歌稿〔B〕 大正5年3月より  259 1916(大正5)年3月24日
   

歌稿〔B〕 大正5年3月より  259
 1916(大正5)年3月24日


1916年3月19日〜31まで、賢治は盛岡高等農林学校農学科第2学年の修学旅行として、関西方面に出ています。 当時の日程が、校友会の会報をもとにし堀尾青史著「宮澤賢治年譜」にまとめられています。 以下「宮澤賢治年譜」より抜粋。

シミュレーションした画面は、1916年3月24日21時の西の空です。 沈みかかった金星が奈良の西空にかかり、ふたご座には土星が見えています。 冬の星座がにぎやかに夜空を飾っていました。 賢治は修学旅行の途中、奈良の宿から星空を眺めていたのでしょうか。
上記引用の作品とは別ですが、その旅の途中と思われる作品として、歌稿〔B〕大正5年3月より、の中に月の描写の出てくる作品があります。 (上記引用の「たそがれの」はこちらからどうぞ)

にげ帰る鹿のまなこの燐光となかばは黒き五日の月と

という歌です。 鹿は、奈良公園の鹿を指すものと想像されます。
鹿の眼の光を、五日の月と対比しています。 五日の月ですから、半月にはあと2日たりない形です。 また、なかばは黒きということから、地球照も見えるようです。 さて、この表現は、実際に見えた月との対比でしょうか、それとも賢治のなかにイメージされた月でしょうか? 実際に月齢を調べてみましょう。


5日の月の形
By StellaNavigator

この日の宵(19時)の月齢を調べると、20.3です。 これは賢治のお気に入りの「二十日の月」ですが、月の出時刻も23時23分と真夜中となりますので、明らかにイメージされた月ということが判明します。 5日の月の姿を上に示しておきました。 この姿と鹿の眼の共通点をどこに見出したのでしょうか・・・


▲賢治の星の年譜ヘ戻る
▲賢治の星の風景ヘ戻る



メインページへ

宮沢賢治のページへ

☆星のページへ

△山のページへ

kakurai@bekkoame.ne.jp