詩「東岩手火山」をめぐる話題(3)
   

詩「東岩手火山」をめぐる話題(3)


詩「東岩手火山」における賢治の星空ガイドの手法と星空詳解(2/2)
 詩「東岩手火山」の中で、同行した生徒達に初冬の東天の星の案内をしています。 その説明手順を追って「星空案内人」としての賢治のテクニックを見てみましょう。〔1922年9月18日午前3時40分の東空(視野角120度) の風景画像(640×480)はこちら

詩『東岩手火山』より抜粋(4)
詩の抜粋とチャート解 説
  月の半分は赤銅 地球照
《お月さまには黒い処もある》
(中略)
二十五日の月のあかりに照らされて

(月齢25.9)
賢治による星座の説明がおわり、しばらくすると月に関心が向けられます。 「月の月の半分は赤銅 地球照」として、欠けた月の暗部がうっすらと見えている地球照を「アースシャイン」 として呼んでいます。(参考:地球照のある月の写真はこちら)
「《お月さまには黒い処もある》」の「黒いところ」の意味は2通り考えられます。まず、地球照を指している場合、それと月の海の 部分を指している場合、両方あります。
「二十五日の月のあかりに照らされて」と説明されている部分は、旧暦を説明しているようです。 月齢は簡単にいえば新月から数えた日数で、新月は0、満月は15というふうに数えます。 この詩の原風景が、この詩に付した日付のものであり、時間も詩の中で出てくる時刻である(1922年9月18日午前3時40分)と仮定すると、その月齢は25.9となります。 月相より目測で判断したとすれば、大きな誤りでもないでしょう。
チャートは月齢25.9の月です。この形で輝いていたわけですが、地球照は月の右上側の暗部 にうっすらと見えていたと思われます。

詩『東岩手火山』より抜粋(5)
詩の抜粋とチャート解 説
オリオン 金牛 もろもろの星座
澄み切り澄みわたつて
瞬きさへもすくなく
わたくしの額の上にかかやき
 さうだ オリオンの右肩から
 ほんたうに鋼青の壮麗が
 ふるへて私にやつてくる

「オリオン座」と「おうし座」
火口壁を歩きながらでしょうか、さまざまの星座が空にかかる様子を表現しています。 「オリオン 金牛 もろもろの星座」とありますが、「オリオン」は「オリオン座」、「金牛」は「おうし座」 を指しているようです。当時の天文書を読むと黄道十二星座の説明の部分などで、牡牛(トウルス)座に対応する十二宮として「金牛宮」も 書かれていましたのでこれは明らかでしょう。「宮」とは黄道に沿った部分を十二等分し、占星術などで用いられる 区分で、星座とは別の概念です。
そして「もろもろの星座」とは、この晩の3時40分の空をシミュレートすれば明らかなように、冬の宵に見える星座たち、 例えば「ぎょしゃ座」「ふたご座」「こいぬ座」などを辿っていたことでしょう。
「オリオンの右肩」とは、星座絵を見るとわかるように「こん棒」を持ち、振りかざしている側です。(向かって左側です) そしてそこから「ほんたうに鋼青の壮麗が/ふるへて私にやつてくる」と述べています。 解釈に戸惑うところですが、草下英明著「宮澤賢治と星」(1)によれば、やがて訪れる夜明けの薄明の青い色を 「鋼青の壮麗」として表現されていると説明されています。

詩『東岩手火山』より抜粋(6)
詩の抜粋とチャート解 説
火口丘の上には天の川の小さな爆発

西空の天の川
星に関する風景では東に注目した部分が多いのですが、ここでめずらしく西空の情景と思われる記述があります。 「火口丘の上には天の川の小さな爆発」と書かれた部分です。この晩の天の川全体の流れは東西にかかっています。 しかし、オリオン座の北より、つまり東天の天の川は全天でも非常に淡い位置で、目立たないところです。しかし西空の カシオペヤ座からはくちょう座の付近ははっきりして見やすい部分です。賢治はこの部分を「天の川の小さな爆発」と 詠んだことが容易に想像できます。
1924年7月5日の日付を持つ詩「〔温く含んだ南の風が〕」 の中でも、ちょうど空のこの部分を「うしろではまた天の川の小さな爆発」として、同様の表現を用いて詠んでいます。

詩『東岩手火山』より抜粋(7)
詩の抜粋とチャート解 説
月とその銀の角のはじが
潰れてすこし円くなる
(中略)
空のあの辺の星は微かな散点
すなはち空の模様はちがつてゐる
そして今度は月が縮まる

薄明の東空(日の出40分前)
だいぶ時間の経過したようです。さっきまで満天の星空であった空も薄明が覆い、しだいにその姿を変えてゆく様子 を描写しています。
「月とその銀の角のはじが/潰れてすこし円くなる」という言葉の意味は、くっきりと見えていた月の輪郭が、 空の色がしだいに薄れてゆくのにしたがい、その両はじの尖った部分が丸みを帯びて柔らかくなる...、そんな風景 を描いたものでしょう。
さらにこの詩の最後の部分では、「空のあの辺の星は微かな散点/すなはち空の模様はちがつてゐる/そして今度は月が縮まる」 と空の風景の変化を詠んでいます。空の星が「微かな散点」であり、それが「空の模様はちがつてゐる」というのですから、 最初は「かすか」ではなく「はっきりと」していたということです。その模様の変化とは「薄明」による星の見える数の 減少に他ならないでしょう。「今度は月が縮まる」とは、さっき「円く」なった月がさらにぼんやりとして、すこし小さく 見える様子を言っているのでしょう。

補足
 詩のなかの生徒たちとの会話の部分に《いまなん時です/三時四十分?/ちやうど1時間/いや四十分ありますから/ 寒いひとは堤灯でも持って/この岩かげに居てください》というところがあります。 今の時刻を「3時40分?」とし、ある時刻までに「ちょうど1時間、いや40分ありますから」としばらく待っているように賢治が話かけています。 このある時刻とは、文章の流れからすると「日の出」あるいは「夜が明けて景色の見える」時間を指し示すようですが、実際はどうだったのでしょうか。 この日を1922年9月18日、場所を岩手山頂としての夜明けの時間を計算すると、

時刻解 説
3時47分
天文薄明開始(太陽高度-18度)
太陽の散乱光の影響を受け始める時間、この時間以降微光星よりしだいに消えてゆきます
4時19分
航海薄明開始(太陽高度-12度)
水平線が浮かびあがり、洋上などで水平線を基準とした航行が可能になる時間です
4時51分
市民薄明開始(太陽高度-6度)
別名常用薄明ともいい、一般の日常生活にはほとんど支障がない程度の明るさになる時間です
5時11分
日の出

となります。 賢治の指定した時間によると、3時40分の40分後ですからおよそ4時20分頃になります。 上記の表と照合すると、計算上は「航海薄明」の時間、つまり地平線の山々の影がくっきりとしてくる時間ですが、その時間を生徒たちにあえて教える必要もないことから、単に日の出の時間の予想を誤ったと考えるのが適当でしょう。

1996,10,4

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(1)草下英明著「宮澤賢治研究業書1 宮澤賢治と星」学芸書林


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