月齢の一致度の高い作品について
詩のなかに登場する月齢(作品上の表現)と、作品に付された日付の月齢(計算値)との一致はどの程度なのでしょうか。
一般に賢治の観察は科学的な経験や天文に関する深い知識に基づいたとされ、「賢治と星とのかかわりにくらべれば言及されることの割合少ない月だが、時々の月の姿を捉える彼の目は、やはり正確なものであった。」
(1)と論じられてきました。
実際に計算して調べてみるとその傾向をより具体的に知ることができます。(2)また一部ではありますが例外もあることがわかります。
表1 - 賢治詩「春と修羅」「春と修羅第二集」「春と修羅第三集」にみる月齢 - |
月相 月齢 |
(月齢の計算値) |
(部分抜粋) |
の月 |
判定 |
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風景とオルゴール(5.6) |
《ああ お月さまが出てゐます》 紫磨銀彩に尖つて光る六日の月 半月の表面はきれいに吹きはらわれた 月はいきなり二つになり |
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月齢が非常によく一致した例です。 |
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風の偏倚(5.6) |
(虚空は古めかしい月汞にみち) とぎ澄まされた天河石天盤の半月 五日の月はさらに小さく副生し 月の突端をかすめて過ぎれば (月あかりがこんなに道にふると 月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる どんどん雲は月のおもてを研いて飛んでゆく 月の彎曲の内側から 呼吸のやうに月光がまた明るくなり 月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる |
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「風景とオルゴール」そして「風の偏倚」は同一夜の作品で
すが、前者を「六日の月」とし、時間的には後のこの作品で
は「五日の月」にしています。
いずれも、みかけ上の許容の範囲内なので、賢治のとらえ方
の変化があるのでしょう。 |
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原体剣舞連(8.6) |
こんや異装のげん月のした |
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「弦月」の解釈は、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。 | 発電所(8.9) |
二十日の月の錫のあかりを |
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賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「函館港春夜光景」なども大きく外れます。 |
善鬼呪禁(12.7) |
こんな月夜の夜なかすぎ 十三日のけぶった月のあかりには |
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月齢が非常によく一致した例です。 |
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薤露青(15.3) |
そこから月が出ようとしてゐるので |
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「わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや」により、宵の薄明時間の月の出ということが判明。
月齢15前後の月であることがわかります。 |
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有明(16.0) |
青ぞらにとけのこる月は |
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「青空にとけのこる月」により、早朝または午前中に見える有明の月であることがわかりますが、
月齢として特定する場合15〜22前後とかなり幅があります。 |
函館港春夜光景(15.5) |
地球照のある七日の月が、 地照かぐろい七日の月は |
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賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「発電所」なども大きく外れます。 |
青森挽歌(18.5) |
半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ 月のあかりはしみわたり 大てい月がこんなやうな暁ちかく |
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この日の夜明け時(薄明開始)時間の月齢を計算すると、18.1となります。
しかしながら、「半月」というにはまだまだ大きくかなり大幅に脚色が加えられた感があります。
半月の時期には、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。 |
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林学生(19.9) |
赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ 月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし 月のひかりがまるで掬って呑めさうだ 月はだんだん明るくなり (しかも 月よ |
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この晩、賢治は農学校の生徒たちと岩手山麓を歩いています。
6月21日から22日にかけて出かけたことが年譜により判明していますから、
岩手山麓の月の出の時間を計算すると、この詩の原風景の時間を特定することができます。
実際に計算すると、21日の22時20分から40分頃のできごとと推測できます。
詩の日付は6月22日ですから、時間的には前日の風景を詩にしたことも判明します。
月を「赤く潰れたをかしなもの」とした場合、月齢としては19〜22程度とかなり幅があります。 |
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河原坊(山脚の黎明)(21.6) |
ほう、月が象嵌されてゐる しづかに白い下弦の月がかかってゐる 月のきれいな円光が 月のまはりの黄の円光がうすれて行く 月さへ遂に消えて行く もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ |
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〔レアカーを引きナイフをもって〕(24.3) |
西の残りの月しろの |
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「月しろ」とは、月が昇ろうとしている時に、月の出前の空がそのあかりで明るくなる様子を指します。
「西の残りの月しろ」とは、月没後の月あかりが淡く見えている様子でしょうか?
また、ただ単に「月」としても用いられます。
詩の内容からすると、夜明けの月の方角として「西の」とありますので、満月(15)前後の月齢を示すはずですが、
この日の夜明け(4時30分)として計算すると、月齢は23.6となり、方角は南東の空、大きく食い違います。 |
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東岩手火山(26.6) |
月は水銀 後夜の喪主 (月光は水銀 月光は水銀) 月光会社の五千噸の汽船も 月のあかりに照らされてゐるのか 月の半分は赤銅 地球照 《お月さまには黒い処もある》 二十五日の月のあかりに照らされて しづかな月光を行くといふのは 月のひかりのひだりから また月光と火山塊のかげ 月明をかける鳥の声 月はいま二つに見える 月のまはりは熟した瑪瑙と葡萄 あくびと月光の動転 月とその銀の角のはじが そして今度は月が縮まる |
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この詩のなかで原風景の時間(3時40分)が記載されています。
その時間で月齢を計算すると25.9となります。
(この表では21時の月齢で計算しているため、かなり異なっているかの印象を受けますが、非常によく一致しています)
この月齢の時期、たいへん「地球照(アースシャイン)」が美しく見えたと想像されます。 |
続いて2の事例をみてみましょう。これらの作品については、直接的な月齢が本文にないものの、内容から時間を特定することで、月齢をある程度限定することができます。 しかしながら、表1の解説欄に補足したとおり、あいまいな表現からの特定ですので、考証としては弱いものとならざるをえません。 そういった点を念頭に置きながらみてみると、4作品あるうち、 きわめてよく一致(真の月齢±1)する作品は 「薤露青」、 どちらとも言えないと思われる作品群は 「有明」「林学生」、 まったく一致しないと思われる作品は 「〔レアカーを引きナイフをもって〕」、 となります。 「林学生」は、賢治が教え子の生徒たちと、岩手山麓を歩いている時の様子を詠んだと思われます。 年譜からもこの点は明らかですので、月齢を計算することができます。 月の出時の月齢(19.0)から「赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ」という判断をするのはたやすいことでしょう。 但し、満月後から下弦の月までは「つぶれた」と感じることができますので、必ずしも一致したと判断するのは早いかも知れません。 「有明」は「青ぞらにとけのこる月は」と、文字どおり白昼の月となりますが、下弦後から新月までの間は見ることが困難になりますから、 満月後から下弦の間の時期と判断できるでしょう。 一致しないと思われる作品として「〔レアカーを引きナイフをもって〕」をあげましたが、 夜明け時の「西の残りの月しろ」とあることから、月齢としては満月(15.0)前後であることがわかります。 しかし、詩の日付からはみたこの日の夜明け(4時30分)の月齢は23.6となり、方角も南東の空、大きく食い違います。
以上の検証から、13作品中、判断が難しい作品3作品を除く10作品のうち、 きわめてよく一致(真の月齢±1)する作品が5、 よく一致(真の月齢±2)する作品2、 まったく一致しないと思われる作品2となり、月齢の描写という観点では、ほぼ7割が詩に付した日付とよく一致することがわかります。
(1)栗原敦著「宮沢賢治 透明な軌道の上から」新宿書房
(3)有馬次郎著「見る月見られる月」社会思想社
(2)テキスト引用の扱いについては、下記のとおりとしました。
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