「春谷暁臥」の創作 1925(大正14)年5月11日
   

「春谷暁臥」の創作
1925(大正14)年5月11日




『春と修羅』の中に「春谷暁臥」と題された詩があります。 この詩は、森佐一と共に、5月10日から5月11日にかけて岩手山への夜歩き登山をしながら創作された3編のうちの一つです。 「〔つめたい風はそらで吹き〕」が10日、 そしてこの「春谷暁臥」及び「国立公園候補地に関する意見」が11日の作となります。

『春と修羅』第二集 三三六 『春谷暁臥』より抜粋
酪塩のにほひが帽子いっぱいで       
温く小さな暗室をつくり          
谷のかしらの雪をかぶった円錐のなごり   
水のやうに枯草をわたる風の流れと     
まっしろにゆれる朝の烈しい日光から    
薄い睡酸を誤ってゐる           
  ……その雪山の裾かけて        
    播き散らされた銅粉と       
    明るく亘る禁欲の天……      
佐一が向ふに中学校に制服で        
たぶんはしゃっぽも顔へかぶせ       
灌木薮をすかして射す           
キネオラマ的ひかりのなかに        
夜通しあるいたつかれのため        
情操青く透明らしい            
  ……コバルトガラスのかけらやこな!  
    あちこちどしゃどしゃ抛げ散らされた
    安山岩の塊と           
    あをあを燃える山の岩塩……    
ゆふべ凍った斜子の月を          
茄子焼山からこゝらへかけて        
夜通しぷうぷう鳴らした鳥が        
いま一ぴきも翔けてゐず          
しづまりかへってゐるところは       
やっぱり餌をとるのでなくて        
石竹いろの動因だった           
  ……佐一もおほかたそれらしかった   
    育牛部から山地へ抜けて      
    放牧柵を越えたとき        
    水銀いろのひかりのなかで     
    杖や窪地や水晶や         
    いろいろ春の象徴を        
    ぽつりぽつりと拾ってゐた……   

以下省略

前日の詩「〔つめたい風はそらで吹き〕」 に「銀斜子の月も凍って」とあったように、この詩のなかでも月のある情景が描かれ、「ゆふべ凍った斜子の月を」 とほぼおなじ比喩を用いて書かれています。 昨晩の太陽と月の出没時間を計算してみると、

日の入  18時39分     
薄明終了 20時24分     
月の出  20時28分     
月南中   1時34分(11日)
薄明開始  2時39分(11日)
日の出   4時24分(11日)
月の入   6時38分(11日)

となっています。
「斜子」とは彫金の技法ですが、月のどういった特徴をこの「斜子」に 例えたものでしょうか?
シミュレーションした画面は11日の午前2時のものです。あとおよそ40分で 薄明が開始しますから、夜明けも近い時間のものです。明るい木星が見えます。賢治が妹のトシを想って詠んだ詩 「風林」(1923年6月3日付け)の頃と比べると、木星がだいぶ移動したことがわ かります。


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