☆真冬の比叡山へ☆ |
石山寺 |
滋賀県大津市にある石山寺の多宝塔です。
この石山寺は、紫式部が源氏物語の構想を練ったと言われる場所です。
JRびわこ線石山駅から歩いて行きました。
付近には新幹線の鉄橋もありました。
(石山寺のホームページはこちら) |
翁堂 |
石山寺の次は、松尾芭蕉のお墓のあるという義仲寺を訪ねました。
住宅地の中にあり、なかなかたどり着けませんでした。
写真は、小さなお寺の一番奥に建つ翁堂です。 |
松尾芭蕉の墓 |
写真が芭蕉のお墓です。
寺の受付でもらったパンフレットには次のように記されています。
「芭蕉翁は元禄七年(一六九四)十月十二時午後四時ごろ、大坂の旅舎で亡くなられた。
享年五十一歳。
遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来、其角、正秀ら門人十人、遺骸を守り、川舟に乗せて淀川を上り伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。
十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。
門人ら焼香者八十人、会葬者三百余人に及んだ。
其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり、今も当時のままである。
墓石の「芭蕉翁」の字は丈艸の筆といわれる」
敷地内には19もの句碑があります。 |
延暦寺大講堂 |
日を改めて、京阪石山坂本線を利用して延暦寺へと向います。
坂本ケーブルに乗り約10分ほどで、延暦寺駅へと到着します。
「寒い寒い」
山の上は真冬。
でも修行僧たちはサンダルばき。
賢治の作品にも出てくる根本中堂、大講堂を見学しました。 |
賢治の碑 |
根本中堂の前、ちょっと高くなった場所に賢治の碑があります。
碑のそばには、「宮澤賢治父子延暦寺参詣由来(参詣七十五周年記念銘板)」のプレートが設置されています。
その本文を引用しておきましょう。
「賢治が父の勧めで島地大等著「漢和対照妙法蓮華経」を読み、同経の中の妙法寿量品第十六に感動したのは大正三年十八歳。
生家の宗教浄土真宗を捨てて、法華教者として生きてゆくことを父政次郎に告げたのは大正七年二月。
盛岡高等農林研究科二年終了を機に、大正九年五月日蓮主義国柱会に入会。
居室の二階には日蓮上人大曼荼羅、一階には、阿弥陀仏を祀る二仏併祭の家となった。
賢治の日蓮上人帰依は同年十二月。
賢治はお題目、父は代々の念仏を譲らず、家の中の母子はオロオロするばかり。
学友等に対する熱心な折伏も成功せず、父に対するお題目の勧めも容れられず、苦しんだ賢治は自己信仰を強めるため花巻の町を太鼓を打ち鳴らしながら「お題目」を門づけして父や親族を悩ませた。 賢治は父の念仏信仰の固い事に業を煮やして、大正十年一月二十三日無断家出、上京、国柱会日蓮思想普及宣伝に奉仕。 東大学生のノートの筆稿で生計をたて、低カロリーの食事。 自己信仰活動の効果も不毛に近かった。・・・・」と詳しい説明が続きます。 |
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