「春と修羅」賢治月夜-1998-
   

「春と修羅」賢治月夜-1998-


詩集「春と修羅」の月夜を1998年の夜空に体験してみましょう
 詩集「春と修羅」の詩群には、たくさんの月夜が出てきます。 作品に付された日付の月齢及び状況を参考に、賢治のみた原風景の月夜を、1998年の夜空に見つけてみましょう。 なお、賢治が月を見ていたであろう日については、原則として作品の日付を参考にしていますが、詩文の月の記載から明らかに「詩に付した日付」と「詩の内容」が異なるとわかっている2つの作品(「函館港春夜光景」「発電所」) 、あるいは月が地球の衛星である月を意味しない場合(「暁弯への嫉妬」)については除外されています。 また、その検討にあたっては、単に月齢だけでなく、月や太陽の出没時間、及び位置をも勘案して、賢治の詩の表現に一番見合う時間を設定してみました。 (1月〜5月は省略しています)


6月の賢治月夜
6月14日(日) 春と修羅「風林」
月相解 説

「風林」は1923年6月3日の日付をもつ作品です。 賢治が生徒達と岩手山麓で過ごした夜が描かれています。 この晩の月の出時間を見る22時半頃となりますから、かなり遅い時間に「スケッチ」されたものでしょう。 23時で月齢を算出すると18.7となります。 「てんびん座」に輝く木星に妹トシさんの姿を想い、夜空を見上げていたでしょう。
1998年の夜空では、6月14日(日)の夜が一番近いようです。 13日の同時刻における月齢は19.8と、ほぼ一致しています。 「てんびん座」に木星が見えれば文句なしですが、それは2006年6月14日まで待たなければなりません。 この晩でしたら、賢治の見た夜空とほぼ同じ雰囲気を味わうことができるはずです。 また、この詩の翌日の日付を持つ作品「白い鳥」で、前夜の月のようすが「(ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか...)」と回想されますが、それもこの月と同様です。

6月15日(月) 春と修羅第二集「林学生」
月相解 説

「林学生」は1924年6月22日の日付をもつ作品です。 6月21日(土)〜22日(日)の週末を利用しての教え子たちとの岩手山登山の様子が描かれています。 詩の日付は22日ですが、月の出の時間は21日の22時半ごろとなります。 23時における月齢は19.0となります。
1998年の夜空では、6月15日(日)の夜が一番近いようです。 但し、15日の同時刻における月齢は22.8となってしまいます。 これは月の位置や月の出の時刻を勘案すると、15日の方が近いためです。


7月の賢治月夜
7月10日(金) 春と修羅第二集「薤露青」
月相解 説

「薤露青」は1924年7月17日の日付をもつ作品です。 花巻を流れる北上川の河原で見た宵の空の風景です。 薄明中の空に東南東から月が昇ります。 20時で月齢を算出すると15.2となります。
1998年の夜空では、7月10日(金)の夜が一番近いようです。 10日の同時刻における月齢は16.3と、若干異なりますが、月の出の時刻などを勘案すれば適切でしょう。 賢治が詩で表現した「この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた/わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや/うすい血紅瑪瑙をのぞみ...」とある光景を見に行きたいほどです。


8月の賢治月夜
8月10日(月) 春と修羅第二集「〔北いっぱいの星ぞらに〕」
月相解 説

「〔北いっぱいの星ぞらに〕」は1924年8月17日の日付をもつ作品です。 北上山地、早池峰山へ深夜の徒歩中に「スケッチ」された作品です。 「月はあかるく右手の谷に南中し」や「橙いろと緑との/花粉ぐらゐの小さな星が/互いにさゝやきかはすがやうに/黒い露岩の向ふに沈み」あるいは「月はいたやの梢にくだけ」など星に関する記述も多く、またそれらは時刻を特定する手がかりにもなります。 月の南中時間にヒントを得ると、午前1時10分ごろ、つまり日は変わって、翌18日になっていることがわかります。 8月18日の午前1時として月齢を算出すると15.9となります。 この年、1924年は火星の大接近の年でもありました。 月の右下15°の位置には-2.9等で火星も輝いていました。
1998年の夜空では、8月10日(月)が一番近いようです。 10日の同時刻における月齢は17.1と、若干異なりますが、月の南中の時刻などを勘案すればこの晩が適切でしょう。 (8月10日の午前1時ですのでお間違いなく。) 残念なことは、火星は同時に見ることはできません。 月の左側に木星があります。 夏の代表的な流星群、ペルセウス座流星群もそろそろ観察の好機になる時期です。

8月12日(水) 春と修羅「青森挽歌」
月相解 説

「青森挽歌」は1923年8月1日の日付をもつ作品です。 賢治が教え子の就職のため、また亡くなった妹トシへとの通信を求めてのサハリンへの鉄道旅行の様子が描かれています。 時刻を3時30分頃とすれば、月齢は17.7、満月を数日過ぎたところで、賢治の表現した「半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ」にはあまり一致しません。
1998年の夜空では、8月12日(水)が一番近いようです。 12日の同時刻における月齢は19.2と、若干異なりますが、月の位置を勘案すればこの日の夜明け方が適切でしょう。 月のすぐ右側には木星が出ています。 夏の代表的な流星群、ペルセウス座流星群の極大日にあたりますから、数多くの人が眺める夜空となることでしょう。 青森へ向かう夜行列車の車窓から「賢治月夜」を見る旅なんていうのもいいかも知れません。

8月14日(金) 春と修羅第二集「河原坊(山脚の黎明)」
月相解 説

「河原坊(山脚の黎明)」は1925年8月11日の日付をもつ作品です。 8月10日〜11日かけ、早池峰山へ深夜の徒歩中に「スケッチ」された作品です。 詩の後半で、空が夜明けの薄明中となる様子が描かれていますから、3時以降、日の出前までの時間帯であることがわかります。 この時間の月齢は20.9、ちょうど半月の形をしています。
1998年の夜空では、8月14日(金)が一番近いようです。 14日の同時刻における月齢は21.2と、ほぼ一致しています。 (8月14日の午前3時すぎですのでお間違いなく。) 若干異なりますが、月の南中の時刻などを勘案すればこの晩が適切でしょう。 夏の代表的な流星群、ペルセウス座流星群もちょうど極大日すぎの時期です。


9月の賢治月夜
9月1日(火) 「原体剣舞連」
月相解 説

「原体剣舞連」は1922年8月31日の日付をもつ作品です。 この詩は、賢治が1922年8月30日〜31日にかけ種山が原方面に地質調査に出かけ、下山途中で見た剣舞の踊りを見たことがもとになっています。 「こんや異装のげん月のした」とあるようにほぼ「弦月」の晩です。 20時における月齢は8.6です。
1998年の夜空では、9月1日(火)が一番近いようです。 1日の同時刻における月齢は10.4と、若干異なりますが、月の南中の時刻などを勘案すればこの晩が適切でしょう。 月齢以外の違いは、賢治が見ていた空には「へびつかい座」付近に火星があったことと、'98年の空には東天に木星が出ていることでしょうか。

9月17日(木) 「東岩手火山」
月相解 説

「風景とオルゴール」「風の偏倚」「〔昴〕」は1922年9月18日の日付をもつ作品です。 農学校の生徒たちと岩手山登山をし、山頂近くで夜明けを迎えるころの様子をスケッチした作品です。 詩の中で、「いまなん時です/三時四十分?/ちやうど1時間/いや四十分ありますから...」とあるとおり、時間が記されています。 午前3時40分とすれば、月齢は25.9となります。
1998年の夜空では、9月17日(木)の夜が一番近いようです。 17日の同時刻における月齢は25.7と、ほぼ一致します。 9月16日に登山し、17日に夜明けを迎えるように計画して岩手山に登山すれば、賢治の見た原風景を楽しむことができるはずです。 但し、今年の場合には月のすぐ下に火星も見えますのでご注意を!(残念ながら今年は入山禁止)

9月27日(日) 「風景とオルゴール」「風の偏倚」「〔昴〕」
月相解 説

「風景とオルゴール」「風の偏倚」「〔昴〕」は1923年9月16日の日付をもつ作品です。 これらの作品は、花巻の西方、花巻電気軌道沿いの松倉山方面へ出かけた時に創作された4編のうちの3つです。 いずれも、月が登場します。 詩によって時間が推移していますが、「風景とオルゴール」から薄明終了前の19時として月齢を計算すると、5.5となり、詩に記された「紫磨銀彩に尖つて光る六日の月」とよく一致します。
1998年の夜空では、9月27日(日)の夜が一番近いようです。 27日の同時刻における月齢は6.7と、若干異なりますが、月の位置なども勘案すれば、この日の晩が一番合っているといえます。 月齢以外の違いは、賢治が見ていた空には「へびつかい座」付近に火星があったことと、98年の空には東天に木星が出ていることでしょうか。 「風景とオルゴール」で「そこから見当のつかない大きな青い星がうかぶ」の星の正体と思われる木星も見えますが、場所は大きく異なり「みずがめ座」に位置しています。 薄明の明るさを見れば、'98年9月27日より'99年の9月16日がぴったりとなります。


10月の賢治月夜
10月5日(月) (1)「善鬼呪禁」
月相解 説

「善鬼呪禁」は1924年10月11日の日付をもつ作品です。 「こんな月夜の夜なかすぎ」という表現があることから、深夜の情景が描かれていることがわかります。 深夜23時における月齢は12.7となり、「十三日のけぶった月のあかりには」とした賢治の表現によく一致します。
1998年の夜空では、10月5日(月)の夜が一番近いようです。 5日の同時刻における月齢は14.9と、若干異なりますが、月の位置を勘案すればこの晩が適切でしょう。 月齢以外の違いは、'98年の空には「うお座」に土星があったことと、「てんびん座」に木星があることで、賢治の見ていた空よりもだいぶにぎやかな感じを受けます。 賢治の見ていた晩に見えた惑星は火星ぐらいでした。

10月5日(月) (2)「ローマンス(断片)」
月相解 説

「ローマンス(断片)」は1924年10月12日の日付をもつ作品です。 詩の中で月に関する記述は「月のあかりの汞から」しかなく、時間を限定することはできません。 仮に19時として月齢を計算すると、13.6となります。
1998年の夜空では、10月5日(月)の夜が一番近いようです。 5日の同時刻における月齢は14.7と、若干異なりますが、月の位置を勘案すればこの晩が適切でしょう。


11月の賢治月夜
(該当する作品なし)


12月の賢治月夜
(該当する作品なし)

1997年12月15日にweb上で公開したものに加筆修正

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