「〔南のはてが〕」の創作 1924(大正13)年10月2日
   

「〔南のはてが〕」の創作
1924(大正13)年10月2日




『春と修羅』第二集の中に「〔南のはてが〕」と題された詩があり、 この作品の中にも天体が詠み込まれています。作品の日付は1924(大正13)年10月2日となっています。

『春と修羅』第二集 三〇九 『〔南のはてが〕』
南のはてが                
灰いろをしてひかってゐる         
ちぎれた雲のあひだから          
そらと川とがしばらく闇に映え合ふのだ   
そこから岸の林を含み           
川面いっぱいの夜を孕んで         
風がいっさん遡ってくる          
ああまっ甲におれをうつ          
……ちぎれた冬の外套を          
  翼手のやうにひるがへす……      
 (われ陀羅尼珠を失ふとき        
  落魄ひとしく迫り来りぬ)       
風がふたゝびのぼってくる         
こはれかかったらんかんを         
嘲るやうにがたがた鳴らす         
……どんなにおまえが潔癖らしい顔をしても 
  翼手をもった肖像は          
  もう乾板にはいってゐると……     
    (人も世間もどうとも云へ     
     おれはおまえの行く方角で    
     あらたな仕事を見つけるのだ)  
   風がまた来れば           
一瞬白い水あかり             
    (待ておまえはアルモン黒だな)  
乱れた鉛の雲の間に            
ひどく傷んで月の死骸があらはれる     
それはあるひは風に膨れた大きな白い星だらう
鳥が軋り                 
雨はじめじめ落ちてくる          

この詩に登場する天体の表現としては、乱れた雲の間に「月の死骸」、 そしてその正体を推測して「風に膨れた大きな白い星」が示されています。
この晩の19時の南の空をシミュレートしてみました。月と明るい惑星が 見えています。もし原風景があるとすれば、沈みかかった月齢4の月、そして木星、大接近がすんだばかり の明るい火星が登場することでしょう。 しかしながら、強い風が吹き、時々雲間から空が見えるような天候では、賢治が詩に表現したようにあい まいな捉え方になってしまうようです。
この詩の下書稿は二種類あり、最後のものが定稿となっていますが、 下書稿(一)及び(二)には「アルモン黒(ブラック)」という題がつけられていました。定稿にも登場する言葉ですが、 「アルモン黒」とは何を示すのでしょうか? 宮澤賢治語彙辞典によると、それは賢治の造語であり、 その源は英語のアーモンド(almond)に由来するのではないか?と推測されています。つまり、雲間から 差し込んだ月あかりが水面に一瞬映り、鈍い月かげ「死骸のような月」をアーモンドの形に連想したと いうものです。
この晩の月の形を見ると、どうみても「アーモンド」とはほど遠い ものです。満月前であれば月齢8から10程度が理想でしょう。月齢がおよそ4ですから、地球照をアーモンド 黒としたのでしょうか。宮澤賢治語彙辞典には、「黒い瞳と一重まぶた」をalmond eyeと表現するとも あります。
あるいは、「風に膨れた大きな白い星」とすれば木星とも思えるし、下書稿 (一)にある、

劫初の風がまた来れば 一瞬白い月あかり 
  (待て、おまえは「アルモン黒」だな)
   Oh, that horrible pink dots !   
   Oh, that horrible pink dots !   

にでてくるOh, that horrible pink dots !(ああ、その恐ろしき紅点たちよ!)の解釈からすると、火星 なども含まれてくるのか....、謎が深まるばかりです。


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