか。


(森桟橋跡付近 2010年9月24日撮影)


(森駅の夕暮れ 2010年9月24日撮影)

 次の写真は、大沼公園です。 賢治の北海道修学旅行100周年を記念して現地を訪れた時のもの。 (時期はちょっと早いです)


(大沼公園 2013年4月29日撮影)

 賢治が訪れた時期には、鮮やかな新緑だったことでしょう。 大沼には斎藤宗次郎も1926(大正15)年7月(賢治の13年後)に訪れていて、湖畔の五月館に宿泊し、屋形船で遊覧観光を楽しんでいます。

5月27日(水)
 曇りのち夜雨。

 夜は一時激しい雨となりました。

 賢治の新刊から。


賢治の新刊
漱石の鉄道
漱石と鉄道
牧村健一郎
朝日新聞出版

 朝日選書の一冊です。 夏目漱石と主に鉄道路線について書かれたものです。 宮沢賢治については、第六章九州鉄道・伊予鉄道、2伊予鉄道に「岩手軽便鉄道と宮沢賢治」という記事があります。 岩手軽便鉄道で使われた機関車は、満州の安奉線で使われていたものが「お下がり」(軽便マニアには有名)という話題です。



 「賢治の図書館」  牧村健一郎『漱石と鉄道』(朝日新聞出版)を追加しました。 漱石と鉄道といえば、小池滋『「坊ちゃん」はなぜ市電の技術者になったか。』(新潮社)も良く知られるところです。

5月28日(木)
 晴れ。

 いつもより蒸し暑く感じられました。 休日に屋外で読書をしたら、なかなか気持ち良い時間を過ごすことができました。

 個人的なメモで恐縮です。


(鞄につめていった本 2020年5月28日撮影)

 ■福岡伸一『フェルメール光の王国』(木楽舎)
 ■香西洋樹『シェイクスピア星物語』(講談社)
 ■渡部潤一『第二の地球が見つかる日−太陽系外惑星への挑戦−』
  (朝日新書)
 ■『尾形亀之助詩集』(思潮社)
 ■『谷川俊太郎詩集』(思潮社)
 ■荒俣宏 荻野慎諧 峰守ひろかず
  『荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録』(Gakken)
 ■瀧島祐介『獄中で聴いたイエスタディ』(鉄人社)

5月29日(金)
 晴れ。

 賢治の童話朗読のCDです。 市原悦子さんの一周忌を記念して制作されたドラマオーディオCD限定盤です


(『宮沢賢治の世界』 2020年5月29日撮影)

 宮沢賢治の世界
 1水先案内人−序
 2「やまなし」
 3水先案内人−ニ
 4「注文の多い料理店
 5水先案内人−三
 6「よだかの星」
 7水先案内人−完

《出演》
 市原悦子、渡辺えり、戸田恵子
 シライケイタ、小林拓生、丸尾聡、中井亮、伊谷厚彦
 内田里美、岩崎聡子、薗内茜、三浦小季、森木美知、
 山崎沙織、小杉優香、好村俊子

《企画・製作》
 日本文化創造プロジェクト実行委員会、J-Theater

 「賢治の図書館」  『宮沢賢治の世界』《市原悦子一周忌》ドラマオーディオCD限定盤(日本文化創造プロジェクト実行委員会、J-Theater)を追加しました。 著名な役者さんたちによる賢治童話の朗読ものですが、アマゾンなど一般の通販には取り扱いがないようです。

5月30日(土)
 晴れ。

 先日、雑誌『アルプ』の古本を読んだところで、次の3冊を新しく鞄に入れて、読書カフェ。


(山の文学 2020年5月30日撮影)

 ■『アルビレオ詩集 1954』(書肆ユリイカ)
 ■山口耀久『ヤマケイ文庫「アルプ」の時代』(山と渓谷社)
 ■中村誠『山の文芸誌「アルプ」と串田孫一』(青海社)

 『アルビレオ詩集 1954』は、同人誌『アルビレオ』の第一詩集です。 以前ここで、紹介したとおり、詩集のはじめには、野尻抱影の「アルビレオ」が収録されています。

  …
 けれど、アルビレオそのものの美は、小望遠鏡で金ぢきの星が小さいサファイヤ色の星と相抱いてまじまじ瞬いてゐる姿を見てこそ堪能できる。 こんな贅沢なものを覗いていいのかしらと、思はず後ろを振返つたことを思ひ出す。…

 確かにそのとおり。 小望遠鏡で(倍率も低めで)見ると銀河に浮かぶ宝石です。


(アルビレオの位置 2020年5月30日撮影)

5月31日(日)
 晴れ。

 今日で5月もおしまい。

 天文教育普及研究会の会報『天文教育』2020年5月号が届いていました。 投稿記事に、古天文学的アプローチの「清少納言が見た七夕の星空」や「天文遺産となった「明月記」」がありました。 天文遺産は日本天文学会が制定した、天文学の分野で歴史的価値を持つ事物を顕彰したものです。 藤原定家「明月記」は、斎藤国治氏の著書『定家『明月記』の天文記録 古天文学による解釈』(慶友社)など、以前から多くの研究成果があります。


(『天文教育』2020年5月号 2020年5月31日撮影)

 最近、夜が短くなってきました。 今年前半の最終月。



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