☆春の花巻・小岩井・青森へ☆ |
盛岡駅 |
3日目、今日はまず盛岡駅に行き、レンタカーを返却です。
朝の岩手山中腹を車でドライブです。
空気がさわやか。
林の間から時折見える岩手山が美しく見えます。
途中で車を停め、山々を撮影。
盛岡まで約1時間。
新幹線で移動して八戸駅へ。
写真は盛岡駅構内にある「いわて銀河鉄道」の改札です。 ●いわて銀河鉄道のホームページはこちら
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鮫駅 |
八戸駅から八戸線の鮫駅へ。
ここは、賢治が妹達を連れて旅行にも来た場所です。
この駅舎も素朴な味わい。
小岩井駅を思い出します。
時間が中途半端だったため、タクシーで蕪島を往復することにしました。 ●いわて銀河鉄道のホームページはこちら |
蕪島 |
蕪島神社の鳥居です。
小さな島で、昔は船で渡ったそうですが、今では陸続きになっています。
ウミネコ繁殖地として有名で、春先は産卵のため、ウミネコ大賑わいです。
島は蕪の花で黄色く彩られていました。
それにしてもこのウミネコの数には驚きです。 ●蕪島のウミネコ(はちのへの観光)のホームページはこちら ●蕪島のうみねこを見よう(ライブカメラ)のホームページはこちら |
ウミネコ |
一面ウミネコで、よそ見をしていたら、ウミネコの糞で靴を汚されてしまいました。
それにしても壮観な眺めです。 |
青い森鉄道 |
八戸駅から青森駅までは各駅停車の列車で移動しました。
各駅停車が一番雰囲気が出ます。
八戸駅まで新幹線が延長された時に営業を開始した青い森鉄道です。
ここでも緑が鮮やかでした。
午後の日差しが車内に入ります。
賢治の詩「青森挽歌」の重要な舞台となる場所です。
賢治がこの場所を通過したのは「やみよ」でしたが、ひるまの「のはら」をしっかりと確かめる加賀谷氏です。 ●青い森鉄道株式会社のホームページはこちら |
夕陽 |
青森駅に着くと、北の海を眺めながら食事。
旅の仲間の一人はこのあと飛行機で戻るため17時でお別れです。
三内丸山遺跡とか行きたい場所はいろいろあったけれど時間切れでした。
写真は、青森駅から八戸駅へと戻る間、特急「白鳥」から見えた夕陽です。
皆、疲れて熟睡状態へ・・。 |
地震発生 |
夕方、三沢駅に到着すると、しばらく列車が停車したままになってしまいました。
事故でもあったのでしょうか。
車内アナウンスで「本日18時・・・地震が発生し、・・・」
寝ぼけながら聞いていると、東北地方に大地震が発生し、線路の調査点検のためしばらく停車するとのこと。
このままでは、予定の新幹線にも間に合いません。
写真は三沢駅の改札口に出た運行停止の案内です。
その後、運転と停車が繰り返され、八戸駅に着いたのは夜0時近くでした。 ●2003年5月26日宮城県沖の地震の各種資料(気象庁)のホームページはこちら |
深夜の八戸駅 |
日付は変わって翌27日です。
鉄道復旧の見込みがないため、新幹線ホテルに泊まることとなってしまいました。
駅では職員の方々がお弁当と毛布の準備をしています。 |
新幹線ホテル |
ホームで並んで待っていると、宿泊用の車両、はやて号がホームに入線してきました。 皆、疲労と不安、そしてあきらめの表情です。 これで明日帰れるのだろうか? | お弁当 |
座席を確保するとお弁当と毛布が配布されました。 よくテレビの報道番組で見かける場面ですが、まさか自分が体験するとは夢にも思いませんでした。 お弁当は普通の幕の内弁当でした。 空腹だったので、おお急ぎで食べ、狭いシートに就寝です。 | 早朝の八戸駅 |
5時半起床。 さわやかな朝を迎えました。 駅の洗面所で顔を洗い、売店で新聞を購入。 地震の全貌がやっと判明しました。 こんな状況で災害にあうと、なにより情報がないのは一番の不安材料です。 駅では、職員の方が、今日も復旧の見込みがないことを案内板に書いています。 新幹線の高架の柱が一部損傷したという情報も入り、今日も帰宅が絶望?!と不安になります。 | マスコミ取材中 |
新幹線の車両に戻ると、新聞記者、テレビ局の取材の方々が車内取材をしていました。 テレビのインタビュアーの質問には、期待どおりの回答をしました。 Q「これからどちらまで」A「東京方面まで」 Q「お困りでしょう」A「仕事があるので、どうしても戻りたいのですが」・・・。 | バスで仙台へ |
東北新幹線運行の見込みなし、ということで、臨時バスで仙台駅まで行けることが決まりました。 駅の西口の駐車場から乗り込みです。 仙台駅以南は不規則ながら運転中とのことで、やっと帰れることとなりました。 実に貴重な体験をしたイーハトーブ旅行でした。 |
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