「犬」の創作 1922(大正11)年9月27日
   

「犬」の創作
1922(大正11)年9月27日




『春と修羅』の中に「犬」と題された詩があります。一見すると天文とはまったく無関係な 詩ですが、よく注意してみると星座との関連を思わせる部分があります。

詩『犬』
なぜ吠えるのだ 二疋とも      
吠えてこつちへかけてくる      
 (夜明けのひのきは心象のそら)  
頭を下げることは犬の常套だ     
尾をふることはこはくいない     
それだのに             
なぜさう本気に〔吠〕えるのだ    
その薄明の二疋の犬         
一ぴきは灰色錫           
一ぴきの尾は茶の草穂        
うしろへまはつてうなつてゐる    
わたくしの歩きかたは不正でない   
それは犬の中の狼のキメラがこはいのと
もひとつはさしつかへないため    
犬は薄明に溶解する         
うなりの突端にはエレキもある    
いつもあるくのになぜ吠えるのだ   
ちやんと顔を見せてやれ       
ちやんと顔をみせてやれと      
誰かとならんであるきながら     
犬が吠えたときに云ひたい      
帽子があんまり大きくて       
おまけに下を向いてあるいてきたので 
吠え出したのだ           

この詩は、賢治が犬に吠えられた時の体験がもとになったと思われます。 しかしながら、 この季節の夜明けには「おおいぬ座」「こいぬ座」が東の空からのぼることに関連して、 「なぜ吠えるのだ 二疋とも/吠えてこつちへかけてくる」という部分、 時間としても夜明け方であり、時間の経過とともに消えて行くようすについては、 「その薄明の二疋の犬」「犬は薄明に溶解する」によく対応しています。
賢治の過去の記憶が、早朝の星座(「おおいぬ座」「こいぬ座」)を見ることにより、 よみがえり創作した、とも説明はできますが、裏付けできる条件が足りないので、ただの偶然と考えるのが自然かも知 れません。
この詩の中で「キメラ」という生物学上の専門用語が使われていますが、この語は詩 「〔はつれて軋る手袋と〕」の中でも使われており、この詩とおなじく星座 (「おおいぬ座)から連想したと思われるキメラが登場しているのは興味深いことです。


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