「〔どろの木の根もとで〕」の創作 1924(大正13)年4月19日
   

「〔どろの木の根もとで〕」の創作
1924(大正13)年4月19日




『春と修羅』第二集補遺の中に「〔どろの木の根もとで〕」と題された詩があります。 この詩は、4月19日から4月20日にかけて外山高原への夜歩きをしながら創作された第二集の4編のうち 「〔どろの木の下から〕」の改稿後に作品番号と日付を失ったものです。

『春と修羅』第二集補遺 『〔どろの木の根もとで〕』
どろの木の根もとで        
水をけたててはねあがったのは、  
まさしくこゝらの古い水きね    
そばには葦で小さな小屋ができてゐる
粟か稗かをついてるらしい     
つゞけて水はたうたうと落ち    
きねはしばらく静止する      
ひるなら羊歯のやはらかな芽や   
プリムラも咲くきれいな谷だ    
きねは沈んでまたはねあがり    
月の青火はぼろぼろ落ちる     
もっともきねといふよりは     
小さな丸木舟であり        
むしろ巨きなさじであると     
こんども誰かが云ひさうなのは   
じつはこっちがねむいのだ     
どこかで鈴が鳴ってゐる      
それは道路のあっち側       
柏か栗か そのまっくらな森かげに 
かぎなりをした家の        
右の袖から鳴ってくる       
前の四角な広場には        
五十ばかりの廐肥の束が      
月のあかりに干されてゐる     
ねむった馬の胸に吊るされ     
呼吸につれてふるへるのだ     
馬は恐らくしき草の上に      
足を重ねてかんばしくねむる    
わたくしもまたねむりたい     
間もなく東が明るくなれば     
馬は巨きな頭を下げて       
がさがさこれを畑へはこぶ     
そのころおれは          
まだ外山へ着けないだらう     
ひるの仕事でねむれないといって  
いまごろこゝらをうろつくことは  
ブラジルでなら          
馬どろぼうに間違はれて      
腕に鉛をぶちこまれても仕方ない  
どこかで鈴とおんなじに啼く鳥がある
それはたとへば青くおぼろな保護色だ
向ふの丘の影の方でもないてゐる  
そのまたもっと向ふでは      
たしかに川も鳴ってゐる      
きねはもいちどはねあがり     
やなぎの絮や雲さびが       
どろの梢をしづかにすぎる     

この作品「〔どろの木の根もとで〕」には賢治の付した日付がありませんが、 この作品の改稿前として位置付けられる「春と修羅第二集」の「〔どろの木の下から〕」の日付、 すなわち1924年4月19日の夜空をシミュレートしてみました。
この詩の中では、「月の青火」と「月あかり」という言葉がでてきます。 夜空をシミュレートすると、ほぼ満月(月齢15.1)で丸い月が一晩中夜空を照らしていたことがわかります。
実際計算してみると、この日の天文暦は、

月の出  17時50分     
月南中  23時42分     
薄明開始  3時14分(20日)
日の出   4時50分(20日)
月の入   5時27分(20日)

となっています。賢治はこの晩、月の光を浴びながら野宿をしていたことでしょう。
それから、この詩の日付として留意しておきたいには、 改稿前の作品「〔どろの木の下から〕」では19日となっていますが、 改稿した後には「間もなく東が明るくなれば」とあるとおり、20日の薄明(夜明け)がもうすぐであることを述べていますから、 翌朝20日に「スケッチ」された様子も含まれていることがわかります。 20日の薄明開始は午前3時14分、日の出は4時50分となっています。
また、この晩は土星が月のすぐそばに接近していて、その様子を観察していたかも 知れません。土星は0.3等星ですから、月のそばでも十分発見することができたでしょう。


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