歌稿〔B〕 大正5年3月より  258 1916(大正5)年3月24日
   

歌稿〔B〕 大正5年3月より  258
 1916(大正5)年3月24日


1916年3月19日〜31まで、賢治は盛岡高等農林学校農学科第2学年の修学旅行として、関西方面に出ています。 当時の日程が、校友会の会報をもとにし堀尾青史著「宮澤賢治年譜」にまとめられています。 以下「宮澤賢治年譜」より抜粋。

さて、上記の本文中にも引用がありますが,その旅の途中の作品として、歌稿〔B〕大正5年3月よりの中に作品があります。

たそがれの奈良の宿屋ののきちかくせまりきたれる銀鼠ぞら

という歌です。 奈良での宵の情景でしょうか、「銀鼠」という表現が、空の微妙な色を表現しています。 画面は、宵、やっと星が出てきたころ、19時の西の空です。
この日の奈良における日の入などの時間を計算すると、

日の入   18時12分    
薄明終了  19時36分    

となります。 夕方の日没後〜薄明終了までの時間とすれば、この作品の時間は、18時半ごろから19時ごろでしょうか。 奈良での宵の星空を期待していたのかも知れません。
この日の西空には「宵の明星」の金星が出ていました。 光度は-4.2等級で、天気が良ければ真っ先に見えていたはずです。 金星の光度は、しだいに増して5月末には-4.4等級まで明るくなります。(内合は7月4日) また、天頂近くには別の2つの惑星も見えていました。 火星と土星です。 それぞれ光度は-0.3等、-0.1等です。 日没後しばらくすると、冬の1等星の星だけでなく明るい惑星も加わり、かなり賑やかな夜空となっていたはずです。


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