月相 月齢 |
(月齢の計算値) |
(部分抜粋) |
の月 |
判定 |
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〔南のはてが〕(3.7) |
ひどく傷んで月の死骸があらはれる |
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「月の死骸」について、「それはあるひは風に膨れた大きな
白い星だらう」と普通の星の可能性を示唆しています。 |
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風景とオルゴール(5.6) |
《ああ お月さまが出てゐます》 紫磨銀彩に尖つて光る六日の月 半月の表面はきれいに吹きはらわれた 月はいきなり二つになり |
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月齢が非常によく一致した例です。 |
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風の偏倚(5.6) |
(虚空は古めかしい月汞にみち) とぎ澄まされた天河石天盤の半月 五日の月はさらに小さく副生し 月の突端をかすめて過ぎれば (月あかりがこんなに道にふると 月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる どんどん雲は月のおもてを研いて飛んでゆく 月の彎曲の内側から 呼吸のやうに月光がまた明るくなり 月はこの変厄のあひだ不思議な黄いろになつてゐる |
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「風景とオルゴール」そして「風の偏倚」は同一夜の作品で
すが、前者を「六日の月」とし、時間的には後のこの作品で
は「五日の月」にしています。
いずれも、みかけ上の許容の範囲内なので、賢治のとらえ方
の変化があるのでしょう。 |
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〔昂〕(5.6) |
沈んだ月夜の楊の木の梢に |
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原体剣舞連(8.6) |
こんや異装のげん月のした |
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「弦月」の解釈は、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。 | そのとき嫁いだ妹に云ふ(8.9) |
青ぐらい峡の月光…… |
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発電所(8.9) |
二十日の月の錫のあかりを |
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賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「函館港春夜光景」なども大きく外れます。 |
〔はつれて軋る手袋と〕(8.9) |
盲ひ凍えた月の鉛…… おゝ月の座の雲の銀 |
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異途への出発(10.3) |
月の惑みと |
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暁弯への嫉妬(11.3) |
リングもあれば月を七っつもってゐる |
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「リングもあれば」ということから、土星の衛星(月)を指していると思われます。(但し、衛星の数については誤り)
従って、ここでいう地球の衛星の「月」ではありません。 |
冬(11.9) |
凍えてくらい月のあかりや雲…… |
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〔鈍い月あかりの雪の上に〕(11.7) |
鈍い月あかりの雪の上に |
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善鬼呪禁(12.7) |
こんな月夜の夜なかすぎ 十三日のけぶった月のあかりには |
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月齢が非常によく一致した例です。 |
発動機船〔断片〕(13.3) |
アンデルセンの月夜の海を |
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ローマンス(断片)(13.7) |
月のあかりの汞から |
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〔どろの木の下から〕(15.2) |
月光のなかへはねあがったので それからいくつもの月夜の峰を越えた遠くでは |
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空明と傷痍(15.4) |
月のあかりやらんかんの陰画 月をかすめる鳥の影 |
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薤露青(15.3) |
そこから月が出ようとしてゐるので |
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「わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや」により、宵の薄明時間の月の出ということが判明。
月齢15前後の月であることがわかります。 |
有明(16.0) |
青ぞらにとけのこる月は |
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「青空にとけのこる月」により、早朝または午前中に見える有明の月であることがわかりますが、
月齢として特定する場合15〜22前後とかなり幅があります。 |
有明(16.2) |
月は崇厳なパンの木の実にかはり |
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〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕(16.2) |
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月という言葉は登場しませんが、月を擬人化して「天子」と呼んでいます。 |
函館港春夜光景(15.5) |
地球照のある七日の月が、 地照かぐろい七日の月は |
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賢治の作品にしては珍しく、表記した月齢と一致しない例で、他に春と修羅第二集の「発電所」なども大きく外れます。 |
北いっぱいの星ぞらに(16.7) |
そこにもくもく月光を吸ふ 月はあかるく右手の谷に南中し 月はいたやの梢にくだけ |
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「北いっぱいの星ぞらに」という題になっていますが、これだけ大きな月が出ていたら、天の川が見えないのは当然のこと、明るい星しか見えないと思われます。 |
〔つめたい風はそらで吹き〕(17.4) |
銀斜子の月も凍って |
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春谷暁臥(17.4) |
ゆふべ凍った斜子の月を |
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「ゆふべ凍った斜子の月を」と前夜の回想であるため、創作日の前日の日付としました。 |
牛(17.5) |
黄銅いろの月あかりなので |
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作品の日付は5月22日だが、年譜などの記録によると5月21日の晩の様子であることがわかります。(月齢の計算は22日で行っています) |
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青森挽歌(18.5) |
半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ 月のあかりはしみわたり 大てい月がこんなやうな暁ちかく |
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この日の夜明け時(薄明開始)時間の月齢を計算すると、18.1となります。
しかしながら、「半月」というにはまだまだ大きくかなり大幅に脚色が加えられた感があります。
半月の時期には、「上弦」「下弦」両方あり、またその時期も前後数日間を言う場合があります。 |
風林(18.6) |
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ 月光の反照のにぶいたそがれのなかに 月光は柏のむれをうきたたせ |
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白い鳥(18.6) |
(ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか |
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「ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか」と前夜の回想であるため、創作日の前日の日付としました。 |
林学生(19.9) |
赤く潰れたをかしなものが昇てくるといふ 月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし 月のひかりがまるで掬って呑めさうだ 月はだんだん明るくなり (しかも 月よ |
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この晩、賢治は農学校の生徒たちと岩手山麓を歩いています。
6月21日から22日にかけて出かけたことが年譜により判明していますから、
岩手山麓の月の出の時間を計算すると、この詩の原風景の時間を特定することができます。
実際に月の出の時間を計算すると、21日の22時20分から40分頃のできごとと推測できます。
詩の日付は6月22日ですから、時間的には前日(月齢は18.9)の風景を詩にしたことも判明します。
また月の形が「赤く潰れたをかしなもの」に相当しているのも興味深いことです。
その場合、月齢としては19〜22程度とかなり幅があります。 |
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河原坊(山脚の黎明)(21.6) |
ほう、月が象嵌されてゐる しづかに白い下弦の月がかかってゐる 月のきれいな円光が 月のまはりの黄の円光がうすれて行く 月さへ遂に消えて行く もう月はたゞの砕けた貝ぼたんだ |
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〔レアカーを引きナイフをもって〕(24.3) |
西の残りの月しろの |
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「月しろ」とは、月が昇ろうとしている時に、月の出前の空がそのあかりで明るくなる様子を指します。
「西の残りの月しろ」とは、月没後の月あかりが淡く見えている様子でしょうか?
また、ただ単に「月」としても用いられます。
詩の内容からすると、夜明けの月の方角として「西の」とありますので、満月(15)前後の月齢を示すはずですが、
この日の夜明け(4時30分)として計算すると、月齢は23.6となり、方角は南東の空、大きく食い違います。 |
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東岩手火山(26.6) |
月は水銀 後夜の喪主 (月光は水銀 月光は水銀) 月光会社の五千噸の汽船も 月のあかりに照らされてゐるのか 月の半分は赤銅 地球照 《お月さまには黒い処もある》 二十五日の月のあかりに照らされて しづかな月光を行くといふのは 月のひかりのひだりから また月光と火山塊のかげ 月明をかける鳥の声 月はいま二つに見える 月のまはりは熟した瑪瑙と葡萄 あくびと月光の動転 月とその銀の角のはじが そして今度は月が縮まる |
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この詩のなかで原風景の時間(3時40分)が記載されています。
その時間で月齢を計算すると25.9となります。
(この表では21時の月齢で計算しているため、かなり異なっているかの印象を受けますが、非常によく一致しています)
この月齢の時期、たいへん「地球照(アースシャイン)」が美しく見えたと想像されます。 |
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(1)栗原敦著「宮沢賢治 透明な軌道の上から」新宿書房
(2)有馬次郎著「見る月見られる月」社会思想社
(3)草下英明著「宮澤賢治研究業書1 宮澤賢治と星」学芸書林
(4)須川力著「星の世界−宮沢賢治とともに」そしえて
(5)斎藤文一・藤井旭著「宮沢賢治 星の図誌」平凡社
(6)松岡正剛「ルナティックス 月を遊学する」作品社
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