「宮沢賢治春季セミナー 賢治の歩いた東京」
   

「宮沢賢治春季セミナー 賢治の歩いた東京」


Kenji & Event

2002年3月22日〜23日 東京都内にて


「宮沢賢治春季セミナー 賢治の歩いた東京」

平成14年3月23日(土)〜24日(日)
於 都内賢治ゆかりの地各所

主催
宮沢賢治学会イーハトーブセンター
宮沢賢治イーハトーブ館

後援
宮沢賢治研究会(東京)


宮沢賢治春季セミナー 賢治の歩いた東京
3月23日(土)
 13:00 東京駅地下「銀の鈴」集合
       中央区日本橋、京橋周辺(バス窓より)
       ・東京コンサートヴァトリー跡
       ・小林六太郎跡
       丸善
 14:30 国柱会
       ・田中智学資料館
       賢治歌碑
 16:30 千代田区神田駿河台周辺
       ニコライ堂
       八幡館跡(カザルスホール)
 17:30 東京グリーンホテル水道橋着
 18:00 「賢治の見た東京」杉浦静氏
 17:00 夕食交流会
3月24日(日)
  7:00 朝食
  8:30 東京グリーンホテル水道橋発
  8:45 文京区本郷周辺
       ・東大赤門前「文信社」跡
       菊坂町稲垣宅跡
 10:30 文京区目白台周辺
       「雲台館」跡
       「永楽病院」(旧東大附属病院分院)
       「日本女子大学成瀬記念講堂」
 11:45 バス乗車(バス窓より)
       ・護国寺「関豊太郎旧宅」
       ・千石「高村光太郎の墓」
 12:10 バス下車
       飛鳥山公園(昼食・弁当)
 13:15 農事試験場跡まで徒歩で移動
       北区西ヶ原(農事試験場跡)
 16:00 バス乗車
 16:30 上野公園
       国際こども図書館(旧上野図書館)
 15:30 上野公園にて解散


宮沢賢治春のセミナー、待望の東京地区セミナーです。 賢治は数回に渡る上京で数多くの場所を訪問しています。 バスを利用した一泊旅行です。 今回は東京宮沢賢治研究会の全面協力もあり、便利な旅行のしおり(資料集)もあり、充実した内容となりました。

☆バスツアーレポート☆
   

丸善
 東京駅近くの駐車場を出発。 バスに乗り込み、賢治がオルガンを習った新交響楽団練習所(東京コンサートヴァトリー)跡〔現在の銀座4丁目2塚本ビル〕、そして当時宮沢家と交流があった小林六太郎宅跡〔中央区日本橋4丁目7-10〕を車中から見学しました。 続いて、書店の丸善の前も通過しました。 丸善は単身で上京したときにお金を工面するとき、そして1928年6月18日の日付を持つ作品「丸善階上喫煙室小景」にあるように大島旅行の帰路に立ち寄っています。

国柱会
 江戸川区にある申孝園(国柱会本部)〔江戸川区一之江6丁目19-18〕を訪ねました。 この場所には国柱会を創設した田中智学の資料を集めた記念館があり、賢治に関する資料も展示されていました。 当時の「天業日報」(国柱会の機関紙)などを見ると、賢治、トシ、関徳弥それそれの名前があり、確かに深いつながりがあったことを感じます。 それから、賢治が家出上京したときに高知尾氏と面会した場所は、鶯谷駅近くにあった国柱会館でした。 (国柱会のページはこちら

賢治歌碑
 昭和52年9月、賢治五十回忌に建立された歌碑です。 碑には「宮澤賢治の辞世」として短歌「方十里稗貫のみかも/稲熟れてみ祭三日/そらはれわたる」と「病のゆゑにもくちん/いのちなり/みのり/に棄てば/うれしからまし」が刻まれています。 「妙宗大霊廟」に向かい、左側の一番手前にありました。 園内は桜が満開で、ちょうどいい時期でした

ニコライ堂
 神田付近では、御茶の水駅近くのニコライ堂〔文京区駿河台4丁目1-3〕を見学しました。 関東大震災で崩壊してしまったため、賢治の時代とは異なるものですが、当時は巨大な建物として重要なランドマークであったはずです。 江戸東京博物館に行くと当時の町並みなどを見ることができます。 ニコライ堂は、賢治の短歌にも度々登場しています。 (江戸東京博物館のページはこちら

八幡館跡
 八幡館跡〔千代田区神田駿河台4丁目1-3〕は、賢治が東北砕石工場の技師時代に東京での宿泊に利用した旅館です。 この地で発病し、遺書を残したことは良く知られるところです。 (現在は「お茶ノ水スクエア」主婦の友から日本大学へと譲渡されています。 情報によれば、日本大学でもカザルスの名を冠したホールとして利用されるとのこと。 また八幡館は、現在水道橋グランドホテルとして営業を続けています。 (水道橋グランドホテルのページはこちら

稲垣宅跡
 2日目は古い町並みの残る本郷付近からスタートです。 東大赤門前の文信社〔文京区本郷5丁目25-13〕を訪ねました。 賢治が家出上京中に、筆耕作業をして働いた場所です。 (文信社の場所については諸説あり) さらに、本郷通りを南へと歩き、菊坂へと向かいます。 こちらの町並みも古いものが多くなかなかいい感じです。 その時、賢治が下宿した稲垣宅跡〔文京区本郷菊坂町4丁目35-4〕には、現在ベルウッド本郷というマンションがあり、向かいの角に文京区教育委員会が設置した案内板があります。 写真は菊坂の表通りから石段を隔てて稲垣宅跡を見た様子です。 賢治はここで2階の三畳間一室を間借りして暮らしていました。 近くにある樋口一葉の旧居跡も有名です。

雲台館跡
 賢治の妹トシが日本女子大学在籍中、病で永楽病院に入院し、母イチと共に看病で上京した際に宿泊した雲台館跡〔文京区目白台3丁目4-7〕に立寄りました。 場所は地下鉄護国寺駅から徒歩でもすぐの場所で、現在は個人宅として旅館(戦前に営業をやめたとのこと)はもうありません。 写真の左側にあたります。

東大附属病院分院(永楽病院)
 永楽病院は、トシの入院した病院です。 当時の名称は東京帝国大学医学部附属病院小石川分院でしたが、東京大学医学部附属病院分院となり長い間使われてきましたが、平成13年9月いっぱいで廃院となりました。 トシの入院していた頃の建物はもう残されていませんでしたが、門の入り口にある守衛所(受付所)や、古い看板など、歴史ある病院であることが感じられます。。

成瀬女子記念講堂
 トシの在学していた日本女子大学〔文京区目白台2丁目8-1〕を見学しました。 正門左側に、成瀬記念館、そして右側にが成瀬記念講堂があります。 成瀬記念館には、創立者成瀬仁蔵の偉業を紹介した資料が展示されています。 館内のパネルには「宮沢トシ」として、「宮沢賢治に影響を与えた妹」と紹介されていました。 写真は女子、木造建築が見事な成瀬記念講堂の内部です。 トシの暮らした責善寮跡は、北側にある別の大学敷地(日本女子大寮)の一角です。 (日本女子大学のページはこちら>

飛鳥山公園
 ここで昼食となりました。 3月下旬で桜満開。 公園内は、座る場所もないほどの賑わいでした。 賢治が上京し、農事試験場を訪問する際、この公園横を歩いたと推定されています。 江戸時代から整備されたという歴史ある公園です。 (花見通信の飛鳥山公園の紹介ページはこちら>

農事試験場跡
 農事試験場〔北区西ヶ原2丁目2〕のあった場所で、賢治は盛岡高等農林の2年次に在籍中などに訪問しています。 現在は農林水産省農業環境技術研究所となっていて、記念する碑が建てられています。 当時は現在の研究所の敷地よりも広大で、国内の農業研究の中心的役割を果たしていたようです。 (農業環境技術研究所のページはこちら

旧上野図書館
 セミナーの最後は、旧上野図書館〔東京都台東区上野公園12-49〕の見学です。 といっても、国際こども図書館としてリニューアル準備中(開館は2002年5月5日)で、外から眺めるだけでした。 しかし、館の方の解説があり、近代建築を残しながら改装工事する工夫などが説明されました。 上京中、賢治はここで勉強をしています。 また関連する作品も残しています。 ここで二日間のセミナーは解散となりました。 (国際子ども図書館のページはこちら

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