賢治が見ていたであろう?ハレー彗星の姿 1910(明治43)年5月27日
   

賢治が見ていたであろう?ハレー彗星の姿
1910(明治43)年5月27日




賢治がまだ盛岡中学校2年生の時に、ハレー彗星が大接近し、当時の人々を困惑させた記録が多数残されて います。ハレー彗星は、76年周期で太陽に接近し見事な姿を見せる大変有名な周期彗星です。
当時の「岩手日報」などにも肉眼で岩手山方向に出現することがしるされていることなどから、好奇心 旺盛な賢治が夜空に目を向けたであろうことは容易に察することができます。「岩手公論」5月28日付けの記事で「一昨夜八時頃雨上りの天空へ 出現したり...」とありますので、シミュレートは、5月27日21時としてみました。果たして賢治はハレー彗星を見ていたのでしょうか?
「宮澤賢治星の図誌」(平凡社)に藤井旭氏の「賢治の星を索めて」という一文があり、その中で斎藤文一氏に たずねたところ、実弟の宮沢清六氏の証言によると「兄からハレーの目撃談を語り聞かせてもらったことは一度もない。」と、あっさり否定 されてしまったということが書かれています。
さらに詳しい情報はないかと探していたところ、「宮沢賢治6号特集/羅須地人協会」に「ハレー 彗星と宮沢賢治」という須川力氏の記事があり、それに宮沢清六氏の証言として次のように載せられていました。「私は明治三 十七年四月一日の生まれで、ハレー彗星は両親と一緒に西北の空に肉眼で大きく、はっきりと見て感激しました。しかし、賢治は盛岡中学校の寄 宿舎のなかになにかの事件だったか、なにかの理由でハレー彗星を見なかったように思います。あれだけのはっきりした彗星の出現の大事件をち ょっとも書いていないというのは不思議です。」
どうやら、賢治の作品についても彗星をとりあげたもの(双子の星、銀河鉄道の夜)が少ないことを勘案すると やはり見ていないというのが本当のところのようです。
1910年の回帰は、最近(1986年)の接近時に比べはるかに良い条件で見ることができ、 当時の記録によると尾の長さは120度にも及び、大変立派な尾をたなびかせていたという観測記録もあります。 次回の接近は2061年7月となります。


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