緑いろの通信 2017年12月
   

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緑いろの通信
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- 緑いろの通信 2017年12月 目次 -


緑いろの通信

 「緑いろの通信」へようこそ! 2017年12月号をアップしました。 今月の写真は、立山の月です。 山から出てきたところ。 月には薄雲がかかっていたものの、それなりにクリアに見ることができました。 いよいよ12月です。




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12月1日(金)
 曇り時々雨。

 12月となりました。 毎年信じられないスピードで月日が流れます。

 日曜のための準備をそろそろ。 「19×5」を記念して。


(それなりに準備 2017年12月1日撮影)

 昨日は『星三百六十五夜』だったので、今夜は『星戀』より。


(『星戀』 2017年12月2日撮影)

 「十二月」の頁をめくると、先ずは誓子の作品から。 冬の星々を詠んだ作品が並びます。

   寒夜駅頭

 駅に見て冬の大白(たいはく)地に低き

 大白(星)とは、金星のことです。 冬の駅頭で眺めた金星。 まさに沈もうとしているところでしょうか。

 一方、東の空を見ればオリオンです。

   寒夜(2)

 オリオン座出でむと地(つち)に霜を降らし

 賢治の「星めぐりの歌」にある「オリオンは高くうたひ つゆとしもとをおとす」を思い出させます。 オリオン座と夜露や霜とセットになる発想が、実体験的です。

12月2日(土)
 晴れ。

 午前0時を過ぎれば12月2日。 今日最初のイベントは地震。 このところ、小さいのが何度もくるねえ。

 今日の夕方(17時30分ごろ)、東空には十五夜の月(満月は4日)が出ています。 そのすぐ左側に、淡い星の集団、すばる(プレアデス星団)を見つけることができます。


(2017年12月2日17時30分の東空)

 [20時更新]明るい十五夜の月を双眼鏡で眺めてみました。 視直径33.6分(天文用語ではありませんが、ほほスーパームーン)となっています。 満月の4日(時間的には3日の深夜)頃には話題になるかも知れません。


(今夜の十五日月(CG))

 空気が澄んでいるためか、なかなかの見え味です。 今晩の双眼鏡は、自宅なので少し大型の10×70SP(Nikon)です。 大きめの三脚に載せて、じっくりと。

 明日の夜の月見は移動が伴うので、MONARCH7 7×30(写真の小型双眼鏡)を持参します。 いつものMONARCH7 8×42と、チビの「ミクロン」7×15CFは自宅待機。


(MONARCH7 7×30 2017年12月2日撮影)

 この双眼鏡は、接岸部がしっかりとしていて使いやすいので、登山の際にもほぼ必ず持参しています。

 明日12月3日(1921(大正10)年12月3日)は、当時25歳の宮沢賢治が稗貫農学校教諭となった日です。 この時の教員構成はこんな感じです。

 校長 畠山栄一郎 35歳
 教諭 岩崎三男治 23歳
    堀籠文之進 22歳
    白藤慈秀  32歳
 書記兼助教諭
    奥寺五郎  25歳
 助手 小川慶治  21歳

 校長35歳で、教員のほとんどが20代前半という事実。 なんだか楽しそうではありませんか! そういう時代だったのですね。

 賢治が教師になって翌年3月に撮影された写真(「肖像写真」(『【新】校本宮澤賢治全集第16巻(下)』より)です。


(肖像写真〔写真三六〕)

 前列左から宮沢賢治、堀籠文之進、畠山栄一郎、白藤慈秀、奥寺五郎です。 農学校寄宿舎生との卒業記念写真です。 畠山校長先生ご年配のようですが、まだ30代半ば。 賢治は、この写真を高農時代の親友、保阪嘉内にも贈っていました。

12月3日(日)
 晴れ。

 とりあえずの更新時に「大先生の足跡を追って北方へ」と書きましたが、この「大先生」とはアインシュタイン博士です。

 今日は、アインシュタイン来日時の東北の旅から、1922(大正11)年12月3日(日)に訪れた仙台の街を歩き、その宵に実現したという松島での観月を実体験するべく、入念に(?)調査して当時の雰囲気を味わってきました。




 この12月は、今年ノーベル物理学賞でも話題となった「重力波」の予言で知られる物理学者、アインシュタイン(1879〜1955)が来日し、仙台を訪れてから95年目にあたります。

 はじめに、来日時の旅のスケジュール(11月17日の神戸上陸から仙台を去って日光へと向かった12月4日まで)を掲げておきましょう。 (離日したのは、12月29日に九州の門司港から)

1922(大正11)年
 11月17日(金)午後、神戸に上陸。
 11月18日(土)京都から列車で東京に移動。
 11月19日(日)慶応大学で講演。
 11月20日(月)小石川植物園で昼食会。明治座で観劇。
 11月21日(火)赤坂離宮で観菊。ドイツ大使館訪問。
 11月22日(水)改造社、増上寺を訪問。ドイツ・オーストリア協会の歓迎会。
 11月23日(木)上野音楽学校で邦楽鑑賞。
 11月24日(金)神田青年会館で一般講演。
 11月25日(土)東京帝大物理学研究所で講演後、市村座で観劇。
 11月26日(日)大倉集古館を見学、夜は能を鑑賞。
 11月27日(月)徳川家の晩餐会。
 11月28日(火)東京商科大学訪問。
 11月29日(水)早稲田大学、東京女子高等師範学校訪問。
 11月30日(木)宮内省礼拝堂で音楽鑑賞、東京帝大で講演。
 12月1日(金)帝国ホテルで改造社主催の歓迎会。
 12月2日(土)東京高等工業学校訪問後、仙台に移動。
 12月3日(日)公会堂で講演、金属材料研究所を経て松島、さらに東北帝大で歓迎会。
 12月4日(月)日光に移動、東照宮など見学。


 仙台に滞在したのは、12月2日(土)から12月4日(月)までとなります。 詳しい行動については、アインシュタイン自身による日記の記録から引用しておきましょう。 (参考文献『アインシュタイン日本で相対論を語る』[編訳 杉元賢治][解説 佐藤文隆](講談社))


12月2日
東京高等工業学校を訪問。 学生のあいさつ。 竹内が演説。
仙台に向かう(午後1時発〜9時着)。 途中乗車してきた本多と愛知とは4時間一緒だった。 到着。 駅では、同じ仕事仲間、学長が出迎えてくれた。 植物学者モーリッシュもいた。 向い側のホテルに行く道は大混雑で危険きわまりなかった。 そこでは市役所主催の歓迎会があった。

 東京高等工業学校は、現在の東京工業大学です。 ここに出てくる「本多」は、東北帝国大学の本多光太郎、「愛知」は同大学の教授で愛知敬一という人物。 本多光太郎は、当時、東北帝大附属金属材料研究所を創設し初代所長を務めました。 二人はアインシュタイン博士を出迎えるため、郡山から列車に乗車し、車中の4時間、行動を共にしました。


 ■アインシュタイン来仙95年後の仙台【私的追跡の記(1)】

 12月3日、朝の新幹線で仙台駅に到着。 アインシュタインは12月2日の夜、21時17分に仙台駅に到着しました。 歓迎する市民らに囲まれ、駅前のホテルにたどり着くのに20分もかかったと言われています。



(仙台駅(西口側) 2017年12月3日撮影)

 アインシュタインが宿泊したのは、駅前の仙台ホテルでした。 2009(平成21)年12月に営業を終えて、ビルも取り壊されています。 現在、商業施設EDENがある場所です。

 次の写真で、正面のビルがなくなっている部分が、仙台ホテルの敷地です。 (「仙台ホテル」はこちら(wikipedia))



(仙台ホテル跡地 2017年12月3日撮影)

 仙台ホテルの記憶ははっきりしないのですが、ホテル前の横断歩道を渡る際に、すごい粉塵が舞い上がっていた(意味不明な)記憶があります。 スパイクタイヤ規制の法律が施行前の時代ということですね。

 仙台ホテルのあった商業施設EDEN前にも行ってみました。 正面はバス乗り場。 大勢に人が行き交っていました。 ここにアインシュタインが来て2泊したと思うと、ちょっと感激です。



(商業施設EDEN前 2017年12月3日撮影)


12月3日
午前9時半から正午までと1時から2時半まで講演をした。
山本(実彦)、画家の岡本一平と松島に行った。 すばらしい海岸の景色。 日本旅館で一服する。
夕食はホテルで物理学者と。 詩人の土井晩翠と知り合う。 北斎の画集とみずからが作成したイタリア語の詩集をプレゼントしてくれた。
夕方、大学で心暖まる歓迎会。 学生との会合。 それから教授陣と。 モーリッシュと医学部長のとなりに座る。 壁に名前と日付を墨で書くはめになった。


 仙台ホテルに宿泊したアインシュタインは、翌朝、市内にある仙台市公会堂で一般講演会を2回行いました。 講演後は、本多光太郎博士と共に東北帝大附属金属材料研究所に車で移動。 そこで本多博士の発明したKS鋼マグネットをお土産として贈られます。 その後、仙台駅15時05分発の列車で松島駅(旧駅)へと移動して、松島海岸方面とを結ぶ大崎水電(松島駅前と五大堂前間を走る路面電車で現在は廃線)に乗り換え、16時過ぎ頃に海辺まで辿り着きました。 この時のメンバーには、岡本一平(芸術家岡本太郎の父)も含まれていました。

 路面電車の五大堂前停車場から、地元大宮司雅之輔氏の案内で、少し高台にある白鴎荘(はくおうそう)の四阿(あずまや)に向かい、そこで観月を楽しみます。 その様子は、『河北新報』(1922年12月5日付け)に次のとおり記載があります。

松島驛で電車に乗替して漸く海岸に近づけば色とりどりに夕映えした雲の中に十五夜の満月が薄く姿を見せる變り行く窓外の景色に博士は靜かに眺め入る。海岸での博士は「日本人は僕に土を踏ませない」といつた反撥かと思はるゝ足どりで凍りかけた濘道を歩む。一行が大宮司氏の東導で白鴎楼に登つた時には朔風がコ甚く肌に耐えるが月は既う五大堂の左上空に麗姿を現して眺めは一段と冴ゆる四阿の細柱に倚りそつた博士は『おゝ月がおゝ月が』といつたのみで動かうともしない。萬里異域に−と瞑想に耽るものゝやうなこの場面で誰か博士を科學者と言はう暫らくして乾燥を敲けば『イャどんな名工の繪でもどんな精巧な寫眞でも、かういふ自然の美は見られない、日本に來てから初めての景色だ』と頗るお氣に召した面持である

 この記事に「十五夜の満月が薄く姿を見せ…」とあります。 当時の暦を調べると、確かに「十五夜」ではありますが、満月ではありません。 満月となるのは翌日でした。

 アインシュタインは、五大堂の上に昇った月を眺め『おゝ月がおゝ月が』、さらに『イャどんな名工の繪でもどんな精巧な寫眞でも、かういふ自然の美は見られない、日本に來てから初めての景色だ』とも言っています。



(アインシュタインの訪れた松島の略図(1))

 移動ルートを地図上に示すと、五大堂前から順番に西へと移動していったことがよくわかります。



(アインシュタインの訪れた松島の略図(2))

 白鴎荘を後にして、瑞巌寺を見学して、松島ホテル3階で休憩後、再び大崎水電で松島駅(旧)を経て19時30分頃に仙台へと戻り、仙台ホテルで夕食、さらに東北帝大での歓迎会に臨んでいます。


 ■アインシュタイン来仙95年後の仙台【私的追跡の記(2)】

 仙台ホテル跡を確かめたら、講演会会場となった仙台市公会堂跡へ。 場所は西公園です。 地下鉄東西線で大町西公園駅下車。

 この西公園駅近くですが、公園内の片隅に、かつて小さな仙台市天文台がありました。



(さようなら 仙台市天文台 (西公園・2007年11月)(Youtube))

 当時の小坂台長や、笠原さんも懐かしい。もちろん小石川さんも・・・。

 仙台方面の皆さんとは、グレージングで何度かご一緒しました。 閖上の水田のあぜ道に沿って天体望遠鏡を並べて布陣して、観測(さそり座を眺めつつ)したのも懐かしい思い出です。 (震災の津波のニュースで暫くぶりに「閖上」の地名を聞いた時は複雑な気持ちでした)

 お話が大きく脱線しましたが、アインシュタインが訪れたのはもっとずっとずっと昔のこと。 大正時代の地図で見ると、西公園内の櫻ヶ岡神社の近くであることがわかりました。 (次の古地図で、やや右下にある「公會堂」とある場所)



(仙台市公会堂跡付近地図(大正元年))

 仙台市公会堂跡は、大きな広場になっていました。 青空の下、子供たちが楽しそうに遊んでいました。


(西公園芝生広場 2017年12月3日撮影)

 広場には白い日時計。 旧仙台市天文台の名残ですね。


(西公園日時計 2017年12月3日撮影)

 櫻岡大神宮には爆睡中の猫。 近づいてもグウグウ寝ていました。


(眠り猫 2017年12月3日撮影)

 西公園からちょっと先の国際センター駅近くにある仙台市博物館にも行ってきました。 仙台の歴史(近代)を調べてみたかったものの、ちょっと展示としては物足りないですね。 建物は立派です。

 裏手にある魯迅さんにご挨拶して、博物館から東北大学に移動。 (仕事で来て以来、何年ぶりでしょうか) ここは、アインシュタインが公会堂での講演後、本多光太郎博士に連れられて(短時間のようですが)訪れた場所です。

 裏手にまわって、東北大学の正門から入構。 構内でも古い建物となる東北大学史料館前を通過して、金属材料研究所へ。


(東北大学史料館 2017年12月3日撮影)

 東北大学は、戦災で多くの建物が焼けてしまったため、アインシュタインが訪れた建物は残されていません。 (工学部本館建物は、昭和元年の失火による) 仕方なく、本多光太郎博士ゆかりの金属材料研究所に行ってみました。 本多記念館や、本多光太郎の胸像もあります。


(本多記念館前にて 2017年12月3日撮影)

 本多先生にご挨拶ができたので、仙台駅に戻り、松島を目指します。 すでに説明したとおり、アインシュタインが松島に出かけた時と現在では、鉄道路線の状況が変わっています。 現在は、仙台駅から仙石線に乗り松島海岸駅で下車するのが一番早いルートとなります。

 松島海岸駅に降り立つと、もう夕方の日差しになっていました。 アインシュタインが大崎水電で五大堂前に着いた時刻(16時頃)に合わせて、その場所に行ってみました。 「お魚プロジェクト」という飲食店のある場所です。 ここに降り立ったのです。


(お魚プロジェクト 2017年12月3日撮影)

 アインシュタインが観月に来たというイメージからすると、だいぶ暗くなってからという印象ですが、実は思ったよりもずっと明るい感じでした。 それは当然で、日没時刻(16時16分)前なのです。

 アインシュタインは、ここから歩いて、地元の旅館経営者、大宮司の案内で、見晴らしの良い高台にある旅館白鴎荘の四阿に向かいます。 白鴎荘は、現在すでに営業をやめており、私有地で入ることができません。 (白鴎荘の四阿は、次写真の矢印の場所)


(アインシュタインの観月場所 2017年12月3日撮影)

 同じ場所で見るのが理想ですが、その場所に辿り着けたとしても、手前の店舗が視界を遮り、月のある風景として見ることが困難に思われました。 そこで、同じ方角(東側)の見晴らしの良い、観光船着き場の桟橋で眺めることにしました。

 今日という日にわざわざ出かけてきたのには大きな理由があります。 単純な理由としては、「アインシュタイン訪問日に合わせた」ということになりますが、それだけではなく、「月の見え方の条件が非常に似通っている特別な日」でもあるからなのです。

 今年の12月3日は、アインシュタイン訪問日からちょうど5メトン周期(1メトン周期は19太陽年)目にあたり、月はほぼ同じ月相(形)となります。 当時も今年と同じ満月の前日でした。 天球上の位置もおうし座でほぼ同様となるのです。 (さらに今年は曜日までも同じ日曜で)いくつもの偶然が重なっていました。 (メトン周期との関連は、すっかり失念していましたが、地元の天文研究家の方からの指摘です。感謝!)

 アインシュタインが観月していたであろう16時30分頃になると、当時の月の高度は8度です。 今回の月の出時刻には少々の遅れがありますが、そろそろ出てくる時刻です。


(松島湾の夕暮れ(1) 2017年12月3日撮影)


(松島湾の夕暮れ(2) 2017年12月3日撮影)

 空や海の色の変化を楽しんでいると・・・。

 東の空に丸い月が出てきました。 ちょうど、福浦橋の上です。 (目隠しで髭のお顔)


(月の出 2017年12月3日撮影)

 この月を隠す一筋の黒雲を見て、咄嗟に賢治の詩「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」(「春と修羅第二集」所収)を思い出しました。

   〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕

 東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
 丘はかれ草もまだらの雪も
 あえかにうかびはじめまして
 おぼろにつめたいあなたのよるは
 もうこの山地のどの谷からも去らうとします
 ひとばんわたくしがふりかへりふりかへり来れば
 巻雲のなかやあるいはけぶる青ぞらを
 しづかにわたっていらせられ
 また四更ともおぼしいころは
 やゝにみだれた中ぞらの
 二つの雲の炭素棒のあひだに
 古びた黄金の弧光のやうに
 ふしぎな御座を示されました
 まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
 全くことなったかんがへをあたへ
 まことにあなたのまどかな御座は
 つめたい火口の数を示し
 あなたの御座の運行は
 公式にしたがってたがはぬを知って
 しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
 われらに答へまたはたらきかける、
 巨きなあやしい生物であること
 そのことはいましわたくしの胸を
 あやしくあらたに湧きたゝせます
 あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
 そこらが明るくなればなるほど
 あらたにあなたがお吐きになる
 エステルの香は雲にみちます
 おゝ天子
 あなたはいまにはかにくらくなられます

 賢治の月に対する特別な想いが伝わる作品です。 この詩では、夜明けどきの、西空に懸った月の姿を捉えています。 月の出の場面ではないのですが、次の部分に注目してみてください。

 また四更ともおぼしいころは
 やゝにみだれた中ぞらの
 二つの雲の炭素棒のあひだに
 古びた黄金の弧光のやうに
 ふしぎな御座を示されました

 賢治は、月付近の雲を「炭素棒」(理科の実験で使いますね!)と比喩表現しています。 写真でもわかるとおり、炭素棒を思わせる黒雲が、月を遮っていました。

 月が出たのですが、雲も出てきてしまいました。 それが東の空ですから困りものです。 全周魚眼レンズによる空はこんな感じです。 (写真の方角は、下が南、右が西です)


(全周魚眼レンズによる空 2017年12月3日撮影)

 空の相当な範囲が雲で覆われたものの、西空の夕暮れはきれいな空を見せていたので、カメラをそちらの方に向け、撮影開始です。


(撮影風景 2017年12月3日撮影)

 色の変化がきれいで、双眼鏡で眺めていると、撮影が進みません。 こうして、この風景を眺められるのも、アインシュタインのおかげです。 またしても感謝!


(松島夕景 2017年12月3日撮影)


(美しい夕映え 2017年12月3日撮影)

 このように美しい夕景と共に月を楽しんだとすれば、それはアインシュタインにとっても、素晴らしい体験であったことでしょう。 新聞記事にあった『イャどんな名工の繪でもどんな精巧な寫眞でも、かういふ自然の美は見られない、日本に來てから初めての景色だ』も、決して大袈裟ではないことがわかりました。

 雲の流れを気にしながら撮影を続行・・・。 もうアインシュタインが松島に着いて1時間ほど経過した時刻です。 天文的には、市民薄明は終了し、あとしばらくすると航海薄明も終了する(太陽による薄明光の影響がなくなる)という状況です。 もうこの時分になるとかなり暗いので、アインシュタインも瑞巌寺の見学を終え、松島ホテルに休憩に入った頃でしょうか。

 アインシュタインが休憩した松島ホテルは、現在有料駐車場になっています。 まだ明るいうちに撮影しておいた写真を1枚。


(松島ホテル跡 2017年12月3日撮影)

 アインシュタインが松島を離れた状況になるまで撮影はさらに続行。

 桟橋から見た松島の夜景は、どこか異国的な雰囲気があります。 雲の切れ間からは、月明かりがもれています。


(異国的な 2017年12月3日撮影)

 雲が切れるのを待って、何枚かの月の風景を撮影しました。


(五大堂と月 2017年12月3日撮影)

 ちょうど、アインシュタインが松島を電車で離れるころの月の位置です。 風景と月の明暗差が激しいので、露出を変えた数枚の画像をHDR合成したものです。 月のまわりには、光環(こうかん)も見えています

 その後、撮影機材を撤収して、誰もいなくなった暗い道を松島海岸駅へ・・・。

 アインシュタインの旅程を追えば、このあと仙台ホテルで夕食、ここで詩人の土井晩翠と面会。 晩翠は北斎の画集とタリア語の詩集をプレゼントしています。 この流れから言えば、土井晩翠の旧邸宅(晩翠草堂)も見学するべきですが、時間の関係で叶いませんでした。

 土井晩翠と言えば、「荒城の月」と作詞者としてあまりにも有名です。 (作曲は滝廉太郎。大分の竹田を旅行した際、岡城跡の銅像や碑を見学しました) ここでふと思い出したのが、石川啄木との交流。 この時代の人たちは、いつもどこかで結びついてしまう不思議。


12月4日
稲垣、山本、岡本と日光に旅行する。 本多は1時間だけ同行する。 すてきな人たち。 陽気で控えめ、自然と芸術を愛している。 忘れがたい。 汽車からすばらしい山岳地帯が見えた。 昨日の今日も行く先々で、車掌がとくに親切だった。 東京で汽車に乗り遅れたので、駅に向かう途中、妻たちは絶望した模様。 絵に描いたような旅行だ。 絹の靴下を製造する半分アメリカナイズされたドイツ系アメリカ人経営者とおしゃべりをする。 日光村を通って、稲垣、岡本と歩いてホテルへ行く。 その夜、岡本はひじょうに魅力的ないろいろなスケッチを描いていた。


 当時に記録では、朝の列車で仙台を発っています。 行き先は日光。 宿泊は日光金谷ホテルで、日光滞在中に、東照宮、中禅寺湖などを訪問していました。


12月4日(月)
 晴れ。

 帰宅して自宅の作業など。 年末になって、各種締切への対応も・・・。

 週末の写真から(1)


(仙台市博物館前にて 2017年12月3日撮影)

 どこかロシア彫刻風。 ここから仙台城跡へ徒歩で散歩。

12月5日(火)
 晴れ。

 超多忙。

 週末の写真から(2)


(瑞巌寺前にて 2017年12月3日撮影)

 この奥が瑞巌寺です。 右手の覆われた部分には、明治時代の建築となる「観月楼」があります。 震災時の被害で、修復工事中です。 アインシュタインもこの建物の前を通過しているわけですね。

12月6日(水)
 晴れ。

 体調が悪い。 疲労がたまっているのだろうか。

 グリザイユの吉田重滿さんから、賢治の映画「愁いの王」のDVDを送っていただく。 ありがとうございます。

 内容は、賢治の生涯を映像作品にしたもの(「緑いろの通信」でも一度紹介しました)で、ウェブサイトでは一部のみですが映像を見ることができます。 (「愁いの王」はこちら(グリザイユ))

 じっくりと鑑賞してみたいと思いました。


(映像DVD 2017年12月6日撮影)

12月7日(木)
 晴れ。

 忘年会。

 赤くなった月が遠くに見えました。

12月8日(金)
 晴れのち雨。

 ジョン・レノン氏の命日。 あの日からいったい何年経ったことか。

 今年はこれで追悼。


(John Lennon Walls and Bridges)

、1974年の秋に発売されたアルバム。 #9 Dream、Nobody Loves You(When You're Down and Out)とか、Steel and Glassが良かったな。 高校生の時、友人に教えてもらって聴いた初めて聴いたもの。 久々に聴いて、その頃のことが新鮮に思い出されます。 (いい音楽はタイムマシンのよう)

 山の方では雪でしょうか。

12月9日(土)
 晴れ。

 朝からさわやかなお天気。

 新宿駅から特急スーパーあずさ号で西へ西へと移動。 雪を頂いた山々のパノラマ。 八王子を過ぎて山間に入るまでは、富士山が圧倒的な存在感で風景を引き締めます。


(移動中の読書 2017年12月9日撮影)

 移動中の読書は、廣瀬匠『天文の世界史』(インターナショナル新書)。 天文学史を、天体別にエピソードから整理したユニークな構成です。 さりげなく学際性が楽しめるように工夫されていて、個人的には好みでした。 「第5章天の川、星雲・星団、銀河」の「銀河のほとりを走る鉄道の旅」では、賢治の「銀河鉄道の夜」にも言及があります。

 写真の切符、「スーパーあずさ11号 1号車 1番 A席」で「1」が沢山並んで1等賞をもらった気分。 (実に「気分だけ」です)

 甲府駅で下車。 大急ぎで駅ビルの書店に行き、天文誌2冊の最新号を購入。 駅に戻って、下りの各駅停車に乗り込みました。

 韮崎駅で下車。 10月の碑前祭以来の訪問。 (あの時は台風で大変でした) 駅から少し歩いて、和菓子の名店「うさぎや」さんへ。 ここで名物のダイフク(ジャンボ、いちご、ばなな)を購入。

 滝田さんとも少しお話することができました。 そのまま駅に戻ってみたら、こんどは林さんとも再会。


(韮崎駅ホームにて 2017年12月9日撮影)

 韮崎駅からも富士山がはっきり。 (それにしてもiPhoneで撮影した画像、一眼と比べると酷い)

 ここから各駅停車に乗り、小淵沢駅へ。 新築された駅舎を初めて利用しました。 以前の駅舎の正面にあった入船食堂で昼食。 これまで乗り換えの時間待ちに何度も利用してきましたが、名物のとろろそばは健在。

 新駅舎の上に展望台ができたというので、早速上ってみました。 南側の展望は悪いものの、東側の八ヶ岳はなかなかのもの。 八ヶ岳方面へと向かう小海線のホームには、カラフルなイベント列車も停まっていました。


(小淵沢駅展望台にて 2017年12月9日撮影)

 小海線の乗車時間が近づいて、ホームへと移動。 写真は、イベント列車「HIGH RAIL 1375」の車両です。 「高原鉄道1375」ということですが、1375は、JRの路線の中で一番標高の高い地点(清里駅と野辺山駅間)の標高(1,375m)に由来する数字です。 高原地帯を走るので、=星の良く見える場所という発想から、星見を観光の目玉としてこんな列車を走らせています。 (「HIGH RAIL 1375」はこちら(JR東日本長野支社))


(HIGH RAIL 1375車両 2017年12月9日撮影)

 車両のシートも「星座柄」になっています。

 これから向かう清里駅へは、反対側のホームに停車中のごく普通の車両です。 定刻になり、予定どおり小淵沢駅を発車。 途中、進行方向右手には、富士山も眺められます。


(遠くには富士山も 2017年12月9日撮影)

 約30分ほどの乗車で、清里駅に到着。 ここからタクシーで10分で、今晩の宿泊場所、清泉寮に到着です。 (「清泉寮」はこちら

 本館改修工事後、初めての宿泊です。 今回は和室。 室内がきれいになりました。


(清泉寮にて 2017年12月9日撮影)

 夕陽の風景を撮影しに、本館前の牧場に出てみました。 2日前に雪が降ったそうですが、ほぼ融けていました。 (それにしても空気が冷たい)


(遠くに富士山 2017年12月9日撮影)

 遠く富士山や、南アルプスの山々(北岳、甲斐駒ヶ岳など)、金峰(五丈岩つき)、甲武信岳など、山岳展望も楽しめます。


(富士山 2017年12月9日撮影)

 日没後、空の色とりどりの光の帯が富士を飾ります。 地上も遠近の山々が青の帯を競います。 先週は「海」からの光の贈りもの、今秋は「山」からの光の贈りものです。


(富士山夕景 2017年12月9日撮影)

 寒さで手が痺れてきたので、清泉寮ジャージーハットの売店で熱いコーヒーを注文。 寒い時は助かります。 周りのお客さんは、皆ソフトクリームを食べていました。 (売店の中はとても暖かいのです)

 この時間、清泉寮の本館の玄関もきれいになっていました。 薄明どきの光は写真好きには外せません。


(清泉寮本館玄関 2017年12月9日撮影)

 ここで夕食のため一旦休憩。 新館のフロント前のソファーで暖まる。 セルフサービスでコーヒーも自由に飲めます。 (BGMは薪のパチパチサウンド)


(薪ストーブを中心に 2017年12月9日撮影)

 本が並んでいたので気になってみてみると・・・。 ウチの本と同じものを何冊か発見。 そのうちの一冊は、「緑いろの通信」で登場済の野尻抱影『星三百六十五夜 冬の巻』です。


(『星三百六十五夜』 2017年12月9日撮影)

 今日「12月9日」のページを開くと、吉田一穂の「オリオンが来た」という詩が引用されていました。 「オリオンが来た! ああ壮麗な天体の祝祭…」から始まる短い作品です。 抱影が大正時代に『星座めぐり』を刊行した際に寄せてくれたとあります。

 夕食は魚料理で注文。 清泉寮の食事は、いつも楽しみです。

 食事を終えて、再び屋外へ。 当然ながらすでに気温は氷点下。 風も冷たく、撮影も大変です。 (ここで、自宅に置いてきたカメラバッグに忘れ物発覚) 仕方なく、こんな写真を撮りました。


(冬の星々 2017年12月9日撮影)

 ちょっと光害がひどいようです。 最近主流のLEDは、エコであると同時に「明るすぎる光源」でもあります。 環境にとって、望ましいものではありません。 いいこともあれば、悪いこともあります。

 テラスから見る甲府市内の夜景はなんとも明るい。 もう清泉寮では天体写真(広角レンズ)は難しいと感じました。

12月10日(日)
 快晴。

 早起きして入浴。 そして朝食。

 外に出て散歩。 昨晩、表を照らしていた月がまだ空の高い場所に見えていました。 白樺の枝のところどころはもうピンク色。


(白樺の彼方に月 2017年12月10日撮影)

 朝の富士山もきれいです。 撮影中の二人とともに。


(朝の富士(1) 2017年12月10日撮影)

 モノクロ映像でも。


(朝の富士(2) 2017年12月10日撮影)

 昨晩、(たぶんオリオンの仕業と思われる)霜がテーブルの上を埋めていました。 温かな太陽光を浴びて「十力の金剛石」です。


(霜と光と 2017年12月10日撮影)

 朝食後、清里駅から再び小海線で小淵沢駅まで。 線路に鹿が飛び出して少し遅れたあずさ号に乗り帰宅。

12月11日(月)
 晴れ。

 仕事で都内へ。 グローバルビジネスで成功した一流の方々のお話には興味深いものがあります。 遅くなって帰宅。

 北方よりリンゴが到着。 今年も間もなく1年が終わる。

 最近出た新村恭『新村出の生きた軌跡 広辞苑はなぜ生まれたか』(世界思想社)読了。


(『広辞苑はなぜ生まれたか』 2017年12月10日撮影)

 『広辞苑』の著者、新村出(1876〜1967)の伝記本です。 著者は新村出の末孫にあたる新村恭。 交友関係がなんとユニークなことか。

12月12日(火)
 晴れ。

 (承前)新村出の伝記本を読んでみたいと思ったきっかけは、野尻抱影『星の民俗学』に「序文」を寄せたのが新村出であり、そもそも「星の和名蒐集をするきっかけとなったのは新村出博士の著書である『南蛮更紗』であった」(野尻抱影『日本の星』の「解説」(石田五郎)による)とされているためです。 『日本の星』では新村出の名が何度も引用されています。


(野尻抱影の文庫本 2017年12月12日撮影)

 書庫をあたると、野尻本がごちゃごちゃと出てきました。 旅先で読みたくなって同じ本が2冊になったなんていうのもあります。 (時期を変えて購入したら装丁が変わっていたというのも!)

 ここの写真にありませんが、1989年に出たアンソロジーもの「野尻抱影の本1〜4」(筑摩書房)より、その第1巻のみを1993年に文庫して発売された『星空のロマンス』(ちくま文庫)はお勧めです。 (すでに絶版なのでもう古書しかありません。文庫版の流通が少ないものの、ハードカバーの『野尻抱影の本1』なら安価に購入できます)

 今日は遅くなっての帰宅。 日付は変わる。

12月13日(水)
 晴れ。

 午後から所用。 ふたご座流星群の時期ですが、忙しくて見られそうにありません。 今年のピークは、今晩の深夜です。 観望可能な方はお楽しみください。 (「ふたご座流星群が極大(2017年12月)」はこちら(国立天文台))


(『星ナビ』2018年1月号 2017年12月13日撮影)

 『天文ガイド』誌に続いて『星ナビ』誌も電子版配信が始まりました。 紙媒体はいつまで続くのか、気になるところでありますが、部屋中本に占拠されることを思えばそれも時代の流れということでしょう。

 今日も『新村出の生きた軌跡 広辞苑はなぜ生まれたか』から新村出の話題を少々。 1896(明治29)年(→賢治の生まれた年)9月に東京帝国大学文科大学博言学科に入学。 学寮に入り、哲学を専攻した朝永三十郎(三十郎の息子は、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎)と同室となります。 朝永振一郎の妻となるのが、新村出の弟(四男)で東京天文台長だった関口鯉吉の長女領子です。

 新村出と関口鯉吉が兄弟だったのですね。関口鯉吉(1886〜1951)といえば、恒星物理が専門ですが、著書としては、 『太陽』(岩波書店・1925)、『太陽黒点』(新光社・1926)、『天界片信』(興学会出版部・1926)、『天体』(岩波書店・1926)、『太陽研究の新紀元』(岩波書店・1929)などがあります。

 賢治の時代の天文学者ということになります。 古書を2冊を紹介。 (それぞれ購入時に「緑いろの通信」で紹介済ですが、再度取り上げました)


(『天界片信』 2017年12月13日撮影)

 『天界片信』(興学会出版部)は1926(大正15)年12月7日の発行。 以下、目次より。

  目次

 星あかり
 日食回顧
 天體慍度と其性状
 太陽活動と氣象の變調
 恒星の運動
 太陽研究者の夢
 星辰開展論者の觀た物質とエネルギーの問題
 星のまばたき
 單光太陽畫像


(『天空憬仰』 2017年12月13日撮影)

 『天空憬仰』(國立書院)は1948(昭和23)年4月15日の発行。 科学読み物(エッセイ)をまとめたもので、本書の装丁は、恩地孝四郎。 北斗七星と北極星がデザインされています。 以下、目次より。

  目次

  自序
 太陽研究の目的と其現況
 天界現象の豫報
 天體觀測と氣象
 惑星の衣服として見たその大氣
 太陽の黒點は果して地球上の氣候に影響するか
 科學とジャーナリズム
 理論と實際
 滞頂一句
 因 縁
 精確さの必要限度
 日食回願
 北見日食の思出
 科學を修める道
 觀天望氣
 微視氣象學の一體驗
 ほか

12月14日(木)
 晴れ。

 そろそろクリスマス。

 清泉寮は、牧場だけあって、ウシツリーがありました。


(ウシツリー 2017年12月9日撮影)

 窓の飾りもユニークです。


(窓 2017年12月9日撮影)

 野尻抱影の文庫本を探していると、立花隆『宇宙からの帰還』(中公文庫)が出てきました。 実はこの文庫本2冊持っていて、お世話になった方に貸していたのですがその方が亡くなって、手元に1冊だけ残りました。

 その方がまだ元気な頃、その方からご家庭でのクリスマスパーティに招待されて、そこで「宇宙や星の話で面白い本ない?」と相談され、思いついて貸した本だったのです。 もう10数年前のことですが、この本を見るたび、ちょうどその時のことが思い出されます。


(『宇宙からの帰還』 2017年12月15日撮影)

 最近、再び宇宙での長期滞在の決まった野口聡一宇宙飛行士のインタビューで、この本のことが触れられていました。 「高校3年生の時に読んだ立花隆の「宇宙からの帰還」がきっかけで、本格的に宇宙飛行士を目指すことを決意」したとこのと。 宇宙飛行士必読の書だと思います。

 花巻と姉妹都市提携の神奈川県平塚市から賢治ニュースです。 12月16(土)平塚市美術館で「宮沢賢治の紙芝居―講演と上演―」が開催。 午前10時30分から午後4時まで(10時から受付)。入場無料で定員は先着120人。 紙芝居といえば、堀尾青史さんですね。 (「宮沢賢治の紙芝居 親族が作品語る講演も」はこちら(タウンニュース))

12月15日(金)
 晴れ。

 何度目かの忘年会。

 今月もちょうど半分が過ぎて、新年まであと少し。

 「移動読み」の本は、先日古書店で探し当てた横山厚夫さんの『幾つかの山』(朝日新聞社)。 青森の一戸さんが出てきたり、「谷地平と東吾妻山」の初登山のこと。 断片的にお話は聞いていたことが出てきて、なんだか楽しい気持ちになりました。


(『幾つかの山』 2017年12月15日撮影)

12月16日(土)
 晴れ。

 宮沢賢治関係の繋がりに導かれて、千葉県木更津で行われた「みなまちブックフェス2017」に行ってきました。 (「みなまちブックフェス2017」はこちら(木更津市))

 東京駅から総武線で千葉駅まで。 内房線に乗り換えて、木更津駅まで。 (木更津で降りるのはしばらくぶりのこと)

 場所がわからなくて、駅前を歩いていたら、反対側から賢治学会の栗原さんがやってきました。 スタッフの方に問い合わせをするなかで、「クラムボンの会」公演の場所が判明して移動。

 15時過ぎからクラムボン会の巖谷陽次郎さん(語り)と小林秀史さん(アイリッシュ・ハープ)による賢治童話、「やまなし」と「よだかの星」公演が行われるのです。


(巖谷陽次郎さん 2017年12月16日撮影)

 公演後、イベントの打ち上げの時間まで、栗原さん、土屋さんと、駅前のドトールで時間調整。 昼食をちゃんと取っていなかったので、ケーキとコーヒーを注文。 それなりに時間があったので、栗原さんと賢治の妹(岩田シゲさん)の回想録のことでいろいろとお話。 貴重なお話でした。 (12月17日追加:「賢治妹の回想録出版へ 岩田シゲ執筆、「永訣の朝」逸話も」はこちら(岩手日報2017年12月17日))

 後始末を終えた田嶋先生、加藤先生、大貫先生と合流して移動。 木更津は港町なんですね。 (タツノオトシゴもピカピカ光ってました)


(道端にて 2017年12月16日撮影)

 地元の方々と楽しくお話をして、終電近くまで、あっという間でした。 皆さま大変お世話になりました。

 「たぬき」の話題がなぜか沢山出ていたので、調べたら野口雨情作詞による童謡「しょうじょうじのたぬきばやし」(證誠寺の狸囃子)の證誠寺が木更津にあるというのです。 知りませんでした。

12月17日(日)
 晴れ。

 年末に向けた自宅作業をあれこれ。 作業量が多いので、例年苦労しています。 途中、都内に出て買い物など。

 東京駅の丸の内側の工事の覆いが外されて広々としていました。 毎年クリスマスの時期は「東京ミチテラス」でしたね。 東京駅正面では飾り付け作業が行われていました。 丸の内イルミネーションはもうすでに始まっています。 (「東京ミチテラス2017」はこちら(東京ミチテラス2017実行委員会事務局))


(東京駅 2017年12月17日撮影)

 ついでに、東京ステーションギャラリーで昨日から始まった「鉄道絵画発→ピカソ行 コレクションのドア、ひらきます」展を見学。 (「鉄道絵画発→ピカソ行 コレクションのドア、ひらきます」はこちら(東京ステーションギャラリー))


(企画展チラシ 2017年12月17日撮影)

 帰りにつくば駅の近くに、今日の金井宇宙飛行士を乗せたソユーズ打ち上げのパブリックビューイングの案内が出ていました。 もっと先にような気がしていたけど早い。 火曜日にもう一度行われるようです。 今度は、ISSとのドッキングですね。 (「ライブ中継を見て金井宇宙飛行士を応援しよう!」はこちら(JAXA))

 脚本家の早坂暁さん死去のニュース。 賢治関係の脚本では『よだかの星』がありました。

12月18日(月)
 晴れ。

 夜、家事。

 先日、小海線の清里駅のホームで見かけた看板です。


(JR駅の標高くらべ ベスト10 2017年12月10日撮影)

 1位は野辺山駅(1,346m 小海線)、2位がこの清里駅(1,275m 小海線)、3位はお隣の甲斐大泉(1,158m 小海線)です。 写真の左側には、東京スカイツリーの高さ(634m )が比較できるように控えめに描かれています。

12月19日(火)
 晴れ。

 オリオンもだいぶ南寄りに見える季節となりました。

 賢治の新刊から。 二ヶ月に一冊のペースで刊行の「宮沢賢治コレクション」第8巻です。


賢治の新刊
宮沢賢治コレクション8
宮沢賢治コレクション8
春と修羅 第三集・口語詩稿ほか
詩III
筑摩書房

 新たな賢治全集シリーズの第8回配本は、『宮沢賢治コレクション8 春と修羅 第三集・口語詩稿ほか 詩III』です。 掲載作品は、・『春と修羅』第三集/『春と修羅』第三集補遺/詩ノートより/口語詩稿より



 「賢治の図書館」  宮沢賢治コレクション8 春と修羅 第三集・口語詩稿ほか 詩III/を追加しました。

 今回のスタッフは、監修:天沢退二郎、入沢康夫、編集委員:栗原敦、杉浦静、編集協力:宮沢家、挿画・装画:千海博美、装丁:アルビレオとなっています。

 解説文は、栗原敦「本文について」、最後に吉田篤弘「エッセイ・賢治を愉しむために 木曜日の夜ともうひとつの夜」が収められています。 次回配本は『宮沢賢治コレクション9 疾中・東京ほか 詩IV』です。 (筑摩書房の宮沢賢治コレクションのページはこちら

 エッセイを書かれた吉田篤弘さんは、あの「クラフト・エヴィング商會」の方ですよね。 『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)が有名。

 以下は、本書に収録の作品です。 「春と修羅第三集」の「煙」は、1926年10月9日の日付を持つ作品です。 作品の舞台は、花巻のイギリス海岸近くにあった煉瓦工場です。 この辺りは、農学校教師時代に、生徒たちを連れて度々やってきた場所。 生徒たちと河原で遊んで「くるみの化石」を探したことなどを回想しますが、今見るその風景は暗く、教師を辞めて破産したり、良からぬ方向に進む現実が描かれています。

   煙

 川上の
 煉瓦工場の煙突から
 けむりが雲につゞいてゐる
 あの脚もとにひろがった
 青じろい頁岩の盤で
 尖って長いくるみの化石をさがしたり
 古いけものの足痕を
 うすら濁ってつぶやく水のなかからとったり
 二夏のあひだ
 実習のすんだ毎日の午后を
 生徒らとたのしくあそんで過ごしたのに
 いま山山は四方にくらく
 一ぺんすっかり破産した
 煉瓦工場の煙突からは
 何をたいてゐるのか
 黒いけむりがどんどんたって
 そらいっぱいの雲にもまぎれ
 白金いろの天末も
 だんだん狭くちゞまって行く

 そして、あの「双子のライオン堂」書店さんですが、文芸誌『しししし』Vol.1発行のニュース。 しかも特集は「宮沢賢治」。 (「赤坂の「双子のライオン堂書店」が文芸誌を創刊 第1号は宮沢賢治特集/東京」はこちら(みんなの経済新聞2017年12月19日)、 「双子のライオン堂」書店はこちら

12月20日(水)
 晴れ。

 今日は12月20日。 クリスマス前に毎年やってくるこの日。 賢治の童話集『注文の多い料理店』の「序」に付された日付です。


(『注文の多い料理店』 2017年12月20日撮影)

 有名な序文で、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。」はいろいろな場面で引用もされますね。 全文を掲げておきますので、ぜひご一読を。

   序

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。

 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

  大正十二年十二月二十日     宮沢賢治



(『注文の多い料理店』序 2017年12月20日撮影)

 今日の1枚目の写真に出しておきましたが、来年は「いわさちひろ生誕100年」です。 いわさきちひろは、1918年12月15日福井県武生市の生まれ。 日記「草穂」の発見により、宮沢賢治ファンであることが知られるようになりました。 (詳しくは『いわさきちひろ若き日の日記「草穂」』(講談社)をどうぞ)

 日記「草穂」は、1945(昭和20)年8月16日(終戦の翌日)の山々のデッサンから始まります。 「国破れて山河有り」と書き添えられていました。

 その日から二日後の日記に宮沢賢治が出てきます。

八月十八日

 きのうから宮沢賢治の事で夢ごこちだ。 先日から少しばかりそうであったけれど、いまは熱病のようになってしまった。 前に詩集をよんだ時、もっともっとよく読んでおけばよかった。

 アカシヤの葉が目にチカチカ輝く八月の高い熱にように私のこころは燃えている。 年譜を見ただけでなみだぐみ度くなるし、焼いてしまった法華経の経典がいまほしくてたまらない。 ・・・

 ほんとうに「熱烈」なファンであったことがわかります。 昨年、「この世界の片隅に」の作者、こうの史代さんの「熱烈」な賢治好きのお話を初めて聞いたとき、思わずいわさきちひろのことが思いだされました。 来年はどんな記念イベントが開催されるのか、「賢治とちひろ」企画も期待したいところです。 (・・・とくれば、高畑勲さん・・・でしょうか)

 天界の方は、新月を過ぎ、明日は旧暦の11月4日。 日没後、5時半を過ぎる頃には、旧暦4日の細い月を見つけることができるはずです。 (「ああ、せいせいした。サンタマリア」)

12月21日(木)
 晴れ。

 このところ不調が続きます。 渋谷ヒカリエで、「ジョージ・ハリスン アイ・ミー・マイン展」の情報。

 少し前に読んだ新刊です。 的川泰宣著『宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー 人類が宇宙へ行くまで』(勉誠出版)です。


(『宇宙飛行の父』 2017年12月21日撮影)

 小学生のとき、月の裏側は地球側から見られないことを知り、初めて月の裏側を探査衛星の写真で見たときのことです。 月の表面に数多く見られる「海」と呼ばれる黒い部分がほとんどないことに気づきました。

 ところが、ぽつんと目立つ小さな黒い場所があるのです。 (次の写真の中央) そこには洞爺湖のように中央に島状の部分もあります。


(月の裏側 2017年12月21日撮影)

 どうしても気になって調べてみたら、ツィオルコフスキーというクレーター名で、ロシアのロケット研究者の名前に由来することがわかりました。 映画「アポロ13」でも、月の裏側をめぐる場面にこの地名が出てきますね。


(ツィオルコフスキー 2017年12月21日撮影)

 そんなことで、子供のときから気になっていたツィオルコフスキーの評伝本です。 宮沢賢治よりも40年近く早い1857年の生まれで、没年は賢治の2年後の1935年です。

 やはり新しいことを考える(ユニークな)方で、宇宙船のアイデアスケッチなど素晴らしい。 1883年の「自由空間」では、宇宙空間を推進するロケットの原型がイメージされています。


(宇宙船のアイデア「自由空間」 2017年12月21日撮影)

 著者は、おなじみの的川泰宣(JAXA名誉教授)さんです。

 明日は冬至

12月22日(金)
 晴れ。

 外は冷えていますが、星も輝いています。 クリスマスも近づきました。 北十字も西空に立つこの頃です。


(西空のはくちょう座)

12月23日(土)
 晴れ。

 週末になりました。 平日できなかった自宅の用事をなんとか済ませて、クリスマス温泉です。

 場所は長野県の上諏訪。 新宿駅からの途中、甲府駅で下車。 舞鶴城の高台で、南アルプスの展望。

 甲斐駒の上に雲が少々乗っていたものの、有名な「保阪嘉内ハレー彗星スケッチ」に描かれた山々はとても良く見えていました。


(舞鶴城からの眺め(西)2017年12月23日撮影)

 南空を見れば富士山が顔を出していました。 (中央本線の車窓からも、多摩川の鉄橋を渡るあたりでくっきりと!) 甲府の上空の水蒸気の層もくっきり。


(舞鶴城からの眺め(西)2017年12月23日撮影)

 城を下りて、旧甲府中学の敷地(県庁付近)を歩いていたら、学園もののドラマ(映画?)でしょうか、ロケが行われていました。 すっかり遅くなった昼食は、駅前通りの小作というお店で「ほうとう」でした。 冷えた体が温まりました。

 中央本線をさらに北に進みます。 (韮崎の皆さんの住むあたりも良く晴れています) 雪を乗せた八ヶ岳も良く見えました。

 八ヶ岳方面への登山口となる茅野駅でまたまた途中下車。 茅野駅2、3番線ホームには、巨大な黒曜石(和田峠産)があります。 (次写真中央の石) これを使えば、「カムパネルラの持っていた黒曜石の地図」が沢山できそう。(と思わず妄想の世界)


(茅野駅ホームにて 2017年12月23日撮影)

 駅前のバスターミナル2階にある八ヶ岳オクテットでお茶の時間。 夏山の時期にはいつも立ち寄ってランチに利用しています。 (「八ヶ岳オクテット」はこちら


(八ヶ岳オクテット入口 2017年12月23日撮影)

 コーヒーを注文して、メールや今晩の準備など。 高見石小屋の木村さんにもメール。


(パンの案内 2017年12月23日撮影)

 ここから1駅で、諏訪湖畔の町、上諏訪の駅に到着です。 湖畔の温泉宿なので、いつものようにガード下の道から近道です。

 そのまままっすぐに進むと、諏訪湖に出ることができます。 湖には氷の破片(?)が浮いて漂っていました。 気温がマイナス10度以下になると見られるという御神渡り、この冬は見られるのでしょうか。


(諏訪湖畔にて 2017年12月23日撮影)

 宿に荷物を置いて、カメラだけを抱えて、夕暮れを遊歩道を歩いてみました。 二隻の遊覧船が、お役目を終えて船着き場に停泊中。 写真の左が「すわん」右が「竜宮丸」です。


(諏訪湖畔の夕暮れ 2017年12月23日撮影)

 街灯も灯りはじめました。 小さな月が(ほとんど点で)写っています。


(夕空 2017年12月23日撮影)

 拡大するとこんな感じです。


(夕空(の月) 2017年12月23日撮影)

 夕空の高い場所では、野鳥の群れが北へと移動し、薄明光に照らされた湖上には、二羽の鴨が静かに渡っていました。


(二羽の鳥 2017年12月23日撮影)

 湖畔からは、遠く北アルプスの奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳(いずれも登頂済)も見えて、感動的でした。 こんなに遠くからも見えるのですね。

 宿に戻って夕食。 温泉でゆっくりして、早目に就寝。

 すっかり疲れてしまって、夜間の外出撮影はできませんでした。 残念ですが、仕方ありません。

12月24日(日)
 晴れ。

 今日は所用があるので、早々に帰宅。


(上諏訪駅 2017年12月24日撮影)

 今年撮影した写真など整理。

12月25日(月)
 クリスマス。 晴れ。

 今日からまた一週間が始まります。

 今夜の一冊は、台湾出身の絵本作家ジミー・リャオによる『星空』です。 ファンタジー作品ですが、ちょっと賢治的発想も出てきたり・・・。 今年の秋に映画化されました。

 全編色の使い方がきれいな絵本です。 (写真の右側は、この本を原作とした映画のチラシです)


(ジミー・リャオ『星空』 2017年12月25日撮影)

12月26日(火)
 晴れ。

 帰宅途中にある信号機のない横断歩道。 多くの車が行きすぎるなか、停車してくれた1台のバス。 ふと見ると「JAXA」の文字。 JAXAの職員を送迎するバスでした。

 今夜も本を一冊。

 『天文年鑑』のように毎年刊行される月だけの案内本『月のこよみ』(誠文堂新光社)です。 暦と月のちょっとした知識を詰め込んで1年分。 イラストの素朴な感じも好みです。

 来年の1月は満月が2回あります。 (1月2日がスーパームーン(通称)で、1月31日の方は皆既月食です) このように一ヶ月に満月が2回あることを「ブルームーン(once in a blue moon)」といいます。 賢治的に言い換えれば、「こんなことは実にまれです」ということですね。


(『月のこよみ』 2017年12月26日撮影)

 天文は難しいのでダメ!という人にも、お月見だけなら簡単です。 星空の中を「満ち欠け旅行する月」を大追跡しましょう。

12月27日(水)
 晴れ。

 今夜は賢治の新刊本を一冊。 蒼丘書林の石森さんからお送りいただきました。 ありがとうございます。

 すでに書評も出ていますが。栗原敦監修・宮澤明裕編『屋根の上が好きな兄と私 宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録』(蒼丘書林)です。


賢治の新刊
屋根の上が好きな兄と私 宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録
屋根の上が好きな兄と私
宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録
栗原敦監修
宮澤明裕編
蒼丘書林

 宮沢賢治の妹シゲの夫(岩田)豊蔵の三十三回忌に作られた『孫たちへ』から、「賢治兄さんのこと」として書かれた15編の文章がまとめられものです。 以下、目次から。 はじめに/ 【本編】賢治兄さんのこと  兄さんについての記憶の始まり/兄の声/屋根の上が好きな兄と私/兄の入院/ 北小屋のこと/兄が母の役にたったこと/母の染め物/「万福」さんのこと/ 大内納豆屋さんのこと/母の旅行と兄の徴兵検査/寒い朝/浮世絵/花巻祭のこと/陰膳/姉の死  ほか



 「賢治の図書館」  『屋根の上が好きな兄と私 宮沢賢治妹・岩田シゲ回想録』/栗原敦監修/宮澤明裕編/(蒼丘書林)を追加しました。 これまで知られていなかったいくつかの賢治のエピソードが紹介されています。 これぞれが短い文章で構成されていますが、この回想録をもとに関係者で分担執筆すれば、それだけで一冊の本ができますね。 魅力的な内容です。

 明日28日は、旧暦11月11日です。 宵空には11日の月が出ています。 月末にはおうし座へと移動します。


(11日の月)

12月28日(木)
 晴れ。

 大掃除(ほか)

 臨月刊の北東北エリアマガジン『ラ・クラ』1・2月号が到着。 特集は「呑みたい ジモ酒」。


(『ラ・クラ』 2017年12月28日撮影)

 岩手からは、KiKiZAKAYA(盛岡市)、涼海の丘ワイナリー(野田村)、亀ケ森醸造所(花巻市)、ロビンフッド(北上市)、さくらブルワリー(北上市)、菜園マイクロブルワリー(盛岡市)。 (『ラ・クラ』はこちら(ラ・クラ編集室))

 上写真の小冊子『相鉄瓦版』第248号です。 もう10数年も前のことですが、編集の方から連絡をいただいて「月夜と「銀河鉄道の夜」」という文章を書かせていただきました。 出先で偶然見かけてすごく懐かしくなって、最新号を読んでみました。(『相鉄瓦版』特集「月の光を見つめてみよう」はこちら(Hiroshi Okazakiさん「弖爾乎波・てにをは」より))

 (音楽用レコーダーのメモ) 永年使ってきたiPod classic(160GB)2台をが不調、というか故障。 (1台はヘッドホン・アンプを付けて聴いていました) アップルのサポートに問い合わせしたら修理不能とのこと。 外観はきれいなので、まだまだ使えそうですが…。 とうとう引退。 仕方なく今はWALKMANを使用中。


(音楽用レコーダー 2017年12月28日撮影)

 部屋で音楽を流しながら作業をしていたら、ピアノを弾きたくなりました。 以前のように弾けるだろうか・・・。

12月29日(金)
 晴れ。

 今年最後の更新です。

 さて、ことしも「賢治の年賀状」のこと、恒例の「再掲」です。 以下、緑いろの通信(2007年1月1日号)より。

 新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。 年賀状の挨拶文には、「謹賀新年」「賀正」「新春」などいろいろありますが、賢治についてはどうだったのでしょうか? 賢治の年賀状(新年の挨拶を含む書状含む。)について調べてみました。 差出先の不明な書簡を含めれば500通以上、その全体数からすればごく僅かですが、抜き出してその傾向をみてみました。 その結果は以下のとおりです。

賢治の年賀状
番号
日付
挨拶文
宛先
メモ
0
19100101謹賀新年安原清治葉書
2
19110101謹賀新年吉田豊治葉書
3
19120101恭賀新年吉田豊治葉書
13
19160101何んにも無い。みんな何でもないさうな。高橋秀松葉書
25
19170101去年中はいろいろ御世話になりましてありがたう存じます。保阪嘉内葉書
41
19180101謹賀新年保阪嘉内葉書
199a
19220101謹賀新年藤原隆人葉書
253
19300101謹賀新年冨手一葉書
290
19310101謹賀新年母木光葉書
291
19310101謹賀新正菊池武雄葉書
438
19330101謹賀新正浅沼政規葉書
439
19330101謹賀新正河本義行葉書
440
19330101謹賀新年菊池信一葉書
441
19330101謹賀新正高知尾智耀葉書
442
10330101謹賀新正母木光葉書
442a
19330101謹賀新年高橋忠治葉書
442b
19330101謹賀新年・・・藤島準八葉書
442c
19330101謹賀新正伊藤与蔵葉書
443
19330103明けましておめでたう存じます。斎藤貞一葉書
445
19330107明けましておめでたう存じます。菊池武雄封書・礼状冒頭の挨拶
446
19330116新年おめでたう存じます。詩人時代社(吉野信夫)封書・冒頭の挨拶

 まず、時期を見ると、1933(昭和8)年のものが圧倒的に多いことがわかります。 これは、賢治が亡くなった年であり、そのことが保存される動機付けとなったのかも知れません。 実際には、他の年にも書かれていたのではないかと思います。 表の「番号」とは整理上つけた書簡番号です。 全集編纂時に一度確定させた後、後から発見されたものに対しては a b c と枝番号のようにアルファベットが記載されています。 これは、その都度書簡番号をつけ直すと、取り扱い上混乱するためです。)

 次に、挨拶文の種類です。 一番多いのが「謹賀新年」で9通(書き出し文含む。)です。 次には「謹賀新正」で6通あり、時期をみると資料の上では、1931(昭和6)年以降に限られています。 そして「明けましておめでたう存じます。」が2通と続きます。 一般的な挨拶文としては「恭賀新年」「新年おめでたう存じます。」も該当しますが各1通に留まります。

 差出先では同一人物なのは「吉田豊治」「保阪嘉内」「母木光」「菊池武雄」の4氏で、各2通です。 その他、書簡13高橋秀松宛では年を誤り、書簡25保阪嘉内宛では名前を「保坂」と誤って書いています。 書簡446は、出版社への連絡事項の書き出しとして新年の挨拶を入れているため、1月16日という遅い日付になっています。 また、上記の表には入れませんでしたが、新年の挨拶文の他に記した内容としては、前年の礼、自身の病状の報告が多いようです。

 来年は2018年ですが、100年前にあたる1918年のものを探してみると「書簡41〔一月一日〕保阪嘉内あて 葉書」がありました。 次のような内容で、表面は宛名、裏面は新年の挨拶です。

(表面)
山梨県北巨摩郡駒井村 保阪嘉内様 〈ブルーブラックインク〉

(裏面)
謹 賀 新 年
大正七年一月一日
    花巻川口町
      宮沢賢治

 『宮沢賢治 若き日の手紙 −保阪嘉内宛七十三通−』(山梨県文学館)に掲載されていた写真を見ると、大きな文字で書かれた実にシンプルなものでした。 この葉書の届いた1918年は、のちにわかることですが、保阪嘉内にとって本当に試練の年であったと言えるでしょう。

 そして今年の最後、大晦日の宵の星空(東空のシミュレーション画像)を掲げておきます。 明るい冬の一等星の輝きのなかに、旧暦11月14日の月が見えています。 この時間の月齢は12.9。 図中の右上の月は、月相がわかりやすいように拡大したものです。


(2017年12月31日19時00分の東の空)

 星座としては、やはり冬の代表格、オリオンが見えています。 このあたりは、中国では「参宿」と呼ばれていました。 「○○宿」とは、中国での星座で、「○○座」と理解すればいいでしょう。

 この「参宿」は、賢治作品にも登場しています。 「参の星」と呼ばれていますが、童話「なめとこ山の熊」の最後の場面に出てきます。 (注:賢治の言う「参の星」は、他作品における賢治の天体理解の傾向をみれば、本来の星宿ではなく、オリオン座の一等星リゲルを指すと考える方が適切かも知れません。)

とにかくそれから三日目の晩だった。 まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。 雪は青白く明るく水は燐光をあげた。 すばるや参の星が緑や橙にちらちらして呼吸をするように見えた。

 小十郎が熊に襲われてから「三日目の晩」の風景の部分です。 (実はこの引用箇所のあとに、もう一回「参の星」が出てきます)

 ちょうど今年の年末の夜空は、この童話の場面同様に、丸みを帯びた「氷の玉のような」形の月が出て、近くにはオリオン座「参の星」もあります。 この月の風景がどんな意味を持つのか、童話「なめとこ山の熊」のお話を読んで、(寒いですが)「ほんたうの」星空を眺めながら考えてみてはいかがでしょうか。 (「なめとこ山の熊」はこちら(青空文庫)) (参考:「緑いろの通信2008年1月号で2回詳しく記事にしました。)

 そして、1月2日は新年最初の満月です。 眼視上はほとんど区別がつきませんが、みかけの視直径がちょっとだけ大きな満月で、スーパームーンと呼ばれます。 また、この時期に活動するしぶんぎ座流星群は、5日の極大予報が出ています。

 明日から恒例の北方行です。 次の写真は、2年前の元旦に北海道・網走湖畔で撮影した元旦の夜空です。




「この1年お世話になりました」




以上で、本年中のページ更新はすべて終了いたしました。
(12月30日〜31日の更新分は、新年に入りアップする予定です)
メールをいただいた皆さまありがとうございました。
よき新年をお迎え下さい!
そして新年1月号でお会いしましょう。


賢治の事務所


(ここからは1月3日の事後更新分です)

12月30日(土)
 晴れのち夜雪。

 早朝の東京・羽田空港から、札幌・新千歳空港へと移動。 年末年始の北海道は恒例。 年末にしておくべき作業が遅れ、30日の出発となりました。

 早朝というのに、羽田空港のロビーは大混雑。 出発時刻の1時間前に到着していないとかなり厳しい状況。 なんとか荷物を預けて、搭乗口まで走って移動。 (北海道便はだいたい空港の外れが多い!)


(札幌行き飛行機から 2017年12月30日撮影)

 お天気がいいので、飛行機の窓からは、地上の風景が良く見えます。 東京湾の北で旋回して茨城上空で高度を上げます。


(霞ヶ浦付近 2017年12月30日撮影)

 福島を過ぎて、松島辺りまでは良く見えましたが、岩手上空はほぼ雲の中。 それでも、三陸のリアス式海岸の幾つかの半島だけは眺めることができました。 お天気がいいと、早池峰山や岩手山がとてもきれいなのですが残念です。 (前回も確かそうでした)

 ぼんやりしているうちに、札幌・新千歳空港に到着。 飛行機に描かれたしろくまさんがこちらをじっと見ていました。


(新千歳空港にて 2017年12月30日撮影)

 空港からは、快速エアポートで札幌駅まで。 ホテルに荷物を預けて、市内めぐりへ。 いつもより暖かい感じで、雪も少ないようです。

 はじめは赤れんが庁舎。 年末年始休で中の見学はできません。 入口近くの池では鴨がたくさん寄ってきました。 (諏訪湖の鴨よりもフレンドリー)


(赤れんが庁舎 2017年12月30日撮影)

 そのまま、近くの赤レンガテラスのレストラン街で昼食。 宮沢賢治ゆかりの山形屋旅館跡もチェックして大通公園へ。 (「赤レンガテラス」はこちら


(山形屋旅館跡 2017年12月30日撮影)

 大通公園では、すでに「さっぽろ雪まつり」の雪像の準備が行われていました。 2月になるとすぐに雪まつりです。

 当初の予定では、これから路面電車に乗って、藻岩山方面に出てろいず珈琲館旧小熊邸に行く予定でしたが、事前に調べてみたところ、まさかの閉店。 ライトの影響を受けた田上義也設計の一般住宅がそのままカフェになっていたもので、時々立ち寄っていました。 閉店したのかつい最近、なんと11月19日。 (「旧小熊邸」はこちら(札幌市))

 大通公園を歩いて、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)へ。 年末なのにここは開いていました。(感謝) 受付で入場料200円を支払って見学です。 (「札幌市時計台」はこちら(札幌市))


(札幌市時計台 2017年12月30日撮影)

 札幌農学校からは、賢治(+その周辺)ゆかりの人物がたくさん卒業しています。 大島正健、佐藤昌介、内村鑑三、新渡戸稲造・・・。


(札幌市時計台展示室にて 2017年12月30日撮影)

 この時計台も来夏(6月〜10月予定)には、外部の改修工事が行われるそうです。

 ホテルに戻ってチェックイン。 夜テレビのニュース(空港に到着する帰省客を取材したもの)を見ていたら、空港を歩いている自分を見つけました。 夜はひたすら各種作業。 (集中して作業するための旅になっていて空しい)

12月31日(日)
 晴れのち曇り。

 ゆっくりと朝食。 (北海道は食事がいいですね) 今日は年越しの街、旭川駅へ。

 旭川行きの特急ライラック号を利用します。 車窓から遠望できる雪山がきれいでした。


(旭川駅前 2017年12月31日撮影)

 少しの遅れでほぼ時刻どおりに旭川駅に到着。 昨年6月の彗星会議がこの地で行われたことを思い出しながら改札口を通り抜けました。 来年は石垣島か〜。 (「彗星会議2017」はこちら(国立天文台))

 到着後、荷物を預けて、ジュンク堂書店で書籍を数冊購入。 そのまま買物公園を賢治来道時の足跡に従い「六条の十三丁目」まで散歩。 (散歩に−5度は少し冷たい)


(賢治詩碑「旭川」 2017年12月31日撮影)

 場所は「六条の十二丁目」となりますが、旭川東高校の敷地に建立(15年前:2003年10月)された賢治詩碑「旭川」も健在でした。 この季節ですので、雪に埋もれていました。

 「六条の十三丁目」まで歩いて、今晩宿泊の駅のホテルへ。 厳寒の散歩はこれにて終了。


(ホテルにて 2017年12月31日撮影)

 フロント階にある大浴場でゆったり。 部屋に戻って外を見ると、きれいな月がちょうど正面に見えていました。


(夕暮れどきの月 2017年12月31日撮影)

 暖かい部屋の中、デスクに三脚をセットして、ゴーストが発生しないように注意しながら月を撮影。


(月 2017年12月31日撮影)

 撮影後、仮眠のつもりがぐっすり寝てしまいました。 目覚めてから今晩も作業が続きます。 来年の干支が「犬」ということで、六花亭の「犬」のお菓子をいただきながら・・・。


(犬のお菓子 2017年12月31日撮影)

 ネットの情報で、長野県・白駒池近くにある白駒荘が焼けたとの情報。 9月に予約していた(スケジュールの都合で最終的にはキャンセル)ので、びっくり。 高見石に行く際、時々昼食(野菜カレーやほおずきソフト)にしていました。 いい小屋だったので残念です。 ぜひ再建してもらいたいです。 (「白駒荘」はこちら

 深夜12時近くなる頃、遠くに花火が見えました。 何か年越しイベントでしょうか。 (確か昨年は美瑛でも) ではまた来年!



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