「詩「牛」をめぐる北の旅」
   

「詩「牛」をめぐる北の旅」


Kenji & Event

2004年5月22日〜23日 北海道札幌・苫小牧にて


「詩「牛」をめぐる北の旅」


今年5月、北海道苫小牧では、賢治が訪ねて以来ちょうど80周年ということで記念行事が行われました。 修学旅行の付き添い教員として苫小牧の町に一泊したのです。 賢治は夜、宿を抜け出し、近くの浜まででかけ、その海鳴りや辺りの牧場にいた牛の姿に感動をおぼえ、作品(春と修羅第二集「牛」)を書いています。 賢治の見た風景、以前からずっと気になっていたこともあり、ふらっと行ってきました。

☆北海道苫小牧市より☆
   

大煙突
22日20時04分、すっかり暗くなった苫小牧駅に降り立ちました。 賢治が1924年5月21日に降り立って以来、ちょうど80年プラス1日後のことです。 写真は駅に降り立ち、ホームから見えた風景です。 ライトに赤く浮かぶ大煙突と煙です。 風向きのせいでしょうかちょっと変な匂いです。 (詩の中で「パルプ工場のの火照りが/夜なかの雲を焦がしてゐるし」と呼んだ工場のものです。) 工場とは、駅前近くの王子製紙工場です。


夜道
ホテルにチェックインを済ませ。 賢治と同じように暗い夜道を海へと向かいます。 人通りもないし、空気も冷たくて少し不気味です。 賢治の訪れた頃に比べればなんでもないかも知れませんが・・・。 駅から約1.5キロ歩くと前浜の海岸です。 海に近くなると本当に真っ暗で、波さえもよく見えません。 ただ、賢治が詩「牛」の下書稿に書いた「海鳴り」を肌で味わうことができました。 「海鳴り」というより「地鳴り」に近い感じです。 沖合いには釣船でしょうか、船が灯りを灯しながら何艘か停泊しています。 月でもあれば良かったのに・・・、などど思いながら早々にひきあげてきました。 帰り道には小雨・・・。


高砂町
翌朝、早起きしてもう一度浜へと向かいました。 写真は汐見大通から浜へと向かう道です。 少しなだらかな坂道で、坂の向こう側に海があります。

▼前浜のパノラマ写真・詩「海鳴り」

▼賢治の見た星空(緑いろの通信2004年5月20日号)

浜辺
昨夜とは違って浜の様子がよくわかります。 今朝も肌寒く、近所の人が犬を連れて散歩をしたりランニングをしていました。 この道の右手奥に、当時あった中村牧場のサイロが一部(上の部分だけ)残されています。


苫小牧市博物館
浜でゆっくりしたあと、苫小牧市博物館を訪れました。 苫小牧の自然や文化、歴史などを紹介した総合博物館です。 スケートが盛んなようで、オリンピックに参加した有名選手の品物がされていました。 博物館のロビーでは、「賢治の見た苫小牧展」として大正当時の町並みの写真が展示されていました。 賢治が宿泊した旅館「富士館」や、浜の牧場「中村牧場」の写真を見ることができました。 館の方に撮影許可をいただいて何枚か撮影しました。


展示写真パネル
この写真が詩「牛」の舞台となったとされる「中村牧場」です。 (ちょっとわかりにくいですね) 町名でいえば、高砂町〜汐見町あたりにあったそうで、賢治が詩に書いたとおり、駅前の工場の煙も写真に写されていました。 屯田兵であった故中村拙郎さんが、付近で乳牛を飼っていたそうです。 今、前浜は「ふるさと海岸」として整備されています。 このあと、博物館の隣にある中央図書館で「佐藤国男蔵書票展」を見学。

宮沢賢治資料展
苫小牧市文化交流センター(通称アイビー・プラザ)では「宮沢賢治資料展」が開催されていました。 主な展示品(雨ニモマケズ手帳(複製品)、「牛」原稿(複製品)、「海鳴り」原稿(複製品)など) また、詩碑の建立も計画されているようで、詩碑の模型も展示されていました。 (なんと足型模型つき) どうせなら、賢治の見た星の風景が刻まれた詩碑なんていかがでしょうか?

煉瓦の塀
散歩しながら駅前に戻ります。 途中、旅館「富士館」のあった場所を経由し、王子アカシア公園付近で王子製紙軽便鉄道の車両を見学しました。 1922年、昭和天皇が皇太子のときに乗ったという 貴賓車両と併せて保存展示されていました。 近くの広場を歩くと、歴史を感じる煉瓦の塀がひっそりと残されていました。

▲賢治の見学記ヘ戻る



メインページへ

宮沢賢治のページへ

☆星のページへ

△山のページへ

kakurai@bekkoame.ne.jp