書簡10 大正4(1915)年8月29日『高橋秀松あて』の葉書 1915(大正4)年8月29日
書簡10 大正4(1915)年8月29日『高橋秀松あて』の葉書
1915(大正4)年8月29日
この年、賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に入学し、妹のトシも東京目白の日本女子大学に入学しています。
賢治は盛岡の寄宿舎自啓寮に入り、頻繁に野山へとでかけ鉱物採集に力を入れていました。
そんな時期、遠野を訪れ、寮友の高橋秀松に葉書を書いています。
目的は軽便鉄道の工事現場での岩石採集だったのでしょうか、そんな「石たたき」の様子も書かれています。
今朝から十二里歩きました
鉄道工事で新らしい岩石が沢山でてゐます
私が一つの岩石をカチッと割りますと初めこの連中が瓦斯だった時分に見た空間が紺碧に変って光ってゐることに愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる黒雲母を見ます
今夜はもう秋です
スコウピオも北斗七星も願はしい静かな脈を打ってゐます
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葉書には「八月廿九日 遠野ニテ」とあるように、8月29日の夜、遠野での様子を手紙にしたことがわかります。
前半は遠野での岩石採集のこと、後半には星のことが書かれています。
この日の遠野における日没などの時間を計算すると、
日の入 18時13分
薄明終了 19時47分
月の出 19時57分
となります。
日没からおよそ1時間半で薄明終了となり、星のまたたく夜となります。
シミュレーションした画面は遠野における20時のものです。
南の空をみてみると、賢治が手紙に書いた「スコウピオ」、つまり"scorpius"(スコルピオ)、「さそり座」が横たわっています。
この画面には出ていませんが、東の空には-2等級の木星がうお座に輝いています。
また月齢18.6(20時)の月も昇ろうとしています。
この時、北西の空を見ると「北斗七星」も傾きながらかかっています。
北斗七星
この時間における北西にかかる様子
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地平座標系 1915年8月29日20時00分
毎日星を見慣れた人であれば、星座の位置関係で季節を感じたりすることはごくありふれたことです。
賢治も星を見ながら「今夜はもう秋」と感じていたのでしょうか。
余談となりますが、この葉書は、現存する賢治の手紙の中では一番最初に星を取り入れた情景を読み込んでいるものです。
記念すべき第一号に大好きな「さそり」を入れるあたりなかなか関心してしまいまます。
kakurai@bekkoame.or.jp