「〔はつれて軋る手袋と〕」の創作 1925(大正14)年4月2日
   

「〔はつれて軋る手袋と〕」の創作
1925(大正14)年4月2日




『春と修羅』第二集の中に「〔はつれて軋る手袋と〕」と題された詩があります。 この詩は1925年の4月2日の日付を持つもので、同日付けの作品として他に「〔硫黄いろした天球を〕」 「〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕」「発電所」があります。

『春と修羅』第二集 五一一 『〔はつれて軋る手袋と〕』より抜粋
   ……はつれて軋る手袋と    
     盲ひ凍えた月の鉛……   
県道のよごれた凍み雪が       
西につゞいて氷河に見え       
畳んでくらい丘丘を         
春のキメラがしづかに翔ける     
   ……眼に象って        
     かなしいその眼に象って……

中略

おゝ月の座の雲の銀         
巨きな喪服のやうにも見える     

月のかかる夜道を歩きながら詠んだものでしょうか、三郎沼という地名が詩に出てきます。 宮澤賢治語彙辞典によれば、岩手軽便鉄道(現在の釜石線)で花巻駅から三つ目の小山田駅近くの三つの溜め池、とあります。 ですから賢治は西の花巻への帰途の途中の風景を詩にしているようです。
詩の最初のところで「月」が出てきますが、「盲ひ凍えた月の鉛」とその寒さを月の様子 にも表わしています。シミュレーション画面は、21時の西の空を表示させています。賢治の進行方向が西でもあり、 月がちょうど正面に見えていたことでしょう。
「畳んでくらい丘丘を/春のキメラがしづかに翔ける」とはどういうことでしょうか? 宮澤賢治語彙辞典から「キメラ」という語句を調べてみまょう。「遺伝子型の違う組織が結合して同一植物体に混在している現象 」とあります。賢治はこの語句を引用して春と修羅の「犬」という作品では「それは犬の中の狼のキメラがこはいのと」 吠える犬に対して、犬の中にある狼の遺伝子への恐れを表現しています。この詩の風景の中ではちょうど賢治の 進行方向に月と共に沈みゆく「おおいぬ座」が見えています。この星座を見て犬のなかのキメラを発想したのでしょうか。
「おゝ月の座の雲の銀」と、月に時々雲がかかる様子が喪服に例えられています。


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