「〔北いっぱいの星ぞらに〕」の創作 1924(大正13)年8月17日
   

「〔北いっぱいの星ぞらに〕」の創作
1924(大正13)年8月17日




『春と修羅』第二集の中に「〔北いっぱいの星ぞらに〕」と題された詩があります。 この詩は、1924年8月16日から17日にかけて、北上山地の最高峰早池峰山を夜歩き登山した時のものです。 詩に出てくる地名(萱野十里)から、岳の集落から河原坊に向かう途中の夜道に詠まれたものであることがわかります。

『春と修羅』第二集 一七九 『〔北いっぱいの星ぞらに〕』
北いっぱいの星ぞらに         
ぎざぎざ黒い嶺線が          
手にとるやうに浮いてゐて       
幾すじ白いパラフヰンを        
つぎからつぎと噴いてゐる       
  そこにもくもく月光を吸ふ     
  蒼くくすんだ海綿体        
萱野十里もおはりになって       
月はあかるく右手の谷に南中し     
みちは一すじしらしらとして      
椈の林にはいらうとする        
  ……あちこち白い楢の木立と    
    降るやうな虫のジロフォン…… 
橙いろと緑との            
花粉ぐらゐの小さな星が        
互いにさゝやきかはすがやうに     
黒い露岩の向ふに沈み         
山はつぎつぎそのでこぼこの嶺線から  
パラフヰンの〔紐〕をとばしたり    
突然銀の挨拶を            
上流の仲間に抛げかけたり       
  Astilbe argentium       
  Astilbe platinicum       
いちいちの草穂の影さへ落ちる     
この清澄な味爽ちかく         
あゝ東方の普賢菩薩よ         
微かに神威を垂れ給ひ         
曾って説かれし華厳のなか       
仏界形円きもの            
形花台の如きもの           
覚者の意思に住するもの        
衆生の業にしたがふもの        
この星ぞらに指し給へ         
  ……点々の白い伐株と       
    まがりくねった二本のかつら……
ひとすじ蜘蛛の糸ながれ        
ひらめく萱や             
月はいたやの梢にくだけ        
木影の窪んで鉛の網を         
わくらばのやうに飛ぶ蛾もある     

この詩のシミュレーションは、創作日とされた1924年8月17日としてみました。 「月はあかるく右手の谷に南中し」ということばから、賢治の体の向いていた方角及び時刻を特定してみました。 この日、月の南中する時刻は午前1時12分です。そしてその月を右に見るということは、賢治は東の空を向いて いたことになります。シミュレーションでも、賢治と同じ風景になるよう東を上、月がある南を右にしてあります。
この詩は、最終形をみるまでに多数の下書き稿が存在し、現存稿の数は6種類 にものぼります。そこで、中に登場する天体関連の記述と経過を表にまとめてみました。

「〔北いっぱいの星ぞらに〕」における天体の記述
下書き
の種類
天体に関連すると思われる主な記述
(主に手入れ前のものから抜粋)
下書稿
(一)
谷の味爽に関する童話風の構想 この清澄な月の味爽近くを
下書稿
(二)
なし この清澄な月の味爽ちかく
………星にぎざぎざうかぶ嶺線
月光を吸ふその青黝いカステーラ
黄水晶とエメラルドとの 二つの星が婚約する
じつにそらはひとつの宝石類の集大成で
下書稿
(三)
なし 月は右手の木立の上で
北いっぱいの星ぞらに ぎざぎざ亘る嶺線が
そこでもくもく月光を吸ふ 蒼くくすんだカステラは
黄水晶とエメラルドとの 花粉ぐらゐの小さな星が 童話のやうに婚約する
じつに今夜は そらが精緻な宝石類の集成で
この清澄な月の味爽ちかく
この清澄な月の味爽ちかく
椈の脚から火星がのぞき
月はいたやの梢にくだけ
下書稿
(四)
なし 月は右手の木立の上に
そこにもくもく月光を吸ふ 蒼くくすんだカステラは
北いっぱいの星ぞらに ぎざぎざ黒い嶺線が
黄水晶とエメラルドとの 花粉ぐらゐの小さな星が 童話のやうに婚約する
下書稿
(五)
なし この清澄な月の味爽ちかく
北いっぱいの星ぞらに ぎざぎざ黒い嶺線が
花粉ぐらゐの小さな星が ほのぼのとして婚約する
望遠鏡をぐるぐるさせる さういふ風の明るいそらだ またこっちではどれかの星の上あたり  天を見附けてやらうといって やっぱり眼鏡をぐるぐるまはす
鶏頭山の冠を 巨きな青い一つの星が わづかに触れて祝福すれば
この清澄な月の味爽ちかく
椈の脚から火星がのぞき
月はいたやの梢にくだけ
下書稿
(六)
なし この清澄な月の味爽ちかく
北いっぱいの星ぞらに ぎざぎざ黒い嶺線が
そこにもくもく月光を吸ふ 蒼くくすんだ海綿体(カステーラ)
橙いろと緑との 花粉ぐらゐの小さな星や ぼんやり白い星けむり
一つの星が 黒い露岩の向ふに沈み
椈の脚から火星がのぞき
月はいたやの梢にくだけ

実にたくさんの天体天体にかかわる表現が出てくることがわかります。この年の夏には 火星が大接近しており、最初に掲げた最終形にこそ登場していませんが、「火星」も当初記載されていたことがわかります。 数日後には大接近を控え-2等より明るくなっています。
星に関するものとして「黄水晶とエメラルド」あるいは「橙いろと緑」の色、また 「花粉ぐらゐの小さな星」が出てきます。この星はいったい何でしょうか? まず思い浮かぶのは二重星の姿でしょうし、 下書稿(六)で賢治は「連星」として原稿用紙にメモを加えていますからまず間違いないでしょう。 この日の夜空で色の対比の美しいものとしては、はくちょう座β(アルビレオ)や、アンドロメダ座γ(アルマク)があげられます。
アルビレオは、「銀河鉄道の夜」にも登場させているので、賢治も熟知していた はずです。色の対比は黄色と紫、またはトパーズ色とサファイア色。また、アルマクの方は詩「晴天恣意」 のなかで、「アンドロメダの連星」としてでていますからこちらも賢治が知っていたはずです。 色は金色と青、またはオレンジとグリーン...、見る人によりさまざまです。 もしほかに候補ないとすれば、アンドロメダのγでしょうか?  下書稿(六)には「橙いろと緑との 花粉ぐらゐの小さな星や ぼんやり白い星けむり」という部分もあり、いかにも 「アンドロメダ座の大銀河」を示すような「白い星けむり」という記述と、空の位置でも近いので、案外そうかも知れません。 但し、下書稿の推移の複雑さを勘案すると安易に決定してしまうのは危険かもしれません...。 また、「花粉ぐらゐの小さな星」というと表現は、童話「双子の星」に出てくる「双子の星のお宮」を 現わす場合に用いられた「すぎなの胞子ほどの小さな二つの星」の表現とどことなく似ている気がします。どちらも 植物の部分を使っての比喩だからでしょうか?  そして、「童話のやうに婚約する」という部分にも「双子の星」と何らかの関連を感じます。
続いて、その「花粉ぐらゐの小さな星」が、「黒い露岩の向ふに沈み」とありますが、 下書稿をたどれば、当初は「一つの星が」であったことがわかります。この時間沈みゆく星の中で該当するのは「アルタイル」 か「ベガ」あたりでしょう。
下書稿(五)の詩の後半部分には、「賢治の信じていた宇宙観(アレニウスなどによる)」と 「当時の最新の宇宙観(ハッブルなどによる成果を踏まえたもの)」のかかわりに留意して読むと興味深い点があります。


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