「〔つめたい風はそらで吹き〕」の創作 1925(大正14)年5月10日
   

「〔つめたい風はそらで吹き〕」の創作
1925(大正14)年5月10日




『春と修羅』の中に「〔つめたい風はそらで吹き〕」と題された詩があります。 この詩は、森佐一と共に、5月10日から5月11日にかけて岩手山への夜歩き登山をしながら創作された3編のうちの一つです。 この「〔つめたい風はそらで吹き〕」が10日、 そして「春谷暁臥」及び「国立公園候補地に関する意見」が11日の作となります。

『春と修羅』第二集 三三五 『〔つめたい風はそらで吹き〕』
つめたい風はそらで吹き              
黒黒そよぐ松の針                 

ここはくらかけ山の凄まじい谷の下で        
雪ものぞけば                   
銀斜子の月も凍って                
さはしぎどもがつめたい風を怒ってぶうぶう飛んでゐる
  しかもこの風の底の              
  しづかな月夜のかれくさは           
  みなニッケルのあまるがむで          
  あちこち風致よくならぶものは         
  ごくうつくしいりんごの木だ          
  そんな木立のはるかなはてでは         
  ガラスの鳥も軋ってゐる            
さはしぎは北のでこぼこの地平線でもなき      
わたくしは寒さにがたがたふるへる         
  氷雨が降ってゐるのではない          
  かしはがかれはを鳴らすのだ          

この日賢治は盛岡の森佐一を誘い、小岩井農場をぬけ姥屋敷から夜の山道 を登り、一度松の木の根もとで仮眠をとるが、寒さのあまりまた歩き、柳沢社務所で仮眠をとっています。
「銀斜子の月も凍って」と月夜の晩であったことが示されています。 実際計算してみると、この日の晩の太陽と月の出没時間は、

日の入  18時39分     
薄明終了 20時24分     
月の出  20時28分     
月南中   1時34分(11日)
薄明開始  2時39分(11日)
日の出   4時24分(11日)
月の入   6時38分(11日)

となっています。5月ですので、6月の夏至を控え日の入り、薄明終了時間が遅く、夜の登山がしやすい 時期だったことでしょう。月は20時半ごろに昇ります。「銀斜子(ぎんななこ)」とは、彫金で使われる技法 で、金属の表面に粟粒を並べたように銀の粒子を突起させるものです。月のどういった特徴をこの「銀斜子」に 例えたものでしょうか?
月齢は17.4(20時)で、満月を過ぎやや月の西側が 欠けはじめています。翌11日の日の出時間後に月が沈みますから、賢治はこの夜、一晩中月の光を浴びながら 登山をしていたことでしょう。


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