賢治が花巻農学校の教師をやめ羅須地人協会設立にむけた準備をしているころ、
花巻で部分日触がありました。画面は15分おきに欠けてゆく様子を羅須地人協会で見た場合をシミュレートした
ものです。この後、1929年5月29日にも部分日蝕がありますが、食分が0.02と、望遠鏡でもなければ観測できず、
事実上この部分日蝕が、賢治が生前見ることができた最後の日蝕であると言えます。
夕刻に起こった日蝕です。花巻での最大食分は0.2。果たして賢治は見ることが
できたのでしょうか。
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