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年 | 年齢 | 世間の動き | 賢治の主なできごと/天文現象など | 明治29年 (1896年) |
0才 | 三陸大津波。 |
8月9日、花巻で部分日触。 8月27日、宮沢賢治誕生。(父、政二郎、母、イチの長男.。出生地は岩手県稗貫郡花巻川口町(現花巻市豊沢町)。) 12月24日、賢治はじめてのクリスマスイブ。 |
明治30年 (1897年) |
1才 |
8月8日、山口県山口市付近に仁保隕石落下。 8月11日、福岡県福岡市東公園に東公園隕石落下。 |
明治31年 (1898年) |
2才 |
2月1日、高知県香北町に在所隕鉄落下。 11月5日、妹トシが生まれる。 12月28日、皆既月蝕。 |
明治32年 (1899年) |
3才 |
6月23日、皆既月蝕。 11月14日、獅子座流星群(レオニズ)の大出現。松山の横地石太郎ら観測。 12月11日、水沢臨時緯度観測所にて国際緯度観測開始。 |
明治33年 (1900年) |
4才 |
3月6日、小惑星「東京」「日本」を平山信が発見。 この年、須藤伝治郎著「星学(帝国百科全書)」が刊行される。 |
明治34年 (1901年) |
5才 |
2月22日、横浜の井上四郎がペルセウス座に1等の新星(GK)を独立発見。 5月4日、部分月蝕。 6月18日、妹シゲが生まれる。 10月28日、部分月蝕。 この年、Great Comet(1901a=1901I)が出現。主に南半球で観測される。 |
明治35年 (1902年) |
6才 | 弘前歩兵隊、八甲田山中で遭難。 |
4月23日、皆既月蝕。 9月下旬、赤痢を病み花巻町本城の隔離病舎に入る。約二週間で退院。 10月、横浜の井上四郎がペーライン彗星(1902b=1902III)を独立発見。 この年、横山又次郎著「天文講話」が刊行される。 |
明治36年 (1903年) |
7才 小1年 |
東北凶作。 |
3月29日、花巻で部分日触。 4月1日、町立花巻川口尋常高等小学校入学。担任は菊池竹次郎。 7月、横浜の井上四郎がはくちょう座にボレリー彗星(1903c=1903IV)を独立発見。 10月7日、部分月蝕。 この年、三沢力太郎著「天文の現象」が刊行される。 |
明治37年 (1904年) |
8才 小2年 |
日露戦争開戦。 |
3月17日、花巻で部分日触。 4月1日、弟清六が生まれる。担任は平野八十八。 |
明治38年 (1905年) |
9才 小3年 |
日露戦争終結。 東北凶作。 |
2月20日、部分月蝕。 4月1日、担任は八木英三。八木から「未だ見ぬ親」(五来素川翻案、マロ原作「家なき子」)、「海に塩のある訳」など童話や民話を読み聞かされる。 |
明治39年 (1906年) |
10才 小4年 |
東北凶作。 |
2月9日、皆既月蝕。 4月1日、担任は八木英三。 6月15日、長崎県飯山市に木島隕石落下。 8月4日、皆既月蝕。 8月9日、父の始めた「我信念講話」に参加。この頃、鉱物、植物、昆虫採集、標本作りに熱中。 |
明治40年 (1907年) |
11才 小5年 |
岩手豊作。 |
1月29日、部分月蝕。 2月、担任の八木英三が早稲田大学に編入のため、瀬川佐次郎が担任となる。 3月4日、妹クニが生まれる。 4月1日、担任はクリスチャンの照井真臣乳(まみじ)。鉱物採集に熱中し、家人から「石っこ賢さん」と呼ばれる。 11月14日、水星の日面通過。(日本では観測不可能) この年、ダニエル彗星(1907d=1907IV)出現。 |
明治41年 (1908年) |
12才 小6年 |
工兵特別演習で皇太子来盛。 |
1月19日、日本天文学会が発会。 9月30日、皇太子歓迎のため引率され盛岡へ行く。綴り方「遠方の友につかわす」「皇太子殿下を拝す」を書く。 この年、サーヴィス(米)著「肉眼での天文学」、ニュンコム(一戸直蔵訳)「星辰天文学」が刊行される。また、モーアハウス彗星(1908c=1908III)出現。 |
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