賢治の好きな「赤眼の」さそり座は、この夏も南の空に輝いています。
さそりの尾のあたりやいて座のあたりには天の川でも特に濃い部分を見ることができ、その中に明るい木星が輝いています。
では、この木星に注目してみることにしましょう。
木星は太陽系最大の惑星で、太陽のまわりをほぼ12年の月日をかけ公転しています。
1994年7月にはシューメーカーレビー第9彗星と衝突し、天文界の大きなニュースとして報道されました。
さて、賢治の時代に木星がいて座にあったのは、
1900年8月
1900年8月、このとき賢治は3歳、まだ星空を眺めるにはまだまだ早すぎる年齢です。
しかし、さそり座が南中するころ、木星はいて座で輝いていました。
1913年8月
1913年8月、ハレー彗星が接近してから3年後、賢治は盛岡中学に在学していました。
この年、北海道に修学旅行に行ったりしています。
1925年8月
1925年8月、この年の南の空が、一番今年の風景に近いといえます。
木星は南斗六星のすぐ上にあり日時ともまあまあ今年のものと同じです。
賢治は1925年の8月10日から11日にかけ、早池峰山登山をしています。 途中、河原坊に野宿していますから、もし好天に恵まれていたら、星空を満喫していたことでしょう。 この時期の作品としては、
などがあります。 なかでも、詩「河原坊(山脚の黎明)」では、下弦の月を描いていますので、実際に夜空を見上げた可能性は大きいといえます。 この夏の南の空を眺めながら1925年8月にタイムスリップしてみましょう。
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