賢治の星の年譜 1930(昭和5)-1933(昭和8)
   

賢治の星の年譜 1930(昭和5)-1933(昭和8)


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賢治の星の年譜 1930(昭和5)-1933(昭和8)
年齢 世間の動き 賢治の主なできごと/天文現象など
昭和5年
(1930年)
34才
世界経済恐慌。 1月21日、トンボー(米)新惑星「冥王星」発見。
4月頃、病状やや回復し、園芸に熱中。
9月13日、陸中松川の砕石工場を訪問。
10月8日、部分月蝕。
10月11日、「まなづるとダァリャ」校訂終わる。
11月1日、『園芸プランニング』に詩「遠足許可」等4編を送る。
この年、神田茂著「彗星と流星」、「彗星の話」が刊行される。また地人書館が創業。
昭和6年
(1931年)
35才
昭和恐慌。
満州事変。
2月2日、東北砕石工場技師となり、宣伝販売を受持つ。
4月3日、皆既月蝕。
7月20日、『児童文学』第1冊に童話「北守将軍と3人兄弟の医者」を発表。
7月15日(現地時)、アメリカ北カリフォルニアで農業を営む長田政二(茨城県出身)は、しし座に長田彗星(1931b=1931III)を発見。日本人名が最初につけられた彗星となる。
8月頃、「風の又三郎」の執筆進む。
9月初旬ごろ、教え子の沢里武治に「風の又三郎」<どつどどどどうど>の歌の作曲を依頼。
9月20日、石灰宣伝で上京中に発熱、遺書を書く。
9月27日、皆既月蝕。
9月28日、帰郷。自宅で病臥。
11月3日、手帳に「雨ニモマケズ」を書き留める。
この年、野尻抱影著『星座風景』が刊行される。
昭和7年
(1932年)
36才
満州国建国。
5.15事件。
3月10日、『児童文学』第2冊に「グスコーブドリの伝記」を発表。挿絵は棟方志功。
3月22日、部分月蝕。
4月13日、仙台在住の民俗学者、佐々木喜善が来訪。
8月15日、『女性岩手』創刊号に文語詩「民間薬」「選挙」を発表。
9月15日、皆既月蝕。
11月15日、『女性岩手』に「祭日」「母」、『詩人時代』に「客を停める」を発表。
この年、野尻抱影著『星座神話』、小森幸正著『星座行脚』が刊行される。
昭和8年
(1933年)
37才
ドイツ、ヒットラー内閣成立。
日本国連脱退。
三陸地震津波発生。
3月1日、『天才人』に童話「朝に就きての童話的構図」を発表。
4月1日、『日本詩壇』に「郊外」「県道」を発表。
7月20日、『女性岩手』に「花鳥図譜7月」を発表。
8月、童話「ひのきとひなげし」に最終手入れ。病状悪化にもかかわらず農民の肥料相談に応じる。
9月21日、法華経1千部を印刷して知人に配布するよう父に遺言して、午後1時半喀血、死去。
9月23日、安浄寺(浄土真宗大谷派)で葬儀。法名「真金院三不日賢善男子」。
10月9日、ジャコビニ流星群が活発(毎分300個)に活動する。
12月20日、夕刻に金星と土星の連続掩蔽(えんぺい)。
昭和26日7月、身照寺に改宗。

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