「風林」の創作 1923(大正12)年6月3日
   

「風林」の創作
1923(大正12)年6月3日




『春と修羅』の中に「風林」と題された詩があります。この詩は、1923年6月3日付となっている もので、妹トシが亡くなってしばらく創作をやめていた賢治が久しぶりに書き上げた作品です。シミュレーションの画面は、 6月4日の午前0時としてあります。
詩の内容は、農学校の生徒たちとの滝沢から柳沢にかけて夜通し歩いた様子が描かれていますが、 その中にはトシさんの名前も登場しています。

詩『風林』
  (かしはのなかには〔鳥〕の巣がない       
   あんまりがさがさ〔鳴〕るためだ〔)〕     
ここは艸があんまり粗く               
とほいそらから空気をすひ              
おもひきり倒れるにてきしない            
そこに水いろによこたはり              
一列生徒らがやすんでゐる              
  (かげはよると亜鉛とから合成される)      
それをうしろに                   
わたくしはこの草にからだを投げる          
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ        
かしははせなかをくろくかがめる           
柳沢の杉はなつかしくコロイドよりも         
ぼうずの沼森のむかふには              
騎兵聯隊の灯も澱んでゐる              
《ああおらはあど死んでもい》            
《おら死んでもい》                 
  (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か       
   さうでなければ小田島国友           
      向ふの柏木立のうしろの闇が       
      きらきらつといま顫えたのは       
      Egmont Overture にちがひない     
   たれがそんなことを云ったかは         
   わたくしはむしろかんがへないでいい〔〕〕   
《伝さん しやつつ何枚、三枚着たの〔》〕      
せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は          
月光の反照のにぶいたそがれのなかに         
しやつのぼたんをはめながら             
きつと口をまげてわらつてゐる            
降つてくるものはよるの微塵や風のかけら       
よこに鉛の針になってながれるものは月光のにぶ    
《ほお おら……》                 
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか           
おしまひの声もさびしく反響してゐるし        
さういふことはいへばいい              
  (言はないことなら手帳へ書くのだ)       
とし子とし子                    
野原へ来れば                    
また風の中に立てば                 
きつとおまへをおもひだす              
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか       
鋼青壮麗の空のむかふ                
 (ああけれどもそのどこかも知れない空間で     
  光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか    
  …………此処あ日あ永あがくて          
      一日のうち何時だがもわがらないで……  
  ただひときれのおまへからの通信が        
  いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ〔)〕
とし子 わたくしは高く呼んでみやうか        
 《手凍えだ》                   
 《手凍えだ?                   
  俊夫ゆぐ凍えるば                
  こないだもボタンおれさ掛げらせだぢやい》    
俊夫というのはどつちだらう 川村だらうか      
あの青ざめた喜劇の天才[植物医師]の一役者     
わたくしははね起きなければならない         
 《おゝ 俊夫てどつちの俊夫》           
 《川村》                     
やつぱりさうだ                   
月光は柏のむれをうきたたせ             
かしははいちめんさらさらと〔鳴〕る         

まず最初に登場する天体は月です。この6月3日の天体歴をみると、

日の入  18時59分    
薄明終了 20時56分    
月の出  22時27分    
月南中  03時46分(4日)

となっています。月が東の空から現われるのは、22時30分近くでしょうか。ですからかなり遅い時間に 岩手山の麓(柳沢付近)で詠んだものでしょう。
「月はいましだいに銀のアトムをうしなひ」とはどのような意味でしょうか? 前後の文章からすると、月が雲によって隠されてしまったか、あるいは草地に寝そべってしまったために、 視界から樹木などに遮られてしまったのでしょうか?
宮沢賢治語彙辞典によると、Egmont Overture (エグモント・オーバーチュア)とは、 ベートーヴェン作曲の歌劇序曲で、劇に登場するエグモント公が、救おうとして助けられず死んでしまった自分の恋人の クレールの幻影に導かれ、刑場に向かう場面があります。そして、その幕切れには「最愛のものを救うために、 喜んでいのちを捨てること、我のごとくあれ」という台詞があります。 賢治は、《ああおらはあど死んでもい》《おら死んでもい》という生徒の声をきいて、エクモント公の言葉を連想し、また エグモント公がクレールの幻影に導かれる様子を、自分とトシに関連づけて、トシからの「通信」を信じていることが詩の 中で綴られています。
そして、亡くなった妹の居場所として、「その巨きな木星のうへ」という場所が示されます。 この夜、木星はさそり座の西側に堂々たる姿で輝いています。妹を木星の姿に重ね合わせて見ていたことでしょう。


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