「白い鳥」の創作 1923(大正12)年6月4日
   

「白い鳥」の創作
1923(大正12)年6月4日




『春と修羅』の中に「白い鳥」と題された詩があります。この詩は、1923年6月4日付となっている もので、妹トシが亡くなってしばらく創作をやめていた賢治が、前日付けの作品「風林」と共に久 しぶりに書き上げた作品です。
詩の内容は、農学校の生徒たちとの6月3日〜4日にかけ滝沢から柳沢方面を夜通し歩いた 時の翌日の様子が描かれています。

詩『白い鳥』
 《みんなサラーブレッドだ              
  あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが》     
 《よつぽどなれたひとでないと》           
古風なくらかけやまのした               
おきなぐさの冠毛がそよぎ               
鮮かな青い樺の木のしたに               
何匹かあつまる茶いろの馬               
じつにすてきに光つている               
   (日本絵巻のそらの群青や            
    天末のturquoisはめづらしくないが       
    あんな大きな心相の              
    光の環は風景の中にすくない)         
二疋の大きな白い鳥が                 
鋭くかな〔しく〕啼きかはしながら           
しめつた朝の日光を飛んでゐる             
それはわたくしのいもうとだ              
死んだわたくしのいもうとだ              
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる        
  (それは一応はまちがひだけれども         
   まつたくまちがひとは言はれない)        
あんなにかなしく啼きながら              
朝のひかりを飛んでゐる                
  (朝の日光ではなくて               
   熟してつかれたひるすぎらしい)         
けれどもそれも夜どほしあるいてきたための       
vagu〔e〕な銀の錯覚なので              
  〔(〕ちやんと今朝あのひしげて融けた金の液体が  
   青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た)
どうしてそれらの鳥は二羽               
そんなにかなしくきこえるか              
それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき      
わたくしのいもうとをもうしなつた           
そのかなしみによるのだが               
   (ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか       
    けさはすずらんの花のむらがりのなかで     
    なんべんわたくしはその名を呼び        
    またたれともわからない声が          
    人のない野原のはてからこたへてきて      
    わたくしを嘲笑したことか)          
そのかなしみによるのだが               
またほんたうにあの声もかなしいのだ          
いま鳥は二羽、かゞやいて白くひるがへり        
むかふの湿地、青い蘆のなかに降りる          
降りようとしてまたのぼる               
  (日本武尊の新らしい御陵の前に          
   おきさきたちがうちふして嘆き          
   そこからたまたま千鳥が飛べば          
   それを尊のみたまとおもひ            
   蘆に足をも傷つけながら             
   海べをしたつて行かれたのだ)          
清原がわらつて立つてゐる               
 (日に灼けて光つてゐるほんたう農民のこども     
  その菩薩ふうのあたまの容はガンダーラから来た)  
水が光る きれいな銀の水だ              
《さああすこに水があるよ               
 口をすゝいでさつぱりして往かう           
 こんなきれな野はらだから》             

この詩の情景は昼間ですが、夜間歩行の情景がいくつか詠みこまれています。 「(ちやんと今朝あのひしげて融けた金の液体が/青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た)」とある部分は 月の出の様子を表現しているのでしょう。「融けた金の液体が」とはなんともユニークな発想ですが、月の形と、大気による 減光のいたずらによるものでしょう。この6月3日の天体歴を計算すると、

日の入  19時07分    
薄明終了 20時57分    
月の出  22時21分    
薄明開始 02時13分(4日)
月南中  04時03分(4日)
日の出  04時08分(4日)

となっています。月(23時の月齢18.7)が東の空から現われるのは、前日3日の22時30分近くでしょうか。ですからかなり遅い時間に 岩手山の麓(柳沢付近)で見たものでしょう。 シミュレーションの画面も詩の内容に合わせ前日6月3日の23時としてあります。 また、深夜に農学校の生徒達と昇る月を見るという状況は、1924年6月22日の日付を持つ 詩「林学生」にもあります。
また、「ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか」と言っていますが、 月が一晩中空にかかっていたのも明らかです。この夜は夏至にも近い時期ですので、午前2時すぎには薄明開始となっています。


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