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賢治の時代に見えた肉眼彗星は?
賢治の生まれた1896年から、亡くなる1933年までの大彗星について検討してみましょう。
資料は「彗星とその観測」(2)に「近代の大彗星」として多数の彗星が示されていますので、それを元に賢治の時代のみをリストアップして補足説明してみました。
彗星名 | 接近した年 | 彗星の特徴など | 賢治の主な状況など |
---|---|---|---|
(Great Comet) グレートコメット(1901a=1901I) | 1901年 | 南半球でよく見えた | 4歳 妹シゲ誕生 |
(Daniel) ダニエル彗星(1907d=1907IV) | 1907年 | 2等級、尾18度 | 11歳 小5年 |
(Morehouse) モアハウス彗星(1908c=1908III) | 1908年 | 尾の変化著しい | 12歳 小6年 |
(Halley) ハレー彗星(1909c=1910II)) | 1910年 | 尾が100度以上に達する | 13歳 盛岡中2年 |
(Great January Comet) 1月の大彗星(1910a=1910I) | 1910年 | 尾が数10度に達する | 13歳 盛岡中1年 |
(Brooks) ブルックス彗星(1911c=1911V) | 1911年 | 2等級、尾20度 | 14歳 盛岡中2年 |
(Delavan) デラバン彗星(1913f=1914V) | 1914年 | 20か月見える、最大2.5等 | 18歳 高等農林学校への受験勉強 |
(Pons-Winnecke) ポン・ウィンネッケ周期彗星 | 1927年 | 満月の2倍ほどに見えた | 30歳 |
(Skjellerup-Maristany) シエレルプ彗星(1927k=1927IX) | 1927年 | 白昼、中天に輝く | 31歳 |
(Great Comet)グレートコメット(1901a=1901I)
(Daniel)ダニエル彗星(1907d=1907IV)
(Morehouse)モアハウス彗星(1908c=1908III)
(Halley)ハレー彗星(1909c=1910II)
(Great January Comet)1月の大彗星(1910a=1910I)
(Brooks)ブルックス彗星(1911c=1911V)
>(Delavan)デラバン彗星(1913f=1914V)
(Pons-Winnecke)ポン・ウィンネッケ周期彗星
(Skjellerup-Maristany)シエレルプ彗星
(1)草下英明著「宮澤賢治研究業書1 宮澤賢治と星」学芸書林
1901年に発見された彗星で、1901年4月に近日点通過をしています。
南半球では4月中の明け方、5月には宵空の観測条件が良好な彗星でした。賢治はまだ4歳ですから彗星の存在さえも知ることができなかったでしょう。
1907年にダニエルによって発見された彗星で、1907年9月に近日点を通過しています。
7月下旬から8月にかけ明け方の東空に良く見えていました。
賢治は小学5年生で、鉱石採集に夢中になっていた頃です。
1907年にモアハウスによって発見された彗星で、1908年12月に近日点を通過していますが、あまり明るくならず一般には見にくい彗星であったかも知れません。
この彗星は特異な尾の形で、太陽風による強い影響で激しく変化する様子がバーナードらによって観測されていました。
賢治は小学6年生でした。
1909年9月にドイツのウォルフが写真により検出しています。
近日点は1910年5月に通過しています。
■「賢治はハレー彗星を見ていたのか?」参照。
1910年に南アフリカの鉱山の人が発見した彗星で、同年1月に近日点を通過しています。
太陽からわずか4度ばかりの位置に昼間でも見え、「白昼の彗星」ともよばれています。
宮沢賢治の翌年の作品に「ひるもなほ星見るひと...」と歌われたものがあり、この彗星との関連が気になるところです。
■「「星見るひと」の『星』とは?」参照。
1911年にブルックスが発見した彗星で、同年10月に近日点を通過しています。
9月末から10月にかけて北〜東の空の明け方によく見えていました。
明るさはそれほどでもありませんが、長い尾が印象的な彗星のようです。
賢治は盛岡中学3年の時でした。
1913年にデラバンが発見した彗星で、1914年10月に近日点を通過しています。
10月中旬北西の空に見えていました。
賢治はこの年の3月に盛岡中学を卒業し、9月に父から盛岡高等農林への進学を許可され、翌年の試験に向け受験勉強を進めている頃です。
ポン・ウィンネッケ彗星は6.37年での周期彗星で、1927年6月下旬に地球に大接近しています。
最接近時には、肉眼でも満月の2倍ほどの直径で認められるようになりました。
最接近時に地球−彗星間の距離は589万km(=0.0394A.U.)で地球−月間のおよそ15倍ほどのところを通過したことになります。
(最近地球に接近した百武彗星は、およそ0.1A.U.です。)
最近では1996年1月に回帰していて、発見以来20回の回帰記録があります。
詩人である北原白秋は短歌「真昼」と歌集「白南風(しらはえ)」の中で、「ウィンネッケ」の名を出していますが、賢治には残念ながらその ような作品はないようです。
賢治はこの時期農業指導のため水沢緯度観測所に通うなど、積極的に活動しています。
1927年12月2日に南アフリカにあるケープ天文台のシエレルプが発見した彗星です。
("Skjellerup"の読み方については、シェレラップ、シュエラップ、スクレルプ、シェラップ、スクジュレラップ等多数の表記があり混乱してしまいます。)
発見の2週間後には、太陽に急激に接近し白昼の空にも肉眼で見ることができました。
つまり賢治の時代には「白昼彗星」が2つもあったわけです。
インドにあるコダイカナル天文台のチダムバラ・アヤールは1927年12月15日に太陽から1.5度のところにある彗星のスケッチを残しています。
- 注 -
(2)広瀬秀雄・関勉著「天体観測シリーズ 彗星とその観測」恒星社厚生閣
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