「〔温く含んだ南の風が〕」の創作 1924(大正13)年7月5日
   

「〔温く含んだ南の風が〕」の創作
1924(大正13)年7月5日




『春と修羅』第二集の中に「〔温く含んだ南の風が〕」と題された詩があります。 賢治が天の川の流れを観察して表現した描写がユニークです。作品の書かれた日付は1924(大正13)年7月5日 とありますので、21時の花巻における夜空をシミュレートしてみました。 円は星座早見盤のように全天を示し、上下左右それぞれ北、南、西、東を表わします。

『春と修羅』第二集 一五五 『〔温かく含んだ南の風が〕』
温く含んだ南の風が            
かたまりになったり〔紐〕になったりして  
りうりう夜の稲を吹き           
またまっ黒な水路のへりで         
はんやくるみの木立〔〕にそゝぐ      
  ……地平線地平線           
    灰いろはがねの天末で       
    銀河のはじが茫乎とけむる……   
熟した藍や桃のにほひ           
一きは過ぎる風跡に            
蛙の族は声をかぎりにうたひ        
ほたるはみだれていちめんとぶ       
  ……赤眼の蠍             
    萱の髪              
    わづかに澱む風の皿        
蛍は消えたりともったり          
泥はぶつぶつ醗酵する           
  ……風は蛙をからかって、       
    そんなにぎゅっぎゅっ云はせるのか 
    蛙が風をよろこんで、       
    そんなにぎゅっぎゅっ叫ぶのか…… 
北十字のまはりから            
三目星(カシオペーア)の座のあたり        
天はまるでいちめん            
青じろい疱瘡にでもかかったやう      
天の川はまだぼんやりと爆発する      
  ……ながれるといふそのことが     
    たゝもう風のこゝろなので     
    稲を吹いては鳴らすと云ひ     
    蛙に来ては鳴かすといふ……    
天の川の見掛けの燃えを原因した      
高みの風の一列は             
射手のこっちで一つの邪気を空にはく    
それのみならず蠍座のあたり        
西蔵魔神の布呂に似た黒い思想があって   
〔南斗の〕へんに吸ひついて        
そこらの星をかくすのだ          
けれども悪魔といふやつは、        
天や鬼神とおんなじやうに、        
どんなに力が強くても、          
やっぱり流転のものだから         
やっぱりあんなに             
やっぱりあんなに             
どんどん風に溶かされる          
星はもうそのやさしい面影(アントリッツ)を恢復し 
そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる   
  ……蛍は青くすきとほり        
    稲はざわざわ葉擦れする……    
  うしろではまた天の川の小さな爆発   
たちまち百のちぎれた雲が         
星のまばらな西寄りで           
難陀羅家の家紋を織り           
天をよそほふ鬼の族は           
ふたゝび蠍の大火をおかす         
  ……蛙の族はまた軋り         
    大梵天ははるかにわらふ……    
奇怪な印を挙げながら           
ほたるの二疋がもつれてのぼり       
まっ赤な星もながれれば          
水の中には末那の花            
あゝあた〔た〕かな憂陀那の群が      
南から幡になったり幕になったりして    
くるみの枝をざわだたせ          
またわれわれの耳もとで          
銅鑼や銅角になって砕ければ        
こんどは白い湯気を噴く          
     (風ぐらを増す         
      風ぐらを増す)        
そうらこんどは              
射手から一つの光照弾が投下され      
風にあらびるやなぎのなかを        
淫蕩に青くまた冴え冴えと         
蛍の群れがとびめぐる           

一読しただけで、この詩の中に星にかかわるキーワードがいくつも含まれていることがわかります。 詩のうちでそれと思われる部分をいくつか太文字にしてみました。
「かたまりになったり〔紐〕になったりして」と、賢治がその風が吹いてくる様子を描写しています。 実は、これと似た表現が賢治の良く読んだとされる天文書「肉眼に見える星の研究」(吉田源治郎著1922刊行)にあります。 この本の中で、イギリスの詩人テニスン(Tennyson)が、プレアデス星団(すばる)を読んだ詩として、

私は幾夜となく見た    
白銀の組紐の中に     
もつれ合ふ螢の一群かの如く
閃々と輝きながら     

という作品が紹介されています。賢治は南からの風の様子を紐に例えていますが、テニスンが蛍の群れの様子 を紐に例えたものと類似しているようです。また、この詩の最後の部分には実際に「蛍の群れがとびめぐる」と同様の 情景を詠んでいるのも興味深いことです。
「銀河のはじが茫乎とけむる……」は、南の空のいて座からさそり座付近の天の川が特に濃くなっている 部分を指しているようです。
「……赤眼の蠍」は、賢治お得意の表現で「星めぐりの歌」の最初の部分にも取り入れられています。本来 ここでいう赤眼とはさそり座の1等星アンタレスを指しますが、星座絵などではさそりの心臓として描かれることがほとんどです。
「北十字」は、はくちょう座の骨格をなす部分で、その均整のとれた形から西洋では「南十字」に対し「北の十字架」、 日本でも「十文字さま」として親しまれてきた配列です。
「三目星(カシオペーア)」は、ずばりそのものカシオペヤ座を指します。宮澤賢治全集(校本編)ではこの部分が 「魔褐(「羯」が正しい)大魚の座のあたり」となっていました。魔羯大魚とは上半身が山羊、下半身は魚の山羊座(魔羯宮)を指すものですが、賢治のそれは 仏教上の「三つ目」の四天王を意図していたと推測されます。当初「魔褐大魚」から「カシオペーア天主三目」、さらに「三目天主の」、そして最後に 「三目星(アシオペーア:ルビ草稿のまま)」と変更を重ねています。前項の北十字からカシオペヤ付近の天の川もなかなかきれいで、 「天はまるでいちめん青じろい疱瘡にでもかかったやう天の川はまだぼんやりと爆発する」と表現するのもわかる気がします。
「射手」はいて座、続いて出てくる「〔南斗の〕」もいて座の一部分の星の配列、北の「北斗七星」に対し 南の「南斗六星」と呼ばれる部分を示しています。そこで賢治は、いて座やさそり座のあたりに「西蔵魔神の布呂に似た黒い思想」があって 「〔南斗の〕のへんに吸ひついて」いると言っています。「西蔵魔神の布呂に似た黒い思想」とは何でしょうか?ここでは星座を覆い隠す黒雲 の姿を悪魔の風呂敷として比喩したもののようです。天文屋さんの立場からいうと「暗黒星雲」の姿にみたいところですが、詩の成り行きから すると「黒雲」とした方が自然でしょうか。
「うしろではまた天の川の小さな爆発」は、前出のカシオペヤ座付近の天の川を指すので、 この時賢治は南の空を向いていたことがわかります。
「蠍の大火」とは、前出のさそり座の1等星アンタレスです。一つの詩の中で同じ星を「赤眼」としたり「大火」 と記したりして使い分けています。アンタレスを火に見るのは、中国では「大火」として一般的であったようですし、童話「銀河鉄道の夜」の 「蠍の火」のエピソードとして登場するので、良く知られているものです。
「射手から一つの光照弾が投下され」は、いて座付近から流れ星が飛んだ情景を言っているのでしょうか? 「投下され」という動きのあるものをイメージすると流星説が本命でしょうか? 研究家の斎藤文一氏は「銀河の中心部からの光照射」と して解釈されています。この年の夏には、いて座のそばに-2.5等星の木星が輝いていました。これは全天一の明るさで「光照弾」と表現するに ふさわしいものと言えます。また、木星の位置が、いて座の星座絵にある馬人の矢の放たれた方向にちょうどあるというのも気になるところです。 あえて私は木星説をあげたいと思いますが....。
宮澤賢治全集(校本編)の方にはさらにたくさんの星に関する部分が出てきます。賢治自身の添削の結果削除されて しまった部分として、「白鳥座」「琴(ライラ)」「ヘルクレス」「麒麟」など星座が登場していました。


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