「発動機船 第二」の創作 1925(大正14)年1月8日
   

「発動機船 第二」の創作
1925(大正14)年1月8日




『春と修羅』第二集 補遺の中に「発動機船 第二」と題された詩があります。 1925年初頭「異途への出発」の詩とともにはじまった三陸への小旅行で詠まれた作品です。 また、この作品は『春と修羅』第二集「発動機船〔断片〕」の発展形として、位置付けられています。 関連作品として口語詩「発動機船 一」「発動機船 三」があります。

『春と修羅』第二集 補遺 『発動機船 第二』
船長は一人の手下を従へて        
手を腰にあて              
たうたうたうたう尖ったくらいラッパを吹く
さっき一点赤いあかりをふってゐた    
その崖上の望楼にむかひ         
さながら〔挑〕戦の姿勢をとって     
つゞけて鉛のラッパを吹き        
たうたうたうたう            
月のあかりに鳴らすのが         
スタンレーの探検隊に          
丘の上から演説した           
二人のコンゴー土人のよう        

中略

沖はいちめんまっ白で          
シリウスの上では            
一つの氷雲がしづかに溶け        
水平線のま上では            
乱積雲の一むらが            
水の向ふのかなしみを          
わづかに甘く咀嚼する          

この中に「月あかり」という言葉が出てきます。 夜間航海の体験でしょうか、実にさまざまな情景が描かれています。日時は付されていませんが、 『春と修羅』第二集「発動機船〔断片〕」の発展形であることに着眼し、 同じ1925年1月8日の夜としました。また、時間についてはおおいぬ座の恒星シリウスが登場していることに留意し、 19時、また方角はの南東の空としてシミュレートしたものです。
空には月齢13.3(19時)の月が輝いていました。月の出没時間を計算すると、

月の出  15時05分   
月南中  22時26分   
月の入  05時49分   

となっています。ほぼ丸い、満月を2日後に控えた月が一晩中見えていたことでしょう。この月光のおかげて 書かれた作品とも言えます。


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